恋はかくも恐ろしき毒
ウララカのメンバーが捕らえられてから二時間は過ぎた頃。
各々の牢からは寝息が聞こえ始めていた。
しかし、ミレイだけは一人瞼を閉じる事はなく、襲い掛かる睡魔を堪えている。
チラリと彼女が体を浮かして背後を覗くと、此方に背を向けながら反対側の壁でブックが横になっているのが見えた。
(私の考えすぎだったのかな? こんな時に自意識過剰だなんて……どうかしてるわ)
ミレイはそう考え、自身の浅はかな疑いに恥を覚えた。
そもそも皆とはチームを組んで三年以上も共にしているのだ。
様々な危機を乗り越え、支えあい、互いを尊重してきた。
その記憶は瞼を閉じれば何時でも鮮明に思い出せる。
ブックへの警戒を解くと、ミレイは安堵から尿意に襲われた。
体を起こして周囲を見回すと、簡易的な仕切りでできたトイレが部屋の隅にあるのを見付ける。
しかし、其処も白骨死体で埋められる様になっており、彼女は溜め息を吐く。
仕方なく腰を上げると、ブックを起こさない様にしながら静かにソレを地道に排除しに掛かる。
「ふぅ……」
その作業も何とか終わり、ミレイは安堵の息を零す。
彼女はブックへと視線を向け、彼を起こさない様にゆっくりとズボンのベルトに手を掛ける。
そしてズボンを下げ、便座に腰掛けた。
「……ミレイ、どうしました?」
「ひゃ!? あ……起こした? ごめん、少し用を足したくて……あはは」
この程度の物言いは、既に長年行動を共にしているのだから、物怖じせずに言い合える関係ではあった。
しかし、流石に間近でこうした行為を悟られると恥ずかしい。
ミレイは小さく笑って誤魔化す様にすると、仕切りの向こうに居るブックにお願いする。
「ごめんね、少し耳を塞いでてくれる? こういうの聞かれるのって……恥ずかしくて」
「恥ずかしいだなんて……そうした生理現象は生き物が行う当然の行為です。何も恥ずかしがる必要はありませんよ」
「もう……! ブックは乙女心が分かってないなぁ。いいから耳を塞いでてよ」
「はいはい、分かりました」
そう返事は聞こえたが、仕切りでそうしたのかは分からなかった。
しかし、ミレイの限界は遂に訪れてしまい、遂に尿意を解放する。
普段はなんて事もない行為なのに、どうしてこうも緊張するのか。
ミレイは緊張と羞恥心で顔を赤く染めあげながら、用を終える。
当然ながらトイレ付近には紙など置いてなく、ミレイは溜め息を零す。
諦めて立ち上がってズボンを上げると、センサーがそれを感知して少量の水が流れる。
「うわ……牢屋にセンサー式のトイレ? 此処まで奮発するなら、もう少し居心地を良くしてもいいのに……」
そう愚痴りながら、近くの汚れた洗面台に手を翳す。
すると其処からも少しずつだが水が流れ、ミレイは安堵した。
「水が出るなら、結構耐えられるわね……」
人間、食料が無くとも水があれば長く生きられる。
とは言え、洗面台の蛇口の汚れを見ると飲む気も失せる程ではあるが、命には代えられないとミレイは覚悟を決めた。
「ひっ!?」
ミレイがふと洗面台の鏡に視線を向けると、其処には自身の後ろに立つブックの姿が見えた。
そんな彼女の悲鳴を聞くと、彼は決まりが悪そうに笑う。
「すみません、ミレイ。驚かすつもりは無かったんですが……」
「も、もう! やめてよね、そういう冗談……」
心臓を押さえつつ、ミレイは少し怒った表情でブックの横を通り過ぎようとした。
しかし、その横を通り過ぎる前に右腕を掴まれる。
「……ブック?」
「――――レンと、そう呼んでください」
「え?」
レン・スタンダー、それがブックの本名であった。
しかし、それは長年愛称で呼び合ってきていたミレイにとって、唐突過ぎる要求。
彼女が思わず首を傾げて戸惑いを見せると、今度は強引にブックに腕を引っ張られて両肩を捕まれてしまい、真正面から見据えられる。
「僕の名前はレンです。ブックじゃない」
「し、知ってるよ。でも、何で急に? ブック、一体どうしたの……?」
――――!
