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パス 2-3

 不意に頭上から声が降ってきて、パスは顔を上げた。

 目の前で、半透明の人間が2人、向かい合っていた。

 髪の長い男性と、髪の短い女性だった。

 男性には見覚えがあった。

(精霊王!)

 女性は精霊王に向けて優しく微笑んでいた。その腕からは若葉が覗いている。

(ということは、もしかして)

 パスはその光景から目を逸らせない。

(俺の、母親)

 理解した瞬間から心臓の鼓動が早鐘を打ち出す。


『貴方が世界を統べている限り、私は貴方の記憶の中で変わらずに微笑んでいるでしょう。そして、記憶は繋ぐことができます。私たちの宝物に、私のことを語ってあげてください。いつでも見守っていると、伝えてください』

 男の掌を取って、自らのお腹に当てた。彼女のお腹には明らかな膨らみがあった。

『どうか悲しまないで。寂しくならないで。愛しています。世界でたったひとりの、貴方のことを』

 ふたりは穏やかに微笑みあっていた。しかし、とても悲しそうにも見えた。

 女性がゆっくりと瞳を閉じる。頬をひとすじの涙が滑らかに伝う。

 刹那、全身から子葉が飛び出して覆われた。

 あまりにもあっけなく、女性は樹木化してしまった。


 ……そこから微かに産声が響いていた。

 精霊王は恐る恐る木に触れると、ゆっくりと両手で赤ん坊を取り上げる。

 赤ん坊はくしゃくしゃな表情で誕生したことを叫んでいた。ぎゅっと握られた掌を精霊王が解く。そのなかに、琥珀のかたまりがあった。

 パスには見覚えのある六角柱。

 そして精霊王は赤ん坊の掌ごと、琥珀を握りしめた。赤ん坊を抱えたまましゃがみ込む。長い髪の毛で横顔は隠されて見えなかったが、静かに震えて、涙を流しているようだった。

 

 パスの頬にもまた涙が伝っていき、手の甲に落ちた。

 真実かは分からないけれど誰に向けての物語であるかは明白だった。

(同じことを言っていた)

 脳裏に浮かぶのは、今はもう逢えない人間。

 最期までパスを守ろうとした女性。


(精霊王め、姿は現さないくせに。なんてものを見せてくれたんだ)

「言っておくが、俺はあんたを許すつもりはないからな。もし目の前に出てくるんだったら、壮絶な親子喧嘩を覚悟してからにしろよ!」

 立ち上がって叫ぶと、映像は細かな粒子となって消え去った。

(……?)

 違和感を覚えてパスが掌を開くと、琥珀のペンダントはいつの間にかパスの手元に戻ってきていた。

 精霊王がそうしたようにパスも琥珀をしっかりと握りしめて、そのまま拳を額に当てた。祈るように、瞳を閉じる。

 不思議と、力が漲ってくるようだった。

 パスは穏やかな気持ちで、村長たちが現れるのを待っていた。


 どれくらい時間が経っただろうか。


 ガラス越しに人間の気配を感じて、パスは顔を上げた。

 黒ずくめの1人が慌てた様子で向かいの空間に飛び込んできたのだ。フードを取ると、食堂の女性店主だった

 焦った様子を隠さずに店主は窓ガラスをどんどんと叩く。表情は恐怖に満ちていて、唇がわなわなと震えていた。

「大変だ! このままじゃ皆殺されてしまう!」

 パスはガラスに近寄った。

「どういうことだ?」

「あんた、精霊王の子どもなんだろう。何とかしてくれよ。助けておくれ!」

「落ち着いてくれ。一体、何が起きたんだ? 助けろと言ったって、ここから出られないようにしたのはあんたたちじゃないか」

「助けておくれ! 死にたくない、死にたくない!」

 一方的にまくし立てる。パスの声は全く届いていないようだった。

 扉がゆっくりと開き、女性店主の表情が一層引きつる。勢いよくガラスに背を向けて、現れた人間の方を見た。

 パスが彼女の視線の先を辿ると、そこに立っていたのは青い炎を全身に纏ったトモだった。

(あいつ、まさか!)

