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朝、窓の外は、もう活気に満ちていた。さすが、商人の街だ。
ゆっくり身を起こすと、まだ、ぼんやりとした頭で立ち上がり、辺りを見回した。昨夜は、確かにベッドに寝ていたはずなのに、起きてみれば床だった。だからだろうか、身体がぎしぎしと痛む。大きく伸びをして、部屋をぐるりと見渡すと、ベッドの上に目的のものを見つけた。シーツが、真ん中の辺りで丸くなっている。
思わず拳に力を込める。と、もそもそとシーツが動いた。
「アーク・・・」
シーツから出てきたアークは、紅い目を眠たそうに瞬かせる。柔らかな毛皮は、寝癖で、ピョコピョコとはね、すごい事になっている。これでは、まるでハリネズミだ。ぷにぷにの肉球で寝ぼけ眼をくしゅくしゅすると、明後日のほうを向き、ふあぁぁぁぁと、あくびを一つ。大きく伸びをする。そして、おはようとでもいいたげに、「シャー」とひと鳴きした。これでは、怒りも萎えよう。
「・・・おはよう・・・んじゃ・・・まぁ・・・行くか。」
荷袋を下ろすと、おとなしくアークが入る。
下の酒場に降りると、数人の商人と思われる男達が朝食を取っていた。
彼らの手には、湯気の立つパン生地に肉や野菜をはさんだものがあり、コップに入った琥珀色の飲み物を飲みながら美味そうに食べている。
そんな様子を横目に、昨日と同じカウンターの席に座ると、しばらくして店主が朝食を運んできた。乱雑に置かれた皿とカップに入っているのは、明らかに昨日の残り物だとわかる、黒パンに、冷めた豆のスープ。
「・・・・・・。」
オレは嘆息して、渋々パンに、手を伸ばす。スクジーアが出てこなかっただけ、まだマシだ。眉を寄せ、小声でぶつぶつ文句をいうオレに、同じカウンター席に座っていた恰幅のいいおじさんが、隣に座り、カップに入った琥珀色の飲み物を差し出す。
「朝からシケた顔をすると、いいことが逃げてくぞ。ほら、飲め。坊主。俺の奢りだ。」
にんまりと笑う迫力のある笑顔に、思わずそれを受け取ってしまう。カップから立つ湯気に、甘い匂いがふわりと上がる。深く息を吸い込むと、鼻腔いっぱいに林檎の匂いが広がった。
「熱いぞ。気をつけろ。これはな、紅茶に蜂蜜と林檎の果汁を混ぜた飲み物だ。チャオっていってな、ここいらで、よく飲まれている。朝はこれにかぎる。」
すると、自分もカップを手に取りゴクゴク喉をならして飲み干す。
「えっと・・・。」
「美味いぞ。飲め、飲め。」
「じゃあ・・・。ありがとうございます。」
一口含むと、口腔に爽やかな林檎の香りと蜂蜜の甘さがほんのりと広がる。
「美味しい!!」
「だろ?で、坊主、この国は初めてだろ?」
突然の質問に、オレは、こくこくと頷く。おじさんは、笑いながら目の前にあった皿から、薄く焼いたパン生地に、野菜と肉を包んだ物を幾つか、オレの皿にのせた。
「これも食え。美味いぞ。」
「あの・・・。いえ、これだけでもう十分ですから。」
カップを少しだけ、持ち上げる。
「なぁに、遠慮するな。子供は、ヘタな気なんか回さなくていいんだ。ほら、食え。」
「はぁ・・・。」
結局、押し切られてしまった。持っていたカップを下ろすと、両手で、まだあたたかいパンを持ち、齧り付く。
すると、香辛料で味付けされた甘辛い肉の風味が口いっぱいに広がる。美味しい・・・。生きててよかったぁ・・・。なんて、ジーンと感動する。
「ここの飯は、死ぬほど不味かったろ。」
小声で聞いてくる叔父さんに、オレは、咀嚼を繰り返しながら、小さく頷く。
「ここに泊まる客の殆どは、食べ物も、酒も自分で持ち込むからな。だから、ろくな物が置いてない。だいたい、観光目的の旅人なら、表通りの宿に泊まるし、ここを使うのは、商人ばかりだ。寝泊まりするだけなら、ここが1番安いからな。だから、たまに見る、どう見たって商人には見えない奴っていうのは、表の宿屋が一杯で、仕方なく泊まるやつか、事情を知らないで泊まったやつかのどっちかだ。坊主は、飯を見て、文句をぶつぶつ言ってた。だから、後者じゃないかな。と、思ったわけさ。で?これから、どこ行くんだ?」
「あぁ・・・、えっと・・・。」
オレは、めまぐるしく頭を働かせる。なんて言えばいいんだろう・・・。そうだ!!