ミレイは次の瞬間、自身に何が起こったのかまるで分からなかった。
頬に突然熱が走り、乾いた音が響き渡り、視界が横を向く。
そして熱が走った箇所からジンとした痛みが発せられる。
「え、あ……ぇ?」
――ブックに頬を叩かれた。
その事実を受け入れるまで、ミレイは実に数秒もの時を要した。
しかし、そう理解した途端に怒りと悲しみが胸を埋め尽くし、彼女は叫んだ。
「な、何!? 何をするのよ! 酷いよ、ブック……」
「何をって……分からないんですか? 僕達はもう終わりなんですよ」
「おわ……り?」
ブックが放ったその言葉の意味が理解できず、ミレイは呆ける。
彼はそんな彼女を慈しむ様に目を細め、先程自身が打った彼女の頬をゆっくりと撫で回す。
対するミレイは暴力を振るわれた恐怖からか膠着し、動けないでいる。
「僕達はもう助からない、それはもう確かでしょう、周囲を見れば分かります。ですから、最後ぐらい……自分に正直になりたいんです」
「なにを……何を言うの?! ロングがきっと助けを呼んできてくれる!! それを待つのよ!!」
『おい……どうした!? 大丈夫か?! おい、リーダー! 起きろ!!』
其処でようやく、向かい側の牢に居たダッシュが異変に気付いた。
彼は瞬時にブック達の様子が不穏だと気付き、熟睡するミノルを叩き起こす。
その間にも、ブックは構わずにミレイを真っ直ぐ見つめながら言葉を吐き続ける。
「ミレイ……僕はずっと貴方が好きだった」
「ぇ……?」
「貴方を一目見た時から、ずっと僕は君が好きだった。本当に、ずっと……」
「どうして、今"そんな事を"……」
ミレイが呆然とそう言葉を返すと、ブックは表情を一変させた。
彼は憤怒のそれを堪えきれないかの様にミレイの両肩を掴みながら押し、彼女を壁に叩きつける。その時に発せられた音は嫌に響き渡り、フロア中に伝わった。
「そんな事!? 僕が告白しても、"そんな事"で君は済ませてしまうのかい!? 酷いじゃないか……ッ!」
『おい、ブック!! 止めろ! 落ち着くんだ!!』
ダッシュがそう声を荒げ、ブックの凶行を止めようと必死になる。
今まさに意識を覚醒させたミノルはまるで状況が掴めず、ただ呆然と向かいの牢を眺めていた。
対するミレイはただ体を震わせながら、ブックに向き合うしかなかった。
しかし、その口からは恋人に対する助けの言葉が無意識に漏れ出る。
「た、助けて……ミノルッ」
「……君が彼を好きなのは認めるよ。事実、彼と居る時の君は本当に幸せそうで……それでいいと思ってた」
悲しげに瞼を閉じ、ブックは過去を思い返す様にした。
だが、次に彼が瞼を開いた時には、その過去を切り捨てていた。
「けれど、もうそれも無意味だ。僕達は死ぬ。だから、ミレイ……最後くらい僕の想いに答えてくれませんか?」
ブックのその声色は何時もと変わらず、穏やかな物だった。
しかし、その瞳に宿る狂気の色までは隠せてはおらず、ミレイはそれに抗う様に声を張り上げる。
「……嫌よ。私はまだ諦めてない。助けはくる!! ブックもそうしてよぉ!!」
「だからぁ……僕をブックと呼ぶなよぉ!!!」
堪らず、ブックはミレイを床に叩きつける。
牢の中にあった無数の白骨が、そんな彼女の体を傷付けた。
ローブを切り裂き、肌に赤い線を描く、その光景を見てようやくミノルは声を上げる事ができた。
『み、ミリィ!! ブック、止すんだ!! 彼女の言うとおり助けを待つんだ!!』
二人で居る時にしか使わなかった愛称で呼ぶ辺り、ミノルの混乱は酷かった。
それも無理はない、最愛の人が信頼していた仲間に目の前で襲われているのだから。
