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◇新月の夜2◆

 学校に着いて、まず弓道場へ顔を出す。そこには、一足先に来ていたのか、すでに練習を始めているシヅルの姿があった。


「あ……セツナ! おはよ、今日も早いな」

「あなたこそ」

 二人の出会いは部活動だった。最初は成績が拮抗したライバルで、そのうち互いに好意を持つようになった。

 けれど今は、今はやはり、以前とまったく同じようには想えない。

 そもそもここは仮想現実なのだから、シヅルという男性はもうどこにも存在しないのだろうが。


「どうした? 具合でも悪いのか?」

「いいえ、そんなことないわ」

 俯いてしまったセツナに違和感を覚えたのか、シヅルに問われて慌てて微笑んだ。

「本当か? 昨日は大雨だったし、体調には気をつけてくれよ?」

「え、ええ……」

 ふと、シヅルの視線が弓道場の外に向く。


「あれ? めずらしいな、ナツがこんなに早くに居るなんて。ちょっと待っててくれ、やっぱりあいつは才能があると思うんだよ」

 シヅルが熱心にナツを勧誘していたのは覚えている。だが、ナツの返事と言ったらいつも「面倒くさい」の一言だった。

「ナツ! おはよ!」

 シヅルに声をかけられて立ち止まったナツは、少し顔をあげて片目で彼を見る。


(え……)

 そこで、強烈な違和感を覚えた。ナツは真夏でも冬でもいつも顔が隠れるくらいにフードをかぶっているので、素顔をよく知らないのだが、その瞳が紫色だったように思えたのだ。そう、アヴェルスとよく似た。髪の色もそうだ。

 けれどありえない、ナツのあれは染めているのだろうし。シヅルと違ってハーフでもない。


「なあナツ、弓道部に入らないか? おまえには絶対才能があるって!」

「絶対に嫌だね、面倒だし。シヅルが部長やってる時点で無理」

 ナツの唇からシヅルの名が出たことで、奇妙な安堵が押し寄せる。

 それはそうだ。ここにアヴェルスが居るはずがないし、ここへ来たとしても、彼にはこの世界の知識が無いだろう。


「んー……まぁ、そのフードははずしてもらうけどな」

「あぁ、これ。身体の一部なんだよね。無理」

 意味の分からない返事をして、ナツは手を振って去って行った。

「まーたフラれたか」

 シヅルが頬を掻きながら戻って来たので、セツナは苦笑をこぼした。


「ナツは部活に興味ないんだもの、しようがないわよ」

「もったいないよな、あいつは色んな才能に恵まれてるのにさ、どれも中途半端で」

 そう、ナツはどれも中途半端だ。何もかも完璧にこなしてきたアヴェルスとは違う。

 けれど違和感は拭えなかった。あちらの世界にもシヅルとよく似た青年、レディウスが居たのだから、この世界にアヴェルスによく似た人物が居てもおかしくない。


 フードをはずしてくれと頼んだらはずしてくれるだろうか?

 そうしたら、自分は安心できるのだろうか……いったい、何を?

 彼の目が黒や茶色だったらいい? なぜ?


(嫌な女……)

 我ながらそう思う、罪悪感から、後悔から逃れたいのだろう。

 今の自分はアヴェルスを裏切っている、彼の好意が本物であったなら……だが。

 だが、もしも偽りだったら心が耐えられない、かといって、証拠や証明などできることではない。だから帰りたくないのだ。


(せめてきちんと話し合えばよかったのかしら)

 それで信頼できるなら、最初からもっと信頼していたようにも思うが。

 とにかく、今はどちらの世界に留まるべきか決断しなくてはならない。


(花火大会までには……答えをだしたいものね)

 その日を期限としようと決めていた。

 もっとも「帰りたいと強く願わなければ戻れない」という言葉が本当なら、そう思えるかどうかは分からないのだが。


 ◇◇◇


 昼。学校の裏庭にあるベンチに座って購買で買ってきたパンを食べようとしていたセツナの視界にナツの姿が映った。

「あ……ナツ!」

 思わず、反射的に声をかけてしまった。すぐに後悔したのだが。

 いったいなんと言えばいいのだろう?

 フードをはずしてほしい? なぜ?

 もしも、彼の瞳が紫色だったら……?


「何、セツナ」

 そっけない返事が戻ってきて、どうしようかと視線を彷徨わせる。

「用がないなら行くけど」

「ま、待って……ええと、そういえば私、あなたの顔ってあんまり見たことないなって思って」

「別に、セツナだけじゃなくてほとんどのやつが見たことないと思うけど」

 近くまでやって来たナツの顔はフードの陰になっていて、やはりよく見えない。


「えーと……見てみたいな? って」

「なんで疑問形なわけ?」

 一歳年下、というのもアヴェルスと同じだ。嫌な予感が押し寄せてくる。

 ナツはふうとため息を吐くと、フードを外した。けれどその瞳の色は茶色で、ハーフのような顔立ちではあるが、少なくとも紫の瞳ではなかった。


「これで満足?」

「――え、ええ、あり……がと……」

 セツナには分からなかった、この落胆のような感情がなんなのか。

 なぜそんなふうに思うのか? アヴェルスに会いたかったのだろうか? ナツが彼であってほしいと少しでも思っていたのだろうか?


(ほんと……嫌な女……)

 セツナが眉を顰めて悔しげに唇を噛んだのを見て、もう一度フードをかぶったナツが笑う。

「セツナがそんなに真剣に悩んでいるなんて、悪いものでも食べたんじゃないのか?」

「な、何よ、私だって悩むことくらいあるわ!」

 失礼ね、と言うと、ナツはくすくすと笑った。

 そのまま彼は手を振って去って行った、代わりに、シヅルがやって来る。

「セツナ、昼飯か?」

「え……ええ」

 シヅルの屈託のない笑顔に、また罪悪感が顔をだす。自分はいったい何をどうしたいのだろうか?

 最初は、ここへ来れば結婚からも、何もかもから逃げられて好都合だと思っていた。それなのに、今自分は迷っている。戸惑っている。


「セツナ?」

 すぐ隣に座ったシヅルに顔を近づけられて、反射的に離れる。


 ――本当はどこにも行かないでほしい。


 どうして今思いだすのか。アヴェルスのあの言葉を。

「どうか……したのか?」

 心配そうなシヅルの声に、セツナは慌てて笑みを繕った。

「な、なななんでもないの! ちょっと……ちょっとだけ調子が悪いの」

「そうなのか? あんまり無理をするなよ。その……せっかく恋人同士になって初めての花火大会なんだし、俺は楽しみでさ」

 困ったように笑うシヅルに、なんとか返事をする。


「……ええ」

 うまく笑えただろうか?

 自分は大きく道を誤ってしまったかのような気がしていた、だが、ここへ来ることがなければそれを知ることもなく、不思議の湖に夢を見続けたのだろう。

 だから、これは間違いではない。だが、アヴェルスの真意を確かめることも今はできない。


(私、いろいろと抜けてるのね)

 とはいえ、アヴェルスの口から何を告げられたとしても、それを自分が手放しに信じることができるとも思えないのだ。


 もっと信じることができれば、とも思うが、アヴェルスは嘘に関してもきっと完璧だ。

 せめて自分が、彼の嘘に永遠に騙されていられるような人間だったらよかったのかもしれない。そうしたら、きっと。

(こんなに、苦しくないもの)

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