一日の終わり
綺麗なお姉さんとの逃避行、ってのは男が一度は思い浮かべるシチュエーションではなかろうか?
『学校をテロリストが占領』『学園祭でライブ』等と代表的な妄想シチュには負けるかもしれないが、『美人との逃避行』も中々に人気が高いとは思う。
そんな妄想として思い浮かべていた事が現実となり、俺の心臓はバクバクと動悸が激しくなっている。
レースの手袋越しとは言え右手に繋いだ美人さんの体温を感じ取り、小走りで街中を駆け回ったのだからそれも当然の事だろう。
幸いにも憲兵隊は倒れこんでいた男達の相手で忙しいのか、逃亡を決めてから背後から排気音が聞こえて来る事は無かった。
周りから人気も少なくなり、現場から遠ざかった事を確認すると俺はようやく足を止め、彼女に向き直る。
やっぱりと言うか……改めて近くで見ると凄い美人だ。
彼女の染み一つない白い肌は走った所為で赤みが混じり、先程の清楚な雰囲気とは一変し、今は艶かしい部分が目立っていた。
緩やかな波を描いたブラウンのロングヘアーは乱れもなく、僅かに花の様な控えめな香りがそこから漂っている。
小ぶりな唇は息を整える為か少し開け放たれており、風を受けて乾いた唇を潤すためか、僅かに覗き見えた細い舌が唇をスッと撫でる様子が見えて不覚にも俺の心臓が高鳴った。
微笑で細められた彼女の瞼から覗き見える金の瞳は真っ直ぐと此方に向けられ、まるで全てを見透かされる様な印象を受ける。
彼女が持つ美貌と服装や、自然な動作はこれ以上ない程にマッチしており、それが彼女の魅力を更に強く引き立てていた。
うーむ、元居た世界でも滅多に拝む事ができないタイプの美人さんですな。
この崩壊世界で彼女の様な気品溢れる女性と出会えるとは正直思いもしていなかった。
容姿を眺めるのに夢中で彼女と視線があってしまい、俺は気恥ずかしさを誤魔化す様にサッと視線を外し、周囲を見回しながら口を開く。
「い、いや~……ココまで来ればもう平気ですよね? 多分」
「えぇ、そうですわね。……ふふっ」
近くの路上にあるドラム缶の焚き火の灯りが彼女を照らし、可笑しそうに笑う彼女の表情を仄かに強調させる。
一体何が嬉しいのか分からんが彼女は大層ご満足そうであり、気付けば自然と俺も微笑んだ。
ふと、まだ自分が名乗りを上げてない事に気付き、俺は彼女に自己紹介する。
「あ、名乗るのが遅くなってすみません。俺は木津沿矢と言います。Gクラス、ポイント580の新米で、スカベンジャーやってます」
「まぁ、ご丁寧にどうも。わたくしはノーラ・タルスコットと申します。こちらこそ、お礼を申し上げるのが遅れてしまいましたわ。では改めまして……ありがとうございます、木津沿矢様。貴方様のご助力に感謝を……」
ノーラと名乗った彼女は俺から手を離し、そう言って両手をお腹に重ねて頭を下げた。
「い、いえいえ、助けるなら最初からそうすべきでした。あんなのは……勝ち馬に乗った様なもんですよ」
実際、ノーラさんは瞬時に男三人を倒して見せた。
俺はただ、そのお陰で混乱していた男二人の不意を突いただけである。
大体、俺は最初彼女を見捨てるつもりだったのだ。
彼女に頭を下げられても、嬉しさより罪悪感のが勝ってしまう。
しかし、ノーラさんはゆっくりと頭を上げると微笑を絶やさずに言う。
「謙遜は美徳……とは言いますが、実際助けられた事に変わりはありませんわ。それに……」
「それに?」
ノーラさんは最後に言葉を詰まらせると、そこで初めて表情を曇らせて視線を落とした。そんな陰が入った表情もどこかグッと来るものがある。
「わたくしを助ける為に沿矢様のタグが紛失したという事実もございます。それを考えると……本当に申し訳ないですわ」
「あ、あ~……。まぁ、百ボタの依頼でしたし、俺は構いませんよ。それに最近は少し実入りが良くて、そんなに生活も困ってないですから」
組合のペナルティは報酬料金の半分を払い、その分のポイントも減点だったかな?