其処でブックはようやくミレイから視線を外し、向かい側に居たミノルへと視線を向けた。その瞳に宿った負の気配はその距離でも感じられる程に強く、ミノルは一瞬声を詰まらせる。
「リーダー……。いや、ミノル。もういいだろ? 君はずっと幸せだったんだろ? なのに何で僕は駄目なんだよぉ!!」
『な、何!?』
『皆、どうしたの!?』
ようやく騒ぎに気付いた双子の姉妹はそう戸惑いの声を上げるが、誰も彼女達に構う暇が無い。
ブックの言動は駄々を捏ねる子供の様で、酷く不安定であった。
普段の穏やかな雰囲気とはまるで間逆であり、ダッシュはそんな彼を痛ましそうに見つめる。
『馬鹿野郎……ッ! 最後の最後に、こんな……結末になっちまうのかよ……ッ』
ガラガラと、チームで築いてきた思い出が音を立てて崩壊していくのが分かった。
ダッシュは涙を零し、膝を着いて顔を手で覆う。
何時かは最後を迎えると覚悟していた、このチームで過ごす内にそれでいいと思ってた。
所詮、スカベンジャーやハンターなんて職業に就く者の大半が碌な結末を迎える事はない。
無事に稼ぎ終えて、幸せな人生を送れる人間など一握りの幸運な者に限られる。
機械に殺されるのか、無法者に殺されるのか、罠で死ぬのか、酒で酔って喧嘩してナイフでも刺されて死ぬのか。
どんな最後だろうと、受け入れる覚悟はできていたつもりだった。
しかし、こんな最後を迎えるだなんて想像すらしなかった。
想像を遥かに超えた悲惨さに、ダッシュはただ絶望するしかなかった。
ミノルは恋人を救おうと必死になり、鉄格子に掴み掛かる様にしながら懇願する。
『やめてくれ! ブック、彼女の事を好きだと言うなら彼女を悲しませるなぁ!! 君のやってる事はだた相手を傷付けるだけだぞ!!』
「はっ……散々僕を傷付けてきた癖に? 君達が所構わずに発情する様は実に不愉快だったよ。まるで鼠だ」
『なっ……! 何だと!? ブック、僕はお前を許さない!! 彼女に手を出せば、後悔させてやるぞォ!!』
怒りと羞恥心で顔を真っ赤にし、ミノルが鉄格子を揺らしながら怒号を上げる。
その様を眺めながらブックは満足そうに笑い、ミレイへと視線を向け、手を伸ばす。
「愛しい彼がああ言ってますが、今は無視しましょう。僕達はこれから最後まで共に居る――ッ!?」
「私に触れるな……!!」
ブックの伸ばした手に対し、ミレイは尖った骨を右手で振り回してソレを拒絶した。
手の甲に赤い線が浮かび上がると血が流れ、ブックは呆然とそれを眺めながら呟く。
「痛いですよ、ミレイ? どうしてこんな……」
「どうして!? こんな事をしておいて、どうかしてるんじゃないの!? 貴方は最低よ、もう仲間なんかじゃない」
荒く息を吐き、血走った目に涙を浮かべながらミレイはそう告げた。
彼女は両手で尖った骨を持ち、ナイフの様に突き出して威嚇する。
対するブックは頭を抑えながら、二、三歩後ろに下がりつつ笑う。
「仲間じゃない……? はは、そうですか。なら――もう遠慮はいりませんねぇ!?」
ブックは叫ぶと、即座に前に踏み出し、左足を振り上げて骨を持つミレイの手を蹴り上げた。
「きゃっ!!」
ミレイはそれに反応しきれず、骨を落とす。
すると即座に彼女の上に圧し掛かり、ブックは彼女の首を両手で締め付ける。
「君が悪いんだ、ミノルが悪いんだ、皆が悪いんだ!! どうして……僕を受け入れないんだよぉ!!」
『ミリィいいいいいいい!! ヤメロォ!! 止めてくれ、ブックッ! ブック!! 止めろぉおおおおおおおお!!』
目の前で恋人が首を絞められている。
だと言うのに何も出来ない無力感と、絶望がミノルを襲う。
半狂乱になりながら、涙を零して彼は鉄格子を叩き付け、叫び続けた。
