終章
ウィルアの引き起こした集団樹木化事件から、1ヶ月が経とうとしていた。
病院に精霊王が現れたことで精霊王とパスが親子関係にあるというのは周知の事実となった。
そのまま副院長に任命されたパスは、事件について事情聴取を受けたりしつつも激務をこなしていた。
一方でトモは、週に3回のカウンセリングを受けていた。彼女の犯した罪は、精神の未熟さから情状酌量する余地があると判断された為だ。
***
緑に囲まれた閑静な住宅街にひっそりとマンションが建っていた。
黒いスーツの上からライトベージュのトレンチコートを羽織ったパスは、その一室の前で立ち止まる。
室内から甘ったるい、バターと卵の香りを感じたからだ。
苛々しながら帰ってきたパスは小さく舌打ちをした。
(あいつ、何を作ってやがる。来週が大学校の試験だって分かっているのか?)
乱暴に扉を開けて、ただいまも言わずに叫ぶ。
「おい、何やってんだよ。勉強はどうした」
香りが一層強くなると共に、ぱたぱたと軽やかなスリッパの音がしてエプロン姿のトモが玄関へ走ってきた。生クリームでデコレーションされた苺のホールケーキを持っている。
「おかえりなさい、先生。見て、初挑戦のショートケーキ〜」
「ケーキなのは分かるが、何のつもりだ」
「ふっふっふ。今日は、あたしとお兄ちゃんの誕生日なんだ!」
咎められていると気づいていないのか、トモは満面の笑みを浮かべた。
パスは拍子抜けして、まじまじとトモを見る。
「ということは、16歳になったのか?」
「そうだよ。でも、誕生日をお祝いしようって思いついたのは朝起きてからで、慌てていろいろ準備したから足りてないこともあるんだ。でも、部屋の飾りつけは諦めたけれど、お肉は焼いたよ。美味しくできたと思う」
言われてみれば、肉の焼けるいい匂いも漂っている。
「先生も、カコさんも。誕生日にはケーキを焼くね。どんどん上達するから見てて。で、一緒にお祝いしよう」
指差された先、靴箱の上にはトモのつくった即席の家族写真が飾られていた。
パスとカコが2人で写っている雑誌の切り抜きをくり抜いたもの。ウィルアの幼かった頃の写真。それから、嫌がるパスと無理やり撮ったトモの写真。カラフルな色紙でデコレーションしてある。
そこにはウィルアの琥珀も飾られていた。
「……」
毒気を抜かれたようにパスは髪の毛を掻きむしる。
「え、何?」
「お前にはかなわないな」
苦笑いするパス。
トモはきょとん、とした表情になってから、楽しそうに笑ってみせた。
「がんばって生きていかなきゃ。先生も、そうでしょ?」
(そうだな。お前の言うとおりだ)
心のなかでだけ頷いて、パスはトモの頭を撫でる。
「誕生日おめでとう、トモ」
「せ、先生? 今、笑って」
パスには、何故だかトモの頬が上気したように見えた。熱でもあるのかと尋ねようと思ったが、先にお腹がぐうと鳴ったので、そのことについては忘れてしまった。
「じゃあその自信作という飯でも食うか。美味いんだろうな?」
「うん!」
パスは靴を脱いで、トモの後に続いて居間に入る。
ダイニングテーブルには所狭しとご馳走が並んでいた。
自分でつくったのか、紙製の王冠を頭に載せて、トモが胸を張ってみせる。
「16歳の目標は、養成校に受かること。試験で優秀な成績を修めること。見ててね、先生」
トモの姿は、まるできらきらと輝いているようにパスの瞳に映る。
パスはその眩しさに、そっと目を細めた。
了




