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 第三章は12C狂信者。

 マコトくんは果たして、ここでも勝利して生き残ることができるのかな?

 一日目:昼パート


 旅人:マコト

 小間使い:ナナ

 物乞い:トロイ

 青年:ハンニバル

 ならず者:メアリー

 老婆:コーデリア

 盗賊:マスケラ

 芸人:エイプリル

 羊飼い:ドナ

 掃除婦:エリザベス

 シスター:アイリーン

 楽天家:ジョン


 バスからは芳香剤の匂いがした。そんな日常的な匂いをかぎながら、疲れた体を横たえるままにバスに揺られていると、今自分たちの置かれている異常な状況を忘れそうになる。

 しかしふと視線を窓のほうに向けてみると……そこには見知った日本の町並みなどはなく、ただただ延々と続く人も建物も何もない荒野が広がっているだけだった。地平線が見えるほど広大な、砂漠のようなその景色は、脱走の意欲を俺達から奪うには十分なものだった。

 「ねぇマコトくん。バスなんてなんだか興奮しない?」

 前の座席から、トロイが身を乗り出して俺を覗き込んできた。その表情は遠足に行く子供のような純粋さに溢れている。この状況でこんな風に微笑むことのできるこいつは、やはりというか、どこか神経がおかしいのだろう。

 「学校に行ってた頃を思い出すよ。いや、まともなバスに乗るのは中学三年の修学旅行が最後だしさ。それにマコトくんみたいな同年代の人と一緒に乗れるなんて、なんだか幸せだなぁ」

 「……おまえ。今は高三なんだろ? 高校の修学旅行には行かなかったのか?」

 「いや、僕って実は中卒なんだよね」

 「そうなのか?」

 「まあね。言ったでしょ、僕は勉強も運動もできなければ友達もろくにいないんだ。ちょっと人より頭がいいってだけ。そんな奴がわざわざお金払って高校にまで行っても仕方がないんだよ」

 俺はなんとなく返事に困った。別にこの状況下でトロイの奴の学歴になんて興味はないが、ふつうは頭の良い奴は高校に進むと思う。

 「マコトくんは……今は高校に通ってるわけ?」

 気さくに世間話を楽しむような口調でそう投げかけられ、俺はついあしらうような口調でこう返す。

 「まあ……一応進学校にな。サボりがちだが」

 「へえ。あはは、ちょっとうらやましいかもしれないね。進学校ってことは、大学にいって将来は学者さんとか?」

 「高校行ってるくらいで大げさだよ」

 「そうかい? 僕はそうは思わないけどね……。ナナさんは今どうしてるの?」

 トロイは視線を俺から隣に座るナナへとスライドさせた。ナナは「うーん」と首をひねってから

 「一応、高校生ってことには、なってるよ? 大学に行くかどうかは、まだ決めていないけど」

 「そうなんだ。学校は楽しい?」

 「あんまり通えてないけれど、楽しいよ」

 ナナはそう明るく言った。トロイはうなずいて

 「それはいいことだね。ところで、お二人はどこに住んでるの? これが終わったら、また遊びに行かせてよ。僕は結構、身が軽くってね」

 「……そろそろ馴れ合いはよしておくんだな」

 トロイの向かいの窓際の席で、一人で腕を組んでいたハンニバルが冷徹な声でそう言った。

 「……ハンニバル?」

 俺はそう言ってハンニバルに視線を投げかける。ハンニバルはその視線に答えることもせずに

 「次の試合で君達が同じ陣営になるとは限らない。もし別陣営になったら、俺様たちは当然、お互いに殺しあうのが運命だ」

 そう言ったきり、何も口に出さなくなる。

 ……まあ。それも正論なんだよな。

 俺達は今、お互いに騙しあい、腹を探り合い、殺しあう極めて異常な状況におかれている。今このバスには先ほどのゲームの勝利者である七名が乗っているが……人懐っこいトロイが近くにいる俺の周囲意外では、ずっとぴりぴりとした雰囲気が流れている。