「あ、もう行って来た帰りなんです。あの、病気のおじさんのお見舞いに・・・。」
「そうか・・・。ちいせぇのに、偉いな。いや、実はそうじゃないかと、噂してたんだ。どうだ。ガイズ、俺のヨミが当たったろ。おめぇは、今、巷で噂になってる勇者じゃねぇかなんて言ってたが、そんなことあるわけねえって。俺の勝ちだな・・・。ほらよ。」
あやうく、ふき出すところだった。食べてたものを、何とか飲み込んで、必死に笑みを作る。
テーブル席に座っている男たちに向かって言うおじさんの言葉に、白髪交じりの髪で、口ひげを生やしたおじさんは、不機嫌そうに、オレを見ると、「そりゃそうだな。」と小さく呟き、テーブルに乗っている皮袋から何かを取り出し、こちらに放る。空で上手くキャッチしたそれをおじさんは、親指と人差し指とで挟んで、オレに見せた。きらきらと輝くそれは、1枚の銀貨だった。
「実はな、1枚賭けてたんだ。」
オレの知らない間に、賭けの対象物にされてたのか?うむぅ・・・と小さく唸るオレに、おじさんが盛大に笑う。
「わりぃ。わりぃ。だから、気にせずに、こいつを食べてくれ。」
あははは・・・と豪快に笑うおじさんに、オレもつられて笑い、それじゃあ・・・と、皿に乗った2つ目に齧り付く。
「で?いつまでここにいるんだ?」
「えっと・・・。少し、街を見物してから、昼過ぎには立ちます。」
「そうか。街の外は、最近物騒だからな・・・。ギルド山脈の麓の森から、街道にかけて、盗賊が出るんだ。だから、気ぃつけろよ?」
「盗賊・・・?」
「おぉ。ここ最近だ。2週間ほど前からか。名前は、ギガって言ったっけな。最近は、街道も整備されて、商人たちの運ぶ荷の物も、値段も昔とは、ケタが違う。シェナ織りの絨毯、白磁の壺、ルルドの薄紅真珠、ソーシャの銀細工。旅人を100人襲うより、隊商を襲ったほうが、手っ取り早いし、何より外れがないからな。こっちとしちゃあ、迷惑極まりない話だがよ。」
「おじさんたちは、何を運んでんの?」
ちらりと入り口に目をやると、蓋のない、木箱が幾つも積まれていて、中から乾燥した藁が飛び出ている。その隙間から、白い岩肌が覗く。
「あぁ・・・。ありゃなぁ、塩だ。」
「塩?」
「おう。クリシア海域でのみとれる、天然の岩塩だ。まぁ、ここいらじゃ、ありふれた物の一つだがギリア山脈を越えた国じゃあ、ここの10倍、20倍の値が付くんだ。俺達は、これから、街道をのぼって、山脈越えをするんだよ。」
「大変だね。あ、盗賊とかに襲われたらどうするの?ギルド山脈を越えるなら、森の外れにある街道を使うんじゃない?」
「まぁな。でも、俺達は、盗賊に襲われたって、取られるもんなんて命くらいしかねぇしな。運んでるお宝が塩じゃあよ。山の向こうじゃ、お宝でも、ここじゃあ、そう珍しいものでもないしな。」
おじさんの言葉にテーブル席の男達が笑う。
「まったくだ。」
「それに、ちゃんと、護衛を雇っているから、大丈夫だよ。」
「そっか。」
色んな話をして、おじさんの言った冗談を、テーブルの皆と一緒になって笑った。時間なんてあっという間に過ぎる。
眦に浮かぶ涙を指で拭っていたオレは、ふと、おじさんの胸元から覗いた、ペンダントに目を取られた。飾りの細かいそれは、女性がつけるのならともかく、おじさんがつけていると、ひどく、浮いてみえる。
興味深く眺めていたオレの視線に気づいたのか、おじさんが金の鎖を外し、オレの目の前にぶら下げると、オレの手に乗せてくれる。
キラキラと輝くそれは所々、金がはげて、鉛色が覗いていた。素人目にも、本物でないことがわかった。
「お守りだよ。本物の金じゃないがな。俺の宝だ。」
