嬉しく、恋しい
監禁されていた部屋から抜け出した女性一同。
彼女達はラビィ・フルトの先導を頼りに、フロアへと躍り出た。
が、早速とその歩みは止まってしまう。
「……通信を感知、暫く待機します」
「え?」
ラビィはそう言うと戸惑う藤宮達を尻目に、先程始末した歩哨の一人が持っていた無線機を取り出し、回線を開く。すると直後に各階の状況確認を行う連絡が入る。
『此方は警備室、定時連絡だ! 正面入り口と一階フロアの巡回班!! おう、異常は無ぇか?』
『ふぁ~あっと、眠ぃなぁ。っと、此方は巡回班、平和なもんだぜ』
『ったく、ちゃんと見張ってろよ?! 次は……』
それを真横で聞いていた藤宮達は顔を強張らせた。
次の次と各階の報告が済まされていき、焦りが浮かぶ。
しかし、ラビィは静かに無線機を口元に寄せる。
『九階、監視班は異常はねぇ』
『同じく、巡回班も異常なし』
『次は十階だ。巡回班、そして監禁班はどうだ? へへ、あの姉ちゃん達はもう寝てるか?』
『此方は十階、監禁班。あの嬢ちゃん達はまだ起きてやがる。どうやら、こっちを警戒してるみてぇだ』
瞬間、藤宮達は驚愕した。
何故ならラビィの声と口調が男性のソレに変わり、流暢に無線に応答したからだ。
そんな驚きをよそに、無線機の交信は続く。
『はっ、まぁそりゃそうか。それも何時までも持つか見物だがな……』
『こちらは巡回班だ。異常はねーよ』
『あいよ。次は十一階の……』
其処で無線を切り、ラビィは顔を上げる。
すると、背後に居た藤宮達が物凄い表情で自身を見つめていたのに気付き、僅かに眉を動かす。
「何ですか?」
「あ! よかったぁ。私、急にフルトさんの声と口調が変化したから、一体どうしたのかと……」
「先程の歩哨二人の音声データを確保し、記録してました。態々と無駄な会話を扉の前でしてくれてましたからね。データの収集は安易でした」
「それも機械が成せる技かい? 全く、驚いたよ……」
「機械が……とは少し誤解がありますね。この様な特殊機能は通常の機械には搭載されません。ラビィは多目的撹乱行為の為に生み出された故に、この様な機能が備わっているのです」
何時もならばラビィは驚いた沿矢にそう説明し、自慢気な態度を見せるであろう。
しかし、こと藤宮達を相手にしたこの状態では、何処までも淡々とした冷たい口調であった。
藤宮達はそんなラビィの態度を不満に思う事も無く、むしろ頼もしさを感じていた。
ラビィはそのまま藤宮達を連れ、フロアを行く。
このホテルの大きさは目を見張る物があり、それに比例して部屋数も相当だ。
しかし、ラビィのセンサーはこのホテル全体の立体構造と生命反応を補足しており、進む足取りに迷いは無い。
暫くするとある曲がり角に差し掛かり、ラビィは小さく告げる。
「この先の歩哨二人を始末します。藤宮達は待機を」
「え? で、でも私達も何か……」
「必要ありません」
そう言い切り、ラビィは曲がり角を素早く曲がって駆け出す。
しかし、その足音は殆ど音を立てず、廊下の先に居た歩哨は背後から迫る彼女に気付かない。
「ぁ……っぶえ」
ラビィはそっと包み込む様に歩哨の一人の背後から頭を掴み、容易に曲げて首の骨を折る。
間抜けな声を聞き、少し先を歩いていた同僚が振り返――った次の瞬間には、ラビィが懐から取り出したナイフがその脳天に突き刺さっていた。
そのナイフは根元深くまで突き刺さっており、放たれた際の力強さを物語っている。
ラビィはそのナイフをそのままに、歩哨二人の懐を漁って新たなナイフを確保した。
「……やるな。流石はヒューマノイド」
そう声を掛けられラビィが振り向くと、倒れた二人に注意深くライフルを向けながらフェニルが近寄ってくる。
「この程度の相手を排除した位で何の自慢にも成り得ません。それより、必要な装備を剥ぎ取ってください」
「死体はどうする? 近くの部屋にでも放り込むか?」
「先程の通信は警備室から連絡が入ったモノです。で、あれば警備システムが生きている可能性は高い。マスターキーも無い状態で部屋に侵入するなら、扉を破壊するしか方法が無いでしょう。ですが、それをしてしまえば警備室に待機している者達に気付かれます」
ちなみに監視カメラ等の類は、このホテルにはもう存在していない。
