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◇セツナとエルトリーゼ◆

 あれから三日が経った、花火大会はもうじきだ。そのあいだ、セツナは苦悩し続けていた。

 アヴェルスが熱で倒れる前なら、きっとこんなふうに思い悩むこともなかっただろう。

 あんな言葉聞かなければ、こんなに苦しむこともなかっただろう。


「――あ」

 的を大きく外して矢が音をたてて突き刺さる。そのことに、弓道場に居た後輩もシヅルもきょとんとしていた。

 セツナがこんなに大きく外すことはない。おそらく、一度もない。


「セツナ……? どうしたんだ?」

 心配そうにシヅルが近づいてくる、セツナは眩暈を覚えて額をおさえた。

「いや……あ、あはは……ちょっと、体調が悪いみたい……で」

「おい! セツナ!?」


 そのままふらりと倒れそうになるのを慌ててシヅルが支える。

 駄目だ、このまま気を失っては。そう思うのに瞼が重く、脳が反転するような感覚と共に視界も五感も遮断される。


 ◇◇◇


 その姿になるのはとても久しぶりのように思えた。

 何もない暗闇に座りこむ自分、エルトリーゼ。


「私って……馬鹿ね」

 小さく呟いた。結局アヴェルスのことを信頼できなくて、その結果、逃避してさえ逃避しきれずに居る。


 切り捨てることもできず、かといって信じることもできない臆病っぷりだ。

 けれどそれは、つまり、エルトリーゼにとってアヴェルスという青年がとても大切な人間であるという事実を告げている。

 だからこそ、嘘であるなら逃避したい。だからこそ、真実であるなら共に居たい。


「あんなのに惚れるなんて、どうかしてるわ」

 自分にはシヅルが居るのに。けれどそれは、本当は……。

 自分が死んだことを理解している時点で、シヅルという存在もとうに過去のものではあったのだ。ただ、アヴェルスとの縁談から逃れたいがため、そして前世の後悔ゆえの執着だった。


「何やってんだよ、おまえ」

「きゃあっ!?」

 急に声をかけられてビクリと身体が大きく震える。

 声のしたほうに視線を向けると、アヴェルスの姿があって水色の双眸を見開いた。


「え? あれ、私、もしかして戻って来た?」

「いいや? おまえの身体も意識も相変わらず不思議の湖の中だぜ」

 アヴェルスが居るということはそれしか思いつかなかったのだが、あっさりと否定される。ではなぜ彼がここに居るのだろう?


「俺はたまたま、通りかかったようなもんだよ。それより、向こうの世界はさぞ楽しいんだろうな? 想い人にも再会できてさ」

 厭味っぽく嗤うアヴェルスに、エルトリーゼは眉を寄せた。

「楽しかったら、道に迷ったりしないわ」

 少なくとも、この不思議な空間に居るというのは道に迷ったとしか言いようがない。


「あなたこそ、お荷物の妻が居なくなってさぞ人生が楽になったことでしょうね!」

 エルトリーゼも厭味で返すと、アヴェルスは憂鬱そうに大きなため息を吐いた。

「楽になるどころかどんどん重たくなってるぜ。おまえが失踪したってんで、側室を取れと騒がしい奴らが居るしな」

 思わず水色の瞳を見開いた。側室。彼に。

 心が悲鳴をあげるように痛む、けれどそれに蓋をした、彼から逃げだした自分にとやかく言えることではない。

 けれど、今なら素直に言葉を口にできそうだった。


「ねえ……ちょっとは寂しいって思ってくれた?」

 少しだけ甘えるような口調で聞くと、アヴェルスは腕を組んであきれたというような表情で言う。

「俺は前に、どこにも行かないでくれ、と確かに言ったはずだが、どっかの馬鹿が勝手に逃げだしたんだろうが」

「う……」

 そのとおりだ。アヴェルスは確かにそう言った。


「だって……あなたのその言葉が嘘か本当か分からないんだもの。嘘だったら……耐えられないの」

 エルトリーゼがぽつりぽつりとそれを言葉にすると、アヴェルスはおかしそうに笑った。


「なんだよ、俺に惚れたのか?」

 冗談めかした言葉だったが、エルトリーゼはすくっと立ちあがると彼を睨みつけて叫ぶ。


「そうよ!! そうだったら悪いの!? あんたみたいなド外道の最低の最悪の男を好きになっちゃったの!! もうっ! 最悪よ、あんたなんかじゃなければ、あんたがあんな紛らわしいこと言わなきゃ、私はこっちの世界を謳歌できたのに!」