 瞬時にパスは悟る。

 トモが何をしたのかを。何を、しようとしているのかを。

「おい! やめろ!」

 パスが声を張り上げるのと同時に、女性店主が理解できない叫びを轟かせた。

 そして青い炎に包まれて、崩れ落ちる。熱でガラスが人の形に溶けて、大きな穴が開いた。


 遮るもののない状況でパスとトモは対峙した。

 焦げた臭いが鼻をつき、パスは顔をしかめる。無言で眉を顰めてトモを見つめた。


「先生、助けに来たよ」


 トモの表情からはどんな表情も読み取ることができなかった。瞳にはすべてを拒絶した孤高な光を湛えている。

 パスは、琥珀を握りしめたままの右手に力を込めた。

(俺に、できるだろうか)

 ふぅ、と息を吐き出すと、ネックレスを首にかける。

(いや、やれよってことだよな。カコ)

 動きを見せないパスに痺れを切らしたのか、トモがガラスの穴を指差した。

「どうしたの?」

 出てきて、と。

 パスはゆっくりと首を横に振った。

「お前はそうやって、この3ヶ月の間、多くの人間を燃やしてきたのか?」

「そうだよ。だって、皆、お兄ちゃんの仇だもん」

 くすくすとトモが笑う。

 パスは声のトーンを一定に保って、トモから視線を逸らさないようにする。

「お前は間違っている」

「行動に移せなかった先生に言われたくない」

「俺はカコを喪ったからといって世の中に復讐しようと考えたことはない。常に許せなかったのは、自分自身の弱さだったんだ。精霊王から逃れられないこと。彼女を喪ってしまったこと。どちらも、認められずにこれまで生きてきた」


 ––それはパスが初めて言葉にした、自らの心の内だった。


「そして、これからも許せないんだと思う。一生続くんだろう。それでも助けたい人間はまだまだたくさんいるし、俺にはやることがたくさんあるから、生きていかなくちゃいけない。……意外と自分の気持ちは、どうにもならないものなんだな。100年以上生きてこのザマとは」

 大げさに溜息をついてみせた。

 自然とパスの口元に笑みが浮かぶ。

 柔和に微笑むことができたのは、もう、いつ以来なのかパス自身も分からなかった。

「だからもう一度だけ言う。お前が、こちら側へ来い」

 パスは、トモに向かって、左手を差し伸べた。

「お前は十分がんばったし、自らの運命と向き合った。あとは、罪を償え。俺が言いたいのは、それだけだ。よく、独りで耐えてきたな」

 空間から、すっと炎が消えた。

 緩やかに、確実にトモの瞳に涙が溜まる。それでもトモはそれを堪えようとして、唇を噛んだ。鼻をすすって、顔を真っ赤にして。自らと葛藤しているようだった。

 パスは黙ってトモを見つめ続けていた。


 自責の念。

 出発点は同じ、向かった先が違うだけの二人だった。

 パスは少女が自らの足で動くのを待った。

 それが自分自身にも必要なことだと、信じていた。


「せんせ、い」


 トモが、一歩を踏み出そうとしたときだった。

「そこまでだ!」

 部屋に村長が走り込んできてトモを後ろから羽交い締めにした。老人とは思えない俊敏な動作だった。トモの首を、腕でしっかりと圧迫する。

 トモの顔が苦しそうに引きつった。

「よくも我ら同胞を燃やしてくれたな! 奴らが穏やかに樹木化すれば琥珀がいくらでも手に入ったものを!」

「琥珀だと? その為だけに仲間でいたのか?」

 村長は答える代わりに醜悪な笑みを撒き散らす。

「こいつは人質だ。パスト・B・藤神、こうなったらあんただけでも手に入れてみせる。こいつの命が惜しければ今すぐ傀儡になってもらう」

「腐ってるな」

「何とでも言え。貴様に我らの心情など理解してもらおうとは思わん。いつ樹木化するか分からない恐怖に脅える人生に打ち勝つには、金が必要なんだ。金、金、金! 儂が思う存分娯楽を楽しみ、贅を尽くす為のな! その為にどんな人間でも騙し、裏切ってきたのだ!」

 もはや、なりふり構っている様子はなかった。

 村長の額には玉のような汗が浮かんでいる。腕が小刻みに震えている。


 ––どちらが追い詰められた立場なのか。


 やれやれ、とパスはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「あぁ、分からないな。分かりたくもない」

