壊したモノは
「そう、ですか……沿矢様が子供達を助けたと」
「えぇ、ルイだけではなくベニーまで……。あの時ゴミ山で倒れていた木津さんが負っていた怪我は、本当に酷い大怪我でして……危うく命を落とす所だったんです」
そう言うとぺネロは目尻に浮かんでいた涙を手で拭い、小さく鼻を鳴らした。
どうやら起こった事を思い返して感情が昂ぶっている様だ。
対照的にノーラは終始落ち着きを見せ、何時の間にか取り出した資料を眺めている。
ぺネロの話が進むと同時に少しづつノーラは集中するかの様に瞼を細め、次第に微笑が消えていった。
速水から受け取った資料。
その中にあった、迫田の舎弟達が述べた言葉が書いてある資料にはこう記されている。
――迫田は、見慣れない服装をした男と戦った。
さらにはその男がゴミ山を崩壊させたとも書かれているし、男は歳若く見えたのだとも書かれている。
しかも、逮捕された全員が同じ内容を述べていた。
捜査を撹乱させる為に犯罪を起こした一団が事前に口裏を合わせ、逮捕された時に支離滅裂な事を口にする。
そういう行いは大して珍しくない事ではあるのだが……。迫田の舎弟が述べた供述はあまりにも"一致しすぎ"ている。
通例通りならば似た様な言葉を吐きつつも少し違う状況を話し、捜査の混乱をさらに誘発させるのがベターな手口なのだ。
こうも一致した供述を述べる事は、あまり見られない流れである。
それと他にも気になる点がある。
それはぺネロが語った沿矢の大怪我。これは舎弟達にリンチを受けて出来た傷とは言うが、彼等はその事には一切触れてはいない。
僅かでも罪を軽減しようと、あえて言葉にしなかった可能性が無きにしも非ずではあるが……。
そこまでノーラが考えた時、ふと彼女の脳裏にある事が浮かんだ。
すぐさま彼女はその疑問をぺネロに向かって問う。
「ブレナンさん。沿矢様がその時着ていた服装を覚えてらっしゃいますか?」
「えっ? ふ、服装ですか? そ、そうですね……。彼がルイを連れて教会に来た時は夜でしたし、ルイが見つかった時は安堵のあまり彼の事を詳しく見てはいなくて……。次の日も今話したとおり、色々と大変な事があって……よく覚えていないんです。服も暴行を受けた所為でボロボロだったので、大分前に処分してしまいましたし……ごめんなさい」
「いえ、謝ることではないですから……。突然変な事を聞いて申し訳ございません。それに、大した事ではないですので」
そうだ。自分は一体何を考えていたのだ?
あの様な少年に壊し屋が遅れを取るはずがないではないか。
ノーラが自然に思い浮かべたその考え。
それは沿矢を侮ると言うよりかは、むしろ壊し屋の実力を"信頼"している様な印象が見受けられた。
ノーラ自身はその様な自分の考えに気付かぬままではあるが、むしろ無意識にそう考える辺り深く根付いているモノなのかもしれない。
――馬鹿馬鹿しい、もう止めよう。
ノーラがそう考えた時、突然ぺネロが大きく手を叩いて大声を出した。
「思い出しました!! 木津さんがルイを連れて来てくれた翌日の事なんですが、ルイがついお漏らしをしてしまいまして……。一緒に寝てくれていた彼のズボンを汚してしまったんです。それで私が洗濯する事になったんですが……乾いた所から仄かに素材の匂いが香るほどまだ目新しい物だったんです!! 糸の解れなども見当たりませんでしたし、とても丈夫そうに見えましたわ。色は黒でジーンズとは全く違う手触りで……とにかく印象深い物でした」
「そ、れは……大変に珍しい物ですわね」
なんとか返事を口にしながら、ノーラは思考を展開させる。
新品の服装。これは外居住区では中々手に入らない一品だ。
そもそも、そんな物を売りに出した所で買う物好きな住民は外居住区ではあまりいない。
綺麗な身形を整えるのは組合所に登録しているハンターやスカベンジャー、それと組合の職員ぐらいか?
服は組合のショップで売りに出されていて、大抵は其処で購入していく者が多いのだ。
「あの、沿矢様はその時既に組合に所属しておられたのですか……? HAも装備していていましたか?」
「いえ、彼は怪我を治した後日に組合所で登録したんです。ナノマシンを使用した治療費を返す為に……。HAはその時装備していませんでした。あれも後日、私と彼の友人が好意で貸してくれた物らしいですから」
組合に所属していなかった? それどころかHAも装備していない……?
そんな輩が壊し屋を"殺せる"ものなのか?
