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◇花火大会から大脱走って何よ◆

 あっというまに花火大会の当日。セツナは浴衣を着て日が沈む頃に会場に向かった。

「セツナ!」

 先に来ていたのか手を振るシヅルに気づいて微笑むと、同じように浴衣姿の彼は嬉しそうに駆け寄って来た。

 青い目を輝かせて、彼はセツナの頭からつま先までを見る。


「似合ってる似合ってる! すごく可愛い」

「あ……ありがとう」

 彼にさようならを告げに来たのを思えば、あまり明るい気分にはなれないが。

 それでも最後の思い出だと考える。少なくとも今、セツナは足元がふわふわとした感覚で、おそらくもともと居た世界と、この世界との狭間に行きかけている。あのとき、アヴェルスに会った日のように。

 しばらくはどこか上の空で、セツナは隣を歩く過去の恋人を見つめていた。


「ねえ、シヅル。もしも……私が明日死んじゃったらどうする?」

 花火が打ちあがる頃になって、唐突にそう告げたセツナに彼は首を傾げた。

 この彼が何を言おうと、ここはただの仮想現実でしかないのだが。

 それでも聞いておきたいことの一つだった。


「何言ってるんだよ、そんな、縁起でもないこと……」

 綺麗に散っていく花火の光が周囲を照らす。ほんの一瞬のことだ。

「もしもの話よ。答えてくれたら嬉しいんだけど」

 セツナがそう言うと、彼は腕を組み、セツナから視線をそらして考えこんでいるようだったが、やがて唇を開いた。


「……俺は、セツナを忘れないし、ずっとセツナのことを大切に想うよ」

「――そう」

 嬉しい言葉ではあった。だが、死というのは絶対の別れなのだ。それをセツナは知っている。

「私、あなたとすごせて楽しかった……すごく」

「セツナ……?」

 花火を見あげてそう告げたセツナに、シヅルが怪訝そうに声をかける。

 きらきらと散っていく火花を見つめて、セツナは微笑んだ。


「夢が見たかったの。でも、しようがないわよね。私もう、死んでいるんだから……セツナ・ドウジマは、どこにも居ないんだから」

 そう言って微笑んで、彼女は身を翻した。


「さようなら、シヅル。あなたとまた会えて楽しかった」

 たとえそれが仮初の現実であったとしても、セツナの記憶をもとに構築された理想の世界であったとしても。

 夢のような一時だったとしても……。

 そのまま立ち去ろうとした彼女の肩を強い力でシヅルの手が掴む。


「シヅル?」

 夢はさめないのだろうか。少なくともセツナという存在はすでに消えかけているのを感じているのに。

 振り返れば、彼の口元が歪な笑みをうかべているのに気づいた。


「ひどいなセツナ、二度も俺を置き去りにするのか?」

「――え」

 青い瞳に映るのは狂気にも似た色で、背筋を怖気が走るが逃げだす猶予もなくシヅルの手がセツナの華奢な両肩を掴む。


「帰るなんて言わないよな? だって、やっと逢えたんだぜ?」

「シヅル……? な、に、言って……」

 怖い。本能的な恐怖を感じた。震えた声が唇からこぼれ落ちたときだった。


「あーあー、こうなるとは思ってたんだよなァ」


 瞬間、割り込んできた第三者の声。きらめいた小ぶりのナイフがシヅルの腕を掠め、手がセツナから離れた瞬間に彼女の身体を抱き寄せた人物。

「な……ナツ!? 何、どういうこと!?」

 いつの間にか、周囲で花火を見ていただけの人々まで狂気じみた瞳でナツとセツナを囲んでいる。


「うるせぇこれで察しろ」

 制服姿のナツはそれだけ言うとフードをはずした、その双眸は以前と違う、見覚えのある紫色。それに、そもそもこんなに整った顔をしている人間も一人しか知らない。


「え!? アヴェルス……!? な、なに、どういうことなの!?」

「いいから大人しくしてろ、舌噛まねぇように黙ってろ。この世界で一生すごしたくねーなら、俺を選ぶなら大人しくしてんだな」

 言い終えるなり、ナツ……アヴェルスはセツナを横抱きにして駆けだした。伸びてくる無数の手を払いのけながら。

 まるでパンデミックが起きた世界だと思う。言うなればゾンビゲームのような。

 道行く人々までもセツナとアヴェルスを止めようと手を伸ばしてくる。


「な、なんでこんなことになってるの!?」

 セツナの問いに、アヴェルスは舌打ちをした。黙っていろと言われたそばから話しているので無理もないかもしれない。


「不思議の湖なんて可愛い名前じゃ想像できねぇだろうな、ここはおまえの未練とシヅルって男の未練と妄執の世界だよ。おまえ一人の記憶と経験からすべてを再構築することはできない。だから、おまえが死んだ時点のシヅルって男の無念や妄執からも構成されてんだよ。そんな未練たらたらな時期のあの男が、はいさようならっておまえを手放すと思ってんのか、阿呆」

