弐拾:圧倒的な実力
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悠然と立ち構える更科茉莉の横には、状況を理解出来ないと表情に書いている十五人の男たちがいた。その周りにいる二十余りの人達も、彼らよりも客観的にいられる立場なはずなのに、驚く顔を隠しきれていなかった。
しかし、更科は彼らに興味を示すことなく、一瞥することさえない。さも当たり前かのように振る舞っている。
「――……」
後ろで全てを見ていた俺も、あまりの次元の違いに、息を呑んでいた。
今、YOMIにいる俺と更科、そして秦野高校の不良達はゲームを行なっている。ゲームの内容は各自についている風船を割るという単純明快な内容――という名の喧嘩だ。
事の発端は、更科茉莉という大和撫子を彷彿とさせる松城高校一の人気者に、秦野高校の不良が手を出し、当人に返り討ちにあったことが原因だ。今は秦野高校の人達が戦力をもって、更科に復讐をしようとしたところ、大事にならないよう何とかゲームという体裁を取った。
そのゲームの火蓋が切られた数秒後の景色が、目の前の景色である。
つまり、先陣を切って攻撃を仕掛けて来た十五人の風船を、更科は開始の合図と同時に割ってしまったのだ。
目の前にいる更科の強さは、噂よりも、予想よりも、遥かに上だった。
敵将・霜杉剣児が始まりの合図を掛けた瞬間、更科は両の手を思い切り打ち付け、轟音を奏でた。そして、その音で三半規管を狂わせて自由に動きを取れない間に、人並外れた速さで先陣を切ろうとしていた十五人の風船を見事に割った。
この過程を終わらせるのに、十五秒もかかっていない。つまり、一人当たり一秒以下で撃墜したことになる。
可哀想なことに、先陣部隊の彼らは、唐突の出来事に頭が追い付いていなかったのだ。自分の風船が割れたことにさえ気付いてない。風船の割れる音、それは自分以外の誰かだと錯覚しているのだろう。
このゲームが始まる直前、俺は更科に耳を塞ぐようお願いされていたから、この一部始終を目にすることが出来た。
俺は更科の実力を少しは分かった気になっていたが、実は何も知らなかったことを思い知らされた。相手も同様だろう。
静まった空間で、更科は先を見据えると――、残りの秦野高校の人達に向けて無言で顔元に寄せている左手の指を手繰り寄せるように何度も曲げた。
「――ッ! て、テメェらぁ! 絶ッ対ェ、あのふざけたお面ひんむいて顔晒しやがれ!」
「う、うおぉぉおおぉ!」
ようやく現実を受け入れた敵将・霜杉剣児が怒号を上げると、まず六人が同時に走り寄って来た。彼らは武器を手にしていた。バットだ。
武器を持つ六人が駆ける間、ゲームオーバーとなった十五人はトボトボと退場スペースへと歩いていく。
俺は彼らの姿を見て、一先ず安堵の息を漏らした。彼らがルールに従っていることから、このゲームのルールを破って俺と更科を袋叩きにするという選択はなさそうだ。ゲームに乗ったフリをして、集団で攻撃を仕掛けに来るようであれば、全てが無意味となるところだった。
懸念事項が一つ消えたところで、俺はすぐに気を引き締め直して前を見つめる。
いつの間にか武器を持っている六人の隊列は変わっており、三人、二人、一人と逆ピラミッドの形になっていた。
更科はそんな彼らに向かって、走り出していた。正面衝突をするつもりだろうか。
そんな更科を格好の得物としたのか、
「舐めるのもいい加減にしろ!」
「おらぁ、喰らえ!」
「ゲーム終了だぁぁ!」
先立つ三人がほぼ同時に更科に向けて武器を振り下ろす。
その瞬間、更科は急停止。直後、バックステップを刻み、華麗に回避する。見る者の目を奪うような軽い身のこなしは、更科の体の柔軟性やバランスを象徴している。
反応出来なかった三人は、バットの勢いを殺すことが出来ず、金属が床に打ち付けられる鈍い音がYOMIに響き渡った。相当思い切り振っていたのだろう、バットから伝わる衝撃に、苦痛の表情へと顔を歪めていた。