聞けば聞くほど沿矢に対する疑念が僅かにノーラの中で湧いて出てきていたが、どうにも"不自然"すぎる。
昨日と今日、無防備に自身の隣を歩いていたあの少年は少し手を伸ばせば簡単に"殺せて"しまいそうな程であった。
昨晩、男二人を瞬時に無効化した機転は中々の物ではあったが……。
ふと、ノーラは昨晩の光景を思い浮かべて違和感を覚えた。
自分を助けようと、沿矢が人垣を掻き分けてきた姿を覚えている。
そして、自分が無礼な輩を殴り飛ばした事に驚愕して足を止めた事もだ。
ここまではいい、普通だ。
だが残った男二人が銃を取り出した時、彼が最初にした事はタグを――。
「"右手"で……投げ、た?」
「え?」
違和感の正体に気づき、ノーラは思わず呟いていた。
ぺネロがそれを聞いて首を傾げたが、ノーラはそれには構わず考えを深めていく。
金属製のタグとは言え、重さは精々が二百グラムあれば良いほうだ。
それにタグが着弾したのは男の脇腹付近であり、当然の事だが服装の上からである。
身に纏ったローブや着ている服。もしかしたら防弾ベストも相手は着ていたかもしれないのだ。
HAを装着していた左手で投擲していれば、それ等を超えて生身に衝撃を生み出せる可能性はある。
だがノーラの記憶の中に浮かぶ沿矢は生身の右手でタグを投擲した様に見えるが、いかんせん記憶とは不確かな物だ。
しかし、一つ違和感を覚えてしまうとどうしても気になってしまう。
――あの少年は何かがおかしい……?
気付けば、ノーラはぺネロに向かって頼み込んでいた。
「あの、宜しければ沿矢様が助けたベニーと言う子供に話を伺いたいのですが……」
「ベニーに、ですか……」
ぺネロはノーラの頼みを聞いて顔を曇らせた。
ベニーはもしかしたら沿矢が暴行される場面を目撃した可能性がある。
その所為で心の傷を負っているかもしれないと、それとなくロイやぺネロもベニーに話を聞いてみたが、そうすると何時もベニーは慌てた様子で逃げてしまうのだ。
ベニーの様子がおかしかったのはそれこそ数日程であり、今ではもうすっかり元気に暮らしているので、既にブレナン親子は彼の傷を探る様な真似は止めている。
「申し訳ございませんが、ようやくあの子から事件の記憶が薄れてきているかもしれないのです。どうか、そっとしておいてあげて下さいませんか?」
「…………そうですか。いえ、無茶を言ってしまったのはわたくしの方ですわ。どうか、お気になさらずに……」
ノーラは素直にそれを受け入れて謝罪の言葉を口にし、すぐに席を立った。
ぺネロはもしかしたら気分を害したのかと焦ったが、ノーラの表情には満面の笑みが浮かんでいた。それこそ"不自然"な程に。
「ブレナンさん、色々と話してくれて助かりました。突然の訪問にも関わらず丁寧に対応してくださり、本当にありがとうございます」
「いえ、そんな……お礼を言われる様な事ではございません。どうか、木津さんによろしくお伝え下さい」
ぺネロの言葉を受け、ノーラは僅かに頷いて見せた。
そしてヒールの音を響かせて教会の出入り口へと向かう。
扉が開く音が聞こえ、僅かに外から響く子供達の喧騒も聞こえたがすぐにそれも止む。
教会の中に静寂が訪れると、それを打ち破るかの様にぺネロは小さく呟いた。
「……綺麗な人だったな……」
――その響きはまるで想い焦がれる少女が吐いた言葉の様でもあり、何処か嫉妬混じりでもあった。
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子供ってのはパワフルだ。実況!! って言葉を付け加えたい程に。
何が楽しいのかは分からんが、俺は数十分程左腕を上下に動かす作業を繰り返している。
流石に全員がこのアトラクションに無我夢中となっている訳ではないが、一部の子供達は中毒症状にでも陥ったかの様に俺の左腕から離れようとはしない。
このままだと、俺の新たな就職先はこのアトラクションを運営する事になってしまいそうだな。一日いくら稼げるだろうか? 10ボタくらいか?
俺がそんな穏やかな日々も悪くないなと思い始めていると、ようやくノーラさんが教会から出てきた。
すぐに俺はそのチャンスを逃すまいと反応し、アトラクションの運営を取り止めた。
子供達がわーぎゃー騒ぎ立てて抗議するが、俺は片手を上げて謝罪をした後でノーラさんの元へソソクサと駆け寄っていく。
ふぅ、助かった。いくらなんでも娯楽に飢えすぎだろ。
……む? 待てよ、娯楽が無いのなら作ればいいじゃない!!