 ハンニバルはゲームが終了して数分は真剣な面持ちでトロイと感想戦を行っていたが、それがすんでしまうと『馴れ合いは終わりだ』と言って俺らの傍から離れて行ってしまった。

 コーデリア、メアリー、マスケラもそれぞれ俺達から離れた席に座っている。俺はなんとなく最初のゲームの時点から一緒だったナナやトロイと行動を共にしてはいるが、……こいつらともいずれ戦わねばならない時が来るのかもしれない。

 ……そう思うと。酷く憂鬱ではあった。


 ○


 灰色の壁に囲まれた施設を抜けて、やってきたのは荒野に立つ白銀の建物だった。

 塔のような概観をしたそれは、中に入るとホテルのロビーのような作りになっている。広く開放的な、空調も行き届いた涼しくて快適な空間だ。高い天井には巨大なシャンデリアが吊り上げられていて、壁にはどこかで見たことのあるような絵画が飾られている。絨毯のふみ心地も上等と、こんなよくできた施設が荒野に聳え立っていることが、俺は酷く不思議でならなかった。

 「どういうことなのかな。マコトくん」

 ナナがいぶかしげな表情で俺に疑問を投げかけた。

 「……確かにおかしいな。ただ、ホテルがあるってことは、少なくともここらには人が住んでいる、という風に考えていいのかな? ……だったら」

 助けを呼びにいける……と続けようとしたところで、ナナは黙って首を横に振った。

 「それは無理……だと思うよ。見たでしょう? バスの中から見た景色。見渡す限りの荒野で……たとえばここを脱走して助けを求めても、遭難してしまうのがオチだよ」

 「けど。おかしいだろ、こんなところにホテルが突っ立ってるなんて。さっきの学校といい水族館といい、意味が分からないぞ」

 「意味が分からないのは、最初からだよ。……とにかく、変な気はおこさない方が、いいと思う。マコトくん、この建物の外がすごく暑かったの、覚えてる?」

 「……?」

 状況を飲み込むのに必死で気温など気にかけなかったが……確かに今俺は汗をかいている。思えば、この建物には言ったとき最初に感じたことは、涼しくて快適な場所だ、ということだった。

 「……暑かった、な。確かに。……でもおかしくないか? 今はもう十一月だぞ?」

 「うん。日本で、この時期にこんなに暑いのは、おかしいことなんだよ。だから、わたしはここは多分、日本よりはるか南にある場所だってそう思うな」

 「……そんな」

 だとすれば……いつの間にか外国にまで連れてこられているということになるではないか。

 「ここがどこだか分からない。けれど、日本じゃないってことは推測がつくよね。そしてバスから見えた砂漠みたいな景色。……とても軽率な行動は、起こせないよ」

 「そう悲観することはないって」

 ナナとの会話に、わって入ってきたのはトロイだった。

 「ようは人狼ゲームに負けなければいいだけだよ。大丈夫、マコトくんやナナさんだったら、何も心配はないって」

 「……おまえな」

 俺があきれた顔でそちらを向く。一切の心配や憂いを感じさせないその表情は、この状況下であまりにも浮いている。

 「悲観するのはゲームに負けてからでいいじゃない。それまでは一緒にゲームを楽しんでいればいいんだよ。そうだろうマコトくん」

 「…………」

 そう口にするトロイの表情は、確かに俺を心配しているように見えた。人懐っこいその表情に、無理に作ったような歪さは一切ない。ただ純粋に、気さくに人を勇気付けようとする明るさが、備わっているように見えた。

 その無邪気さが、俺には怪訝に思えて仕方がなかった。こいつは一人、何故こうまでも気楽なのか。何故こうまでも……飄々としていられるのか。

 「……今回は。わたし達のほうが先に付いてたみたいだね」

 そのとき、ナナがつぶやくように言った。どういう意味かを尋ねようとすると、ホテルの出入り口の自動ドアが開かれ、中から仮面の『初日』達に混ざって、数人の参加者らしきものたちがホテルのロビーに入ってくる。

