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弐拾肆:勝利の女神は誰に微笑む

 ***


 ――あなたがあの血祭まつりを本当に超えているのか、私に見せてよ。


 あまりの冷淡な声音に、誰も咄嗟に反応出来なかった。更科が言っている言葉の意味を理解出来ないのだ。

 唯一理解出来たのは、血祭まつりの正体が更科茉莉だと知っている俺だけだろう。


 当然だ。知らない人からしたら、相手を侮辱し、伝説に泥を塗っているようにしか聞こえない。そして、その発言はあまりにも高慢で、自分の実力に絶対の自信がなければ容易には言えないものだ。

 自分の発言で混乱を招いているとは全く予期していないのか、当の更科は霜杉という人間を確かめるように睨み付けている。


 今の更科は明らかに様子がおかしかった。


 目の前にいる更科が、更科茉莉ではなくなってしまう――、そう錯覚してしまうまでに、更科が纏っている雰囲気が一変してしまったのだ。


 ようやく言葉の意味を噛み締めた霜杉は、一度鼻を鳴らすと、


「――ッ、ああ。言われなくたって、永遠に忘れられないようにテメーの体に刻んでやるよォ!」


 全身全霊を乗せて拳を振った。走り込み、腰、腕の力、足の踏み込み、全てに力を込めた霜杉の渾身の右ストレートだ。風を切る音が、轟々と響き渡る。速く、重く、鋭い一撃だということが分かった。まともに受ければ、ただでは済まされないだろう。


 しかし、更科はいとも簡単にそれを受け止めた。

 拳と手の平がぶつかり合う、渇いた音がYOMIに響く。


 そして、受け止められた霜杉の拳が、更科によって力強く握り潰された。骨が軋む音が、こちらにまで聞こえてくる。


「……くっ!」


 危険だと判断した霜杉は、足を踏ん張り、全力で拳を引き戻した。同時に、霜杉は更科との距離を置く。


 引き戻した霜杉の右手は、震え続けていた。右拳を見つめる霜杉が、青ざめていくのが見て分かる。痛みと動揺の二つが、霜杉を襲っているのだ。それに対して、更科は全く動じていないのか、微動だにしない。


 動揺を悟られないためか、霜杉は右手を軽く振り、再び握り締める。


「……ちィ、どうやら油断しちまったようだなァ! 次は――」

「血祭まつりを超えないと――、あなたに勝ち目はないわ」

「……は?」


 霜杉が更科の言葉に反応した次の瞬間、霜杉の顎を捉えるところまで拳が昇っていた。ギリギリの所で気付いた霜杉は、顔を逸らすことで更科の攻撃を避ける。


 いつの間にか更科は霜杉の目と鼻の近くまで近づいており、霜杉に向かって殴り掛かっていたのだ。恐らく、更科が言葉を発していなければ、霜杉の顎は打ち砕かれていただろう。


「――ッ、てめぇ!」


 怒号がYOMIに響くと、霜杉が上に向けた顔を更科がいる下の方に移す。しかし、そこには既に誰もいなかった。

 咄嗟に更科がどこにいるか直感的に分かった霜杉は、体ごと勢いよく振り返る。


 そこには拳を構えている更科がいた。


 霜杉が更科に気付いた瞬間、


「遅いわね。そんなんで、本気で血祭まつりを超えるつもり……?」

「ッ!」


 更科が右拳を突き出した。その矛先は、風船――ではなく体の中心、腹だ。


 霜杉は予想外の攻撃に息を呑んだが、冷静に対処し、大きく後方に下がった。更科の拳は空振り、空を切る音だけが鳴る。


 しかし、更科が止まることはない。拳が空振ったと同時、霜杉が空けた距離を詰めていた。まるで、霜杉が躱すことを予測していたように、その動きには迷いがなく、洗練されている。そして、再び霜杉に向けて、更科は攻撃を仕掛けた。しかも、風船を狙ってではなく、また霜杉本人を狙う軌道だ。