夜の安らぎの主人が俺の仕事成功を組合に伝えてくれたら話は別かもしれないが、態々頼みに行くのもアレだしな……。
初依頼が失敗しちゃったのは少し情けないが、人助けの為なら仕方ない。タグは犠牲になったのだ……。
俺がそう一人で納得し始めていた、まさにその瞬間である。
少し項垂れていたノーラさんは勢いよく顔を上げ、次に両手を叩いて乾いた音を響かせた後、そのまま両手を頬に合わせながら一つ提案してきた。
「そうですわ!! 実はわたくし、明日行きたい場所がございますの。その案内を依頼として申請しますので、ソレを受けて頂けないかしら? 沿矢様は百ボタの依頼を受けていたのだから、そうですわね……。では、お礼として千百ボタでどうでしょうか?」
「ぅえ!? い、いや……そんなには貰えませんよ。それに案内って言っても俺はヤウラに来たばかりで、そんなにこの街の事に詳しくないですし……」
な、なんかこの人って金銭感覚おかしくない? 普通、十倍の値でお礼はしないだろ。
もしかして、どこぞのお金持ちさんだったりするのかな? そう思えば彼女の優雅な振舞いや、身形の良さも納得がいくが……。
いや、待てよ? そもそも、大の男三人を瞬時に倒した腕前から考えるに……凄腕の同業者なのか?
弓さんやキリエさんみたいな女性も多く組合には所属してるし、その可能性は高いぞ。
俺がそんな風にノーラさんの考察をしている間も彼女は柔らかに微笑を浮かべ、おっとりとした口調で話を続ける。
「大丈夫ですわ、わたくしは目的地の場所は分かっておりますので……。これは単に貴方様の依頼失敗の不名誉を払拭する為の依頼であり、お礼でもございますの。どうか受けて頂けないでしょうか?」
め、名誉も何も俺はGクラスだし、そんなに気にしなくていいんだがなぁ。
けど、こんな風に丁寧なお願い方をされると断るのは心苦しい。
俺は諦めた様に微笑を浮かべ、一つ頷いてから了承の意を返す。
「わ、分かりました、その依頼をお受けします。そちらの都合に合わせますので、明日の何時に組合所へ行けば良いかを教えてください」
「……では、朝の十時でお願いしてもよろしいでしょうか? 沿矢様が組合所に来たら、名指しで依頼を申請しますわ」
朝の十時か。まぁ大丈夫かな? 何時も里津さんが八時ぐらいに起きて廊下に出てくるし、それで何時も目が覚めるんだよね。
俺は一つノーラさんに頷いて見せ了解の意を返し、場に沈黙が訪れる。
そのまま解散の雰囲気を感じ取ったので俺は軽く頭を下げながら、別れの挨拶を口にした。
「じゃあ、タルスコットさん。また明日……。あ! 良かったら、家まで送りましょうか?」
途中、こんな場所から女性を一人で帰すなんてとんでもない事だと気付き、俺は慌てて提案する。
彼女はその提案を聞いて一段と微笑を強くしながら一つ頭を横に振ると、楽しげな様子で口を開いた。
「ふふっ、良い気遣いですわ。一つ加点です。けど、ご心配なく。わたくしは大丈夫ですわ……。沿矢様、今日は本当にありがとうございました」
「は、はぁ……。では、俺はこれで失礼しますね」
そう言って歩き出したのは良いものの、やっぱりと言うかノーラさんが気になって仕方が無い。
俺の足取りは重く、チラチラと背後を振り返ると、彼女は微笑を浮かべたまま小さく手を振って元居た場所から動こうとはしない。
そのまま曲がり角の近くまで来た所で俺は足を止めて一つ覚悟を決める様に小さく息を吸い、背後を向いて小走りでノーラさんに駆け寄っていく。
彼女は近づいてくる俺を見て目を丸くし、驚いた様子だ。