照れながらも、誇らしげにおじさんが言う。
ペンダントは、貝のように、2つに割れた。よく見かける、中に絵を入れられるようになっているやつだ。中には、穏やかに微笑む女性と、幼い男の子が描かれていた。
「オレの家族だ。しばらく、帰ってないんで、息子が、どん位大きくなったのか想像もつかねぇがな。」
「じゃあ、早く帰ってあげないとね。」
「そうだな・・・。」
店の外が、騒がしくなる。馬のいななきと、人の声。隊商の荷馬車が到着したようだ。
「よぉ~し。じゃあ、行くか。」
「おう。」
おじさんの掛け声で忙しく動き出す男達。入り口に積まれた箱を外に運んでいく。おじさんは腰から外した皮袋の中身を一つかみ取り出し、カウンターに置く。こんもりと小山のように積まれたのは、銅貨だった。全員分の宿泊料だろう。
「ここに、おくぞー。」
奥に向かって叫ぶと、オレの頭に手を乗せた。
「じゃあな。坊主。」
「じゃあ・・・。おじさんたちも頑張って。あ、朝ご飯、ごちそうさまでした。」
オレの言葉におじさんが笑う。
「いいってことよ。」
そう言って、豪快に笑うおじさんが、軋む扉の向こうに消え、隊商の出発の音が聞こえなくなるまで、オレは奥のカウンターから動かなかった。
そして、完全に荷馬車の音が聞こえなくなってから、荷物を持って、外に出る。雇ったっていう護衛が、昨日の連中みたいにオレを知っていると、また面倒な事になるだろうから。
「あ・・・、名前聞くの忘れてた。」
すごく、いい人たちだった。
奢ってもらったご飯も美味しかった。
聞いた話は面白かった。もし、今度、また出会う事があったら、おじさん達の名前を聞いて、オレの名前もちゃんと言いたい。そう、思った。
太陽も昇りきり、遠くの方からざわめきが聞こえる。朝市だろうか。昨日の騒動で、市場をよく見る事が出来なかった。貿易で栄えている街だけあって、市場は珍しいもので溢れているだろう。見てみたい気持ちも多いにあるが、オレの偽者を捕まえる方が先だ。
オレは、街中を抜け、城壁近くの店で干し肉と木筒に入った水を買うと、ギリア山脈の麓に広がる森に向かった。オレの偽者が勇者として、目立った盗賊を潰してるんなら、さっき聞いた話に出てきた、盗賊団のギガを見張っていれば、そいつに会うことが出来るかもしれない、と考えたからだ。だから、まずはそいつらを見つけなくてはならない。高くそびえる城壁をくぐり、街道に出ると、街に入る商人や旅人とすれ違う。
「おい、アーク。じっとしてろ。バレるだろうが・・・」
さっきから、荷袋の中でやけにアークが暴れる。大人しくする様に幾度も声をかけるのだが、興奮はひどくなるばかりだった。オレは、人の流れが途切れたときに、草を掻き分け森に入ると、荷袋の中から、アークを出した。腕の中で、毛を逆立て、威嚇するように低く唸る。まるで、出会った頃のようだ。
「おい!!」
ばたばたと暴れ、腕の力が緩んだ隙にアークが走り出す。小さな身体があっという間に小さくなる。はっとし、一瞬遅れてオレも走り出した。
自分の鼓動が、やけに大きく聞こえる。息は苦しいし、足は重い。木々の葉の間から射す光が目を射る。拭っても、拭っても、額に汗が滲む。
抜かるんだ地面に何度も足を取られそうになったけど、それでもオレは走り続けた。 もう、30分になるだろうか、体力と足の速さには自信があったが、もう限界が近い。
「アーク!!」
もう、何度も呼んだのだが、いっこうに止まる気配は無い。ぬかるみを避けるように、木の根や、石の上を見事に飛び移りながら駈けていく。
ともすれば見失ってしまいそうになりながら、捕らえようと手を伸ばしても、するり、するりと逃れる。それが、更にオレの焦燥を煽る。