 霜杉は上手く体を使って、巧みに更科の攻撃を避けていく。けれど、霜杉は防御のための手を出すことは出来ていなかった。

 それほどまでに更科の実力は高い。


 しかし、一つ疑問点が残る。


「――あいつ、何を……?」


 自分で提示したルールを忘れたわけではないだろう。


 俺達だけに課せられた敗北条件は二つ。俺と更科のどちらか一人でも風船が割れたら負け。風船以外の場所に攻撃が当たっても負け。この二つだ。


 今は霜杉が攻撃を避けているから良いものの、万が一更科の攻撃が当たってしまったら、その時点でゲームは終了だ。

 それなのに、更科は今全力で霜杉に向かっている。その姿は、あたかも血祭まつりを彷彿とさせるほどだ。


 けれど、更科と霜杉の動きを見ている内に、ふと違和感に気付く。


 あんなにも繰り広げられている更科の攻撃は、たったの一度も霜杉に当たることはなかった。


 霜杉の反射神経がいいだけなのか……? もし、この状態が続いてしまったら、更科にとっては不利なことは間違いないだろう。

 しかし、霜杉の表情を見て、俺の考えは百八十度転換する。


 霜杉の顔には全く余裕はなかった。更科の攻撃を躱し続けることに、喜びも何も感じていない。ただただ必死に――、それこそ限界すれすれのところで更科の攻撃を避けているだけだ。

 その一方で、更科の表情はお面に隠れて読み取れないが、更科の動きは一切変わっていない。更科の拳は、続けて霜杉の横数センチの所ギリギリを外していく。


「……ッ!」


 俺は更科と霜杉の攻防を見て、更科の意図をようやく理解することが出来た。


 霜杉の実力を的確に見切った更科は、見事に霜杉の実力を計算に入れて、攻撃を仕掛けていた。

 つまり、霜杉がギリギリ避けられる攻撃、且つ、反撃を許さない攻撃を更科は放っている。

 そして、そのことを霜杉も分かっているから、喜ぶことさえ出来ない。むしろ、焦りと恐怖を感じるだけだ。


 攻撃は最大の防御、という言葉があるが、まさにその通りの展開だ。


 ――しかし、更科のこの作戦には、唯一欠点がある。


 それは霜杉がわざと更科の攻撃に当たり、更科を反則負けに陥れてしまう恐れがあることだ。


 けれど、その欠点を思い浮かんだところで、すぐに否定する。その欠点も、露わになることはないだろう。


 何故なら、霜杉にはそんな卑怯な勝ち方をすることは出来ないからだ。


 断言できる理由はいくつかある。

 霜杉が秦野高校のトップとして戦っていること。霜杉に従う人達はあんなに奮闘したのに、トップが汚い真似で勝ったとしたら、霜杉の信用はどん底に落ちてしまう。

 次に、あんな啖呵を切った後に、逃げの一手は取れないこと。新たな伝説になろうとしている人間が、女子高生相手に逃げたなんてあったら、汚名でしかない。

 そして、対峙している霜杉だから分かること――、更科の攻撃をまともに喰らったら、怪我をする程度では済まされない。少なくとも、殴られた場所の骨は確実に折れるだろう。


 だから、霜杉は自ら更科の攻撃に当たりに行くことは出来ない。


 霜杉に残された策は、ただ一つ――。

 己の限界を超えることしかなかった。


 霜杉が反撃を返せるのは、己の限界を超えた時にしか残されていなかった。

 しかし、見事反撃を返したとしても、その時点で更科は攻撃の強度に修正を掛け、再び霜杉の上を行く。だから、本当の意味で血祭まつりの力を超えなければ、霜杉は永遠に更科の怒涛の攻撃に耐え続けなければならない。


 ――血祭まつりを超えないと、あなたに勝ち目はないわ。


 さっきの更科の台詞が脳裏に浮かぶ。まさしくその通りだ。


 更科はゲームのルールに乗っ取った形で、霜杉たち秦野高校に完膚なきまでに勝てる方法で、ゲームを取りに来た。


 俺の頬はいつの間にか緩んでいた。


 最初、更科は自分の心を犠牲にしてまで俺を助けるために、拳を汚して秦野高校に一騎打ちを仕掛けようとしていた。それは血祭まつりの汚名を背負った不良時代を抜け出した更科にとっては苦渋の選択だったはずだ。

 けれど、今、拳を汚さずに戦っている。戦ってくれている。誰でもない、俺のために。そして、自分のために。


「……すげぇな」


 小さくて、大きな背中を見て、俺の口から自然と言葉が漏れていた。


 ――その心の緩みが油断に繋がったのだろう。


 俺が緩んだ瞬間、状況が変わった。


「――ッ、らァ!」


 霜杉は何とか更科の攻撃を見切ると、避けるのではなく、更科の右手を弾いた。一瞬、更科の右手が虚空を舞い、その間に霜杉は更科との距離を取る。


 ここに来て、霜杉が己の限界を一つ越えて来た。


 当たり前だが、霜杉にもプライドはある。こんなやられっぱなしで済むような男ならば、秦野高校のトップには立っていないだろう。


 そして、霜杉は距離を取る傍ら、床に置いてあるバットを手にしていた。先ほどよりも、霜杉の背中が俺に近づいて来る。霜杉と俺の距離は、およそバット二、三本分だ。予想の行き着く先に、俺は息を呑む。