元々探索地であったテラノ、其処に人々が住み着いた事からも分かるとおり、そのセキュリティシステムの大半は既に解除か排除されている。
もしかしたら、ルーム警備システムも解除されている恐れがある。
いや、その可能性は高いだろう。
だが、今こうしてこのホテルには電気が点いてるのだ。
即ちテラノ住民の手によって、発電機と共にシステムを再起動された可能性もある。
故に、ラビィは万が一を警戒し、慎重に動く。
「じゃあ、どうするんだい? このままじゃ死体が見つかって脱走したのがバレちまうよ?」
遅れてやってきた里菜がそう言うと、ラビィは一つ頷きながら賛同の意を返す。
「そうですね。ですが、それはラビィ達の部屋の前に居た歩哨二人を始末した時点で破綻している懸念です。このフロアを巡回する者があの部屋の前を通れば、見張りが居ない事実に不信感を覚えるでしょう。ですから……」
瞬間、ラビィは懐から二つのナイフを取り出し、背後に振り向いて放り投げた。
何事かと焦るフェニル達の視界の先、そこには今まさに他の通路から出てきた歩哨二人。
彼等は驚愕すると同時に、その頭部にナイフを受けて体を崩し、そのまま沈黙する。
「とりあえず、このフロアの歩哨は全員始末します。無線応答の件は心配要りません。先程の無線通信で各階歩哨の音声データは獲得できています」
「……はぁ。全く、あんたが味方で良かったよ」
「正確には"沿矢様が味方で良かった"……です。沿矢様が味方と判断した者達だけが、ラビィの友軍です。ラビィの意思は重要ではありません」
「それでも、さ。今こうして私達が危機を脱せたのはアンタのお陰だよ、フルト。ありがとう」
里菜そう言うと、軽く拳を握ってラビィの肩を叩く。
それを受けたラビィは瞼を細め、懐に手を入れながら疑問の声を出す。
「今の攻撃に何の意味が? 裏切りですか?」
「ちょ、ちょいと待ちなよ! 今のは組合所に所属するあたし達の挨拶みたいなもんさ!」
「あぁ……ボディランゲージを介したコミュニケーションですか」
「ボデら……? と、とりあえずそうだよ! 気に入った相手にやる動作さ」
「そうですか。ですが、言葉でそう告げた方が効果的ですよ。今の様な動作は誤解を招きます」
「いや、今ので誤解するのはアンタ位だよ……」
そんな風に漫才を繰り広げていたのも束の間の出来事。
ラビィ達はその後も十階フロアを歩き回り、歩哨を次々に始末していく。
その殆どがラビィによるナイフを使用した暗殺が主であったが、一度だけ彼女は上段蹴りを放って相手の首元にある頚椎を粉砕した。
その時に発生した音は生々しさよりも、小気味のいい痛快な音の印象が強く、藤宮達は改めてアンドロイドの力強さに驚いた。
歩哨を始末しながら、散歩でもしているかの様に歩を進めていくラビィ。
そんな彼女に対し、藤宮が疑問を飛ばす。
「フルトさん。さっきは何でナイフを使わなかったんですか?」
「あの歩哨は頭蓋骨を混合チタンで補強していました。故にナイフによる頭部への投擲、並びに攻撃では一撃で絶命させるには難しいと判断したのです」
「混合チタンだって? そんな改造手術を無法者が……?」
今の荒廃時代ではHAによる身体補強以外にも、外科手術によって自らの肉体を強化できる。
無論、その強化内容と手術部位によってかなり値が変わってはくるが、体の重要部分に混合金属を埋め込み、補強する内容は尤もポピュラーだ。
「元は組合所に所属していたか、何処かの軍の出身者だったんだろう。その様な出自のアウトローはそう珍しくない、胸糞悪いがな」
「他者を襲い、富を奪い、堕落を甘受する。どうしてその様な道を選ぶのか、私には理解できませんわ……」
そんな会話を繰り広げながらも、ラビィ達は行動し、そして十階に居た最後の歩哨を仕留める。
「先程の歩哨で最後です。この後は階段を経由し、一階まで下りましょう。ですが、東側の階段は四階付近で崩落してますので、四階フロアを突っ切って反対側にある西側の階段を目指すルートを行きます。西側の階段は七階から最上階まで崩壊してますので、直通での降下は無理ですね」
「あ、あの……少しいいかな? フルトさん」
これからの作戦行動をラビィが伝えると、藤宮がおずおずと手を上げた。
ラビィはそれを見て小首を傾げ、口を開く。