 パスは両手をポケットにつっこんだまま、ゆっくりとした足取りでガラスの穴をくぐり抜けた。苦しそうにうめき声を漏らすトモ。焦りを隠しきれていない村長。

 冷静でいるのは、パスひとりだった。

 村長を見下すようにして、パスは村長の額を指差した。

「ここ」

 冷たい視線で、蔑むように、告げる。

「発芽しているから、助けてやるよ」

 村長の顔が恐怖に満たされる。ふっと腕の力が緩んでトモを離した。

 トモは勢いよく床に膝をついてむせた。村長が次の行動を起こす前に立ち上がって走ると、パスの背中に隠れて、袖にしがみつく。

「せ、先生……」

「大人しくしていろ」

 パスはトモを振り返らずに言う。

 村長が後ろによろめきながら両手で額に触れた。何の感触もないことを、何度も確かめる。


「嘘だよ」


 すると村長は全身の力が抜けたようにその場にへたりこんだ。じわぁと床が濡れる。失禁しているようだった。

「はは、ははは、はははは」

 虚ろな表情で笑っている。よほど恐怖が募ったようだった。

 パスは侮蔑の眼差しを向けたまま、問いかけた。

「相渡ダントを殺したのは、お前たちだな」

「……えっ、先生、それってどういう」

 狼狽える気配を背中で感じてパスは小さく呟く。

「お前は黙っていろ」

 一気に老け込んだ村長はもはや年齢相応の老人のようで、すっかりと生気が消え失せて、骸骨のようになっていた。風のように細い声で呟く。

「しょ、しょうがない、だろう」

「何が、しょうがないだと?」

「彼は、前途有望な精霊樹木医の卵、だった。あのままにしておけば、我々の脅威になった。それも、我らの長の、指示だ」

 ぎゅっと、トモがパスの服の裾を掴む。

 パスは背を向けたままトモの手の甲に触れて、柔らかな熱を載せた。大丈夫だと、伝えるように。

「ダントは、こいつの兄だったんだよ。お前たちは復讐を受けた。因果応報だ」

 ぎょろりと視線を宙に泳がせて、骸のような村長は、自らの運命を悟ったようだった。

「あぁ、もうおしまいだ、おしまいだ」

 手を震わせながら老人は懐から小瓶を取り出し、ぼたぼた零しながらも一気に飲み干した。

「何をする!」

 慌ててパスが小瓶を奪い取るが中身は既に空。老人はもはや、かたかたと小刻みに揺れるだけになっていた。

「も、燃やされる、のは、いやだ。いやだ。長も言っていた。灰になるなら、木に。木に」

「待て。すぐに吐き出すんだ! お前には訊きたいことがある!」

 パスが老人の背中を叩こうと近づいたときだった。めりめりっと肉を裂く音。

 慌ててパスはのけぞった。

 老人の全身からあっという間に子葉が発現して包み込んだ。

 パスには、トモが顔を背けたのが気配で分かった。しゃがみこんで木の状態を確認すると、腕時計で時間を確認した。

「午後7時23分、発芽。結局、どこのどいつが余計な情報を吹き込んだのか、分からないままか。ちくしょう」

 口元に拳を当てて思考を巡らすが、ヒントは浮かんでこない。

「とりあえずウィルア経由で警察に連絡をして、島を捜索してもらわないとな。関東に戻ってしばらくは警戒を怠らないようにしないと。いや、もしかすると」

(まさか、な。そんなことある訳ないか)

 言葉を続けるのを止め、パスは、思い出したように立ち上がって、俯いたままのトモの頭を、ぽん、と撫でた。

 ぽん、ぽんぽん。


「おかえり」


 ぎこちない仕草ではあったが、精一杯、そっと。

「どうして」

 トモが低い声で呻いた。

「あたしが! 燃やしたかったのにっ……!」

 トモが顔を上げると既に泣いていた。涙で、鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

(そうだよな)

 スーツが汚れるのもかまわずにパスはトモを引き寄せる。背中をとん、とんと叩いた。

(善にも悪にも揺れ動くよな。まだ、十五なんだ。誰かがそれを見ていてやらないといけない。––あんたは、そう言いたかったんだろう? 自分が俺を見捨てた分)

 トモはパスにしがみついて泣きじゃくっていた。

 それは、産声なのかもしれない。


 これからトモが生きていく為の、最初の呼吸。


 パスは、トモが泣き止むのを、ずっと待っていた。

 嗚咽を漏らしながらなんとか自分を取り戻したトモが、真っ赤に充血した瞳を手でこする。

「落ち着いたか」

 トモは恥ずかしそうに小さく頷いた。

 パスは髪の毛を掻きむしりつつ、溜息を吐き出す。

「とりあえず誰が生きているかは分からんが、今晩はこの島で過ごすぞ。明日朝一の便で本州に帰る。話はそれからだ」

「は、話?」

「言っただろう。まずは、罪を償え。面倒を見てやるから、お前は自分のやらかしたことを反省しろ」

 トモは開いた口がふさがらない、といった様子で、ぽかんと呆けていた。

 そんなことは気にせず、パスは他のことに思考が向いていた。

(しかし……引っかかることがある)

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