 「はわわわーん。うわ、めっさ多いじゃん。なにこれ面倒くさいー、さっきの八人村もそーとー面倒だったのに。もっと増えるとかボク困っちゃうなー」

 そう言ったのは、華奢な体に媚びるような表情を浮かべた少女らしき人物だった。トロイとはまた違った余裕を漂わせながら、きょろきょろと警戒する小動物のように俺達に視線を傾けてくる。『芸人:エイプリル』とあるその人物は、俺と視線を合わせるなりにやりとたくらむように笑んだ。

 「あ。君さ、今視線合ったよねー。きゃは、ちょっと運命的なものを感じるかもー」

 「はあ? いきなり何を言って……」

 言うなり、エイプリルはたかたかとこちらににじり寄ってくる。それから俺の手を掴んで体を寄せてくる。いきなりの行動に俺は戸惑う。エイプリルはじっとこちらを上目遣いに見詰めると、にこりとアイドルのようにきらびやかな、しかしどこか作られたような笑顔を向けた。

 「マコトくんっていうんだー。なんだかかしこそー。同じ陣営になれるといいね」

 そう言って片目を閉じてウィンクをしてくる。酷くわざとらしいものを感じなくもなかったが、同じくらいに愛らしいのもまた事実だった。

 「マコトくん?」

 隣でナナが険しい視線をこちらに向ける。トロイがくすくすと笑って言った。

 「あはは。鼻の下、伸びてるよマコトくん」

 「いや。これはその、何かの間違いだ」

 ナナは相変わらず怪訝そうな視線をこちらに向けてくる。だから違うんだって、と弁解しようとしてみるが、どうも表情が緩んでいることは自分自身でよく理解できた。エイプリルはにやにやと笑って

 「でもちょっと騙されやすいのかも。気をつけてね、マコトくん。ボクたちけっこー強いから、なんだってもう二戦を勝ち抜けてきたんだからねー。きゃはは」

 そう言って俺の元を走り去っていく。ナナはぼんやりとそれを見送って、一言

 「変わった子、だったね」

 「そうだな。変わってたな。ははは」

 俺はそう言ってから笑いする。「可愛らしい子だね。僕もちょっと好みかな」トロイが何かたくらむような視線を俺の方に向けてきた。

 「……あなた。かわいいわね」

 ふと。つぶやくようなその声に視線を向けると、そこには大柄な女が首を異様な角度に傾けて……ハンニバルの方を注視していた。『掃除婦:エリザベス』とある。

 「なんだ君は」

 ハンニバルはいぶかしむような……少し怯えたような視線をエリザベスに向ける。ハンニバルがひるむのも無理はない。身長が百八十センチを超えていそうなハンニバルよりも、エリザベスはさらに背が高い。酷く肉薄で針金細工のような体つきをしていたが、肩幅は広く、手足は異様なほどに長かった。そして青白い顔で、引きつった笑みを浮かべながらハンニバルのところに歩いてくるその様子は、見ているだけで相当怖い。

 「好みねぇ、あなた。……ふふふふふ。怯えた顔もすごくいいわぁ。女の子の格好をさせて椅子に座らせて一生飾っておきたいわねぇ」

 「気持ち悪いことを抜かすな」

 「あら気持ち悪いって気持ち悪いって言ってくれたのぉ? 傷つくわねぇすごく傷つくわぁ気に入った子にそんな風に言われるの、すっごくぞくぞく傷ついちゃうわぁ。でもいいわぁワタシ自分が気持ち悪いの知ってるから。逆に興奮してきちゃうくらいよぉはあはあはあねぇもっと言ってよぉねえねえ」

