思わぬ邂逅
「では、もし気が向いたらでもいいので……」
「あぁ、失礼する」
微笑みを浮かべた交渉相手だが、弦は素っ気無く言葉を返す。
そのままソファーから腰を上げて扉に向かい、素早く部屋を出て後ろ手で閉める。
どこもまでも無愛想で失礼な態度だが、それには理由があった。
「ふん、随分と舐められたもんだ」
小さく呟き、提示された金額が書かれた紙を弦は無造作に破く。
そのまま歩きながら、廊下に飾られていた観葉植物の根元にソレを丸めて放り投げる。
乾いた音を立てながら落ちたソレには目もくれず、弦はローブの中からPDAを取り出すとリストの一覧からこの病院の名を消した。
言わずもがな、弦が行っていた交渉とは沿矢が持ち帰った生体義手や薬品に関するソレである。
まず初めにメイン居住区でも有名な大病院に足を向けたのはいいが、交渉が上手く纏まらなかった所を見るに、どうやら大抵の"同業者"が同じ考えの様だ。
つまりは"需要と供給"が満たされていると言う事である。
とは言え、ストックが余っているのは別に悪い事ではない。
病院側も弦が交渉を持ちかけた際に、当然無下にはせずに真摯に向き合った。
が、それは"見せ掛け"だけの好意であり、病院側は一般的に提示される金額よりも下の値を提示しておきながら、やれ『此処と繋がりを持っておけば、いざという時に治療費を安くできる』等と、場当たり的な条件を見せびらかしたのだ。
当然、そんな不確かな取引に乗る訳もなく、弦は即座に交渉を打ち切った。
色々と呆れる交渉であったが、何よりも弦が嫌悪したのは相手側の見せ掛けである丁寧な態度であった。
「相変わらず、"こっち側"の住人は気に入らん奴等が多い……」
吐き捨てる様に呟きながら、弦は小さく息を零す。
メイン居住区と違って、外居住区では全てが単純だ。
相手が此方を気に入らなければ睨み付けるか、挑発の言葉を向けてくる。
しかし、此処では誰も彼もが薄っぺらい笑顔を貼り付け、心の中で毒吐きあっていると来たもんだ。
弦としては、そういう探り合いは無駄に時間を消費するだけの物であり、付き合うだけ無駄と分かりきっている。
弦はエレベーターのボタンを押し、この階に箱が来る間の僅かな時間でリストの中に目を通す。
そのまま集中し、この後に尋ねる病院に目安を付けるべく眉を潜め始めた所で――視界の隅で紅い糸がちらついた。
否、糸ではない。それは髪だった。
真紅の赤毛を束ね、気だるげに自身の隣でエレベーターの到着を待っているのは……。
――キリエ・ラドホルト!
自身の隣に立った予想外の人物。
当然の事ながら否が応でも弦の心はざわめきだったが、表情と体の揺れにはそれを反映しなかった。
横目で一瞬だけ顔を確認しただけだが、まず彼女に間違いはない。
弦は次に何故に彼女が此処にいるかを推測しだし――直に理由を思い至った。
『タルスコットが此処に居るのか……』
それ以外に彼女が此処に居る理由が見当たらない。
怪我を負っている様子もないし、そもそも彼女に限って言えばそれは"大変に珍しい"ケースだ。
まず、間違いなく貴婦人がこの病院に入院している物と見ていいだろう。
そして友人であるキリエは彼女に付き添っていると言う訳だ。
しかし、一つだけ不審な所があるとすれば――。
何故、犯罪を犯した者を軍の施設に置かないのか?
治療に手間取っているからか? それとも生命維持に必要な機材が軍の施設にはないのか?
いや、そもそも自分はこの病院で軍人を"一人も"見掛けていない。
ただ自分が見逃しただけか?