俺は彼女の前に辿り着くと、彼女の金の瞳に視線を合わせた。
「あの、やっぱり送っていきます。……減点ですかね?」
俺が苦笑しながらそう言うと、ノーラさんは慈しむ様に瞼を細めた。
「いいえ……。でも、最後の言葉が無かったら大幅に加点でしたのよ?」
「ぅ……。じゃあ、今度は気をつけます」
俺がそう言葉を返すと、ノーラさんは暫く口に手を当てながらクスクスと可笑しそうに笑い続けた。
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結論から言おう、ノーラさんと俺とでは住む世界が完璧に違った。
あの後、雑談しながら彼女が向かった場所はなんと駅だったのである。
なんでも、ノーラさんはミシヅと言う街から来たばかりで、ヤウラの住民ではなかったのだ。
しかし、なんとノーラさんがヤウラ滞在中に利用してる宿は壁の向こう側のメイン居住区にあるのだそうで……。
少なくとも、俺がヤウラに来て初めて利用した宿よりかは高い事は間違いないだろうな。
あの宿が確か三ボタだったから……ノーラさんが居る宿は一泊三百ボタとかしそうだな。金銭感覚的にもお金持ちって感じだったし。
駅前で彼女と別れ、帰路につきながら俺は思考を展開する。
ノーラさんが俺の予想通り同業者なら、メイン居住区に行くには最低でもE+ではないと行けない。
その事は、駐屯地で会ったオリバーさんが話していた通りである。
となれば彼女のランクは最低でもE+である事は確定なのだが……。
彼女の綺麗な服装や余裕のある立ち振る舞い、それに男達を瞬時に倒した実力。これを考えるともっとランクが上でもおかしくはない。
駅に向かう道中でソコソコ会話は交わしたのだが、結局最後まで彼女の正体を確かめるには至らなかった。
まぁ、仮に同業者だったからどうこうすると言う訳ではないが、やっぱり気になってはしまう。
俺がそんな事を考えながら懐中電灯をユラユラ揺らして歩いていると、ようやく里津さんの家に着いた。
何時もだったら出かけても大体店が開いてる時間に帰る事が多かったので、正面から入る事ができるのだが、当然もう店は閉ってる時間である。
俺は家の裏口に回りながらリュックに入れておいた合鍵を取り出すと、音を立てない様にソ~っと差し込んだ。
多分もうラビィや里津さんは寝てるだろうし、ご近所さんにもガチャガチャとした音は五月蝿いだろうしな。
まぁ、ご近所さんを見かけた事はないがな。そもそも周囲の廃墟に人が住んでるかもわかんねぇし。回覧板も回ってこないしな。
俺はおそよ一分くらいの時間を使い、最小限に音を小さくしながら鍵を開けた。
傍から見たらピッキングでもしてたんじゃなかろうかと、あらぬ疑いを持たれてもおかしくはない怪しい動きだっただろうな。
鍵の解除に成功した俺は次にゆっくりと扉を開け、中に足を踏み入れた所で暗闇の中に何かが浮かんで見えた。
俺はソレを訝しげに思い、懐中電灯の灯りをそちらに向けると至近距離でラビィの姿が浮かび上がり、心底仰天してしまう。
「ひゃ!! ら、ラビィ? なにしてるの??」
「……? 沿矢様のご帰還をお待ちしておりました。本当ならば予測帰還時刻を過ぎた所で探索に向かおうかと検討もしたのですが、此処に待機しろとの命令でしたので……」
ラビィは最後にそう言うと、瞼を細めて『不満あり』と言った調子だ。
うーむ……ラビィに外出を許すとノーラさんみたいに絡まれそうだしな。今は我慢してくれとしか言い様がない。
騒ぎを起こして憲兵隊に捕まっても厄介だしな……。すまん、ラビィよ。
「そ、そっか。ごめんな、ラビィ。心配させちゃって……里津さんは?」