「舐めるのもいい加減にしやがれ! あんま調子に乗ってると、俺も手段は問わねェぞ!」


 そして、霜杉は俺に対してバットを向けた。


 予想通り、霜杉は俺を人質に取りに来たのだ。圧倒的な力の差の前に、正攻法では勝てないと踏んだ霜杉が、俺を利用しようとしている。霜杉が持つバットは、興奮する霜杉と連動して、忙しなく上下に揺れていた。


 昨日霜杉に殴られた一場面が、脳内で鮮明に蘇る。またあの痛みを味わうのかと思うと、全身が強張っていく。


 更科は動きを止めていた。ただ黙って、霜杉の動向を見つめている。

 更科の行動を止めたことに、霜杉は笑い声を上げた。霜杉にも少しだけ余裕が戻って来たのだろう。


「いいか、大人しく降参するなら、こいつには手を出さねェでやる! けどなァ! 無駄な抵抗をするっていうんなら、こいつの命は――」

「あんた、馬鹿?」


 盛り上がる霜杉の心に水を差すように、更科が一言だけ鋭く言い放つ。


 呆気を取られた霜杉の口は止まり、信じられないものを見るように、更科を見つめる。更科は興味がないと言いたいように溜め息を吐き、首を回していた。


 更科の姿は、緊迫感とはあまりにも掛け離れている。


「人質を取るつもりなら、人質を確保していないと意味がないでしょ。それだけ距離が空いているなら――、あんたが手を出す前に、私はあんたを仕留める」


 そう言うと、更科は足に力を込め、踏み出し、人並外れた速さで霜杉と俺の間まで移動すると、霜杉が持っているバットを奪った。そして、思い切りへし折る。まるで紙を丸めるのと同じ感覚で、金属バットがへし折られていく。


「私の大切な友達を危険にさらした罪は重いわ。覚悟しなさい」


 更科はへし折ったバットを床に捨てた。カランカランという虚しい金属音だけがYOMIに響き渡る。


「て、テメェェエ!」


 霜杉が怒りのあまり、乱雑に更科に殴り掛かりに来る。


 しかし、更科は難なく躱す。霜杉の拳は、更科の何十センチも遠くを横切っていく。

 この何十センチという距離が、血祭まつりと霜杉剣児の差だ。いや、この目に見える距離以上に、二人の実力にはかなりの差が付いている。


 伝説の不良とまで呼ばれた人物の実力――、その強さには誰も手が届かない。

 だから、伝説だと人々が言うのだ。


「俺は! いずれこの国のトップに立つ男だ!」


 だが、霜杉はそんな現実にも気付かずに、悲痛の叫びを上げながら何度も何度も拳を振る。空を切る拳の音は、霜杉の声に虚しくかき消されていく。


「それなのに! それなのにィ!」


 霜杉の姿を、痛々しいものを見るように秦野高校の人達は見守っていた。この場から離れないでいるのは、あんな霜杉でも秦野高校のトップに立っているからだろう。

 感情を激高させる霜杉は、ただ目の前にいる更科を倒すことだけに躍起になっている。


「こんなところでお前みたいな女に負ける訳には行かねェんだよォオォォォオォォ!」


 やけになった霜杉が足を払いに来る。更科の視界では、その攻撃の出所が分からないだろう。しかし、更科は予想していたように軽く跳んで躱す。


 その跳躍して躱したところを、霜杉が終わりだと言わんばかりに拳を振るう。霜杉はもう更科の体を狙っていなかった。風船を狙っている。喧嘩では勝てないと直感的に悟ってしまったのだろう。ゲームに勝ちに来た。


 しかし、更科は空中で身を回転させると、


「これで終わりよ。このゲームも――、あんたが言うくだらない伝説とやらも――、全ッッ部ッ!」


 霜杉の風船を狙って、足を伸ばした。


 そして、ゲームの終わりを告げる最後の風船の音が、YOMI中に木霊した。

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