――そして、そんな狂気に終止符を打ったのは一発の銃声だった。
「っ……は? え、ぁ……が!」
乾いた音が響き渡り、自身の胸に開いた穴、其処から次々と熱い何かが流れ出す。
それを何とか防ごうと両手を当てたが、背中にも熱いソレは流れ出している。
何が起こったのか分からないまま混乱し――ブックはミレイの上に重なる様にして倒れこんだ。
『囚人への暴力行為を確認、鎮圧しました。警備に戻ります』
そう告げると、FG型は通路を歩いて去っていく。
突然訪れた予想外の結末に、誰もが絶句する。
そしてその絶望の中で最初に声を上げたのは、ミレイだった。
彼女は自身を"暖める"ブックから流れ出る血を全身で感じ取りつつ、引き攣った笑みを浮かべる。
「はは……あははははは! 死んじゃった。みんなぁ、ブックが死んじゃったよ!? あははははは……!!」
自身の上に倒れるブックの死体にも構わず、流れる血で身を赤く染め上げながらミレイは笑う。
その笑い声は彼女が酸欠で意識を失うまで止むことは無く、皆の精神を蝕んでいった。
この牢に閉じ込められた者達は誰もが絶望して死んでいった、それに間違いはない。
しかし、この様な種の絶望を迎えた者達はいなかっただろう。
こうして――チーム『ウララカ』は事実上崩壊した。
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「ようやく十階か……。ラビィ、ウララカの人達の位置は把握できるか?」
俺達はアレからまた長い時間を費やし、ようやく十階に辿り着いた。
下層に潜るほどにフロアは広くなり、それに比例してFG型の数やトラップも増加する。
これでもし新種の敵が出てくる様な事があれば堪ったモノではない、買い物できる部屋とかも無いしな。
しかし、何とかラビィの活躍のお陰でそれ等の脅威を無視して進む事ができた。
俺は早速と十階に降り立つと、ラビィにウララカの所在を尋ねた。
「いいえ、センサーの範囲外です。ですが、囚人をエレベーターで移送した事を考えると、エレベーター付近に収監フロアが存在する可能性が高いと思われます。きっと、此処の施設の設計に携わった者は、移送の手間を省く為にそうした筈です」
「実に合理的で納得できる考えだ、ラビィ。良くやった、その案で行こう」
「了解しました。では此方へ……」
蓄積し始めた疲れはそれなりだが、ラビィが何時も最適な行動を思案してくれるからこの程度で済んでいるのだろう。ロングさんもそんな彼女に感心した面持ちであり、感嘆の言葉を漏らす。
「こうして見ると、やっぱり彼女は機械なんだね。けど、何だろう? ガードには無い、独特の雰囲気が滲み出てるというか……それが何か言葉で言い表せないけど、とても凄い気がするわ」
「当然です。私をガードと同等に扱うのは間違っています」
「そういう意味じゃないんだけど……ごめんなさいね。不快にしたなら謝るわ」
「謝罪は不要です。ラビィは他者の言動に惑わされたりはしません」
その割に反応早かったぞ、オイ。
俺はそう呆れるも、悪い気はしなかった。
彼女の立ち振る舞いは何時だって俺を励まし、そして楽しませてくれる。
だから彼女を軍には渡せないし、その為に俺は頑張らないといけないのだ。
しかし、そこまで考えて思わず苦笑する。
「ったく……何やってんだが」
隊商の護衛の筈が、何時の間にか数百人の命を救う目的に変わるとは。
そして今度はソレを果たす為に地下施設へ侵入しているなどと、何がどうなったんだよ。
しかも報酬は無しのボランティアで、抱く決意とは間逆の行動でしかない。
「…………どっちつかず、だな」