「里津ですか? 彼女ならばまだ起きてます。今は上に居ますが……いえ、降りてきますね。足音が聞こえます」
む? ラビィは俺より耳が良いのか、全然分かんないや。まぁ、ラビィに勝てる程の聴力は流石に俺も有してないか。
と、そこまで考えた時に確かに上から足音が聞こえ、階段の方からカンテラの灯りが見えてきた。
里津さんは自分の生活には懐中電灯とか使わないのかな? 商品として売った方が高値で売れるから妥協してるのかね。
里津さんが下の階に姿を表すと、彼女の姿はTシャツとジャージのズボンと言う組み合わせであった。
その組み合わせは彼女の寝巻き姿であり、何時も気だるげな雰囲気を漂わせてる里津さんには何だかピッタリである。
悪い意味じゃなくてさ、何だろうね? 気だるげ美人って感じなんだよね。髪のボサボサが良い感じにマッチもしてるし。
そんな気だるげ美人さんは俺の前に立つと、何故か罅割れた眼鏡の奥からジト目で俺を睨んできた。
「ちょっと……アンタは遅くても夜中の十一時に帰るっつたわよね? なのに気付けば日を跨いで……ん?」
「ぅえ? ど、どうしました?」
里津さんは何故か言葉を途中で打ち切ると、唐突に顔をズイっと俺に近づけてきた。
そんな無防備な仕草は暫く二人っきりの生活を共にした間柄でも少しドキドキしてしまう。
里津さんは俺の疑問に答える事無く、急に鼻をスンスン鳴らしながら俺を匂いを嗅ぎ始めた。
あ、最近ダラダラしてて武鮫を洗ってなかったしなぁ……。
それに今日もクースの時みたいに一日中装備してたから、それで匂いが気になるのかな?
そう予測していると、ようやく俺から離れた里津さんは額に皺を寄せながらポツリと小声で言う。
「ねぇ沿矢、アンタ……。まさか、『ショウカン』にでも行った?」
「召喚? いえ、俺のジョブは召喚士じゃないですが……」
唐突に何を言い出すんだこの人は? むしろ俺はこの世界に呼び出された存在ですがな。
まぁ、契約者は行方不明ですけどね。あいつ等マジでどこ行ったんだろうな? まぁ、またUFOに攫われても困るけどさ。
里津さんは俺の言葉を聞くと、ニヤリと小馬鹿にした様な笑みを浮かべ鼻で笑った。
「あら? そっか……アンタまだガキだもんねぇ~。知らないのも無理はないか」
「……どうせ俺は哀れで無知な子羊ですよ。だったら、その『ショウカン』ってのが何なのかを……ぁ」
と、其処でようやく俺は里津さんが先程『娼館』と言った事に気付いてしまった。
その所為で思わず口を閉ざしてしまい、誤魔化す様に視線を彷徨わせてしまう。
「あ! 何よ、娼館の事知ってたんじゃない!! 全く、とんだエロガキね。やだ……私ったら身の危険を感じちゃうわ。あー怖い怖い」
「くっ……。いや、この歳でエロに目覚めてない男なんて逆にオカシイでしょ!? もし居たとしても、どんだけ穢れの無い世界を生きてきた存在なんですか、ソイツは……」
全くよぉ、この歳で両親に『白いオシ○コが出たの、僕って死ぬのかな?』なんて言う奴がいるか?
そんなんエロ漫画でしか見た事ないシチュエーションだわ!! けどまぁ……嫌いではないけどさ、そういうの。
里津さんの大人気ない煽りを受け、俺はつい売り言葉に買い言葉ってな具合で反応してしまった。
彼女はそれには反応せず暫く楽しげに笑みを浮かべていたのだが、ふと笑みを唐突に消して首を傾げる。
「ん? じゃあ、この香りは結局なんなわけ? ……ちょっと、アンタどこ行ってたのよ」
香り……? あ、あぁ!! ノーラさんの芳しい匂いが服に染み付いてたのか!!