一体、どれほど走ったのか、ついにオレの指先がアークを捕らえた。両手で抱くように、ザッと草を踏み鳴らし倒れこむ。ぎゅっと目を閉じ、身体にかかる衝撃に備える。しかし、背丈の高い草がクッションになったお陰で、派手に倒れたにしてはあまり痛みはなかった。
暴れるアークを逃がさないよう、腕に力を込める。仰向けになり、うるさい鼓動を静めようと、深呼吸を繰り返し、薄く目を開けた。風に葉が揺れ、優しい音を立てる。少しだけ身を起こすと、周りは一面、濃い緑と香りに包まれているのがわかる。アークを追いかけ、闇雲に走っているうちに、どうやら森深くに来てしまったようだ。
しかし、人家があるのか、木々の集まる森の奥の方が騒がしい。アークを抱き、ゆっくりと音のする方へ歩を進めた。
小さな身体は、とくとくと早鐘のように鼓動を打つ。ひどく緊張しているようだ。
木々が開けたそこには、数人の男たちがいた。
とっさに木の陰に身を隠すと様子をうかがう。全員が、黒っぽい服を身に付けている。雑談をしながら、手にした武器を磨いている者もいれば、酒を飲んでいるのか、ふらふらと辺りを動き回る者もいて、どう見ても、善良であるとは言いがたい。
(あいつら・・・)
男たちの話をもっと近くで聞こうと、足を前に出した瞬間、首筋にちくりと痛みを感じ、身体をかたくする。そろりと振り向くと、剣を手にする男がいた。服装から判断して、あいつらの仲間だろう。いったい、いつの間に忍び寄ったのか・・・
(くそっ・・・。)
「動くなよ?下手に暴れたら、手元が狂って、お前の首を落とすかもしれないぜ?」
月並みなセリフを口にして、男は欠けて黄色くなった歯を見せ付けるように、にやりと笑った。
後ろ手に腕をねじり上げられ、思い切り突き飛ばされる。その場にいた男たちの視線がオレに集中するのがわかった。
「おい・・・。何なんだ?このガキは。」
ぞろぞろと集まってきた男たちに覗き込まれる。擦りむいた手の平がジンジンと傷んだ。
「お前たちの様子を窺ってやがったネズミよ。」
「おい。そいつぁ何だ?」
オレを突き飛ばした男の左手には、ゴソゴソと動く荷袋が握られていた。オレの持っていた荷袋の中身を捨てて、暴れるシュガを放り込んである。
「おお。こいつか。聞いて驚くなよ?なんと、こいつは、シュガの子供だ。」
「そいつぁ、すげえな。闇市で売れば、金貨100枚は堅いぜ。」
「っつ・・・。返せよ。」
「うっせえ。ガキは寝てろ。」
闇市と聞いて、男からアークを取り戻そうと腕を伸ばすが、肩を蹴られ、地面に叩きつけられる。衝撃に息が詰まった。
荷袋は他の男の手に渡り、アークは、檻に放り込まれた。人差し指を檻の隙間からさし込み、からかう男にアークが、牙を剥き威嚇する。
「他の連中はどうしたんだ。しくじったのか?」
「まさか。もう来るだろうよ。おい、大事なお宝だ。気をつけろよ。」
「わかってるよ。しかし、この間仕留めた2頭といい、最近の俺達はついてるぜ。」
(この間、仕留めた2頭・・・?)
頭の中で、パズルが組み立てられていく。まさか・・・。こいつらがアークの親を・・・?
「おーい。」
木々の奥から聞こえた野太い声に、オレは顔をあげた。荷馬車を連れた男達だった。連中の仲間だろう。
「おう、どうだったよ?」
「どうもこうもねぇよ。今回はハズレだ。まったく、ムカツク奴らだったぜ。あんまり、腹たったんで、全員、ぶち殺してやったがよ。」
荷馬車から、ドサドサと下ろされた木箱は、どこにでもあるようなものだったが、何故だかそれを見て、オレは妙な胸騒ぎを覚えた。どこかで、見たような。何処だ。何処で見た?