このヤウラに一大アミューズメントパークを築き上げる事ができたら、俺は大金持ちになれるやもしれんぞ!!
まぁ、俺にはどうすればそれを作り上げる事ができるのかが全く分からんがな。
うーん、所詮は絵に描いた餅か。俺に出来る事なんざ左腕を上下させるだけですな……。
短い間で瞬時に妄想を展開した俺は希望と絶望を同時に味わいつつ、ノーラさんの下へと辿り着いた。
彼女は俺に向かって柔らかく微笑むと、両手を胸に当てて予想外の事を口にする。
「ブレナンさんから素晴らしいお話を聞きましたわ、沿矢様。貴方はここの子供達を助けた……と。わたくし、思わず胸打ち震える程の感動を覚えましたのよ?」
「ぅえ!? そ、そんな事を話してたんですか?! いや、そんな……大した事じゃないですよ。あんなの無謀もいいとこでした、大怪我もしちゃいましたし……」
若さゆえの暴走に近い部分があるよな、実際。 まぁ別に後悔はしてないんだけどさ。
ワタワタと俺が両手を振って謙遜していると、ノーラさんはクスリと一つ笑みを零しながら近くで遊ぶ子供達に視線を向けた。
「沿矢様、ベニーと言う子供はあの中に居ますでしょうか? わたくしの聞きたい事をどうやら知ってるみたいなんです」
「ベニーが? えーっと……。あ、あそこに居ますね。金髪の女の子と二人で遊んでる男の子です」
ベニーはルイと一緒に遊んでいた。
あの年頃になると男の子ってのは異性と遊ぶのが恥かしくなってくる時期なのだが、どうやらベニーはまだ大丈夫そうだな。
ちなみに俺は全然恥かしくなかったのだが、おままごとで女の子に泥団子を無理矢理食わされそうになった事があるんだよね。
んで、ソレを断ったら何故か女の子が泣き出してしまい、周囲の女の子からブーイングを一斉に浴びた苦い思い出があるのだ。
数の力ってすげぇよな。弁解の一つもできなかったよ。それ以来ちょっと女の子と距離を取り始めた感じだな。
俺が遠い昔の思い出を振り返っていると、ノーラさんは既にベニーの元へと歩み寄り始めていた。
一瞬近くに行こうかとも思ったのだが、尋ねたい事と言うのがプライベートな話題の可能性があるので自重した方がいいだろう。
ノーラさんはベニーやルイの元に辿り着くとまずルイに少し話しかけ、ルイは一つ頷いてそれに答えて見せた。
次にルイはニパーっとした笑顔を此方に向けると、小走りで俺の元に駆け寄ってくる。
「ソーヤぁ、遊んでくれるの!?」
「ぅん!? ぁ、おままごと以外なら……いいよ」
唐突の展開に俺は思わず焦ったが、なんとか言葉を返す。
ルイはそのまま嬉しそうに俺に抱き付き、はにかみながら上目使いで視線を向けてくる。
とんだ悪幼女だな。この笑顔の前には誰も逆らう事はできないだろう。くやしい、でも……遊んじゃう!! ってな具合である。
『知らないよ!! も、もうオレいくから……っ!!』
暫くルイに構ってあげていると突然ベニーの大声が聞こえてきて、一時教会の前がシン……と静まった。
思わず目を丸くしながらその方向に視線を向けると、静寂を打ち破るかのように大きく足音を立てながらベニーは俺の元へと駆け寄ってくる。
此方に向かってくるベニーの表情は焦りと困惑が入り混じったかの様なモノであり、すぐにただ事ではないと俺は感じ取った。
「どうした? ベニー? あのお姉さんにエッチな悪戯でもされたか?」
俺は何とか落ち着かせようと冗談交じりで近づいてきたベニーに問いかけるが、今一つ効果が無い。
仕方なく俺はベニーを抱え上げ、背中を右手で擦りながら幼子をあやす様にする。
男の子だからこの様な体勢に羞恥心を覚え、抵抗の一つでもされるかと思いきやベニーは素直にソレを受け入れて僅かに体を震わせている。
そうこうしている内にノーラさんも近くに寄ってきた。
彼女は申し訳無さそうに眉を顰め、オズオズと謝罪の言葉を口にする。
「ごめんなさい。わたくしったら、少し焦ってしまって……。もう君には何も聞かないから、どうか機嫌を治してちょうだい?」
ベニーはその謝罪を受けても沈黙を貫いたままだ。
仕方なく、代わりに俺がノーラさんに返事をする。
「ははは……どうも恥かしがってるみたいですね。あの、タルスコットさん。用が済んだのなら、そろそろ帰りませんか? そろそろお昼時ですし、俺ってば腹が減っちゃって……」
