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パス 1-4

***


「透き通っていて飴みたい。琥珀って、樹木化する瞬間に流された涙で、すっごく貴重な宝石だって聞いたことがある。実物は初めて見たけど、本当に、きれい」


 それから、ペンダントをパスに向けて差し出した。

「はい、返すね」

「……どうしてこれをお前が」

「森林に落ちてたのを拾った」

 パスは無言で、奪うようにペンダントを手にする。欠損がないか確認する。どうやら傷はついていないようだ。

 安堵した様子を待ってから、ゆっくりと少女が言う。

「ごめん。嘘。さっき、こっそりと借りてみたの」

 パスは反射的に少女を睨みつける。

「その制服もか?」

「正解。ほら、あたしって捨て子だからさ。一度、学校に通ってみたかったんだよね」

「何のつもりだ」

「君、全然やる気なさそうなのに、すっごく優秀なお医者サマなんだって? さっきの講義、後ろで聞いてたけど、勉強になった」

「質問に答えろ」

「ごめんごめん。理由なんて特にないの。気になって会いに来ちゃった。それにしても、人は見かけによらないねぇ。あたしと歳も変わらなさそうなのに。今、いくつ?」

「忘れた」

「自分の年齢を忘れる訳ないでしょ」

「……100年以上生きてるといちいち覚えていられない」

「冗談、言えるんだー」

 少女がけたけたと笑う。パスの機嫌を悪化させるには十分すぎる態度だった。

「さっさと出て行け。警備員を呼ぶぞ、種なし」

「ひどーい。あたしにはトモっていう立派な名前があるんだから」

「種なしは種なしで十分だ」

 トモの反論より素早く、パスは勢いよくトモを壁に追い詰めた。

 右の掌が壁に当たる衝撃で大きな音がして、トモは目を丸くしてパスを見上げてきた。

 怒鳴りつけそうになる衝動を堪えながらパスは重低音で警告する。

「俺は、俺を捨てた親を恨んでいる。一生許すつもりはない。だからお前のことも一生理解できない。お前の境遇を最大限に鑑みて、もう一度だけ言う。さっさと出て行け。もう二度と俺の前に姿を見せるな」

 トモが声を震わせる。


「  」


 音にならず、代わりに瞳から涙が溢れそうになる。今度は窓ではなく扉から廊下へ飛び出していった。


「……種なしっていうのは」

 パスは力なく椅子に腰かけた。

「どうしてあんなにもずかずかと踏み込んでくる奴らばかりなんだ」

 背もたれに体を預けて天井を仰ぐ。

 大人げない態度であることは承知の上で拒絶せざるを得なかった。一時的であっても琥珀のペンダントを奪われたことと、相手の心情を考えない自由な振る舞いに、苛立ちを抑えることはできなかった。

 泣き出しそうなトモの表情を思い出す。ほんの少し罪悪感を覚えつつも、首を横に振って忘れようと努めるしかなかった。

(まぁ、あれだけ強い態度に出れば、もう現れることはないだろうが)

 パスはきつく目を閉じた。


***


 闇の深い夜。

 けたたましくサイレンを鳴らしながら、1台の救急車が夜間受付へ乗り入れる。

 白衣姿のパスとウィルアが入り口まで息を切らしながら走りこんでくる。

 救急車の後部が開くと救急隊員とストレッチャーが飛び出してきた。ストレッチャーには50代くらいの女性が寝かされていた。表情は歪み、呼吸は荒く、とても苦しそうに見えた。

 手の甲の血管はもはや木の根のようだった。

 パスとウィルアは真剣な表情で顔を見合わせて頷く。

 お願いします、と救急隊員から患者を引き渡されて、続いてやって来た精霊樹木医や看護師たちと患者を院内へ運び込む。

「かなりまずい状態ね」

「分かってます。……分かってます」

 ウィルアの言葉を受けて、女性に繋がれた機器の数値を確認しながらパスは呟いた。

「せめて集中治療室までもってくれれば」

 しかし、そんなパスの想いとは対照的に、女性の顔面までみるみるうちに根は広がっていく。

「強制投薬を––」

 機器を手に取り指示しかけた瞬間だった。

 女性の呼吸が小さくなり、めきめきっと何かを突き破る音がした。

「頼む! 間に合ってくれ!」

 懇願と同時だった。

 中心から服を突き破って現れたのは、高さ10cmほどの小さな木と子葉。

 ––発芽してしまった。

 呼吸は完全に停止し肌は土気色に変わっている。誰の目から見ても、手遅れであることは明らかだった。全員がストレッチャーを囲んで立ち止まる。

 ウィルアが胸元から懐中時計を取り出した。

「午前1時13分30秒、発芽」

 その場に重い溜息が漏れた。

「安置室へ。それから植樹の手配をお願い。後から来るご家族の方は安置室へ案内してちょうだいね」

 遺族、とは言わない。

 てきぱきと指示を出すウィルアとは対照的に、パスはのろのろとその場を離れた。

 人目につかない場所まで来ると苛立ちをぶつけるように壁を拳で殴る。

「くそっ!」

 何回も、何回も殴りつけた。握りしめた拳に血が滲む。

 未だに慣れていないのだ。そして、誰にもこの姿を見せたくはなかった。


「藤神くん」

 かつかつとヒールの音がリノリウムの床に響く。

 ウィルアが呆れたように腕組みをしながらやって来た。

「何をふてくされてるの。貴方の仕事はまだまだたくさんあるのよ」

「……俺の所為で」

「貴方の所為じゃないわ」

 力強く言い切って、ウィルアは首を横に振った。

 パスは壁からゆっくりと離れた。

 ウィルアに背を向けて、力なく俯く。

「いいや、お前はよく知っているだろう。すべては俺に責任がある。この世界がこうなってしまったこと、すべてに、だ」

 心の底の澱みを吐き出すように。

 だが、深淵には到底辿り着かない。

「働けば働くほどに、無力感が増していく。いつまでこんなことが続いていくんだろうという疲弊ばかりが強くなる」

 暗闇の中で、パスは自らの掌をじっと見つめた。

「どんなに手を尽くしたって報われない……。どうしていいのか分からなくなる」

 ウィルアはそっとパスに近づいた。

 頬を両手で包み込むと、何も言わずに、パスの唇に自らの唇を重ねた。

 ゆっくりと体を離して悲しそうに微笑む。

「わたしは優秀な貴方を愛しているのよ」

 ウィルアは、優秀な、を強調する。

「私が精霊樹木医になった頃には、貴方はもっと輝いていたわ。うぅん、もっと前。子どもの頃には––貴方は自信に満ちあふれていて、怖いものなんて何もないように見えた」

「黙れ」

「貴方は大切なものを失いすぎたのね。だけど、私は貴方の本質に憧れてこの職業を選択したし、今も貴方のことを」

「黙れ!」

「ごめんなさい」

 癇癪持ちの子どもに辟易するように溜め息を吐き出すと、ウィルアはこの一瞬をなかったことにする。

「この後、ミーティングルームで今回の急患についての報告会を行うわ。必ず来てね、藤神先生」

 ウィルアが立ち去ってからも、パスは動けないでいた。


「何百年経っても、俺は、無力だ……」

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