否、街を無差別に爆破した凶悪な人物を監視下に置くとすれば、入り口やフロアにも見張りを配置するはず。しかし、実際に自分は軍関係者を見掛けては居ない。
『まさか……貴婦人は軍の監視下に無いのか?』
様々な考えが瞬時に弦の脳裏を過ぎったが、目の前の扉が開いた事で思考を打ち切られた。
一瞬だけ意識を取り戻すのに隙があり、その間にキリエがエレベーターに乗り込むと、足を止めたままの弦を一瞥して軽い口調で言う。
「オジサン、乗らないの?」
「……乗るとも」
何とか言葉を返しながら、弦はエレベーターに乗り込んだ。
それを確認したキリエは小さく頷き、ボタンを押そうとゆっくり指を伸ばした所で――動きを止める。
不審に思った弦が眉を潜めた瞬間、彼女は振り返っていきなり大声を上げた。
「あぁ!! どこかで見たオジサンだと思ったら"銀狼"じゃん!!」
咄嗟に舌打ちを放つのを自制しながら、弦は静かに言葉を返す。
「その名で呼ぶのはやめてくれねぇか? 所詮はお情けで貰った二つ名だ。誇れるもんじゃない」
「変な事を言うね? この職に就きながらそこまで長生きしたのはオジサンくらいじゃん。大抵は十年や二十年もしたら引退するか、死ぬかの二つだよ。少なくとも私は五十年も現役で居続けたって人は知らないよ」
「ただの五十年、同じ事を繰り返しただけだ。堅実と言えば聞こえはいいが、実際は臆病なだけだ」
弦はこれまでの現役生活を思い返しながら、そう告げる。
自分に課したルールを曲げず、無茶をせず、ただ黙々と同じ毎日を繰り返しただけ。
それだけを守り続けて過ごしてきただけなのだ。何も誇れる事ではない。
そう、弦は実際に自分が大した事をしていないと思っている。
その認識が"間違い"だと、少しも疑ってはいない。それが傍から見る分には"オカシイ"と言うに。
今の弦が一年で稼ぐボタはおおよそ二百万ボタだ。
そしてそれは彼が四十年前にテクニカルを使った狩りを行う様になってから、稼いだボタの金額とほぼ一緒だ。
そう、多少のずれはあれど"ほぼ同じ"なのだ。それが"異常"だと彼は気づいてない。
何故、二百万が目安と言えば、それは弦にとってその金額が"安全に稼げる"額の範囲内だからだ。
チームを組んでる中級や上級が稼ぐ額で言えば、二百万と言う額はそれ程に驚く物でもないだろう。
隊商の護衛、賞金首やネームド付の討伐、一つの施設を一つのチームで攻略する等、そんな行動ができる様に人数で戦力を補っている彼等にとって、二百万と言う額はそう珍しくは無い物だ。
だが、弦はその額を三年前に弓と組むまで、一人でずっと稼ぎ続けてきたのだ。
地道に毎日を繰り返し、堅実に無人兵器を狩り続け、黙々と売買を繰り返す。
二百万と言う上限を少し上回った時などに、余分な金額を組合のポイントに変え、徐々にランクも上がり続けただけ。
そんな風に着々と街や組合に長年の間貢献し続け、組合に所属してから四十年の時を過ごし、白髪が目立つ様になってから貰った二つ名が『銀狼』だ。
弦としては喧嘩を売られてるのかと思わんばかりの二つ名であるが、一々クレームを出すのも面倒なのでそのまま過ごして来た。
短い時間で瞬時に成り上がったキリエやノーラに名付けられた、"紅姫"や"貴婦人"などの二つ名程には有名ではないだろう。
しかし、銀狼と言う名はマイナーではあるが、確かな実力者の名として知られているのだ。
そして、その名と姿を知っているのはキリエも例外では無かったと言う事だ。
「いやぁ、銀狼とこんな所で出会えるなんて思ってなかったよ~。どしたの? 腰でも悪くした?」
「年寄り扱いはやめてくれ。まだ数年は現役で居るつもりだ」
へらへらした笑みを浮かべながら、キリエはどこまでも軽い口調で話し掛けてくる。
弦とキリエは殆ど接点が無いに等しい、互いに遠目から姿を確認した事はあるだろうが、自己紹介すらしたことも無い。にも関わらずこの調子だと、弦は心中で大きく溜め息を零す。
「それで……"お友達"が此処に居るんだろ? 容態はどうだ?」
少しでも相手の調子を惑わそうと、弦が攻勢に出た。
が、キリエはそれを受けて子供の様に唇を尖らせると、エレベーターの床を爪先で叩く。
「ん。まぁ、腐ってもメイン居住区って所だね。治療に関してはこの街で受けられる最高の物がノーラに施されたよ。私もそうだけど、ヤウラとしてもノーラに死なれると今はまずいからね」
