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その光景は、目を覆いたくなるようなおぞましさだった。
艶やかな黒い毛皮は赤い血に塗れ、血臭に引かれてやってきたのか、何匹もの小さな小さな魔獣が、その物の肉片を噛み千切る。
風が吹くたびに漂う血臭に、おもわず、口をおおった。
そこにあったのは、赤々とした血を流した、覆い被さる様に打ち捨てられた2匹の魔獣の・・・シュガの死骸だった。
心臓のところが大きくえぐれている。他にも、体中に切りつけたかのような、切り傷や刺し傷がついて、所々に矢が刺さっていた。
木々が開け、窪地になっているここの荒れた様子といい、地面に散らばる大勢の足跡といい、この2匹の魔獣が、人間によって狩られたのは明らかだった。
「あっ・・・。」
オレは、とっさに駆け出したチビを捕まえた。チビは、腕の中で毛を逆立て、先ほどにも増して暴れている。なだめるように抱いている腕に力を込めた。
多分、すぐにここを離れたほうがいい。
血の匂いで、もっと始末が悪い魔獣が来るかもしれない。何より、魔獣を狩った者達が、チビを探していたら・・・。
「シャァ・・・。」
細く鳴いて、暴れるチビを抱いたまま、オレは踵を返す。今できる事がこれしか思いつかなくて。
逃げるように。早足で歩き出しながら。
ただ、祈っていた。
チビの父さんと母さんの魂に、常しえなる安らぎがあることを・・・。
段々と空が暗くなっていく。
夕日の朱色からラベンダー・・・そして、だんだんと濃い黒い闇が、星を散りばめた帳を下ろしていく。
空を見上げ、せわしなく辺りを歩き回り、今夜のねぐらを探していたオレは、具合のよさそうな大きな木を見つけ、その窪みに姿を隠した。
ここなら、外からは見えないだろうし、一晩過ごすくらいなら大丈夫だろう。
魔獣は、頭がいい。だから、火の傍に人間がいるという事が解る奴もいるらしい。
夜の森は昼とは比べ物にならないくらい危ない。
どこまでも暗い森の木々は、自分たちが今どこにいるのかすら分からなくさせる広大な迷路のようだ。
そして、闇は魔獣たちにとって揺りかごの様に心地よい物となる。
下手にうろうろすれば、殺してくれと言っているようなものだ。
親を殺され、天涯孤独の身の上になったチビは、腕の拘束から、解き放たれるやいなや、親の死骸から無理やり引き剥がした薄情者を、しばらくの間、噛んだり、パンチしたり、睨んだりしていた。
小さい獣の激しい怒りと悲しみを、オレも甘んじて受ける。
やがて、空を闇が覆い隠すと、現状を理解したのか、オレの隣りにおとなしく伏せた。オレも木に寄りかかって、膝をかかえる。
今日は満月だったのか、入り口となった穴から差し込む光で、お互いの姿がかすかに見える。
「チビ・・・。」
ちっこい三角の耳がぴくりと動く。
何を言ったらいいんだろう。独りきりになってしまったこいつに。
どんな言葉を掛ければいいのかわからずに、しばらくの間、ただ、オレは温かな背を撫で続けた。
オレが、両親を無くしたとき、どんな風だったっけ・・・。ぼんやりと考える。
やっぱり、こいつみたいに、丸くなっていたのかな。膝を抱えて、回りのもの全てを拒絶して。そうやって、周りから自分を守るみたいに。
小さかったので、あのころのころは、よく覚えてない。
ただ、なんだか、無性に淋しくて。世界に自分独りだけになったみたいに、すごく怖かった事を覚えている。
そのときも、誰かが頭を撫でていてくれたんだ。
オレが寝るまでずっと。ただ、傍にいて。
胸の奥にある寂しさや、辛さは、人それぞれ違うもので、同じものなんか一つだってない。だから、自分の物差しで推し量る事なんて、出来ないんだ。