 そう言って長い肢体でじりじりとハンニバルににじり寄ってくるエリザベス。

 「おいマコト。この変態をいますぐにどうにかしろ」

 ハンニバルは俺の方に困窮した表情を向けてくる。さっきまで『馴れ合いはごめんだ』みたいな態度をしていた癖に、調子の良い野郎だ。気持ちは分かったが。

 「……あ、あのあの。皆さんも、別の場所で二勝してきた方なんですかぁ?」

 おずおずとそう話かけてきたのは、怯えきったような表情をした女性だった。胸元の名札には『羊飼い:ドナ』とある。気弱そうな表情を恐怖と憔悴でくしゃくしゃにさせ、おどおどとこちらに話しかけてくるその様子は、哀れを誘うと同時に、大きく共感できるものだった。

 「ああ。えっと……ドナも同じように?」

 「ええとその。そうなんですよぅ。うぅ、もう二回も生きるか死ぬかをやらされてぇ。あたしもうまいっちゃって……でも次があるなんてぇ。うぅ、うううぅ」

 「はわわーん。根暗がまった泣いてるー。バッカみたーい。一戦目で『狂人』になった時はそんな顔してえげつねぇくらい上手に人騙してたくせにー。あざとーいなーこのクソビッチ。きゃはは」

 エイプリルが嘲るようにそう言った。ドナは怯えた顔をしてエイプリルの方を見ながら

 「ご、ごめんなさいごめんなさい。あたし生きるのに必死でぇ……その」

 「いいから黙ってよー。根暗な声聞いたらこっちまで気分悪くなるからさー。あーこんなのが『狂人』でボクってば一戦目によく生き残れたよねー。きゃは」

 どうやらこの二人は人狼陣営で共に戦った間柄らしい。とは言え、あまり仲のよさそうな空気はないが。

 「…………」

 最後の一人。俺たちよりも二つ三つ年が下であろう少女は、何も言わずにただ俺達に冷静な視線を浴びせかけていた。怯えて声も出せないという様子ではなく、冷静に警戒し、距離を測っているように見える。ぴりぴりとしたこの場の空気に、そぐうと言えばそぐう態度だ。『シスター:アイリーン』とある。

 「……アイリーン、さんかな?」

 そう声をかけたのはナナだった。アイリーンは静かにうなずいて「そうなの」と言った。

 「あなたも、あっちのドナさんやエイプリルさんと一緒に、二戦目を勝ちあがってきたの?」 

 「……そうなの」

 「陣営は?」

 「……村人陣営だったの。あっちの二人がしているのは、最初の六人村の話。私たちが一緒になったのは、次の八人村なの」

 どうやら俺達のところとは人数が違ったらしい。二戦目をすべて十一人村で行うとあまりが出るので、そうやって調節しているのだろう。

 「一気に女の子が増えたね。オーヴェンくんが生きていたら、きっと喜んだだろうに」

 トロイが愉快そうに言った。

 俺は『初日』たちに連行されて言ったオーヴェンのことを思い出してしまう。目の前に迫った死の恐怖に、諦めたようにうなだれていたケヴィン。不遜な表情で立っていたオーヴェン。そして……恐怖に喚き怒鳴り散らしていた、サイモン。