「ふむ? その割にはここの警備が手薄だな。貴婦人はこの街を攻撃した人物だぞ。彼女に敵愾心を抱く輩が襲撃して来るとは思わなかったのか、軍は」
弦のその言葉を受けキリエは大きく目を見開くと、そのまま二、三度目を瞬かせる。
次に彼女は心底可笑しい事を聞いたかの様に腹を九の字に曲げ、大声で笑い出した。
「あっはははははははは!! の、ノーラを襲う? 有り得ないってそんなの!! 銀狼ってば長年この街に住んでる癖に何も知らないんだね?」
「……貴婦人はこの街の組合所を襲撃し、街中を爆破した輩だぞ? この街に住む者が敵愾心を抱く理由としては十分だ。俺が言ってる事がそんなに可笑しいか?」
弦は最後の言葉を短く紡ぎ出し、苛立ちを強調させた。
しかし、それを受けてもキリエはクスクスと笑い続け、瞳に涙を浮かばせながら息を吐く。
「ふぅー……ノーラはここの住民には襲われないよ。だって"メイン居住区"では被害を受けていないからね」
「何だと?」
「銀狼はあんまりメイン居住区をうろつかないみたいだけど、ここ等を歩いて見たらすぐに分かるよ。彼等は"此処以外の事に関心が無い"んだよ。全くと言っていいほどにね」
「……そういう事かい」
キリエが告げたその言葉。
何故だがそれは弦の心にすっと入り込んだ。
確かに弦はメイン居住区にはあまり立ち寄った事は無い。
此処の生活環境は外居住区とは段違いだ。
道行く人は皆が顔を上げて堂々と綺麗な身形で闊歩し、ベンチでは恋人達が語り合い、子供達は真っ白なシャツを砂や泥で汚しながら満面の笑みで遊ぶ。
数十年前に初めてメイン居住区に足を運び、それ等を目にした弦は無性に叫びたくなったのを覚えている。
理由は分からなかった。
余りに違いすぎる環境の差への嫉妬か、夢と見間違うばかりの現実に脳が拒否反応を起こしたからか。
しかし、それ以来の弦は極力メイン移住区を避けて生きてきた。
此処は自分には合わないと、彼は真っ先に気づいたのだ。
何故だが分からなかったその理由が、今日キリエに言われてハッキリと分かった。
自分は此処に生きる人達とは共に生きてはいけないと、そう思ったからだ。
自分にはあんな生き方はできない。想像したことも無い。望んですら――いなかった。
もしくは、ただ日々を生き抜くだけで十分だった弦にとって、その光景は眩しすぎたのかもしれない。
「だとしても、だ。幾ら何でも警備兵の一人も置かねぇってのは軍の怠慢だろうに。……あいつ等は何考えてやがるんだ?」
ぼやく様に呟きながら、弦は不満げに表情を歪めた。
そんな彼に向かって、キリエはまたしてもケロッと言ってのける。
「ああ、それは私が"お願い"したんだ。この病院には兵士を配置しないようにってね」
「……お前さんの影響力が、そこまで大きいとは予想外だったな」
まさか、犯罪を犯した者の監視すら許さないとは。
幾らこの街に多大な貢献をした人物であれど、そんな我侭が許されるのか――。
そんな弦の考えが表情に出ていたのだろう、キリエはプラプラと片手を振ってそれに否定の意を返す。
「何を考えてるのか大体わかるけど、軍もそこまでお人よしじゃないよ。今回の件は私と軍の利害が一致したからだよ」
「利害?」
「そう。軍は兵士に被害を出さずにすむし、私は油断した相手を楽に"殺せる"ってね」
「一体……何の話をしている?」
唐突に出てきた物騒な言葉に、弦が僅かに身構える。
キリエはそんな相手の態度を気にせず、両手を前に突き出して幾つか指を立てた。
「ん!」
キリエはそのまま弦に見せ付ける様にして、手を翳したままだ。
弦は暫くその手を見つめて考えを巡らせたが、遂に答える事を放棄して素直に尋ねた。
「お前さんが何を言いたいか、俺には全く分からんぞ……」
「ぶっぶー!! 駄目だねぇ、銀狼は。仕方ないなぁ……教えてあげよう。これは私がこの数日間で仕留めた刺客の数なのだっ!」
軽い口調で告げた、大変に重い事実。
流石にそれには弦も絶句しかけたが、何とか言葉を返す。
「刺客……だと? おいおい、さっきの話じゃ貴婦人は襲われないと……」
「ここの住人には、ね。さて、此処で問題です。ノーラを狙った相手は何処の誰でしょ~か?」
一体、"何なのだ"コイツは?