だから急に里津さんは娼館どうこうを言い出したのね。なるほど、納得ですわ……。ん? いや、そもそも俺の歳で娼館って行けるの?
まぁ、崩壊世界だし、そこら辺のモラルも崩壊してるのかね? ちょっぴり興味が湧いてきたぞぅ。
「……いや、普通に依頼を終えて帰って来ただけですよ? 警備員の依頼場所はバーだったんで女性の客もいましたし、その人達の匂いが移ったんですかね?」
『ノーラさんを男達から助けた』なんて事を正直に言うと、また無茶をしたのかと里津さんに呆れられそうだったので、俺は一つ誤魔化してしまった。
里津さんは素直にソレを信じてくれたのか、唇を軽く尖らせながら細かく頷いてみせる。
「ふ~ん、そっか……。ん~~……ねぇ今から風呂にお湯を溜めるからさ、アンタ入りなさいよ」
「ぅえ!? いやぁ……気遣いは嬉しいですけど、俺はもう寝たいんですよねぇ」
里津さんの気遣いはありがたいが、正直もう色んな疲れを溜め込んだ俺は睡魔がヤバイです。
それにお湯を溜める時間とかもあるし、我慢できる気がしないよ。
なので俺がやんわりと断り入れるが、里津さんは腰に両手を当てて高らかに言い放った。
「駄目よ、入りなさい。これは命令よ」
「えぇ!? い、何時からそんな上下関係が生まれたんですか!?」
「借金が出来た時に決まってるじゃない。アンタを生かすも殺すも私の気分次第よ」
「え? 何で急に生死がどうこうの話に?」
それっておかしくね? と、某AAの如く俺は里津さんを指差して疑問を表すが、彼女は全く意に介さない。
「それじゃ、今から沸かすからね。寝てても問答無用で放り込むから、そのつもりでいなさい。いいわね?」
そう一方的に宣言すると、里津さんはさっさと風呂場の方に向かっていってしまった。何なんだよ、一体……。
呆然と立ち尽くす俺に向かって、無言で様子を見守っていたラビィがスラスラと言葉を放つ。
「沿矢様。里津の仕草や目の動きを見るに、どうやら彼女は若干のストレスを感じている様です。彼女への対応にはその事を踏まえた上で、慎重に言葉を返すと良いでしょう」
「す、ストレス?! うーん……やっぱり遅く帰って来たから怒ってるのかな? どうしよう、謝った方がいいかな……」
思わぬラビィの助言を急に受け、俺はどうしていいかが分からず戸惑ってしまう。
そんな俺の困惑を他所に、ラビィは『ところで……』と一つ呟くと、首を傾げて尋ねてきた。
「沿矢様、今日は一緒に入浴しましょう。前にも言ったとおり、やはり入浴時には多大なる隙がございます」
「ぅえ!? なんでまたその話を蒸し返したの!? 前に入浴時の取り決めをしただろ?!」
以前、クースから戻った日の夜は今日の様に里津さんが気を利かせてお湯を溜めてくれたのだが、ラビィが俺の安全確保の為に一緒に入るべきだと頑なに主張を繰り返したのだ。
思ったよりもラビィの説得に時間を費やし、結局お湯は少し冷めてしまうと言う悲劇になってしまったのだが、そのお陰で入浴時の取り決めを決定できた筈なのに……。
だが、ラビィはコテンと可愛らしく首を傾げると予想だにしなかった言葉を放ってくる。
「ですが、沿矢様は今朝言いました。『俺の安全確保だっけ? まぁ、ラビィの好きにしていいよ』……と」
「…………え、いや、あれはそういう意味で言ったんじゃなくてさぁ? 分かるかなぁ、なんて言うかさ……。言葉のやりとりって難しいじゃん? 必ずしも言った事をそのまま受け取るって風潮は良くないと思うな、僕は……うん」
何とか誤魔化しながらも、俺は自身の肌に冷や汗が浮かぶのを抑え切れなかった。
いかん、全くの誤算だ。寝起きだからって迂闊すぎる発言をしすぎたわ……。
そりゃさ……俺とラビィの二人しかいないなら、俺だって男だからハッチャケるかもしんないよ?