今の自分がしてる行動は自分の想いに従った行動ではある。
しかし、それを成す為に本来の目的を疎かにしてるのもまた確かだ。
「ええぃ、止め止め。ウダウダと考えてる場合かよ、俺?」
小声でそう自身の気を引き締めると、ラビィとロングさんの後を静かに追う。
地下十階のこのフロアには幾つもの生産ラインがあり、何に使用するか分からない錆びた機械が幾つもコンベアーの上で放置されたままだ。
俺がそれを眺めていると、ロングさんが頬を紅潮させながら口を開く。
「凄いわ……殆どの物が手付かずだなんて。きっと、此処まで潜れたスカベンジャーが居ないんだわ。いえ、そうじゃないわね。あんな機械を解体して運べる余裕が無かったのかしら……?」
「まぁ、地下十階ですからねぇ。潜れば潜るほど、戻るのが困難になります。危険を避ける為に、あまり人が来ない区画なんでしょう」
「せめてエレベーターが使用できたら……。いえ、厳密に言えば使用はできるんだけどね? 使うと同時にエレベーター内がスキャンされるから、潜入がバレるのよ。だから移動した先の階層でFG型から待ち伏せを受けてしまうのよ。それに強制的に移動も止められてしまうしね」
「ラビィに聞きました。此処の攻略難易度が高い事は、FG型を見ても分かります」
正直、俺の感覚が強化されてなければFG型は危うい相手だ。
今でも十分危険ではあるとは思うが、今の俺なら複数相手でも戦える余裕はある。
ただ、あのブレードだけは厄介だ。
接近戦が得意なだけに、あのリーチの長さと殺傷力は脅威である。
だから何とか大きな戦闘をせずに、ウララカ全員を無事に救出できたらいいのだが……。
そんな事を考えている間に生産フロアを抜け、通路に侵入する。
時折巡回するFG型が居たが、その度にどこぞの部屋に浸入して隠れるか、奇襲して片付けていく。
無論、銃も使わずにFG型を倒すなら俺が適任だ。
「よし、行って来ます――!」
無視できない位置に居たFG型に背後から飛び掛ると、一気に床へと押し倒してその無防備となった背部に膝を叩き込む。すると瞬時に胴体を圧縮されてAIが破損し、FG型は無力化する。
この作業にも慣れてきた、偶に相手が振り返ってブレードの反撃を受けたりするが、それでも負ける事はない。大抵はカウンターで胴体に打撃を叩き込んで一撃で終わるだけだからな。
俺はそのまま無力化したFG型を近くの部屋に隠し、一汗を拭う。
「君は凄いね……。例えOG型が相手でも、倒そうだなんて普通は思わないよ? スカベンジャーは安全が第一だからね」
「そ、そうなんですか? あ、いや……そうですよね」
「勿論、紅姫みたいな例外を除けばだけどね。君はきっとそういう"人種"なんだろうね」
「はは……戦闘民族みたいに言わないで下さいよ」
「ごめんごめん、悪気はないの。ただ、そう思っただけだから。うんうん、君は凄いよ」
「どうもです。さぁ、先を急ぎましょう」
そう言って褒めるロングさんの表情には、確かに悪感情は見られない。
しかし、俺はその言葉を聞いて笑顔を浮かべられなかった。
俺がやってるのは文字通りの力技だ。
言ってしまえば、ズルをしている事に近い。
鍛えて得た力でもないし、望んで得た力でもない。
けれど、この力が無ければ俺はアッサリ死ぬであろう。
その事は今までの行動を思い返せば分かる。
いや、それどころかこの力があっても俺は死に掛けた事が多々ある。
これからもこの力に頼らないと、生きてはいけないだろう。
しかし、不安はある。
通路を歩きながらチラリとローブの下にあるであろう右腕に視線を落とし、そこを撫でる。
そこにあるのは、日々成長していく異物の硬い感触。
これは何処まで広がっていく?