足蹴にされ、乱暴に扱われた木箱は鈍い音を立てて、簡単に壊れる。中からは、藁とともに、白い小岩が転がり出てきた。
「まったく。護衛をつけてやがるから、どんなお宝運んでるのかと思ったら、ただの岩塩じゃねえかよ。」
悪態とともに、男はそれを踏みつける。白い小岩は、ごとりと左右に分かれた。
鼓動が早くなる。頭に浮かんだ想像が当たらないよう、祈った。
けれど・・・
オレは、小岩を踏みつけた男の胸に輝くものを見た。
ひしゃげてはいるが、キラキラと輝くそれは、今朝、確かにおじさんの胸にあった。綺麗な細工の金のペンダント。
脳裏に今朝交わした会話が浮かぶ。
「塩の塊なんざ、売ったところで 金貨5枚にもならねえし、シケた奴らだったぜ。」
「まったくだ。こんなもんに大層な護衛なんて付けやがって。」
そう言って、再び岩塩を踏みつける。呆然とそれを眺め、次の瞬間、言い表しようがないほどの、激しい怒りが込み上げる。
「止めろ!!」
岩塩を足蹴にした男を突き飛ばす。しかし、悲しいかなあまりの体格の差に、男は、僅かによろめいただけだった。
「この、ガキ。何しやがるんだ。」
「何日も洗った事ないような汚い足で踏むな。この塩はな、隊商のおじさん達が大変な思いをして、運んでたやつなんだぞ!!それを、足蹴にするなんて、お前ら、最低だ!!」
自分が、まずい事、言ってる自覚は多いにある。だんだんと男達が殺気立っていくのもわかった。けれど、止められなかった。
悲しくて。悲しくて。朝、話して、一緒に食事をしただけだ。けれど、すごく、楽しかった。お守りだと、そう言って誇らしげにペンダントを見せてくれた。おじさんの名前も知らなかった。オレの名前を教えてなかった。今度会えたら・・・って、今朝思ったんだ。なのに・・・それなのに・・・
「お前らなんかが、殺していい人じゃなかったんだ!!」
「このクソガキ、じゃあ、てめぇも死んでみろ。」
言葉と同時に振りかざされる白刃を紙一重で避ける。武術の心得なんて、ありはしない。
オレは、剣を地面にめり込ませ、焦る男の懐に入り込むと、首のペンダントを奪取する。身体の小柄さが初めて役に立った。
「この・・・。」
しかし、逆上した男に足を払われ、バランスを崩す。
振り上げられた剣に、おもわずぎゅっと眼を閉じ、次の瞬間に襲うであろう痛みと死を待った。
しかし、それはいつまでたっても訪れず、突然、踏み潰されたかえるのような悲鳴が耳に届く。
「ぎゃあああああ!!いたたたたた・・・は、はなせ。腕がもげる、離してくれえええ!!」
驚いて閉じていた眼を開けた。視界一面に広がった、紅い糸が飛び込む。
やがて、オレはその糸が髪だと気づいた。あまりの見事さにそろりと手を伸ばすと、さらさらと指をかすめるしなやかな感触が、なんだか、指によく馴染んだ。
ふと視線を感じ、視線を上に上げると、持ち主と目が合った。紅い、紅玉を削り出したかのような目だった。
「あ・・・。」
脳裏をかすめる何か。何かを思い出す前に頭上に声がかかる。
「怪我は」
「ぁ・・・」
突然の問いかけに喉が張り付いたように声が出ない。
「何処か痛むのか?」
答えないそんなオレに、眉をひそめ、男が問う。
「あ・・・。いえ。ぜんぜん。どこも痛まないです」
「そうか」
そして、一瞥を与える事も無く、ねじり上げていた男の腕を突き放す。男の手から剣が飛び、遠くの地面に突き刺さる。
突然現われ、オレを助けてくれた男は、明らかに異質だった。
耳に心地よく響く低い声。針金のように真っ直ぐな、赤銅色の髪。彫りの深い顔立ち。衣服の上からでも見て取れる、敏捷そうな体躯。何より目を引くのは、紅玉を砕いてはめ込んだかのような、その目。まるで神殿の神像がそのまま動き出したかのような容姿だった。
「てめえ・・・。」
いきなり現われた男の姿に、男達は怒り狂うかと思いきや、辺りに漂うのは、困惑だった。あれほど殺気立っていた男たちも、しんと静まり返っている。
「何なんだよ・・」
「同じだ・・・」
「2人・・・?!化け物か・・・!!」
男たちの言葉にオレは眉を寄せた。どうみても、助けてくれた彼とオレは、何一つ似てはいないのに。
「そこにいろ」
「え・・・?」
1歩進んだ彼の姿に盗賊達が後ずさる。
彼は、その手に、武器らしいものは何一つ持ってはいなかった。多数に無勢だ。オレは、とっさに止めなければと、腕を掴もうとして前に足を出そうとしたが、縫い付けられたかのように動かない。