攻撃を躱した更科に一息を吐く余裕も与える間もなく、
「これなら躱せねぇだろ!」
「ヒャッホーゥ! 頂きィ!」
更科がバックステップをすることを読んでいたように先周りをしていた二人が、バットを横に振る。二人がスイングする様は、野球選手が振るそれと同じだ。空気を打ち付けながら、更科の背後をバットが襲う。
しかし、更科は先ほどバックステップした勢いを助走へと転換、そのまま背面跳びをした。更科が跳んだ高さは、バットスイングの高さを優に超えている。更科を捉えることの出来なかったバットは、何にも当たることなく、ただ虚しく空を切る音だけが響いた。
敵の攻撃を避けた更科は、空中で綺麗に弧を描くと、そのまま二人の背後を取った。そのまま構え直す余裕さえ与えずに、二人の間を走り抜けると同時に風船を割った。軽快な破裂音が、YOMIに響く。
更科は立ち止まり、振り返ると、
「――あら、頂いちゃったのは私の方だったようね」
冷淡な声で現実を告げた。
その言葉に、更科に風船を割られた二人、そしてその後ろにいる三人、更に後ろに構えているもう一人は、顔を絶望の色へと変えていく。
更科と自分の間には、明確に次元の差があるということを感じたのだろう。いざ対峙すると、相手の実力は否が応でも分かってしまう。
「う、うわぁあぁぁああ!」
そして、一人の男が狂乱してバットを大きく掲げて更科に攻撃を仕掛ける。その男に続くように、同時にバットを振るった三人組も後を追った。更科は立ったまま、彼らの攻撃を迎え撃つつもりだ。
怒りに身を任せた予測不能な攻撃――、それも四人同時の攻撃となると、さすがの更科も一筋縄のようにいかないように思えた。不規則に襲い掛かる四本のバットを、更科は躱し続ける。反撃を仕掛ける余裕は、今のところ更科にはない。
更科が四人の男たちと対峙している最中だった。
「今だ! 今のうちに、あの男をやれ!」
YOMIの中に声を怒りに震わせた指示が響き渡る。
そして、その指示通りに、五人の男たちが俺の元へと近づいて来る。迫り来る五人は、余裕そうな笑みを浮かべている。
そう、このゲームの勝利条件は互いによって異なる。俺達は秦野高校の風船全部を割らなければならないことに対し、秦野高校は俺か更科の風船をどちらか一つ割ればいいのだ。
ならば、戦力的に全く数に入らない俺を狙うのは当然のことだろう。
俺は彼らの勢いに押され、後ろに一歩後退る。その空けた距離を、彼らは腕を鳴らしながら、一歩一歩とじりじり詰め寄せる。走らずに、精神的に追い詰めるように歩いて来るのは、俺と彼らの間に圧倒的な実力差があるからだ。更科には勝てないが、俺には絶対に勝てる――そう思っているはずだ。
しかし、彼らの目論見は叶わない。
「敵を前にして、目を逸らしてる余裕なんてあるの?」
彼らの背後から、聞こえるはずのない声が響いた。五人は顔色を変え、声の聞こえた背後を振り返る。
けれど、そこには誰もいない。
少し離れた場所で、武器を持った四人組が何かを伝えようと、バットをこちらに向けているだけだ。
その意図を察したのか、彼らは勢いよく振り返り直す。
「だから、言ったでしょう? 目を逸らす余裕なんてあるの――って」
しかし、気付いた時にはもう遅い。
相手の指示を聞き取って俺の前に立ってくれた更科は、茫然としている五人の隙間を掻い潜るように走り込んでいるところだった。
そして、彼らに反応をする余裕さえ与えずに、パパパパパン、と耳にして心地よいリズムで、敵の風船を割ると、更科は再び武器を持つ四人組の方へと走り出していた。
この時、間違いなく全員が悟っただろう。
まずは、俺ではなく更科を倒さなければ勝ち目がないということを――。
しかし、更科が只者ではないということを――。
そして、殺す気でやらないと髪の毛一本に触れることさえ叶わないまま、終わってしまうということを――。
秦野高校の残りの風船数、十九個――あっという間に半分以下まで減っていた。