前腕だけ? それとも右腕全体? いや、もしかしたら……。
そこまで考えて、俺は冷や汗を浮かべる。
一つ言える事はある、それはこの異物の成長が確実に止まらないであろう事。
そしてこれが肥大化していく度に、俺自身も成長している事だ。
最初は身体能力だけだったのに、今は感覚が強化された。
それだけでも"並外れている"のに、これ以上成長するとどうなる?
――バケモノか。
不意に、昨日聞いたその言葉が蘇る。
この力を排除しようとするなら、異物を取り除けばいいのだろうか?
もしそうなら、今すぐにそうしなければ手遅れになってしまう気がする。
しかし――ラビィを失えない。失いたくはない。
この力が無ければ、軍に提示された借金を返せる筈がない。
この異物を取り除くとしても、借金を返せた後だ。
それまでにこの異物が大人しくしてくれる事を祈るしかないだろう。
「まぁ、いざとなったら右腕を切り落とすか……」
幸いにも、この世界には義手となるHAや生体義手がある。
もしもこの異物が俺に害を成す雰囲気を覗かせたら、それを排除するしかないだろう。
俺はそう覚悟を新たにしつつ、通路を進む。
「……生体反応を探知。しかし、情報が違います」
「? 違うって?」
ようやく手掛かりを得たと思ったら、ラビィは首を傾げて疑問符を浮かべている。
彼女はロングさんに向き直り、静かに尋ねてきた。
「ロング、貴方は自分以外に六人の仲間が居ると言ってましたね。それは間違いないですか?」
「えぇ、大事な仲間達ですもの。まさか数を間違えるなんて……ッ?!」
ロングさんは最後に言葉を詰まらせ、何かに気付いた反応をした。
ソレを見て、ラビィは一つ頷きながら答える。
「ラビィが確認できる生体反応は五人です。一人足りない」
「ウララカの人達じゃないとかはどうだ?」
「分かりません。ですが、その生体反応が閉じ込められている場所はまさに収監フロアです。ここ以外に別の収監フロアがあるのか、それとも何かがあって一人減ったのか。どちらにせよ、今ラビィが捉えている反応は五人だけです」
「……ラビィ、ロングさんを気遣え。そんな言い方は止すんだ」
「…………申し訳ございません」
俺がそう少し叱る様に言うと、ラビィは目を見開き、その後少し頷く様にしながら了承した。
そんな姿を見ると少し罪悪感を抱いてしまうが、今一番辛いのはロングさんだ。
チラリと横目で様子を確かめると、彼女は口を押さえてショックを表している。
「大丈夫ですか?」
「……分からない。けど、進むわ。立ち止まってはいられない」
気丈にも、ロングさんはそう言って銃を構える。
しかし、対するラビィはまだ眉を顰めており、更に最悪な報告を飛ばしてきた。
「それと、収監フロアには二十五機のFG型を確認。そして……FG型-133式も探知しました」
「……百式か。どんなタイプか分かるか?」
思わず舌打ちを零しそうになるのを抑え、心を落ち着けながら続きを促す。
「指揮官タイプです。このタイプは周囲の同型機の指揮を執り、行動します。二十五機もの同型機を操るとしたら、その脅威度は並外れています。例えラビィでも無傷での勝利は不可能です」
「おっ、あくまでも勝てないとは言わないんだな。頼もしいぞ、ラビィ」
「恐縮です。それで……どうするのですか?」
そう言ったラビィの瞳には、撤退を示唆する輝きが混じっていた。
それを口にしないのは、先程俺が注意したからだろう。
そんな彼女の気遣いはありがたかったが、俺の心は決まってる。