 「……しょうがない、とはいえないと思う」

 俺の心中を察したのか、ナナがこちらに心配げな視線を向ける。

 「でも。それはマコトくんのせいじゃない。それだけは、間違いがないから」

 「ああ。分かってる」

 俺はそう言ってうなずいた。

 「……全員集まったのでるかぁっ!」

 そう、陽気な声がホテルのロビーに響いた。

 見ると、ロビーに備え付けられていた巨大なモニターに、身を乗り出した紙袋の『初日』が映し出されている。忌々しいそいつは

 「ふむふむ。いーい顔ぶれなのであるなー。流石は二連戦を乗り越えたつわものというだけのことはあるっ! ワタシは諸君らを誇りに思うのであるっ!」

 「……てめぇか」

 敵意を押し殺した声で、俺は言った。『初日』は相変わらずのハイテンションで

 「それでは三戦目はここにいる十一人プラス『初日犠牲者』で、十二人役職多め……通称12C村をプレイしてもらうのであるが……」

 「ひぇえ。ま、またすぐにやるんですかぁ?」

 ドナが涙声で言った。「ノンっ! ノンっ! ノンっ!」『初日』は指先を突きつけながら

 「流石に二連戦をこなして諸君らも疲れていることであろうっ! こうなってくると、体力が持つか、集中力が持つかという勝負にもなってしまいかねないのであるっ! 疲れ果ててろくに推理のできないものから敗北していき、気力に勝るものが生き残る……そんな展開をお嬢様は望んではおられない。よって、今夜はこのホテルで各自、休息を取ってもらい……予選最終戦は明日の朝食後を持って開始とさせていただくのであるっ!」

 「……明日」

 一日休息がえられることに安堵すると同時に、二日まるごと監禁拘束されるのだという事実に辟易したい気持ちになる。

 ホテルのロビーにはどこか、弛緩した空気が流れた。二連続の心理戦でまいっていたのは、ここにいる誰もが同じらしい。

 「これより諸君らにホテルの部屋を一つずつ与えるのである。鍵を受け取り、明日の為に部屋でじっくりと休息を取るのだっ! 明日はお嬢様が直接諸君らの顔を見にこのホテルに現れるので、気合を入れておくのであるっ!」

 「待って。ここに来るの?」

 唐突に、ナナが『初日』に対して鋭い声をあげた。

 「……うむ。そのとおりなのである。お嬢様は、明日、生き残った諸君らの顔を見に現れる」

 「それは……直接?」

 「直接なのである。そのための場と時間も用意するつもりだ。おそらくは、ゲームの開始前となるな」

 「……そう」

 ナナはそう言ってうなずいて……何か考え込むようにうつむいた。

 「ナナ? どうしたんだ?」

 俺が声をかけると、ナナはこちらを向いて薄く笑いながら首を振る。

 「なんでもないよ」

 そう言って、左手で俺の袖を握り、引っ張りながらそう言った。

 「鍵、もらってこようか。なんだか疲れちゃったしね」


 ○


 客室は俺がこれまで見てきたどの旅館のものよりも豪華だった。四肢を広げてもあまりあるベットに豪奢なデスク。ガラス張りの壁から見える景色が無限に続く砂色の荒野であることだけは気にかかったが、こんな状況でもなければさぞかし贅沢な気持ちになれていたことだろう。

 ゲームとやらに夢中で気づかなかったが、どうやら時刻は既に夕暮れを迎えているらしい。部屋のベットでこれまでに起きたさまざまな理不尽について思いをめぐらされていると、あっという間もなく暗くなった。このまま眠ってしまおうかと考えて、せめてシャワーくらい浴びておこうと考え直す。

 ……へこたれた時こそ、こういうことをちゃんとこなさなきゃいけないんだよな。

 病院暮らしで身に着けた教訓だった。体を清潔にして、歯を磨いて、眠った後は髭もそろう。そういえばメシもまだ食べていない。この様子だとルームサービスか何かで待っていても食事は用意されるだろう。食べる気になるかどうかは分からなかったが、翌日に備える為にも何か腹に入れておく必要があった。

 服を脱ぎ捨て、シャワー室に入る。お湯を出そうとして、タオルと着替えがどこに用意されているか確認していなかったことを思い出し、外に出る。

 「やあ僕だよ」

 浴室の外では、トロイが俺のベットに腰掛けて気さくに手を振っていた。

 「はぁあ?」

 俺は裸になったまま硬直する。トロイはニコニコと俺の方に手を振って立ち上がる。

 「おっと。これは良いところだったね」

 「良いところってなんだよ。てめぇなんのつもりだこら」

 俺は近くにあるものをトロイに向かって投げつけそうになる。トロイは「わわわ。待って、待ってよ」と困惑した表情で後退る。

 「……ごめんごめん。驚かせちゃったかな。勝手に入ったのは悪かったって、謝るよ」

 乙女のようにうろたえていた俺は、トロイのその冷静な謝罪を受けて酷く情けない気持ちになり、ため息をついてからその場で座り込んだ。

 「何のつもりだ? 鍵はどうしたんだ?」

 「かかってなかったよ? そもそも、かける必要なんてないじゃない」

 それはそのとおりか。俺は男だし、そのあたりの警戒心は薄いというか皆無に近い。身一つで誘拐されてきた立場上、特に貴重品を身につけているわけでもない。無意識に施錠などしているはずもないのだ。

