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ありふれたされど特別なもの

『アレク』なんていう名前、世界中捜せば何人いるだろう。とても、ありふれた名前だと思う。

けれど、同じ響きを持つ名前なんて1つとてない。

『特別』なものなんだ。

オレがあげた、君だけの世界に一つだけの名前。

だから、何度でも呼ぶよ。ずっと・・・

やっと、思い出せたから・・・


ゆっくりと瞼を開けると、遠くのほうにぼんやりと紅い姿が見えた。何度か瞬きして、はっきりと焦点を結んだその姿は、空中から、一方的な攻撃に合いながらも、けして逃げようとはしない。

起きようともがくが、身体中がだるく、起き上がる事が出来ない。ふと、違和感を感じた。あれほど感じた痛みが全くないのだ。

そろそろと脇腹に手をやると、やはり固まった血で幾分か、皮膚が引きつるような感じは残っているのだが、傷がなかった。切り裂かれ、肉が抉られたようになっていたのに、治っているのだ。

(どういう事だ・・・?)

―――ふふふっ

耳元で小さく聞えた、鈴を転がしたような笑い声に眉根を寄せる。

「だ、誰・・・?」

酷い渇きに喉が痛む。出た声はとても弱弱しく響いた。

―――あら、声が届いたのね。――さぁ。誰かしら。私達に名前なんてないもの。ふふっ・・・

清しい風が、オレの身を取り巻く。とたんに、命の恩人が誰なのかをオレは悟る。精霊だ。多分、風の。

―――ふふっ、賢いわね。もう、気づかれちゃうなんて。―――もう、痛まないでしょう?傷は完全に塞いだから。

「ど・・・して。精霊が・・・オレの事・・・」

―――願いがあったから。貴方を死なせないでくれ・・・って。もう、五月蝿いほどに。・・・逆らえないほど強い願いがあったから。

「・・・ありが・・・ぶっ・・・」

お礼を言いかけた口は、突然の攻撃に塞がれる。

眼だけ動かし、見てみると、顔の横にちょこっと座ったアークが、小さな前足でオレの口をタシッと押えていた。

「ん~。アーク。お前なぁ。生きてるよ!!」

―――ふふふっ。またね。人の子・・・

風が消えると、途端に鼻に濃い血の匂いが届く。

「シャー」

「・・・分かってる」

鉛のように重く感じる身体を無理に起こす。寝ている場合じゃないんだ。

口を開き、声を出そうとして咳き込む。口の中が渇いて、唾を飲み込む動きすら、痛みに繋がる。

―――覚悟を決めて。

喉が裂けたって構わないんだ。

約束を、果たすために。

喉から血が吹き出すんじゃないかという痛みが走るけど、呼んだ。

やっと、やっと思い出せたから。

だから―――届け・・・


空に飛翔した魔獣からの止まない攻撃にアレクの全身はボロボロだった。

一息には殺さずにいたぶり殺そうという魂胆だろう魔獣は、あの時、殺す事が出来なかった所為、実に楽しそうに黒羽を放つ。流れた血が多すぎてだんだん足元が覚束なくなってきた。

大きな力は使えない。名すら持たないこの存在は、今、限りなく精霊に近い。力は微力すぎて、あの魔獣が相手では目眩ましにもなりはしない。

何年もの間に、どれほど多くの人間を殺してきたのか、以前与えた傷は癒え、力も増している。このまま死んでしまえば、貪欲にも、次はあの子を嬲り殺し、喰らうに違いない。

この時ほど、力を求めた時はなかった。

あれほど疎み、厭った力が―――今、欲しかった。

―――そして。


「アレク―――!!」


それは、確かにアレクの耳に届いた。

そして、身体の奥から燃えるように何かが込み上げる。

久しく感じる事がなかった濃い魔力。

戒めは解かれ、甦る。

もう二度と、呼ばれる事は無いと思っていた響き。

遠い過去に、無くしてしまった幼い子供との約束。

眠りつく瞬間まで、繰り返された約束が、今、果たされた。



辺りの耳が痛くなるほど、吹き荒れていた風が、突然、天空から何かの圧力に押しつぶされたかのように止む。

舞う砂埃の中、オレは、見た。

紅い、その姿を。

 絶え間なく続く攻撃から、陽炎のような紅い炎が守るように舞う。

 「馬鹿め・・・今更遅いわ・・・」

 嘲るように攻撃を仕掛けた魔獣に、だがアレクは動こうとしない。伏せられた眼が飛来する黒い羽を一瞥した瞬間、その羽は燃え上がり灰となり消え去る。

見開かれた瞳は色を変えていた。

澄んだ紅玉から紅蓮の炎へと。

 「―――――――っつ。何?!」

 振り上げられた手が空を切る。すると魔獣の背後に炎が生まれ、叩きつけるように地面へと落とされる。

 辺りに、羽の焦げるすえた匂いに、劈くような悲鳴が満ちる。焼かれ、羽を失い飛べなくなった魔獣は低く唸る。その周りを炎が燃え取り囲む。勢いを増す炎はじわじわと魔獣に苦痛を与えた。