ぎょっとして、足元を見れば、オレを中心に闇のように濃い影が丸く円の形にできていた。盗賊達や、彼の影は長く伸びているのにだ。
「何だ・・・?これ。」
静まり返った辺りには、鳥はおろか虫の声すらしない。
耳が痛くなるほどの静寂の中、盗賊たちの荒い息ずかいと彼の進める歩の音だけが響く。
とうとう、迫りくる圧迫感に耐えられなくなったのか、盗賊の1人が金切り声を上げながら切りかかってきた。だが、目にもとまらない速さでそれをかわす。
「すごい・・・。」
オレの口から、感嘆が漏れる。
本来であれば一瞬で片がつくであろう殺戮は、無血の乱戦となっていた。
襲いかかる男達の群れを、素手で、いとも無造作に叩きのめしている。相手の懐に飛び込んで、そのみぞおちを拳で殴るなどという、いささか乱暴で無鉄砲な事を繰り返し、かと思えば、切りかかって来る男達を、ひらりとかわす。
「奴は、何者だ?」
半分が地に這いつくばった時、ようやく男たちは無闇に切りかかって行くことを避け、遠巻に取り囲み始めた。
ぐるりと周りを取り囲まれても、彼は動じない。
そして、盗賊たちもまた、動かない。いや、動けない。
目の前にいるのは、恐ろしいほど腕の達つ男なのだ。下手をすれば血祭りにあげられるのは自分達の方だと、分かるだけに動けない。 だが、見合っていても埒はあかない。長剣を手に、円を描くように、周囲をぐるりと周りながら徐々にそれを狭めていく。
それを煩そうに瞳を眇め、その瞬間、大地で疾風が起こり、小石が跳ね上がる。その、あまりの激しさに腕を交差させ、顔を覆うように庇った。
辺りから聞こえた悲鳴に両腕の間から、閉じておいた目を開ける。
すると、暖かな風が頬を撫でる。
気がつけば、オレは炎に守られていた。全身にまとわりつくようなそれは、恐る恐る手を伸ばし触れても、ちっとも熱くはなく、むしろぬるま湯につけたかのように心地よい。指先に絡むように戯れようとする炎に、オレは呆然とする。
舞い起こる風で、弾ける小石も炎に阻まれ俺には届かない。
しかし、オレにとっては心地よかったそれも、盗賊たちにとっては違ったらしい。
悲鳴をあげながら逃げ惑う。地を這うように炎が舞う。まるで、火でできた蛇のようなそれは、盗賊達を容赦なく追いつめる。切ろうと剣を振ったところで、虚しく空をかくだけで、効果は無い。盗賊達の立場は、今、強者から弱者へと変わっていた。
しかし、その炎は、決してオレの足元の円陣を侵そうとはしなかった。
その光景を見て、オレは酒場で聞いた話を思い出した。
「じゃあ・・・あいつが、オレの偽者・・・?」
呆然とその光景を眺めていたオレは、彼の背に向かい、そう洩らす。
強い。実際、自分の目で見なければ、信じられないほどの強さだった。
乱闘の幕切れはあっけないほどだった。
盗賊達は倒れた仲間を引きづり、我先へと逃げ惑いながら蜘蛛の子を散らすように木々の間に姿を消す。
辺りには、うち捨てられた荷、そして、焼け焦げた地面だけが残った。
「・・・あんたなのか?・・・オレの名前を勝手に名乗ってる勇者様っていうのは・・・。」
所々から燻った煙が上がる中、いつまでたっても振り向かない背にそう問う。
やがて、彼は小さく嘆息するような仕草とともに、振り返った。
紅く静かな色をたたえる瞳。
それがオレの足元の影を一瞥する。一瞬遅れて足元を見るとすでに、あの丸い影はなく、オレの後ろには黒い影が長く伸びていた。
「あ・・・」
何故なんだろう。恐ろしいほどの強さを、まざまざと見たにもかかわらず、近づいてくる姿に、不思議と畏れはわかなかった。
眼前に立つ高い姿は、オレの身長では、真上を仰ぐようにしなければ目を見ることができない。背伸びして見た目は、オレと視線が合った瞬間に、細められた。
(あ・・・)
まただ。また、何かが頭を過ぎった。思い出せない何かと、答えない彼に苛立つ。合わせていた視線を外して、乱暴に言い放つ。
「誰なんだ?!」
突然聞こえた響く羽音に、再び視線を真上に向ける。そのとき、太陽の中心に黒い影を見た気がした。なんだろうと、小さなそれに目を凝らす。
「あ・・・」
小さく、オレの口から声が漏れる。
瞬間、腹に生まれる激痛と、頬に感じた土の感触。鼻につく錆びた鉄の匂い。
そして・・・視界が赤く染まった。