「勿論、行くさ。彼等を助け出す。戦闘は避けられそうか?」
「いいえ、彼等を助け出すとなれば、戦闘は避けられません」
「まぁ、そうだよな……。よし、戦うか!! けど、戦う前に一つやりたい事もあるが……」
そう腹を決め、俺は背伸びをして歩き出す。
しかし、ふとロングさんが付いて来ない事に気付いて足を止めて背後を振り返る。
彼女は背後の通路で佇んでおり、俺の視線に気付くと顔を下に向け、震え声で謝ってきた。
「ご、ごめんなさい。皆を助けたい、助けたいんだけど……怖くて」
見れば、彼女の足は震えていた。
俺は気まずそうに頬を掻き、彼女に近寄って話し掛ける。
「そう、ですよね。死ぬかもしれないって考えたら、それは当然です」
「……ごめんなさい。私が君に助けを求めたのに。そんな君は戦おうとしてるのに、私は……怖くてたまらないの」
そう謝罪を繰り返すロングさんを、俺は責める気はない。
俺だって今のこの異質な力が無ければ、間違いなく逃げている自信がある。
だが、幸か不幸か俺にはこの状況を打破できる力がある、だからやるだけだ。
俺は彼女に歩み寄ると、そっと震える彼女の右手に自身の右手を添えた。
「ロングさん、怖いのは当然です。けど、彼等は間違いなく貴女を待っています。俺やラビィや他の誰かじゃなく、貴女を待って耐えている筈です。もし貴女が怖いなら此処に残って待っててくれても構わない。けれど、それで貴女はこの先後悔しないで生きていけますか?」
「それは……」
俺の言葉を聞き、ロングさんは目を逸らそうとする。
その視線を逸らさせない様に、俺は触れた右手を軽く握って彼女の視線を戻させ、俺の視線へと合わせる。
「きっと、貴女が来なくても俺やラビィが救出すれば彼等は感謝するでしょう。『ロングが助けを呼んできてくれたから助かった』と。けれど……貴女はそれでも自分で助けにいかなかった事を後悔し続けるんじゃないですか?」
こんな言葉を言うのはずるいかもしれない。
彼女を焚きつけて戦闘に参加させれば、命を落とす危険性もある。
けど、彼女は今動けなければこの先ずっと罪悪感に苦しむかもしれない。
命を落とすかもしれない、仲間に失望されるかもしれない、この二つを比べた時、人はどちらを選ぶのか?
人間と言う生き物は、自然界で唯一"誇り"で死ねる生き物と言っても過言ではない。
恥を選ぶより、死を選ぶ死に様は古今東西あった。
彼女の仲間を想う気持ちは、この短い間だけでも十分伝わってきている。
それこそ自分の死をも厭わずに行動できる熱意すらも感じていた。
だからこそ、危ういのだ。
ここでの選択はきっと、これから先の彼女の人生を決定付ける。
だから最後は彼女自身の意志で決めて欲しい。
「ロングさん、貴女が決めるんです。俺はその意思を尊重します」
「私は……私は……ッ!」
彼女の手を握る力が強くなるのが分かった。
それだけで、俺は彼女が選んだ答えを察する。
その証拠に、次に浮かべた彼女の表情には迷いが無かった。
「ありがとう、ソウヤ君。私も……行くわ。君の言うとおり、此処で逃げたら私は後悔する。死ぬのは確かに怖いけど……後悔するのだけは、もう嫌なの!」
そう告げたロングさんの言葉には、過去に何かあった事を察する気持ちが込められていた。
しかし、俺はそれに構わずに笑みを浮かべて了承する。
「……はい、行きましょう。貴女の仲間を救うんです、一緒に!」
「――うん、一緒に!」
彼女の握るその手は、もう震えてなかった。