 無様に大地に這い、痛みにもがくその背に、光を受け、輝きを放つものを認め、オレは眼を凝らした。

すると、何かの柄が付き出ている。長さから考えると、短剣だろう。丁度、中央に深く刺さっているため、自身の手では抜く事が出来ず、放置しているうちに肉が締まり、羽毛で隠され見ることが出来なかったんだろう。

 それは、銀色の輝きを持ち、持柄には太陽と月の飾りが彫られている。遠目からでもわかる。それは、オレが成人したらくれる約束だった、父さんの宝物の短剣だった。

記憶の奥に沈められた約束、奪われた命、そして、無くした短剣。

―――瞬間、全ての真相をオレは悟った。

 「アイツ・・・アイツが・・・父さんと母さんを・・」

 呆然と呟く。あの、魔獣がオレの父さんと母さんを、殺したのだと・・・。

 「痛い、熱い、あぁあぁぁぁぁぁ――――――」

 魔獣の断末魔の悲鳴が響き渡る。

 「アラクセイト・・お前が・・・お前も・・・同じだぁぁぁ・・・人に厭われるお前も・・・お前も・・・おな・・・じ・・・」

 盛る炎の中、魔獣だった影は、ボロボロと塵と消えた。

カラン―――と澄んだ音を立て、短剣が地面に落ちた。地面に突き立った直刃をアレクはゆっくりと引き抜く。

 その光景を見ながら、凪いだ水面のようにオレの心は静かだった。

 「アレク・・・」

 か細く響いた声に、振向いた瞳がオレを見た。

「無事か・・・。聞き届けられるはずもないと思ったが・・・彼らも、よくよくお前に甘い・・・」

そう言いながら、静かに差し出された短剣をオレは受け取る。

それは、子供のころはひどく大きく、重く感じた。でも、今では大きさも重さも手によく馴染む。

 「―――アイツに襲われて、だからあんなに傷だらけで森に倒れてたんだ」

 アレクの細められた瞳はオレの言葉を静かに肯定している。

 「アレクを追ってきて、あの魔獣は、偶然であった人間を殺した・・・。その短剣は、その時、抵抗した人間が魔獣に突き刺したもの。でも、力の差なんて歴然としてて・・・そして殺された。その人間が、オレの父さんと母さんなんだ・・・」

 「―――」

 「知ってたんだ。父さんと、母さんが殺された訳を」

 だから、なのか・・・?あの時、離された手の理由は。

 「・・・村の近くで、ひどく血の匂いがした。その中に、微かに奴の血の匂いも混ざっていた。俺は奴に襲われ、1度は撃退したものの酷い傷を負い、死にかけた。奴は止めをさそうと俺を捜し、追っていた。俺は村をそのまま離れようとした。だが・・・」

 「・・・」

 「お前に逢った。行くかどうか迷っていた時、お前がオレの前に現われた。」

 「・・・どうしてだか分らないけど、場所が分ったんだ。」

 「精霊たちだろう。よく、お前の周りにいた。―――お前に・・・一言、詫びたかった・・・親を亡くし、その理由も知らずに、幼いお前は俺を守るという。あげくに、名前まで与え誓った。悔恨という感情を知ったのはその時が初めてだったな」

 「だから、記憶を?」

 「・・・そうだ」

 「あの魔獣が言ってた、アラクセイトっていうのは、火烈神の名前だよね。アレクがそうなの?」

 あれだけの火の円舞を目の前にし、ただの人間だと思い込むほうが難しい。子供心ながらに、オレは、アレクが魔物か精霊に違いないと考えていた事を思い出した。

古き神に名を連ねる火烈神『アラクセイト』は神でありながら、その強過ぎる力故に今では、魔神の一人に数えられる。

神でもなく、魔でもない。忌まわしい存在だと・・・

 「―――その存在は、今はない。」

 「・・・?」

 「無くしたんだ・・・。名はその存在の本質を表す。名前の無いものは即ち無・・・。名前を殺した神は全ての力を失う。精霊に近い存在になる。そして、識る存在がなくば、やがて存在すら消える。―――俺は、終わりにしたかった。」

 何を・・・とは聞かなくても判ってしまった。彼は、死にたかったのだ。だから、自分を助けようとした子供を、オレを嫌った。

神は人の祈りを、願いを糧とするという。

死を願い、そのままでいれば確実に死ねるであろうに、しかし、助けたいと願う子供の必死の祈りが傷を癒し、命を救う。

 「力をなくすって・・・でも、さっき・・・」

 「アレクというのは、竜の名だといったな。赤く燃える星が姿を変えた竜の名だと」

 「うん・・・」

 「2つは同じものだ」

 「え?」

頭に浮かぶのは、吟遊詩人たちの謳った神謳。

その中で語られる、火烈神『アラクセイト』は燃え盛る焔のような深紅の瞳を持つ、神々の中で最も強い神。その姿はもともとは竜であったという。竜が千の時を重ね、神になったのだと。

