陸:大和撫子は来ない
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そして、時が経過するのは早く、あっという間に放課後になった。
俺は誰もいなくなった教室で、一人自分の席でふて寝をしているところだった。
机に突っ伏しながら、数学の授業の後のことを思い返す。
結局あの後、俺は更科さんと一言も言葉を交わすことはなかった。更科さんからの声を掛けるなオーラがすごかったのだ。
もし、気軽に話しかけてしまうものならば、命はなかっただろう。勿論、そう感じていたのは俺だけであって、他のクラスメイト達は当然のように数学の授業の後にも更科さんに話しかけていて、更科さんもいつも通り笑顔で応じていたのだが……。
茜色に染まる教室を横目で見て、俺は無力感に襲われる。俺は夕焼けの色を見たくなくて、再び視線を戻した。目を開けているはずなのに、暗闇しか見えない。
更科さんはいつになったら教室に現れるのだろうか。確かに、放課後としか言っていなかったのだが、ここまで待たせるのは如何なものか。
この状態のまま、一時間半は余裕で過ごしている。さすがに我慢の限界が訪れそうだったが、俺は何とか堪えた。
「ここで帰ったら、すべてが台無しだ。耐えろ、俺。耐えるんだ」
俺は机に突っ伏しながら、誰もいない空間の中、一人己を鼓舞する。そうでもしなければ、こんな長い時間、乗り切ることは出来ないだろう。
「頑張れ、俺。負けるな、俺。平穏な高校生活のために、更科茉莉の正体を掴んで――あだぁっ!?」
ふと、俺の言葉を遮るように頭の上に何かがぶつかった。それは紙のような感触であった共に、やはり紙が落ちたような音が床に響く。それと同時、廊下から誰かが走り去る音が耳に入った。
「いてて、何だ?」
俺は席から立ち上がって、床に落ちている紙を拾い上げた。くしゃくしゃに丸められた紙だったが、この時間にわざわざ意味のない紙を人に投げる奴はいない。てか、高校生にもなっているのに、いて欲しくない。
俺は遠慮なく紙を広げて、
「諏訪悠陽、早く来い。屋上で待つ――……?」
手紙の中身を、そのまま口に出した。
これでは、まるで挑戦状ではないか。文字は怒りのためか、微かに震えている。
内容を確認した俺は、他にも何か書いていないかと紙を裏返す。この手紙は、裏紙を再利用されているためか、追加のメッセージを見つけることは出来なかった。
その代わりに裏紙から得た情報がある。手紙の裏は、今日の数学で返却された百点満点の答案用紙だった。名前こそ黒く塗りつぶされているが、思い当たる節がないわけがない。
「はは、これだけでモロバレだけどな」
俺は思わず半笑いを浮かべた。
そして、気だるげに頭を掻くと、百点満点の答案用紙をブレザーの内ポケットに入れて、一時間半待たされ続けた相手がいる屋上へと足取り重くして向かった。