お決まりのセリフで慰めたって、決して温かくは無くて。なんだか、虚しい。ただ、傍に居て、触れる温もりが言葉よりも雄弁に、心に響くこともある。
救いになることだってある。
いつもと同じ、そこにあるものが、無性に優しく感じたり、美しく見えることだってあるんだ。
どのくらいの時間が経ったのか。
幹の中に、俺の声は静かに響いた。
「・・・明日・・・晴れるといいな・・・。」
突拍子もなく、そう思った。
たわいも無いことだろうけれど、晴れた空に浮かぶ、大きな太陽が目に飛び込んできたら。
風が優しくて、暖かければ。
そしたら、なんとなくだけど、少しは元気になれるような気がするから。
「明日・・・、晴れるといいな・・・。」
お腹ペコペコで、すっかりくたびれてしまったオレは、そんな事呟きながら眠りに落ちた・・・
そして、朝目覚めてみれば、昨日願った通り晴れだった。
一夜の宿になった幹の周りには、木もまばらにしか生えておらず、ぽっかりと開いているおかげで、空が見える。
仰ぎ見た太陽は眩しくて、オレは目を瞬かせた。
「よーし。今日こそ森を出るぞ!!」
静かな空にオレの声は高く響く。
今朝、目覚めたとき、隣りにいたはずのチビは、居なくなっていた。
少し、淋しい思いもあったけど、頑張って、強く生きろよ。と思いながら、腰に手を当て背伸びをしていると、枝から何か落ちてきた。
突然の奇襲。
あまりの驚きの大きさに声を上げる暇すらなかった。
顔にべたりと張り付いたそれは、温かく、おまけに鳴いた。
「シャー。」
「???」
無理やり引き剥がし、顔の前にぶら下がる黒いのにオレは顔が引きつるのを感じた。
「・・・チビ・・・。」
なぜだ。チビ。君は旅立ったんじゃなかったのか。一人で、強く生きていくんじゃなかったのか!?
「痛てっ・・・。」
再び、頭に何かが落ちてくる。結構痛い。思わずチビを落とす。
―――シュタッ。
そんな音が聞こえてくるような見事な着地。
涙目になりながら、頭に落ちてきた物を見る。
「これ・・・。」
それは、数日前に無くしてしまったオレの荷物だった。
目の前にちんまりと座り、しっぽをゆらゆらさせるチビと、抱えている荷物を見比べ・・・考えること数秒。
「お前、探して、持って来てくれたのか・・・?」
「シャー」
当たりらしい。
とてとてと歩いてきたチビは、オレのズボンの裾をくわえると、くいくいと引っ張った。
「・・・ついて来いって?」
「シャー」
これも当たりらしい。どうやら、道案内をしてくれるようだ。オレは並んで歩き出した。
明け方の濃い霧が朝露となって、葉の上に水晶の粒のような輝きを見せる。のんびりと歩きながら、オレは、前を行くチビの背中に声を掛けた。
「ありがとな。荷物、探してくれて。あ~でも、良かったなあ。これで、森から出られるよ。お互い一人同士だし、頑張ろうな・・・。お前も強く生きていけよ。」
ピタリ・・・。
「ん?どうした?」
いきなり止まってしまったチビの様子に、荷物を運んだときに怪我でもしたんじゃないかとオレは、体をすくい上げるように、目の前に持ち上げる。
しっとりと朝露に濡れた身体には、治りかけた擦りがあるだけで、たいした傷は無い。
「怪我じゃ、ないよな?」
掛けた言葉に答えはなく、無言で見つめる赤い目。心なしか耳も、たれてるような・・・。じーっとオレの事を、見つめて。
視線が突き刺さるみたいで、痛い。すごく痛い・・・。なんだか、期待されているような目の色になんとなくだが、希望が読めてしまう。
そして。
先に降参したのは、オレのほうだった。
「・・・・・・一緒に・・・来るか?」
「シャーッ」
元気のいい鳴き声は、俺の耳には「勝った!!」と聞こえた。