しかしである、今の俺は里津さんの家に居候してる身なんだぞ? そんな失礼かつ、破廉恥な行為は里津さんの不評を間違い無く買う事になる。
それに、だ。ラビィと一緒に入浴して俺の理性が抑えきれず、もし『そんな関係』にでもなってしまったら俺はそこで満足してしまい、一生家族を築く事ができない恐れがある。
歳若い俺が一度楽な道を選んでしまったら、それに甘えっぱなしになってしまう事は遺憾ながら否定できない事実だ。
何としてもこの甘美な誘惑を振り切り、ラビィを説得しなくては……。
ラビィは俺の曖昧な言葉を受けて少し沈黙していたのだが、暫くして僅かに戸惑った様に眉を顰めて尋ねてきた。
「ラビィには沿矢様の言ってる意味がわかりません。どうか、簡潔にお願いします」
「か、簡潔に? ま、まぁ、簡単に言うとだな……。ラビィとは入浴できない、って事で」
俺がそうズバっ!! と答えを口にすると、まさに『唖然』と言った様子でラビィは僅かに口を開いたままで動きを止めた。
暫く沈黙が場を包みジーっと動きを止めてラビィの様子を伺っていると、風呂場からお湯を注ぐ音が聞こえ始めて来た所でようやく彼女は硬直を解き始める。
「……分かりました、命令の一部を上書きします。では……念の為に風呂場の外で待機すると言う、以前の任務内容でよろしいですね?」
「あ、あぁ、うん。そうだね……」
良かったぁ。ラビィの聞き分けがよくて助かったよ。
俺は安堵からホッと一息吐くと、そこでようやく靴を脱いで家の中へ上がる。
そのまま一階にある居間に腰を落ち着けると、急激に眠気が押し寄せて来たのを感じ取った。
とりあえず俺は武鮫を外し、リュックを下ろしてそのまま床に寝転ぶとゆっくりと瞼を閉じる。
まぁ、いくら里津さんでも本気で湯船に放り込むような真似はしないだろ。
なんだかんだで優しいからね、あの人は……。
そんな事を思いながらも、急激に意識が遠ざかるのを感じる。
俺は素直に意識を手放して、安らかな眠りへと落ちていく。
しかし、そんな俺の予想はすぐさま裏切られる。
何故なら、俺が次に目覚めた時は今まさに俺の両脇を手で掴み、抱えようとする里津さんの気配を感じ取った時であったからだ。
意識を取り戻した俺に気付き、背後から僅かに聞こえた里津さんの舌打ちに俺は静かに戦慄したのである。
バラエティじゃないんだからさ、そういうの止めようよ。
最近、ああいうドッキリって苦情が凄いらしいんやで? 全くもう……。
結局、何だかんだかんだで俺が寝床に辿り着く事ができたのは風呂に入り、大分時間が立ってからであった。
しかも俺は今日から廊下でラビィと一緒に寝るという初体験に少しドキドキしてしまい、しばらく寝付けなかったのである。
まぁ、当の本人であるラビィは俺が寝るのを見届けるまで無言で見つめてきたので、別のドキドキ感も味わったよ。
気になってチラチラ瞼を開けてもずーっと見てるからね? しかも、無表情で。
今日からずっとこれが続くのかと、少し憂鬱な気分になりながら俺は今度こそ眠る為に瞼をキッチリと閉じる。
――朝ちゃんと起きれるかなぁ? 俺……。
意識が遠のく寸前、ふとノーラさんとの約束を思い出して不安に駆られたが、俺にはもうそれを考える気力はなかった。




