兄と先生
「ショウ、お前、どれだけ言ったんだよ」
「別に、事実を確認しただけです」
「それを他人はいじめたっていうんじゃねえか?」
「君には言われたくないですねえ」
と、声が聞こえたと思ったら、素肌に白シャツをひっかけて、小脇に地図を抱えて、青ざめた顔でもしっかりと歩いている先生と、それを支えているショウさんがいた。
「先生っ?!」
「これは……。妹が世話になったようで」
兄さんが立って先生のところに歩いていく。
「君が無事で何よりだ」
固く握手をした二人に、ショウさんがあきれている。
「とりあえず、二人とも座りましょうか? ヴィン、あれを?」
「ああ。頼む」
ショウさんが二人を席につかせて、そして、先生の消化のよさそうなおかゆを持ってきて、飲み物をボトルのまま出して、どこかに消えた。
「さて、すこし、話を聞かせてもらいたい」
粥に口をつけながらそう聞いた先生に、兄さんは深くため息をついてそっぽを向いた。
「聞くって、俺は何にも覚えていませんよ? 布かぶせられて馬車に乗せられて、そのあとたぶん地下。湿っぽい一定の温度に保たれたところに連れられて、男たちにぶたれていました。んで、隙を見つけて逃げ出したのはいいものの、野垂れ死にそうになってたところおまわりに見つけてもらって、このざまです」
「……地下のそこのにおい、カビ臭さなどのほかには?」
「……カビ臭くて……」
「たとえば、酒、ワインの貯蔵を行っているような木の樽のにおいや、腐敗臭、それと、何か香のにおい、思いつくものを上げてくれ」
何か、心当たりがあるのだろうか。先生は、真剣なまなざしでじっと兄さんを見つめている。
「……香、そうか、香のにおいがした。どこかで嗅いだことのある。……どこだ、鼻の奥がかゆくなってくるような、甘くも爽やかでいて、しつこい……」
「特定の場所か?」
「……たぶん。町のにおいじゃない。でも、……そうだ、教会だ。教会のにおいだ」
「……」
その言葉に先生の表情がかすかにだが、変わった。どう表情が変化した、と的確に表現はできないけれども、かすかに冷えたような、そんな感じだ。
「ヴィン、これでいいんですか?」
ショウさんが戻ってきて、手に、なにか、樹脂のようなものを持ってきた。
「ああ。火ぃ点けろ」
その言葉に、ショウさんは香炉を持ってきて、香炉の皿に木屑を入れて火をつけて、その樹脂を皿に入れて香炉にいれた。
「……しばらくしたら、香って来るはずだ」
本当に、しばらくして、香炉から煙が漂って、不思議なにおいがした。甘く爽やかでいて、鼻の中がむずむずするような。
兄さんが声を上げると同時に私はくしゃんとくしゃみをしていた。
「これだ!」
「そうか」
「……ヴィン?」
「いや。あたってほしくない想像だったが。……わかった。ショウ、俺の着換えをよこしてくれ」
「何する気ですか?」
「ロスのところにあいさつ回りする」
その言葉に何を言っても無駄だと思ったのだろう。ショウさんはため息をついて、出ていった。
「でも、先生……」
「俺は平気だ。あの薬も飲んだからな」
「あの……ああ、俺に飲ませてくれたやつですかい?」
「ああ。これでストックが切れてしまったがすぐに仕入れればいい」
「仕入れるって、そんなたいそうな代物なんですか?」
「まあな。庶民じゃ到底手に届かないやつさ」
先生は、どこからともなく煙草を取り出して加えて香炉の種火から火をつけると、ぷかりと吹かして背もたれに体を預けた。
「それは、いったいおいくらで?」
「下世話なこと聞くな? お前ら聞いたらひっくり返るからあえて伏せてたのにな。いいさ、教えてやるよ。大体、あの薬を変えるのは王様ぐらいなものだ。俺は、知り合いに作り手がいて、なおかつ自分で材料を仕入れて納入するまでやってるから、安く……、それでも、貴族の、国会報酬程度だろう」
「おい、冗談だろ?」
「いや? 正確な値だが?」
その言葉に真っ青になったのは無理ない話だろう。私も真っ青、兄さんはもっと真っ青を通り越して、真っ白だ。
「それ、俺に使ってくれたのはいいんだが、俺は……?」
「別に気にするな。ないところからふんだくるほど悪党じゃない」
そういった先生は、着替えを持ってきたショウさんに煙草をもぎ取られて代わりに着替えを投げかけられていた。
「さて、お出かけだ」
そういった、先生は、幾分戻った顔色で、外へ出ていってしまった。
「……なんじゃあいつ」
「私にもよくわかりません」
白々しくいうショウさんが、どことなく、あきれが混じっているような、そんな微妙な顔をしていた。