 驚いて目を丸くしているアヴェルスに、エルトリーゼはなおも言う。

「ほんとにほんとにほんとに最悪よ!! あんたなんか……あんたなんか好きにならなきゃよかった、そうしたら、きっと私、戻りたいとか、戻りたくないとか、こんなつまんないことで悩まなかったわ、あんたの言葉に嬉しくなったり不安になったりなんかしなかったわ!」

 これが最後かもしれないなら、少なくとも自分が本気で帰りたいと思えないなら戻れないのだから、いっそ言ってしまえと叫ぶ。


「あんたなんか好きになるなんてどうかしてるわ、自分でも、いっそ狂ってると思うわよ!」

 ぽろぽろと水色の瞳から涙がこぼれる。アヴェルスはそれを見て小さく息を吐いた。

「――失礼なやつだな、というか、おまえまだ俺のこと信じてなかったのか。重ねて失礼だ」

 ゆっくりと距離が縮まって、アヴェルスの手がエルトリーゼの涙を拭う。


「嘘をつく気だったらもっとうまくやるに決まってんだろ、おまえが疑う余地もないくらいにな。素なんだよ、おまえの前では。演技も、嘘も、何もやってねぇんだよ」

「嘘だわ」

 エルトリーゼがばっさりとそう言えば、アヴェルスは大きなため息を吐く。

「どっかの大根役者と俺を一緒にするなよ。たとえ相手がおまえでも、本気で騙す気ならもっとうまくやる。それとも、おまえには俺の演技が全部見抜けるとでも言う気か?」

「うっ……」

 それを言われると確かにそうだ。現状ではあくまでエルトリーゼの被害妄想にすぎない。

 アヴェルスが本気で騙そうというのなら、確かに、エルトリーゼの心を巧みに操るのかもしれない。何をすれば喜ぶか、信じるかも彼はきっと分かっている。

 分かっていて、そうしていないのだということだ。


「ま。俺に側室ができないうちに戻って来いよ、俺はいちいち演技しなきゃならない女はいらないんでな」

 ゆっくりと抱きしめられて、頬に熱が集まるのを感じる。

「……怒ってないの?」

「だって、おまえはそのシヅルって男のこと、とっくに諦めてるだろ。だったら、前世でどんな関係だろうが俺のほうが上だ」

 なぜアヴェルスにそんなことが分かるのだろうと思った。

 それが顔にでもでていただろうか? アヴェルスが意地悪く笑って言う。


「俺も諦めてた恋があるからな。おまえの様子を見ていれば、なんとなく察しがつくさ。それに本気でまだそいつが好きなら、おまえはこんなところに居ない」

「……なんだか、あなたの手の上で転がされているようで嫌だわ」

 エルトリーゼはアヴェルスの背に腕をまわして、小さなため息を吐いた。


「たぶん……もう何日かしたら戻るわよ。シヅルにさよならを言ったら……最後の約束を果たしたら」

「俺の前でよくそういうことが言えるな、おまえ」

 彼のぬくもりが遠ざかる、すぐ傍に居るのにも関わらず、透明になっていくようだ。

 やがて意識が、視界が真っ白に染まっていく。


『待ってるぜ、おまえのこと』


 最後にアヴェルスの声を聞いて、目がさめればそこは保健室だった。

「セツナ!」

 手を握ってくれていたのだろう、瞳を開くとシヅルの声が耳に届く。

 ああ、セツナに戻ったのだと思った。

「身体は大丈夫か?」

「……ええ、ちょっと貧血気味だったのよ」

 いい加減な言い訳だとは思う、実際には、戻りたいという気持ちが勝り始めているのだろう。


「家まで送ってく、心配で……傍を離れたくないんだ」

 真剣なシヅルの声に否と答えようとしたときだった。

「シヅル、先生が弓道部のことで話があるってさ。どーしても今じゃなきゃ駄目だって」

 保健室に入ってきたナツの言葉に彼は眉を顰める。