 「いや。しかし良いタイミングだったよ」

 トロイは飄々として口にする。俺は怖気を奮いそうな気持ちになりながら

 「俺の裸を見て何がうれしいんだよ?」

 「いや。そういう意味じゃないってば。僕はふつうに女の子が好きさ。ここにいる中だと、エイプリルさんかメアリーさんが好みだね。それはともかく。良いタイミングって言ったのは、君がシャワーを浴びるちょうど直前だったことさ」

 そういうとトロイは楽しそうに手を差し出す。

 「一緒に大浴場に行かないかな? 大きなお風呂は旅の楽しみだよねぇ」

 少年のように無邪気に提案するトロイに、俺はついため息をつきたくなった。


 ○


 トロイのその誘いに乗ったのは、奴の態度にあまりにも邪気がなかったからだ。

 ただ純粋に旅館を満喫しようというようなトロイの図太さを、俺は少々ばかり見習いたい気分になっていた。このすっとぼけて見えるトロイが人狼ゲームにおいて活躍を見せるのは、この状況に押し潰されない飄々とした精神力に由来するのかもしれない。

 「……おまえ。見た目より結構がっしりしてるんだな」

 トロイの肢体を見た俺は、ついそんな感想を抱く。「あはは。じろじろ見ないでよ」そう言って恥じらいを見せるトロイ。俺は首を振るった。これではまるで俺の方に変な気があるようだ。

 「実は二回ほど体を鍛えたことがあってね。一回は軽く、二回目はもう死にたくなるほど徹底的で強引に……。でも。生まれつきの資質みたいなのはどうしようもないみたいで、軟弱でなくなっただけで、喧嘩もスポーツもからっきしなんだよ」

 大浴場もこれまた見栄えよく豪華なものだった。見るに清潔なタイル張の、洋風の浴槽。だが、流石にあの砂埃舞う屋外に、露天風呂はないらしい。

 「体を鍛えた……。おまえがか?」

 「そうだよ。一回は学校に通ってた頃なんだけどさ。好きな女の子がいてね。その子がたくましい男性、特にスポーツマンが好きっていうから、サッカー部に中途入部してみたんだ。そこでまあ腕立て腹筋走り込みみたいなことはやったんだよ」

 「へぇ。意外だな」

 「とは言っても結局はふられちゃったんだけどね」

 笑い話みたいにトロイは言った。俺は「残念だったな」と答える。

 俺ももう少し腹筋を割ろうか。などとどうでもいいことを考えていると、てきぱきと体を洗い終えたトロイは俺の方を見て微笑んで言った。

 「それじゃ。僕はもうあがるから。また後でね」

 そう言って浴室を出ようとする。

 「おい待てよ。せっかく大浴場まで来て湯船で温まらないのか?」

 俺が尋ねると、トロイは微笑みながら

 「僕は浴槽っていうのがちょっと苦手でさ。そもそも溜まった水っていうのはもともとあまり清潔でない訳だし、それに誰の垢が浮いているのかも分からないしね。あまり入る習慣がないんだ」

 「だったらどうして俺を誘ったんだよ」

 「最後に、体を洗いながら君とお話がしたかったんだよ。目的は果たしたし、そろそろでようっかなって。マコトくんも、のぼせないようにね。……さようなら」

 そう言って飄々とその場を立ち去っていくトロイ。……マイペースというかなんというか。一人取り残された俺はどうしろというんだ?