目の前に居る女性は何故こうも"自然体"なのか?
何処までも軽い口調、だが告げる言葉はどれも重い。
笑顔を浮かばせながら此方には遠慮なく踏み込んでくる癖に、相手側にはその一歩を踏み込ませない。
弦は其処で初めて、自分は噂に違わぬ猛者と相対しているのだと認識した。
気付けば、彼女に気圧されて冷や汗が浮かび始め、呼吸も浅くなっている。
何とかソレを相手には気付かせない様にと心を落ち着かせながら、弦はキリエの問いに頭を悩ませ始めた。
『貴婦人が狙われる。これ自体にはさほど驚きはしない。だが、コイツは既に"複数"の刺客を仕留めていると言った』
そう、複数という数。これが問題だ。
メイン居住区で騒ぎが起きたとの噂は聞いていない。
つまりは、この数は一度の襲撃で使われた大規模な物ではなく、複数回に渡って繰り返された"小さな試み"である可能性が高い。ただし……。
『ラドホルトが、一度の襲撃で送られた複数の襲撃者を誰にも気取られずに消した。と言うならば、この推測は成り立たないがな……』
それすらも彼女ならば不可能ではないだろうと、弦は思い始めている。
噂とは誇張される物ではあるが、目の前の紅姫に対する数々の逸話はそうではないかもしれない。
相対した僅かな時間で、彼女の実力の高さを弦は見極めつつあった。
そこまで考えた所で思考を切り替え、弦は本格的にノーラを狙った相手の事を考え始める。
――ヤウラ軍ではない。これは分かりきってる。キリエの言うとおり、今のヤウラが彼女を始末するメリットが無い。
――彼女はミシヅに所属しているハンターであるし、詳しい事情をまだ彼女から確認してない状況で亡くなったとしたならば、一体誰が得を……。
そこまで考えた所で、弦は呼吸が詰まる。
そんな彼の様子を見て、キリエは彼が答えに行き着いたのだと悟った。
弦はまさかと思いつつも、口に片手をあてながら呟く様にして言う。
「まさか、ミシヅが貴婦人を……?」
その問いに対し、キリエは今までの様な陽気な笑顔ではなく、口角の端を持ち上げた冷徹な笑みで答える。
「大正解だよ。ミシヅが彼女を消したがってる」
「しかし、まさか……アレからそんなに時間は経っていない。切り捨てる判断をしたと言うなら、それこそ報告を受けて直にも等しいタイミングだ」
ヤウラでタルスコットと沿矢が死闘を繰り広げてから、ようやく二週間が過ぎた所だ。
情報の真偽や、事実の確認をする時間としてはあまりにも短すぎる期間である。
キリエの言う事が確かなら、ミシヅはその短い時間で既に貴婦人を切り捨てる意向を固めたと言う事だ。
「まぁ、此方としては全く予測してなかった訳じゃないんだよ。事実としてノーラは他都市の組合所を襲撃し、街中を爆破した。どんな事情があろうとしても、それは到底許される物ではない。幾ら彼女が優秀なハンターだとしても、取り戻そうとするならば並大抵以上の努力が必要となる。そうでなくても、もし彼女が意識を取り戻して今回の罪を認めてしまったならば、ミシヅにとってかなり不味い事になるしね。だからと言って……こんなに早く動くとは思ってなかったけど」
キリエは最後にそう吐き捨てる様に言うと、瞼を閉じた。
それはさながら怒りを抑える仕草の様に……否、事実抑えているのだろう。
彼女はミシヅの今回の判断に怒りを覚えているのだ。
それは善悪の問題等ではなく、純粋に一人の友を思っての事であるのだと、弦でも簡単に気付けるほどに。
「……状況的に考えるならば、タルスコットを狙った刺客は元々ヤウラに潜伏していた諜報員か。新たな人員を送るにしても外居住区ならばともかく、メイン居住区に入り込むのはかなり難しいはずだからな」
「ん、だから今回はヤウラ軍も大人しく私の判断に従ってくれた訳だよ。内に潜んだ膿を搾り出す絶好の機会だってね。まぁ、流石に向こうも全部の手札を切った訳じゃないだろうけど、暫くは大人しくなるだろうね」
そう言って肩を竦めると、ようやくキリエは話は終わったと言わんばかりにエレベーターのボタンを押し、扉を閉じた。
弦はようやくこの奇怪な状況から開放されると安堵の溜め息を零すが、そのタイミングを見計らったかの様にキリエが再び口を開く。
「そうそう、銀狼ってさぁ――木津 沿矢って子の事を知ってる?」
「……!」
何気なく放たれた言葉であるが、余りにも"不自然"すぎる。
いや、そもそも今回のラドホルトとの邂逅ですら偶然だったのか?