そして、おとぎ話として語られる古い神話の中に出てくる、人々を救った紅竜は、紅く

燃える星がその姿を変えたもの・・・。

「神魔は表裏一体だ。強力な力と不死の命。何時生まれたのか、何時、死ねるのかも分からない。気が付けば、在った・・・」

「・・・」

自分の存在が認められない事は、とても哀しくて寂しい。

アレクはずっと独りだったんだ。オレと同じで。

ガウリ叔父さんは、オレを差別しなかった。

村の人達も親無しのオレに優しくしてくれた。けれど、やっぱりどこか異質で、違う。馴染めない。

迷いながら、口を開いた。このままずっと黙っていれば、アレクがどこかへ行ってしまうんじゃないかと思った。

あの時のように、手を離されてしまうんじゃないかと思った。

だから、一生懸命に言葉を考える。どうしたら良いのだろう。何て言えば、この孤独な魂に届くんだろう。

そして、次の瞬間、ふと、口を付いて出た2度目の約束。

 「ぜったい、また、助ける。嫌だって言っても、助ける。独りにしない」

 それは、言葉にしてみれば、とても簡単で。でも、護る事はとても難しい。

 「理屈じゃないんだ。気が付けば、身体が勝手に動いている。理由なんてない。そのまま、ほっとけなかった。・・・オレが助けたかったんだ。だから、例え、過去に戻れても、また絶対、助ける。」

 例え、それで、その事で、父さんと母さんが死んでしまったのだとしても。また、きっと君を助ける。

驚きに少しだけ開かれた眼を、逸らすことなく見つめかえす。

「だから、もう、独りじゃないんだ。だって、一緒にいるから。2人だから。もう、寂しくないんだ。」

瞬間、足をタシタシと叩かれる。見下ろせば、ボロボロになったアークの姿が。

「シャー」

「悪い。悪い。訂正するよ。もう、3人だから、寂しくなんてないんだ。」

「―――あぁ・・・。そうか・・・」

ゆっくりと閉じられた瞼の裏に、アレクが何を想っているのかオレはわからない。けれど、この約束は間違ってはいない。けして。

「でも、何で勇者だって、オレの名前を名乗るなんて真似したんだ?」

「・・・夢なんだろう?」

「そうだけどさ・・・。それは、オレが自分の力で、なりたいんだよ。じゃなきゃ、夢っていわないだろうし。それに、何かしてもらいたくて助けたわけじゃないんだから、『恩返し』なんて必要ないんだ・・・」

「そうか・・・」

「―――オレは、勇者になるために、旅をする。で、アークは、お供その1」

「シャー」

任せておけとばかりに、得意そうに、一鳴きする。

「お姫様助けたり、魔王と戦う勇者も格好いいと思うんだけど、オレは、大切なモノが守れる勇者になりたいんだ・・・でさ。やる事特になくて、暇なら、一緒に旅してみない?」

「そうだな・・・」

アレクの紅い瞳に、ガッツポーズを決めながら、頑張るぞ。と叫ぶ子供が映る。あの頃と何も変わらない魂に、知らず知らず、眦を下げ、口の端が上がった。

「アレク・・・」

それは、初めて見る、優しい笑み。あの時の微かに痛みを交えたような笑みではない、優しい・・・


―――いつか、君を恐れず、それどころか、君を救いたいなんて事を思う、馬鹿な子が現われるよ。


アレクの脳裏にふと過ぎる銀髪の青年の言葉。

歌うような響きを持つ言葉は、あの時、石ころ一つの重みすらなく、虚しく聞えるだけだった。

―――あの日。

「アラクセイト」を無くした日―――全てが空虚で、生きる事が煩わしく思った。あの男が言う事など、起こりうる筈もないもない・・・。どうして殺してくれないのだと理不尽な怒りを持ちもした。

だが、ありえないことが起こった。

厭われるばかりだった、この存在に手を差し伸べたもの。幼子の他愛もない戯言だと思っていた。

そうして、切り捨てたつもりの過去は、今、こうして眼の前にある。


―――消して、諦めないでくれ。誰しにも、きっと救いはあるんだから。


くだらないと思っていた。

けれど、再び手にしたこの光の煌きはどうだ。空高く輝く綺羅星に劣ることなく、強く、優しく照らすもの。


「分かっていたのか・・・」

「・・・何?」

「いや・・・」

小さな呟きは、オレの耳には届かず、聞き返すような問いかけに対し、何でも無いというように、優しく笑む。つられたように微笑を返すと、アレクの笑みも深くなる。

どんな言葉で飾ろうと、溢れる言葉の中から、自分だけに捧げられた「たった1つの名前」に勝るものは無い。

あの時、畏れることなく自分に返された眼差しに。眠りついてもなお、離される事がなかった指先に。

どれほど救われただろう・・・。

 見届けたかった。この魂の行き先を。

自分の前を進む、小さな影を静かに見た。

あの日から、月日は流れて。手を離して、けれど、捨ててしまう事は出来なかった。あの夜。この胸に響いた、約束は、果たされた。

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