「もしや、エレベーターシャフトからの脱出の提案ですか? 確かに其処なら一階まで直通してますが、長年放置されたケーブルを伝っていくのは危険です。無論、ラビィならケーブルを使わずとも僅かな壁の窪み等を利用して降下していく事は可能ですが、貴方達にそれができるとは思えません」
「そ、そうじゃなくて! あの、さっきの無線で言ってたよね? 九階の、監視班がどうこうって……! つまり、私達以外にも捕まってる人達が居るんじゃあ……?」
「確かに言ってたな……。だが、誰が? 男連中は多分別の場所だろう?」
藤宮の言葉にフェニルも賛同し、疑問を浮かばせる。
その疑問に対し、ラビィは淡々と答えを返してそれを晴らす。
「ラビィ達がこのホテルに連れられ、あの部屋に捕らえられて以降、この建物に人の出入りは感知していません。その事から考えると、ラビィ達の同行者が捕らえられているとは考えられません。ちなみに現在、この建物に存在する生命反応は貴方達を合わせて八十六名です」
「じゃあ、前々から捕まってた人達が居るって事かい……? この街の住民かな?」
「それは存じ上げませんが、その考察は今作戦において重要ではありません。ラビィ達の現在の優先事項はこのホテルから脱出する事です」
「ま、待ちなさいな! 貴方、その捕らえられている人を放置するつもりですの!?」
と、其処で今まで口を固く結び同行していたミル・T・フィブリル嬢が口を開く。
これまでは素人である自分が脱出の足手まといになるまいと極力口を閉じてはいたが、ラビィの言葉を聞いて遂にその我慢を打ち破った。
「……? 捕らえられている人物は貴方の知り合いなのですか?」
「し、知り合いではないですけれど……! この様な無法者の巣に私達と同じ境遇の人を残してなどいけません!!」
「それは貴方の身勝手な感情論に過ぎません。必要の無い行動を取れば、それだけ作戦の遂行が困難になります」
「必要かどうかなんて……貴方に決める権限はないでしょう!?」
「そうですね。ラビィに対して必要かどうかを決めるのは、マスターである沿矢様のみです。ですが、彼から受けた最新命令は『任せる』の一言でした。故に、今回の作戦は全て私の考えで動き、行動します。そしてその作戦には、他の捕虜救出の任は必要ないと判断します」
そう言い切ったラビィに対し、ミルは絶句してしまう。
彼女は今まさにこの瞬間、目の前の相手が機械なのだと理解した。
これまでの立ち振る舞いを思えばそれは当然の事なのだが、それでも納得できるモノではない。
「……ッ!」
だが、自分は無力だ。
今この場において、一番役に立たないのは自分。
ミルはそう自覚しており、これ以上の反論を口にできないでいた。
しかし、握り締める拳と、その瞳に浮かぶ涙までもは堪え切れない。
その様子を眺めながら居た堪れない気持ちでいた藤宮達であったが、ふと思い出したかの様に口を開く。
「ねぇ、フルトさん。私と里菜はね……フェニルと沿矢君に助けられたんだ、クースの廃病院で」
「クースで、ですか」
自身とマスターである沿矢が初めて会った場所であるクース。
その名を聞き、ラビィは僅かに興味を引かれた。
「うん。私達は同業者に誘われて、自分の実力に見合わない場所の探索に行って……見事に死にかけてね。けど、一言も会話したことない筈の同業者を救う為に、彼は来てくれたんだ」
「……」
「沿矢君は私達を見つけてくれて、もう大丈夫だって言ってくれたんだ。あれは本当に嬉しかったなぁ……」
その時の記憶を思い返す様に瞼を閉じ、藤宮は微笑む。
見れば、里菜も己の記憶に思いを馳せる為に瞼を細めていた。
藤宮はそのまま静かな語り口調で続ける。
「その後にしたって色々大変でね。入り口はガードに塞がれてるし、ガードを排除したと思ったら突然百式は現れるし!! けど、彼は怯える私達の前に立って、自分を囮にして私達を逃がしてくれたの」
「存じております。沿矢様はエレベーターに百式を誘い込み、相手の機動力を封じて見事に勝利したと」
「そ、そうなの? そこまでは知らなかったけど。とにかく、今ここに私達が居るのは彼のお陰なの。そして、それは貴方も同じじゃない?」
「同じとは?」
藤宮が告げた言葉が上手く理解できず、ラビィは問い返す。
藤宮は静かに笑みを浮かべたまま、幼子に話し掛ける様な優しい口調で続ける。
