第三章 時計塔の少女
啓太と桜子は狐の耳と尾をもつ少女についていきながら、町の一本道を広場よりもさらに進んでいった。
少女の名前は葛葉、時計塔で観測員という役職についているらしい。彼女の話によると観測員は色々な世界の時間を観測する役職らしい。
「時計塔って色々な時間を計測するって言ったけど、色々な時間っていうのは一体どういうことなのかな……?」
桜子が葛葉に聞く、葛葉は待っていましたと言わんばかりに得意げな顔になり語り始めた。
「時間っていうのはその世界、その場所によって流れる速度やスピードが違うんだ。ほら、君たちが元いた世界、第三次空間でもアジアと欧米では一日、時間にズレが生じていたでしょ? それと同じで他の世界に行くと、君たちの世界よりもずっと遅く時間が流れていたり、早く流れていたり……まあ、説明すると長くなっちゃうから簡単に説明すると、時間にとらわれないこの世界、幻想第四次空間で一次元から十一次元までの時間を管理しているんだ」
「そうなんだ……」
「ついたよ、ここ」
そこには、大きな灰色の鳥居を門が立っており、その奥には赤煉瓦で出来ているビルのように巨大な時計塔がそびえたっている。
「でっか……」
「大きいね……」
啓太と桜子はその大きさに言葉を奪われるほどで、しばらくその場所に立ち尽くしていた。カチコチと大きな音を規則的に鳴らす時計塔は二人を不思議な感覚にさせた。
「何してるの? 速くいこうよ」
葛葉がそう言わなければ、もしかしたら永久にそこに立ち尽くしていたかもしれない啓太と桜子は我に返ると大きく開いた時計塔の扉へと歩を進めた。
鳥居を潜り抜けるとそこは少しひんやりしていた。そこに壁があるわけでもないのに鳥居の外と中では体感温度が違うことに驚きを隠せなかった。
「フフッやっぱり最初は驚くよねー 私もそうだったもん」
葛葉は笑いながら啓太と桜子を見る。
歩いていると時計塔の扉の目の前まで来ていた。時計塔の扉はおよそ五メートルぐらいだろうか、スペインバロックという過剰な装飾を特徴とする様式で、材料は石で出来ているが触ってみるとセラミックや鉄といった材質の方が正しくとても頑丈そうだ。
葛葉が扉に手を当てると扉はゆっくりと開いた。見た感じ完全な自動ドアではなく少し科学とは違う力によって動いているみたいだ。
扉が開くと赤いカーペットの向こうに蛇腹のエレベーターが啓太たちを待ち構えていた。
エレベーターの扉は開いており啓太と桜子は葛葉についていきながら、エレベーターに乗る。
葛葉は外の引き戸をしめ さらに内部の蛇腹になった内側のシャッターを引き ガッチャンという音と共にドアを閉める。
篭は手動の鎧戸式片曳き戸で、出入り口が鍵の手に二カ所にあり二方向から開く構造になっているようだ。
エレベーターはゆっくりと上に上がっていく、葛葉がエレベーターに備え付けられているハンドルで最上階の会へとエレベーターを操作する。
「こういうエレベーター、乗ったのはじめてかな?」
「そうだね」
「私も初めてです……」
大げさな音を立てて上へ上へと進んでいくこの牢獄の様なエレベーターは、いつも乗っているエレベーターとはすこし違った感覚で少し不思議な感じだ。
ガコンッと大きな音を立ててエレベーターが止まる。
葛葉が扉を開けるとそこには、大正時代を思わせるモダンな事務所がありエレベーターの前に銀色の髪を持ち雪の妖精のように可愛らしい容姿をしている少女が居た。
少女は片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま挨拶をしている。カーテシーというヨーロッパの女性のみが行う伝統的な挨拶だ。
「ようこそ時計塔へ、私は時計塔の管理人ローラよ」
「彼女がここの持ち主なんだ」
「まだ小さいのにしっかりしているね……」
啓太がそういってローラの頭をなでると彼女は嬉しそうにしていた。
「ローラお嬢様はこう見えても千年近く生きられているから敬意を払うように」
葛葉がそういうと啓太はパット頭から手を放した。ローラはそんなに固まらなくていいのにと言っていたが、それだけの人物を下に見ることは決してよいことではない。
「それで……貴方たちはどうしてこの時計塔に来たの?」
「天空屋の主人から帰る手助けをしてくれると――」
啓太がそう言いかけるとローラは少し困った顔をして、ばつが悪そうに笑った。
「ここは時間を管理するところだから直接的な関与はできないよ、でも帰るときに元いた時間の場所に正確に戻すことを設定しておくことは出来るわ」
「普通は戻れないんですか?」
桜子がそう聞くとローラは微笑みながら語りかけた。
「普通、迷い込んだ人は元の世界に帰ったら時間がかなり立っていたり、あるいは過去にさかのぼってしまったり……不安定な場合が多いのが当然なのよ、ほら、浦島太郎って話。あれはその典型ね」
なるほどと思った。ローラからそれ以降も説明を受けたが要約すると、浦島太郎は異なる時空に行った人間の一人で、第三次空間から異なる空間に行かないようにするための戒めとして語り継がれてきたものだという。
「じゃあ手続きをするから、二人の名前教えて」
「高宮啓太」
「深山桜子です」
啓太と桜子の二人がそう答えるとローラは紅茶を入れ始めた。それと同時に近くにあった机の上にあるタイプライターが自動的に啓太と桜子の名前を記入し始めた。
「記入する間お茶でもどうぞ、そこの客席に座って」
ローラはそう言って紅茶を応接テーブルの上に置く。啓太と桜子は客席に座ると差し出された紅茶を飲む。