 奇妙な寂寥感を抱え込みながら、一応なりとも浴槽に体を浸けた。ここまで来たからには温まっておこうというつもりだったのだが、どうもむなしい気分がする。あんな野郎でもいなくなれば寂しいものなのか。

 「……最後に、か」

 トロイの台詞が思い出される。最後に俺と話がしたかった。いったい何が最後なのだろうか……。それはおそらくは、俺とトロイが人狼ゲームで生き残りを競い合うプレイヤー同士でなく、ただの境遇を共にする仲間でいられる最後の時間ということになるのだろう。

 ……仲間、か。

 情がわいた訳ではない。トロイには人懐っこさと同時に他人に対する酷薄さが備わっている。敵を屠ることへの戸惑いのなさと、相手を騙すことへの躊躇のなさ。信頼できた奴ではないことは、人狼という酷く人間性をむき出しにするゲームをプレイすることで理解ができる。

 ……しかしそれでも奴が俺に親しみを持って、無邪気に同じ時間をすごそうとしていることは、間違いがなかった。

 「また同じ陣営になれればいいな」

 ふとそんなことを呟いている自分に気づく。そして自嘲、そんなことだからハンニバルに『馴れ合いはよしておけ』などと忠告されるのだ。

 「どうしたの? えと、マコトくん、だよね?」

 寄りかかった壁の向こうからそんな声が聞こえて、俺はその場で飛び上がった。

 「うわぁっ! な、なんだ突然……」

 「あはは。マコトくんだ。そのすごく素直な驚き方は、やっぱりマコトくんだよね」

 煙の漂う中で、くぐもった声が反響する。透明で静かなその声の持ち主を、俺はよく知っている。

 「……ナナか」

 「正解。声、覚えていてくれたんだね」

 俺は壁に寄り添って背中を向ける。反対側では、おそらくナナが同じようにして座っているのだろう。

 「さっきは、何を言っていたの?」

 「いや……」

 トロイの奴と敵対することに対して悲しいものを感じていた、などとは照れくさくて言えない俺は、首を振るって話を変えた。

 「なあナナ。本当に、俺のこと覚えていないのか?」

 もう何度か質問した内容だ。しかしそれでも、繰り返し問いただしたくなってしまう。俺にとってこの再会はとても重要なことに思えたし、可能ならばナナにあの時のことを思い出してほしいからだ。

 「覚えがないの。本当にマコトくんとは初対面だと思う」

 「……そうか」

 「察するに……マコトくんは、過去にわたしと同じように右腕のない、もしかしたらわたしと顔の良く似た女の子とであった……ってことなんだよね?」

 察するにも何もそういうことでしかありえないと思ったが、俺は「そうだ」とうなずいて答えた。

 「それはいつのこと?」

 「俺が十歳の頃。七年前だ」

 「どこで?」

 「病院だよ。俺はそこに入院していて、おまえと会ったんだよ。覚えてないか?」

 「……ううーん」

 ナナは悩むようにして

 「七年前だったら、確かにわたしも病院に住んでたね」

 「そうだろう? 病院の名前までは覚えてないんだけどさ。そのとき、俺は確かにおまえに『マコト』って名乗ったはずだぜ?」

 「え? マコトくん……それ本名なの?」

 「あ……ああ。俺、本名が白岡真人っていうんだ」

 どういう訳だかはしらないが、俺のこの『旅人:マコト』というのは本名由来の仮名なのだった。トロイだのリザードだの、明らかに仮名だと分かる名前と違い、俺のものだけ奇妙に浮いている。

 「偶然の一致……かな?」

 「まあ俺だけ特別に本名と同じにする意味もないし、きっと偶然だろう? それはともかく、思い出さないか? 七年前、病院でだ」

 「ごめんなさい。どう考えても分からないの。あの頃は本当に色々なことがあって、たくさんの人と会ったから。マコトくんのこと、覚えていないみたい」

 「……そうか」

 「ごめんね」

 「いや。いいんだ」

 そう。思い出せなくともそれは仕方がない。

 「こうしてまた会えただけでも嬉しいよ。俺にとってナナは、そういう奴なんだ。それだけは知っておいて欲しい」

 そう言っておいてから、妙に照れくさい気持ちになる。かまわず言った。

 「だから俺は絶対に、何があってもナナとこの異様な場所から抜け出したい。そしたら、色んな話をしよう。いつか思い出してもらえるかも分からないしさ」

 それからしばらく、向こうから返事が来ることはなかった。言いたいことを言い切った後のその沈黙は、俺にとって心地の悪いものではない。しばらく沈黙が続いて、前触れなくナナのほうからこう切り出した。