「彼は貴方を永い眠りから救ってくれた。貴方は、その事に嬉しいと思った事はない?」
「嬉しい、と言う感情がラビィには分かりません」
沿矢との会話では、何度か『嬉しい』と言う言葉を使用してはいた。
しかし、ラビィ・フルトはその言葉の"想い"を理解している訳ではない。
厳密に言えば、その言葉を使用するシチュエーションや定義を理解しているだけなのだ。
「……嬉しいって言うのはね、自分がここに居てもいいんだっていう安心感にも似た、幸福な気持ち。そしてそれは、自分一人じゃ気付きにくいの。他者と触れ合う事により、初めて生まれる感情なんだと私は思ってる。きっと、貴方はもうそれを知ってる筈じゃない?」
「自分がここに……居てもいい?」
藤宮の言葉をなぞりながら、ラビィは己のメモリーを閲覧する。
沿矢と出会うまで、ラビィが過ごした時間の殆どは起動実験と負荷実験のみに充てられた。
職員との会話はスピーカを介した命令のみ、強化ガラスの向こう側に居た白衣姿の人間達は、何時も自身ではなく近くのモニターに視線を向けていた。
真っ白な実験施設で行われるのは代わり映えのしない日々。
時折に部屋に現れる標的を破壊しろと命じられた事もあれば、現れた標的にただ攻撃を受け続けろと命令を受けた事もあった。
果てには体の一部を"欠損"した状態で、どこまで行動できるかと言う負荷実験も受けた事すらある。
その事に疑問を抱く事は無かった、機械である彼女が抱く筈も無かった。
多目的任務遂行用のヒューマノイド、通称MMHシリーズ開発の為に調整されたプロトタイプ。
そう、ラビィが生まれた理由はMMHシリーズを開発する為"だけ"であったのだ。
各実験が終えると同時に、彼女は機密保持の為に破棄、またはどこぞの軍事施設の最高区画で保存される予定であった。
だが、何の因果か今現在の彼女は沿矢と出会い、彼と共に生活している。
最後に職員から下された命令に従い、ラビィは沿矢をマスターにした。
しかし、世界が崩壊していると聞かされ、彼女は今まで行ってきた全てが無駄になったと悟った。それは自身の存在する理由を失ったに等しい衝撃であり、ラビィは混乱の極みに陥りかけてしまう。
これからどうすればいい、あの時に思わずそう口にした一言。
それに対し、彼はこう言って"くれた"。
――俺に着いてくればいいんじゃない?
無論、そうするつもりであった。
それが受けた命令だったから。
けれど、ああして言葉にして言われて初めて――私は"居てもいい"と、そう"思えた"のだ。
「……なるほど、嬉しいの意味が分かりました。ラビィは、沿矢様に嬉しいを沢山頂いていたのですね」
これまで沿矢と過ごした時間は僅か一月程度であろう。
しかし、それは数年にも及んだ前世界での記録より、はるかに価値があるとラビィは判断した。
ラビィ・フルトと言う存在が嬉しいと言う感情を明確に意識したのならば、それは当然の行為であった。
知らず知らずの内にラビィは笑みを浮かべ、藤宮達はそんな彼女の表情に見惚れてしまう。
しかし、その笑みを直に散らし、ラビィは問う。
「それで? それと捕虜救出がどう関係していると?」
「へ!? いや、だから……ね? 嬉しいと言う感情は素晴らしい物であって、その嬉しいを今の荒廃した世界に広めるチャンスがあるのなら、見逃す手はないのではと、私は……」
わたわたと手を振り、目を回す勢いで混乱しながら藤宮は言葉を放ち続ける。
結局の所、彼女もただ囚われた人を救いたいだけなのである。
ただ、それをラビィに理解してもらいたいとの願い故に、この様な遠回りをせざるを得なかった。
そして、そんな藤宮の苦労は無駄ではなかった。
「……分かりました。捕虜の救出も作戦行動に加えましょう。ですが、もし作戦の遂行が困難であれば、その任は打ち切ります」
「ほ、本当!? ありがとう、フルトさん!」
「感謝は必要ありません。多少の障害はありますが、戦力増加も期待できる行動ではありますから」
ラビィは告げると、ふとメモリー内にあるフォルダーを開き、沿矢の寝顔を視界の隅に小さく表示した。
何故そうしたのかは分からない。
不確かな行動であり、意味の無い行動、けれどそう"したかった"。
それが"恋しい"と言う感情であると気付くには、ラビィ・フルトはまだ幼かった。