「……えぇ、そうですわね。では、わたくしは一足先に向こうへ行って待ってますので……。沿矢様はその子を落ち着かせてやって下さいな」
ノーラさんは本当に申し訳なさそうに瞼を伏せたままだ。
彼女がゆっくりとした足取りで一足先に帰路に着くと、何人かの子供達が彼女に近寄って行って別れの挨拶をしている。
と、其処でようやくベニーが言葉を呟いた。
「ソーヤ……あの人に気をつけて」
「ん~? 気をつけてって……何をだ?」
俺がそう言葉を返すとベニーは少し体を離し、真っ直ぐ目を合わせてまた同じ言葉を繰り返した。
「わかんない……。けど、なんか……とにかく気をつけて」
「――分かった。そうするよ」
正直、子供の勘ってのは侮れない所がある。
今の所俺がノーラさんに何かを思う所はないが、ベニーがこうも真剣な様子を見せた事は気掛かりだ。
大分落ち着きを取り戻したベニーをゆっくりと地面に下ろすと、ベニーは俺を見上げて言葉を吐く。
「あの人、ソーヤが大怪我した日の事で、オレが何か見てないかをしつこく聞いてきたんだ」
「あの時の事を? そかそか……何か言っちゃったか?」
ベニーは頭を振って否定するも、不安げな表情を浮かべて言う。
「ううん。でも……すごく怖い顔だった」
「そっか……わかった。ベニー、あのお姉さんの事は心配しなくていい。何か調べてたみたいだから……それで少し焦ってたんだよ」
俺はベニーの頭をゆっくりと撫でながら、そう諭す。
しかし、そんな言葉を吐いた俺自身がそう思いたかったのかもしれない。
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ノーラ・タルスコットは嘆いていた。
感情を押さえ切れなかった己の未熟さと、沿矢に抱き始めていた疑問が徐々に固まりつつある事に。
ノーラがベニーに問いかけた疑問はシンプルな物だ。
――あの日、ゴミ山で何を見たのか?
それだけだと言うのに明らかに表情に動揺が浮かび、見るからに焦った様子であの子供はうろたえた。
何かを知っている事は一目瞭然であり、間違いなくソレは真相部分を一気に解き明かすモノであるとの確信を得たのだが……結果は散々たる物となってしまう。
しかし、だ。"何か"があった事はもう間違いがない。
それだけは揺るぎ様のないモノであり、そしてソレに沿矢が絡んでいる事はかなり高い可能性である事が伺えた。
まさか、本当にあの様な少年が壊し屋を――?
もし、そうであれば自分はどうすれば良いのだろうか? 何もかもが予想外だ。
壊し屋が死んでしまった事もそうだし、倒した相手があの様に穢れを知らない少年である可能性もだ。
自分は違う。底の底から這い上がり、それこそ硝酸を舐める思いで日々を生きてきたと言うのに――!!
「情けないっ……!! 私は、こんなにも醜い存在だったの?」
こんな怒りは勝手もいいとこだ。だと言うのに、ソレを抑える事ができない。
憎しみで満たされた心は、この怒りまでも許容してはくれない様だ。
「だ、大丈夫ですか? タルスコットさん。気分が悪いなら、教会に戻って少し休みますか?!」
「沿矢様……」
教会の方角から小走りで駆け寄ってくる沿矢の顔には、自分を気遣う表情が浮かんでいる。
オロオロとして焦る姿は本当に歳相応のモノであり、微塵たりとも強者の雰囲気を漂わせてはいない。
だからこそ、違和感が酷いのだ。
話で聞いた彼と、脳裏に浮かんだ彼に覚えた違和感は強くなっていくばかり。
ノーラはもう沿矢を疑う様な真似はしたくなかった。
だから、最後に一つだけ彼女は縋る様に彼へ問いかける。
「アナタが……壊し屋を殺したのですか?」
――どうか、笑い飛ばしてくれ。
――――突然何を言い出すのだと、困惑して見せてほしい。
――――――でなければ、自分は……。
「…………はい、俺が迫田を殺しました」
沿矢は数瞬の迷いを見せたが、遂にそう告げる。
彼の目から見た今のノーラはとても弱弱しく、救いを求めている様にも見えたからだ。
皮肉にも、ノーラ・タルスコットと言う女性の心にある最後の壁を壊したのは、そんな優しさを持ってしまった少年の一言であった。




