先生の過去
「たまに……」
ぽつりと、つぶやく声が聞こえた。
「たまに、思うんだ。あれが、……俺が人を殺していた事実は、夢であったらいいと」
抱きしめるのをやめて、元のように私の頭を肩においた先生の口から、とつとつと明かされる、乾いた日々に、私は黙って話を聞いていた。
「抜け出しても血の朱が迫ってくる。忘れたころに、忘れることを許さないと、こうやって因果が襲ってくる」
「因果?」
思わず尋ね返すと、先生は、震える声で、教えてくれた。先生が、勤めていた聖騎士団をやめる直接の原因になったとある事件からの抗争を。
「聖騎士団には、一人、女性の神官が入っていた。彼女は戦闘員じゃなく、治療師だった」
「……」
「そのころ、少し、厄介ででかい組織を相手にしていたんだがな、警戒が足らなかった。彼女の出勤の時間を見計らって、組織の奴らが彼女をさらい、そして、……、ひどいことをした後、残忍に殺した。……俺たちへの、見せしめのために」
「それは、あの、写真たての……?」
「……ああ。あの子だよ。別に君が思っているような仲ではない。……仲になる前に終わってしまった関係だ」
そこで、余計なことを聞いたと悟った。すいませんと謝ると、先生は、もう昔のことだよと、頭をなでてくれた。
「彼女は、我々聖騎士団の癒し、的な存在だった。血の朱から救ってくれる子だった」
そんな子をひどく残忍に殺されたことによって、先生たちは、復讐、報復へと、動いてしまったんだという。当たり前だ。
「組織を壊滅にして、主犯格を切り刻んで、……、自分が思っている以上に彼女がいなくなったことが応えていて、病んでしまった」
あんな写真を撮るぐらいだ。関係がないものの、恋人に近い存在だったのだろう。つがいを殺された獣はつがいを殺したやつを殺し、そして、自らも死へと追いやる。先生は、そういうことなのだろうか。
「先生は……」
震える声で、口に出していた。口にして聞かなければいいのに。
「先生は、……。彼女さんの、あとを追いたいんですか?」
そうつぶやくと、先生は、あきれたように笑った。
「今更、あの子と同じところに逝けるなんて、思ってないよ」
「先生……?」
かすかに笑みを含んだ声に、私は、先生を見上げた。どこか遠い視線に、少し緊張して、先生を見ていた。
「いつ死んでも、いいと思ってた」
その言葉に、嫌な予感を覚えて、私は体をよじって、跳ね起きると先生の体にまたがっていた。どこか、うつろな表情をしている。
「ダメです。死んじゃ! 死んだら……」
目に力のない先生の頬に手を伸ばして、添えてのぞき込んでいた。
「あなたが人のことを大事に思うように私だって、みんな先生のこと心配しているのわからないんですか!」
「わかるよ。わかるから苦しいんだよ」
そうつぶやいた先生に、私は襟をつかんで、胸に額をつけた。たまらなく、悲しかった。言う言葉もなくしている。
「こんなに人を殺した俺が、生きることを望まれている。償いのために命を長らえさせられていると、神が言われるように」
「そんなことないっ!」
胸に頭突きするように言うと、先生は声を詰まらせて、咳き込む。
「そんなことない。先生いなくなったら、悲しいよ」
本心だった。
先生が怪我して、死にそうになっているのを、今回、短い間で二回も見た。
どっちも、先生がいなくなるかもしれないってぞっとした。ぞっとして、そんなことにした相手に怒りを抱いた。
そして、目覚めない先生を眺めていて、このまま起きなかったらと考えると、不安で、悲しくて。
「……」
泣き出した私を、先生がなだめるように撫ぜてくれた。やさしい手つきが涙を誘う。