「き、聞いてない!!」


 青ざめて悲壮な表情で叫ぶセツナに、アヴェルスは厭味っぽく笑った。

「ついでに、以前ここを作った女王の話をしたな? その女も来る者拒まず去るもの許さずだった。まぁ、そういうこった、ここは最初からイカれた世界なんだよ。これに懲りたらよく知らねぇもんに手ぇだすのはやめるんだな」

「そうと知ってたらやめたわよ!! 言いなさいよ!!」

「どうせおまえは試すまで納得しねぇと思ったし、魔法ってものの恐ろしさを知るいい機会だと思ってな」

「――うぐ!」


 確かに。結局、不思議の湖には引っかからなくてもそれ以外の何かに引っかかっていた可能性はある。そう思うと、アヴェルスの決断は正しい。

「安心しろよ、シヅルって男はもうこの世界のどこにも居ない。あれがただのハリボテだってことは変わらない。傷つけるのを見たくなければ目を閉じてろ、こうなったからには強行突破しないかぎり、おまえはここであいつと結婚して、ここが仮想現実だと知っていながら、エルトリーゼの記憶も持ちながら死ぬまで留まるしかねぇんだ」

 ぞっとする話だ。ここが偽りだと気づきながら、ここに留まり続けるとは。


「も、もしかしてアヴェルス……助けに来てくれたの?」

 セツナの……すでに姿はエルトリーゼに変貌した彼女の問いに、彼はニヤリと笑う。

「どうせこうなると思ってたからな。感謝しろ、そしてそれ相応の対価を考えとけ」

「か、感謝はするけど! お礼を強要するのはどうかと思うわ!」

 伸びてくる手をナイフで振り払うアヴェルスは手馴れているように思えた。さすが何でも完璧にこなしてきた王子様だけある。エルトリーゼという重荷がありながら、器用に腕を避けて、払い、この町の小高い山の上にある神社を目指して走っているようだ。