 「……そろそろ出ようか。マコトくん。のぼせちゃうよ」


 ナナは旅館に備え付けの寝巻きの浴衣に着替えてやってきた。俺も同様のものを部屋から拝借してきている。

 右腕のないナナの浴衣の袖は、ぴらぴらと彼女が歩くのにつれて揺れている。俺がついそれを目で追っていると、ナナはどこかしら愉快そうな表情で

 「やっぱり気になる?」

 と尋ねてきた。

 「まあな。じろじろ見てぶしつけだったか?」

 「ううん。全然気になることじゃないよ」

 「そうか」

 「ちっちゃい頃、本当に小さな頃は、これで色々あったけど。馴れちゃうと何も困らないものなんだよね。体育が見学になるくらい、かな?」

 「でも。不便は不便、なんだろ?」

 「それはもちろんね。一番困るのは、キーボードがすばやく叩けないってことかな」

 「ネットで人狼やってたんだっけ? どうやってたんだ? 携帯電話?」

 「ううん。携帯電話からのアクセスはできないサイトだったからね。だから、片手でキーボート叩いてた。両手使わないとできないことなんて、案外少ないものなんだよ」

 「練習の成果じゃないか、それは。たまたま腕が二本ある俺からすれば、片手で困らないっていうのはすごいことだと思うけどな」

 「そうかな。……ふふ、飛び切り素直なマコトくんに言われると、嬉しいかもね」

 俺が……素直か。

 それはもちろん、自分がひねた感性を持っているなどとは思ったことがないが。

 「ねぇ。マコトくん」

 そう言ってナナは微笑みながら、自分の着ている浴衣の袖をめくった。

 「……どうしたんだ?」

 「触ってみる?」

 そこにはナナの右手の切断面があった。肩から伸びた白い腕に視線を向けると、肘まで行かない中途で途切れる。断面がどうなっているかなど想像したこともなかったが、それはいたってふつうの、人間の皮膚があるだけだった。

 「……どうしたの?」

 「いや」

 唐突にそんなことを持ちかけられ、困惑するばかりだ。ナナは愉快そうに微笑みながら俺に腕の断面を突きつける。俺はなんとなく、酷くなんとなくだがそれに触れること躊躇というか、照れくさいものを感じて言った。

 「……いいのか?」

 「別にいやじゃないよ」

 だったら……と俺は手を伸ばした。やわらかい……が、確かに歪に切り離された骨の感触もする。しかし、とても良い感触だ。女の子の肌という感じがするそれに触れて、俺はなんだかいけないことをしている気分にさせられた。

 「どう?」

 「……すべすべしているな」

 「お風呂あがりだからね」

 ナナはくすくすと笑う。俺が手を離すと、ナナはさっさと左腕を袖の中にしまってしまう。

 「……どうしてこんなことさせたんだ?」

 俺がついそんな風に尋ねると、ナナは「うーん」と首をひねってみせて

 「なんだかね。マコトくんになら、見せていいような気がしたの」

 「……は?」

 「なんでもない」

 それからナナは愉快そうに笑って

 「それじゃあマコトくん。またね」

 手を振りながら去っていった。

 ……またね。

 そう言って、ナナは俺から離れていった。そのときに『またな』と返すことができたのかどうか、それがわからないまま、俺は一瞬だけ立ち尽くして、それから自分の部屋へと戻っていった。

 そこからはもうすぐに眠った。疲れていたのと、風呂に入ってなんだか安心してしまっていたのが原因だった。

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