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トモ 1-1

 中部第一管区。

 3本の雄大な一級河川を跨ぐ大きな橋の袂に、築50年は超えるだろう古びた木造平屋が建っていた。かつてはこのような違法建築が軒を連ねていたが、撤去と建築のいたちごっこの末に、今はこの1軒だけどなっている。

「ただいまぁ」

 夕暮れが辺り一帯を美しく朱色に染める頃、鍵のついていない引き戸を開けて帰宅した家主は無種子の少女・トモだった。ポストに入っていた古い雑誌をくるくると丸めて持っている。

 足の踏み場もないくらい物が散乱した廊下を器用に歩きながら、制服もまた無造作に脱ぎ捨てる。下着のみになると居間の畳の上に大の字になって寝転んだ。天井についたお化けのようなしみと勝手ににらめっこ。それから、四角いカバーに覆われた電灯の長い紐をかちりと引いて室内を明るくする。

 腹筋を使って勢いよく立ち上がり、隣の部屋へ。

 机代わりの木箱の横には、石壁。黄ばんだセロハンテープで貼られた日本地図には、所々赤いペンで×印が書き込まれていた。

 雑誌を置く。表紙は手垢にまみれてボロボロだ。

 窓を開けると日はすっかり落ちていて、遠くに満月が見えた。

 虫の鳴き声と立ちのぼってくる水の匂いがトモの五感をくすぐる。

 心地よい風が髪の毛を揺らして室内へ入ってきた。

 ぐぅ、とお腹が鳴る。

「冷蔵庫になんかあったかなぁ」

 くるりと窓に背を向けて台所へ。

 畳の部屋がふたつと台所、ユニットバスという間取り。ひとり暮らしには広い筈なのに、収集癖のおかげで散らかり放題だ。

 それでも台所だけはきちんと整頓されていて、器具や調味料は整然と並べられていた。

「うーん、卵と玉ねぎ。にんじん。あっ、ハムがあるじゃん。あと、冷凍庫」

 鼻歌を歌いながら手際よく作業する。小さなまな板で材料を切り揃え、ガスコンロに使い込まれたフライパンを置いて。できあがったのはしっかり焼かれた卵に包まれたオムライスだ。

「あたし、天才。美味しそう」

 木箱のある部屋までお皿を運ぶ。

 食欲をそそる湯気を力いっぱい吸い込んでトモは両手を合わせた。

「いただきまーす!」

 月明かりと隣の部屋の電灯を光源にして、オムライスを頬張る。

「やっぱり家で食べるご飯は最高だねぇ」

 口をもぐもぐと動かしながらポストに入っていた本を手に取った。

 タイトルは『奇跡の精霊樹木医 その歩み』。著書は統澄カコとある。

 トモはその表紙に釘付けになった。

「この表紙のひとってまさか」

 スーツ姿の精霊樹木医が柔らかい表情で写っている。あどけなさを残しながら大人になったような、童顔の青年。黒縁の眼鏡をかけている。眼差しは優しく、見る者を安心させる光を有していた。

 パスト・B・藤神、という名前が載っている。

 ぱらぱらとめくっていくと小さな文字の隙間を埋めるように彼の写真が何枚か載っていた。

 しかしトモの瞳には、藤神パスにしか見えない。

「100年前の本だし、微妙に名前も違うけど、どう見ても同一人物だよね」

 白衣姿で患者に接している姿は、どれも笑顔だった。

「笑ってる方がかっこいいじゃん」

 精霊樹木医学会を立ち上げた1人として功績が紹介されていた。彼にかかればどんな患者でも急性発芽を免れることができる、まさに生きる伝説。また、出産時の樹木化リスクを劇的に抑える研究を行っているともあった。現在は、種なし––『無種子』についても研究を始めていると締めくくられている。

(先生は、100年以上生きていると、言っていた)

 トモは渇いた喉を潤すように最後の一口を飲み込み、雑誌をもう一度初めから見直す。指先は僅かに震えていた。

 にわかには信じられない事実だったが、パスの発言と確かに合致している。


(もしも、これが先生本人だとしたら)

 奥付の発刊日は、何度見直しても100年前の日付だった。

(笑顔が見られたのは嬉しいけれど、ちょっと気味が悪い……。誰がどんな目的でうちのポストに入れたの?)

 最後の写真にはパスと、著者らしき女性が一緒に写っている。

 照れくさそうにしているパスがどうしても今の姿と結びつかない。

 隣の女性はにこにことしていて、人がよさそうだった。艶々とした髪の毛をくるくると巻いていて、大きな瞳の下には泣きぼくろがあった。


『俺は、俺を捨てた親を恨んでいる』


 パスの表情を思い出して、口と手の動きが止まる。

 言われたときは威圧的な態度に、反射的に頭が真っ白になって逃げ出すのが精一杯だった。

 しかし時間が経つにつれて理不尽だという想いが大きくなってきた。

(そんなことで拒絶するなんて心が狭すぎるんじゃないの)

 

 そんなこと。

 親に捨てられたこと。


(いや、そんなこと、じゃないか)

 それはトモにとっても重要なことなのだから。

 もう一度、雑誌を開いた。彼は最後の章で『無種子』で産まれた人間にも手厚い保護を訴えている。研究を進めて彼らの炎上死を防ぐことができれば、人間が種子を持たなくても一生を全うできることを証明できる。そうすれば通常の人間が樹木化しない方法を生み出すことも可能ではないか。


『全ての人間が救われるのではないか』


 これが最後の1行だった。

(種なしについてもっと知ることができたらいいな、ぐらいだったのに)

 静かに手を合わせて食事を終わらせると立ち上がる。

「卵、まだあったかな。あと、バター」

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