紅茶からは甘い柑橘類のような香りがしたが始めて嗅いだ匂いで、味もすっきりとした甘い味がした。
「ありがとう、ところでこれは何の紅茶かな?」
「これは、ここの世界幻想第四次空間内のサラブリアン海岸近くでとれた茶葉を使っているのよ、ほら柑橘系の匂いがするでしょう? これはサラブリアン海岸には柑橘系の植物が多く生えているからなのよ」
「へえ……」
「あと、時間を管理しているってことは、好きなように時間を操れるっていうことでいいんですよね?」
桜子がそう聞くとローラはティーカップを応接テーブルの上に置いた。そして意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「ええ、もちろんよ」
そういうとタイプライターの横にある金メッキで出来た惑星模型を取り出し応接テーブルの上に乗せた。
「この惑星模型、今はゆっくりと動いているけど、これを速めれば時間は早く進むしお染めればゆっくりと動く、逆に回せば時間を遡ることだってできるわ。本体はこの時計塔全体だからこれはリモコンっていったところね。試しに動かしてみましょうか」
ローラは葛葉に衣装ケースの中にある占い師が使うような大きな水晶玉を持ってこさせると応接テーブルの上に乗せると惑星模型の下部にある取っ手を回し始めた。
「水晶の中をごらんなさい」
ローラがそう言い啓太と桜子は水晶を覗くとそこには自分たちのいた世界が映し出されていたが、高速で建物が建ち、崩れ、戦争がおき、また建物が立ってというサイクルを繰り返していった。
「す……すごい」
ローラは啓太と桜子の表情を見るとニヤッとからかいを含めた笑みを浮かべた。
ローラはさっきとは違う方向に取っ手を回し始めた。今度は水晶にはさっきの逆再生が流れた。啓太たちのいた時代を過ぎると高度経済成長期、戦後、戦中、戦前、幕末……ものすごい勢いで時間が過ぎていき水晶が真っ暗になった。
「ビックバン以前に戻っちゃったわね」
ローラはそういうとパチンと指を鳴らした。そうすると水晶の中は啓太たちが元いた世界に戻った。
啓太と桜子は少し悲しくなった。自分がその時代を経験したわけではないが無性に虚しい感じが心の中に広がった。
「悲しく……ならないのか? 仕事としてもこういう光景を毎回見ていて」
「悲しくなる時は確かにあるわ、でも私は時間を管理する立場。人の感情を持っていては仕事が務まらないわ」
ローラは少し寂しそうな顔をしながら窓の外を見つめた。それと同時にタイプライターの方の記入が終わったようだ。
「はい、これ。無くさないでね」
そういうとローラは啓太と桜子に証明書の様なものを渡した。証明書は旧字体を中心に書かれた文字で埋めてくされており、その中に名前が書いてあるといったものだ。
「貴方たちは永遠を求めるよりも、今この瞬間を大切に生きなさい。終わりがあるから人生は輝くから」
ローラはそう言うとティーカップを葛葉に片付けさせた。
「貴方たちが帰るまでには、この世界でなにが幸せか見極める必要があるわ、それまで時間がかかるだろうし、他に行く当てもないならサラブリアン海岸に行ってみてはどうかしら。さっき飲んだ紅茶が取れたところだし眺めも綺麗なところよ、この世界に来たら是非見に行ってきてもらいたい場所だわ」
「ここからも近いし、私もお勧めするわ」
葛葉がティーカップを片付けながら言った。
「ここに帰るまでおいてもらえはしませんか?」
「やめときなさい、貴方たち生身の人間はここに居たらストレスですぐに死んでしまうわ」
確かに、と啓太は思った。さっきの水晶のような光景を毎回見ていたら気が狂ってしまいそうだ。
「わかりました。ではその海岸の方に行ってみたいと思います」
「待って」
ローラはそういうと啓太と桜子に手を出すように言うと、二人の手にそっとお札を四枚渡した。お札は五円札で菅原道真が写し出されている古いものだ。
「この世界は元いた貴方たちの世界のお金は使えないわ、だから困らないようにこれを使いなさい」
「いいんですか?」
「気が変わらないうちに早く行きなさい、言っておくけど貴方たちに渡した二十円。貴方たちの世界のお金に換算すると二十万円になるわ」
「ええ!?」
啓太はその額を聞いて驚愕した。自分が稼いだこともない、ましてや、直に見たこともないほどの大金を今ここで幼い容姿をした少女に渡されたからだ。
「本当にいいんですか?」
桜子がそう聞くとローラはにっこりと笑った。
「私は貴女たちが気に入ったわ、だから、絶対に元いた場所に帰って幸せな人生を送ってほしい。それだけよ」
「わかりました」
その後は葛葉の案内で時計塔の外まで出た。葛葉によると時計塔を少し降りたところに路面電車が走っているらしい。
啓太と桜子はその路面電車に乗るため、近場の駅まで歩いて行った。
「いいんですか? あの二人にあのような大金を渡して」
二人が帰った後の時計塔の事務所で葛葉がローラに聞くとローラは笑って答えた。
「葛葉……私が初めてここに来た時のこと覚えている?」
「確か……お金が足りず電車に乗れなかったから―― あ」
「そういうこと、あの子たちはここに縛られてはいけない。ここでどうやって幸せを知るか、幸せの掴み方をこれからの人生にどう生かすか、あの子たちにはそれをここで学び取ってほしいだけ、余計なことで人生を棒に振ってしまったらあの子たちが不憫よ」
「そういうものですか」
ローラはそういうと窓を見ながら二人の姿を見ていた。その姿は少し寂しそうに見えた。