「ほんとタイミングの悪い教師だなあのひとは……セツナ、少し待っててくれるか?」

 シヅルの言葉を聞いて、ナツが口を開く。


「少しじゃすまないんじゃないの、体調悪いなら、俺が送ってやるけど?」

 ナツの提案にシヅルは少し悔しそうに唇を噛んだ。

 けれど、セツナの体調を思えばナツに任せるのが一番いいだろう。

「……頼んだ、ナツ。ごめんなセツナ」

「気にしないでよ、シヅルのせいじゃないんだから」

 まだ少しくらくらするのは、自分の存在が不安定になっているからだろうか。

 シヅルが出て行ったあと、ナツがベッドに近づいてきた。


「倒れたんだ? やっぱり悪いものでも食べたんじゃねぇの」

「そんなわけないでしょ。それより、ありがとうナツ」

 鞄などはすでに整えられていて、あとは起き上がって帰るだけだ。

 セツナは簡素なベッドからおりて、鞄を手にとってナツと共に保健室の外へ向かう。

 外からはうるさいほどのセミの声が響いていて、煌々と燃える太陽がじりじりと地面を焦がしている。それだけで、体調の悪い身としてはうんざりさせられる。

 セツナはひとまず何か会話をしようとナツに問いかけた。


「ナツは好きなひととか居ないの?」

「何、急に。のろけ話なら他所でやってよね」

 ふっと笑ったナツの口元。セツナは気恥ずかしさから視線を彷徨わせた。

「そ、その、のろけとかじゃなくて! ただ、ナツのそういう話って聞いたことないなぁって」

 そう言うと、彼は口元に手をあてて考える仕草をした。


「別に興味ないし、セツナには関係ないんじゃないの」

「――ま、まぁ、そうだけど」

 そうバッサリと言われてしまうと、これ以上何も追求できない。

 入道雲が流れる青い空を見上げて、セツナは電線を視線でなぞった。あの世界には無いものだ。


「シヅルとうまくいってないの?」

「は、はぁっ!? どうしてそうなるのよ!!」

 突然のナツの言葉に、セツナが大声をだすと、彼は耳を塞いで言った。

「だって最近のセツナ、なんかシヅルの前でだけぎこちないからさ」

「……え」

 そうだっただろうか? というか、周囲にも分かるほどぎこちなかっただろうか?


「ま。気のせいかもしれないけどさ、シヅルとセツナがぎくしゃくするとか考えらんないし」

「ぎくしゃくなんて……してないわよ」

 ただ、もうここに逃げるのは終わりにしようと思っていた。

 花火大会の日にシヅルに別れを告げたら、自分はもとの世界に戻ろうと思っている。

 それが一番正しい。アヴェルス曰く、前世の呪いに縛られる必要はないのだ。

 そうして過去や前世に縋るのは、自分勝手なことだと気づいた。空想の世界でシヅルに会ったとしても、それは彼に対して失礼なことだとも理解した。


「俺には関係ないからどっちでもいいけどさ」

「ナツらしいわね」

 彼は何にも興味を持ちたがらない。部活も勉強も、才能はあっても何もかも。

 やがてセツナの家に着くと、ナツが言った。


「さっさと休んでいつもの能天気なセツナに戻ってくれ」

「わ、分かってるけど、能天気って何よ」

 にやりと笑うナツ、ふと、フードの隙間から見えた瞳の色がやはり紫色であるように思えて、自分は病気なのだろうかと疑った。


 いったいどれだけ彼に逢いたいのだろう。確かに、これではアヴェルスの言うとおり自分は尻軽ではないか。

 ナツは手を振って去って行き、暑い玄関先に残ったセツナはもう一度電線が塞ぐ空を見あげてから家に戻った。

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