「お、重くない……?」

 思わず問いかけた、アヴェルスはエルトリーゼを抱えているというのに息切れもしなければ涼しい顔で走っているからだ。


「おまえは俺を馬鹿にしてんのか、おまえぐらいの重さでへばってたら騎士団の訓練なんか耐えられるわけがねーだろ、鬼教官なんだぜ?」

「騎士団……? あなた、そんなところにも居たの?」

 すっかり勉学だけなのだと思っていた、意外な話だ。

「レディウスとかと一緒に訓練を受けてたんだよ、護衛が居るっつっても、俺があんまり足手まといになるようじゃ困るだろ。暗殺者の一人二人なら自分でなんとかできる」

「それも完璧だったわけね」


 意外だとは思わなかった。アヴェルスならきっとやってのける。

 けれどだからこそ、やはり彼には素のアヴェルスとして居られる時間が必要だ。

 それと同時に、戻ったら自分も護身術の類を学ぼうと決意する。体力も必要だ、こんなふうに庇われて護られて足手まといというのは金輪際お断りだ。


「っと、やっぱり来るよなァ……妻に嫌われたくないって意味じゃあ、てめぇの相手だけはしたくねーんだけどな」

 神社の階段を駆けあがったかと思えば、急に立ち止まったので本当に舌を噛みそうになった。


「セツナを……返せ……」

 虚ろな表情でそう告げるシヅルに、アヴェルスはまた舌打ちをした。

「仕方ねぇなァ、やっぱてめぇをぶっ壊すのが一番こっから出るのに手っ取り早いか」

 アヴェルスの持っていたナイフが形状を変えて剣に変化する。


「エルトリーゼ、うしろ向いて耳塞いで目ぇ閉じてろ。嫌だっつってもこれだけは避けられそうにない」

 一瞬の迷い。けれどエルトリーゼは首を横に振ってからシヅルを見つめて告げる。

「大丈夫。私がしたことの責任だもの、最後まで見届けるし、あなたのこと恨んだりしないわ」

 アヴェルスのせいではない、安易に現実から逃避しようとした自分が悪いのだ。

 そしてこのシヅルはシヅルではない、彼はもうどこにも居ない。

 エルトリーゼの返事を聞くと、アヴェルスは「しようがねぇなあ」と言って剣を構えた。


「悪いがてめぇにはここで壊れてもらうぜ、死人の妄執には付き合ってられねぇんでな」

 最初はアヴェルスの言葉の意味が分からなかったが、思えばセツナが死んで、今すでに転生しているのだ。シヅルもとうに亡くなっていておかしくない。

「セツナ……どうして、どうしてだ……?」

 シヅルの声に心が引き攣るように痛んだが、もう戻れない、もう、彼と自分は同じ場所に居ないのだ。

 もう二度と、こんな形で現実から逃げないと心に誓った。


 ◇◇◇


 世界が壊れていく。ヒビ割れて、悲鳴をあげて、崩れていく。

 夢の時間は終わったのだ。エルトリーゼは文字通り割れる空をぼんやりと見あげていた。


「エルトリーゼ、気はすんだのか?」

 アヴェルスの問いに、彼女は視線を移して頬を膨らませる。

「意地悪ね、分かってるでしょ。もう二度と安易に現実から逃げようなんて考えないわ」

 ふと、崩れ落ちていく空の破片に映像があるのに気づいた。

 それと共に、声が降って来る。


 ――それは、セツナ・ドウジマの葬儀の日の映像だった。


『セツナ、ごめん……ごめん……俺があのとき、離れなければ』

 シヅルの声に、エルトリーゼは瞳を見開いた。

 泣き崩れる彼に「あなたのせいではない」と、本当は言いたかった。

 けれどもう、それを伝えるべき相手はどこにも居ないのだ。


 ――それは、シヅルが一人で迎えた花火大会の日の映像だった。


 彼は何も言わない。ただ、虚ろな表情をしたその頬を涙が伝って落ちた。

 きっと、とても、とても苦しめてしまった。

 セツナが知らない、シヅルの一人きりの時間だ。


 ――それは彼の生涯を綴った映像であったと思う。


 やがて心の整理をつけたのか彼は前を向いて生きていった。

 けれどどこかには、セツナという若くして消えた少女の面影が残っていたのかもしれない。

 新しい恋人ができて、結婚して、家庭を持って、そしてやがて死ぬ行く。


 きっと、セツナを喪った傷自体は時と共に癒えたのだろう。この世界がこうであったのは、彼がセツナを喪ったその時のままだったからだ。

 なぜなら、エルトリーゼが望んだ戻りたい時間が、その頃だったから。


「あー……嫌だ嫌だ、おまえの前世の恋人とか、なんで俺まで一緒に見せられなきゃならねぇんだ」

 軽く肩をすくめてみせるアヴェルスだが、その表情はどこか拗ねているように思えた。

 もしこれが気のせいではなくて、エルトリーゼにも少しは分かるようになったのだとしたら、少しだけ嬉しいものだ。


「しかも、それにそっくりなやつが今の世界にも居て、さらにそれが俺の部下だとか、冗談キツいぜ」

「私が好きなのはあなたよ」

 厭味っぽいアヴェルスの言葉に苦笑して、あえて素直に告げると彼は目を丸くしていた。

 どこか幼さの残る表情だったと思う、けれどまるで隠すように一瞬で歪な笑みに変わってしまう。もっと見ていたかったのに。


「どうだか……ま、大根役者のおまえが俺にうまい嘘をつけるわけもないか。助けてやったんだから、褒美は期待してるぜ?」

 アヴェルスの言葉に、エルトリーゼはむっと眉を寄せる。

「だ、だから! あんたにいったい何をあげればいいっていうのよっ! だいたいの物は自分で手に入れられるでしょ!」

 欲しい物なんてなんだって手に入るだろう。食べ物でも宝石でもなんでも。

 それでは、エルトリーゼは彼に何を渡せばいいのか分からない。

 自覚しているが、料理や裁縫は得意ではないし、エルトリーゼの作った物などアヴェルスは必要としないだろう。しかし……。


「おまえの作った物ならなんでもいいし、おまえが俺のためにしてくれることならなんでもいい」

「――は?」

 今度はエルトリーゼが目を丸くした。アヴェルスがこんなことを言いだすとは思っていなかったのだ。

 アヴェルスはその反応に不満そうな顔をした。


「なんだよ、その反応」

「だ、だって、そんなのなんの意味も……わ、私、本当に料理とか裁縫とか駄目だし、できることなんて、何も……ないし……」

 エルトリーゼがぼそぼそと告げると、彼は意地悪く笑った。


「安心しろよ、毒への耐性はあるからさ」

「毒って! そこまでじゃ……そこまで……じゃあ……な、くはない、かも……」

 否定しきれない、そのくらいには料理は特に自信がないし。いや、裁縫なども同じことだ、ぬいぐるみを縫おうとして怪物ができあがったのはある意味天才的だったかもしれない。


