牧師と神の慈悲
身体的に苦痛の伴う表現もあります。
苦手な方は読むのをおすすめしません。
カケスの家に音羽が来た夜、カケスと父の弘之は教会の地下にある小部屋にいた。
弘之はカケスの背中にある無数についた傷跡に薬を塗っている。
「周防、痛いか?」
「ううん。ちっとも。これは神のお恵みで神の慈悲。僕の罪を洗い流してくれるものでしょう?」
「そうだ。神はいつも私達を見ておられる。あらゆる罪を見ておられる。私達がその罪を詳らかに告白して赦しをこうならば、全ての不義から私達を清めて下さる」
月に一度、この禊という神の愛を受ける。親子で決めた儀式。受けるのは弘之とて同じ事だった。
「さあ、薬は塗り終わったよ。今日は周防が私にしておくれ」
弘之は棚の上に置いてある鞭を取り、カケスの手に握らせた。
「父さん……」
カケスは服を脱ぐ父の後ろで鞭を見つめて辛そうな顔をする。
小さな十字架を掲げた粗末な祭壇に向かって両手を合わせて座り込む背中に、みみずばれのような治って間もない傷の跡がある。
「……初めからあったもの、私達が聞いたもの……即ち、いのちの……」
そしてカケスは鞭を振り下ろす。
「ッツ……もし、私達が自分の罪を告白するならば……クッ」
ピシッと肌を打つ音とお祈りの言葉が小部屋に
響く。
父を打つ時、カケスは声にできない悲鳴をあげている。心の奥底で。痛みと後悔と怯え。そんなものがないまぜになってカケスの心も血の飛沫が飛ぶ。
"こんな事したくない"
そんな思いを抱くことは神に背く事なのだろうか。もういっそ、父の罪も罰も自分が受けるから……。父を打って傷つける、そんな事を自分にさせないでと神に願う。
いつの間にかカケスの目からは涙が溢れ出した。「ううっ、うう……」そして振り上げた鞭をポトリと落とす。
「周防?」
父の呼び掛けも聞かずその背中にすがり付いた。
「父さん、とうさん……もう……むり……」
「……そうか。傷が痛むんだね」
背中の傷? 違うよ父さん、こんな事もうしたくない。そう言えたらどんなに救われるだろう。
「うん。ごめんなさい」
「そうか。ではもう休みなさい。父さんはもう少しここでお祈りしていくから。お休み」
「……おやすみなさい」
カケスは自室に戻りベッドにうつ伏せて寝そべった。禊が始まったのは母が居なくなった三年前から。
母は突然いなくなった。警察に捜索願いを出したが未だに見つかっていない。母は牧師である父をよく手伝い、忙しいけれどとても幸せそうだった。が、いなくなる少し前から暗い顔をするようになったのを憶えている。
「母さん……」
帰ってきて欲しい。母が早く帰って来れるように神様に毎日お祈りしている。もうすぐ……帰って来れるよね?
ベッドのマットレスに挟んであった黒い皮の金文字で飾られた装丁の本を取り出して開きパラパラとページをめくって、もう何回も読んだ物語たちを思い出す。
そして本を閉じ、母の残したその本を愛しそうに抱き締めて目を閉じた。
作中に出てきた儀式等はフィクションです。
引用︰新約聖書 ヨハネの手紙 第一章より
よろしくお願いします。