極短い時間で訪れた病院で、刺客の襲撃に備えてる彼女とエレベーターでバッタリ会う?
今の状況ならば、彼女はノーラの近くに布陣していなければ危うい状況なのだ。
『これは"仕込まれた"出会いか……。なら、こっちの情報は全て知られていると見るべきだ』
弦は瞬時にそう認識し、キリエが今回自分に近づいてきたのは、沿矢の事を探る目的があったのだと予想する。
彼女の視点で見るならば、沿矢はノーラを瀕死に追いやった相手だ。
しかし、此方として見るならば彼は不幸な出来事に巻き込まれ、見事にそれを乗り切ったに過ぎない。
恐らく、いや……確実に自分が沿矢と親しい間柄であるとキリエには既に分かっているはずだ。
彼女の"お願い"ならば軍は並大抵の無茶でもない限り応えるだろう。それこそ……一市民の調査なんて簡単に請け負うはず。
全て知っている。
にも関わらず、彼女は面と向かって弦に問いを投げかけてきた。
それが意味する事はつまり……弦が沿矢の事でどう出るかを見極めているのだ。
「はっ……」
「……どしたの? 急に」
突然小さく噴出した弦に対し、キリエは眉を潜める。
そんな彼女に対し、弦はスマンと一言謝って片手を上げると、そのまま言う。
「木津は……見所のある後輩であり、友人だ。家の孫娘も同様に思ってるはずだ。よくやってるよ、アイツは」
臆面も無く、弦はそう言ってのけた。
返ってきたその言葉を受け、キリエは大きく目を見開き、直後に俯いた。
「なん……だよ。そんな言い方……ズルイ。あの子に非が無いって事は十分に分かってる。けど……!!」
唸る様に吐き出されたその言葉。
それを聞き、弦はまだ幼い頃の弓を思い出した。
良くも悪くも、キリエは純粋なのだ。
友人を傷付けた木津に怒りを覚えていると同時に、それが理不尽な感情だと気付いている。
ただ、ソレを発散させる術を知らないのだ。
暫く沈黙がエレベーター内を包み込み、気まずい状況になる。
しかし、それも弦が諦めた様に息を吐くと同時に晴らされた。
「木津に思う所があるってのは、貴婦人と友人だったお前さんの立場を思えば、まぁ理解できる。だがな、軍や俺を使って奴の事を嗅ぎ回った所で何も分かるはずがねぇ。奴の事を見極めたいなら……直接会って確かめるんだな」
思わぬ助言を聞き、瞬時に顔を上げたキリエの表情には呆然とした物が浮かび上がっていた。
まるで"何故そんな簡単な事に気付かなかったのだ"と、そう言わんばかりの見事な表情だ。
「……そっか。うん、そうだよね。……貴方の言うとおりだと思う」
そう言ってキリエは表情を緩めて微笑む。
それは彼女が何時も浮かべている天真爛漫な笑顔ではなく、物静かな物であった。
思わぬキリエの表情に弦は呆気に取られ、それはエレベーターが一階に辿り着いても晴れる事は無かった。そんな彼を尻目にキリエはエレベーターを抜け出すと、ヒラヒラと片手を振りながら別れの挨拶を済ませる。
「あんがとね、銀狼。色々とスッキリしたよ。んじゃ、またね~」
気付けばキリエは何時もの調子を取り戻しており、気楽そうにフロアを歩いていった。
ようやく嵐が過ぎ去った事に弦は安堵し、顔を撫でる。
そして、小さく沿矢に向かって謝罪の言葉を口にした。
「すまん、木津よ。後はお前さん次第だ……」
弦は自分が吐いた言葉に後悔を抱く。
何時か沿矢に降りかかる出来事を思えば、それも無理はないと言う物であった。