「なんにせよ戻ったら労ってもらうからな、おまえが前世の恋人といちゃつくのをさんざん見せられた俺の気持ちにもなれよ」

 思えば彼はナツとしてここに居たのだから、つまり、そういうことだ。

「どうしてナツに?」

 エルトリーゼの素朴な疑問に、彼は軽く肩をすくめてみせる。

「この仮初の世界にナツって存在は居なかった。ただ、おまえの前世には俺と似たようなやつが居たと知ったから、都合がいいと思ってそいつになりすましてただけさ。この姿ならシヅルって男にも怪しまれないと思ったしさ」


「ど、どうやってひとの前世なんか……」

 多少は恥ずかしい。知られたくないことまで知られていないだろうか?

「魔法はおまえが思ってる以上に色々できる、そしておまえが思ってる以上に危険でもあるってことだ」

「……む」

 エルトリーゼは天才的に魔法の才能がなかったために、簡単なものしか扱えない。

 セツナとしての記憶があるエルトリーゼにはあまりに異端で、常識が邪魔して使いこなせなかったのだ。


「アヴェルス、本当に助けてくれてありがとう……あなたは、私よりいっぱい仕事があったのに」

 エルトリーゼ以上にたくさんの責任を抱えている彼が数日も失踪したのだろうから、大変な迷惑をかけてしまった。

 きちんとお礼を述べると、彼は変わらず意地悪な笑みをうかべる。

「安心しろよ、仕事なら俺の影武者がつつがなくやってる」

「さすがだわ」

 こんなのが二人も三人も居たら怖いと思っていると、やがて世界が歪み始める。戻るのだろう。

 ほどなくして、真夜中の城の中庭に二人は立っていた。


「殿下! エルトリーゼ様、おかえりなさいませ……!」

 そこで待っていたのか、レディウスに声をかけられるとアヴェルスは少しばかり不満そうな顔をした。彼とシヅルが似ていることがアヴェルスの中では引っかかっているのだろう。


 意外とやきもちを焼くのだと考える。そして、それが嬉しくもあった。彼が本当に自分のことを想ってくれているようで……いや、あんな場所まで助けに来てくれたのだから、それは疑いようもなくなったのだが。


「アヴェルス、私が好きなのはあなたよ」

 はっきりとそう告げれば、彼は少し照れくさそうに頬を掻いた。

「なんか……おまえがそう素直だと調子狂うんだけど」

「だって本当のことだもの」

 まるで恋人同士のようだと思う、とっくに夫婦になっているというのに。

 けれど、感情的に言えばこれでいいのかもしれない。順を追っているのだと思える。

 二人の様子を見ていたレディウスがどこか嬉しそうに言う。


「おや……私はお邪魔でしたでしょうか?」

「おまえまでからかうなよ」

 レディウスはにこにこと笑って、本当に嬉しそうにアヴェルスとエルトリーゼを交互に見る。

「こんなに喜ばしいことはそう滅多にあるものではありませんよ殿下。あなた様とエルトリーゼ様の仲が深まったのだと思うと、私としても大変喜ばしい」

「あーあー、分かった分かった、分かったからおまえはもう仕事に戻れよ。身体の不調はないし、俺もこいつもどこも怪我なんかしてねぇから」

 アヴェルスの言葉に頷いて、レディウスは「ただし」と付け足す。


「念のため、あとで医者には診せますからね」

「分かった」

 去っていくレディウスを見送って、アヴェルスはエルトリーゼに手をさしだした。


「疲れただろ、休もうぜ」

「疲れたのはあなたほうじゃない、私を抱えて走ってきたんだもの」

「あの程度で疲れてたらこの人生やってらんねーよ」


 エルトリーゼはアヴェルスの手に手を重ねて、共に歩きだす。

 不思議な気分だ、ここから逃げだしたときとはまったく違う。隣を歩く彼に確かな愛情を抱いている自分に気づいて、気恥ずかしさから頬が熱くなる。

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