ごまかされた過去
「……ハァ、……ハアッ」
肩で息をしている先生に、私は抱き着きながら、いいにおいのする髪に頬を寄せて、そっと肩をさすってやりながら、彼が落ち着くまで待っていた。ぬくもりが近い。
「……。君は……」
「あ、すいません」
ようやく正気を取り戻し、かすれた声で私を呼んだ先生に、ぱっと離れると握りしめられた手のせいであまり離れられなかった。
未だ先生の手は固く握りしめられて、そして、小刻みに震えている。
空いた手を添えて、手の甲をできるだけ優しく撫ぜると、ほう、と先生がため息をつくのを感じた。
「……すまん。嫌な夢を、見ていた」
そして、しばらくして、言い訳のようにそういった先生はいまだに震えが止まらない指から力を抜いて、ゆっくりと私の手を解放する。パタパタと血がソファーカバーに落ちて紅いまだらを作る。
「……大丈夫か? 折れてないか?」
「……大丈夫です」
目いっぱい握ったという自覚があるのだろう。
すまなそうに言う先生に、私は手を握ったり開いたりして見せ、異常がないことを確かめる。
「先生こそ、手に傷が……」
私の手の平にもついた先生の血は、紅く、止まることなく流れている。
「こんなん軽い傷だ。大丈夫」
「でも……」
片付けているときに簡易手当セットを見つけていた。それを取り出して、脱脂綿で手の傷の消毒をすると、びくりと、先生の手が震えた。
「すいません、あんまりうまくなくて」
「いや……。気にしないでくれ。こんなことまでさせてすまん」
どこか殊勝な態度の先生。精製した馬の油を塗ったガーゼを掌に張り付けて、包帯を巻いてやる。
「……相当眠っていたようだな」
「え? ああ、そうですね。ご飯は?」
「……あるか?」
「いえ……」
「そうか。すまん……」
「え?」
まだ、動揺しているらしい先生の、小刻みに震える手に手を添えた。
「お前……」
「……、私には、こうすることしか、できないです」
私は彼の事情は何も知らない。彼は私の事情を知って、こうやって家においてくれる。
何も、返すことが、できない。
ふっと、先生の笑う気配。顔を上げると、添えられた手に手を重ねて、先生は、私を見下ろしていた。
「だがな、それができる人間が、果たしてどれだけいると思う?」
静かな声音に、私は、目を見開いて先生の言葉を反芻していた。
暗い部屋の中、手を取り合い見つめあっていた。
「ためらいなくできる、そんな人間は、いくらもいない。……君の美点だろうな」
先生は、そういって、私を優しく抱きしめた。
「気にしなくていい。……大人は子供を守るものだ」
よしよし、と撫ぜられて、私は、先生がなんでこんなにもうなされていたのかと聞けずに、何となく、ごまかされた気がした。




