心配
凄まじい重量で落ちてきた刃を真横に構えた刀で受け止め、力比べはせず刀身を斜めに傾け滑らせる。リズムを崩した相手が一歩余計に間合いに入り、律はその一拍に腰をおとすと刀を引いて真横に跳んだ。そこに魔力の襲撃が飛び、片手を地につき接近していた相手を蹴飛ばすと、その勢いを殺さず着いた手を軸に背転する。着地しざまに右へ走り、突きの形に構えた刀で初めの相手を一突きした。鳩尾を貫通した刀は抜かず、手を離して膝をつくと頭上すれすれを刃が横に薙ぐ。わき腹に鋭い痛みが走り、上体を捻って斜めに跳んだ。眼下、今しがた刀を埋め込んだ体が二つに切断されたのが見えた。続けて繰り出された魔導光を着地と同時に横に転がり避け、起き上がった流れでそのまま相手に突進した。その行動に構えた相手の僅かな一拍、律の蹴りが腕に飛ぶ。衝撃で一瞬離れた相手の剣が次の拍子には律の手に移り、横へ一閃。二つに別れた体がどうと音を立て、後ろへ倒れた。
それきり、動くものは居なくなった。
「ふー…」
大きな息を落とし、律は不要になった剣をどっこいしょ、と地に突き立てた。脇腹の傷に顔をしかめながら、踵を返してもう一つの切断死体の所へ行くと、突き刺さったままの刀を引き抜く。そのまま刀身を二度ほど振って体液を飛ばし、服の裾で軽く拭うと鞘に戻した。かちん、と小さな音が響いた。
地に転がる二体の躯は、上等魔族と呼ばれる滅多に人の世に姿を見せぬものたちだ。高位魔族の上に位置する連中で、コレ一体で国一つなら数分で消し炭に変える力を持つ。律のもとへやって来たのは三体だったが、一体は故意に逃がした。連中が、先日高位魔族十体を殺した律に興味を持ち見にきたのだと解っていたので、手を出すと火傷するぞという手紙代わりだ。律一人ならいくらでも相手するが、生憎今の律には配慮すべき者達が居る。それを受け入れた以上、なるだけ面倒事は遠ざけたい。
散らかった魔族の死骸を眺め、渋面でばりばりと頭を掻くと、律は転がる二体分の切断死体を纏めた。そして服を用意してくれたメイドのヘザーに謝罪しながら、己のベルトを引き抜きポケットナイフで縦に裂く。それを繋げて長い紐にし、死体を適当に括った。出来上がったそれを担ぎ上げようとしたが、重かったのでひきずる事にする。無理してぎっくり腰にでもなれば笑えない。
昨日律が案内された屋敷は、エヴィの所有する王都の別邸だった。本邸は彼の領地であるエディンバという土地にあり、ここから馬車で2日ほど行った所にある。律に提供したいというニールスの森もそちらにあり、ここへ寄ったのは騎士団への報告を兼ねた骨休めだとエヴィが言っていた。それにどちらにしろ、地理上、王都を通らねばエディンバには行けない。申し訳なさ気にそう言うエヴィに、律は気にするなと言った。敵の巣に入ったからといって、バレなければ追われる事はない。
「・・・しっかしまぁ、別邸の癖にでかい家ですなぁ。裏庭に森があるってどうよ」
魔族の死骸を埋めるべく穴を掘りながら、夜明け前の薄暗いそこで律はぼやいた。先ほど派手に大立ち回りを演じたここは、暴れるにはありがたくもやたら広い、森まであるプレディーオール侯爵家の裏庭だった。爆発する魔術を使わせないよう気を遣って戦闘したので、屋敷の者は多分気付いていないだろうと思われる。ぼやきながら作った墓穴に死骸を放り込み、律は土をかけて踏み固めた。庭師の道具小屋から無断拝借した鍬を近くの木に立てかけ、疲労を分散させるべく肩を回す。正直戦闘より穴掘りの方が律には疲れた気がした。律も一応女なので、どうしても体の構造上力仕事向きではない。
ちくしょう戻ったら寝直してやる、と墓標代わりに置いた石に腰掛け、律は白み始めた空を見上げた。
そろそろエヴィは起きただろうか、と思う。
律の部屋には、深夜まで話し込み、寝落ちしたエヴィがいる。エヴィは寝るその直前まで、死んだ部下達の名前と性格、どんな癖がありどんな人間だったかを一人一人、語っていた。
―――リツ、ジャーノンはな、右に重心を置きすぎるからいつも剣筋に癖が出るんだ。いくら言っても直せなくて結局そこを突かれて負ける。エドガーは朝が弱いから、いつも俺が頭をはたいて起こしていた。夜更かししてカードゲームばかりしていたんだ、いつも。メリスは馬鹿みたいに酒を飲むから体臭を気にしていて、娘に臭いといわれたと嘆いていた。五つになる娘が居るんだ、とても可愛がってた。グリーデリフは騎士団に入るのが昔からの夢だったんだ。純粋で、人一倍努力家だった。こないだ婚約したばかりなんだ。今度紹介すると、言われて、・・・楽しみに、して、た。アザランド、は、人付き合いが、得意でなく、て、デューイ、と、キエフ、が、からかっ、て―――
流れるように早口に、滔々と語っていた口調は詰まり、やがて不明瞭になっていった。律は窓のやわらかな朱色が藍の色を混ぜ、緩やかにしかし刻々と夜の帳を下ろしていくのを見ながら、ただ黙って聞いていた。相槌は打たなかった。エヴィは律に語りかけるという体裁を取っていたが、事実は独り言のようなものだったからだ。それは多分、エヴィなりの供養であり、死者を悼む儀式だった。
言葉と嗚咽だけが響いていた部屋が真っ暗になり、月明かりが窓辺を照らし始めた頃、エヴィは椅子に座ったまま眠ってしまった。それまで決して見なかったエヴィの顔は、涙に濡れ少し浮腫んでいた。けれどどこか一区切りついたような、綺麗な表情をしていた。
律は安堵した。エヴィはもう今後死に囚われることなく、己の力で前を見ることができるだろうと。闇に身を染めたり、悪夢に堕ちる事も無い。思い出は思い出として綺麗に、残す事ができたはずだ。律にはできなかったそれを、できた。
律は未だに、夢の中で女を殺している。疲労が溜まったり緊張を強いられる環境で眠るとあの日を見る。そして憎悪に囚われ女を殺す。繰り返し繰り返し女を殺し、律の心も病んでいく。律はエヴィにそうなって欲しくなかった。だから安堵した。
まぁそこで安堵して、さてベットに運んでやるかと立ち上がったら件の魔族がコンニチハ、とやってきた訳だが。腹立たしい事に。
「…しまった、今日はエルンストさんが来るんだ。二度寝できない」
そこでふと思い出し、くそ、あのバカ魔族がと罵ると律は溜め息を落とした。寝不足に加え、恐らくジェネンガあたりが気を利かせたのだろう、昨夜の夕食時は声をかけられなかったので律はすこぶる空腹だ。
馬鹿みたいに食べてやると決意し、律は立ち上がった。夜が明けた裏庭は、ちょっと荒れてしまって庭師が涙しそうな状況になっていた。
「リツ!―――ってうわ、どうしたんだそれは」
玄関に入るなり、走ってきた美丈夫に律はぎょっとして足を止めた。多分目を覚ましてシャワーを浴びたのだろうが、慌てていたのか上半身は素肌にシャツをひっかけただけだし、濡れた長い金髪は纏めず肩と背に流れている。眼帯のない左目は無残な傷跡があるが、それを差し引いても朝露を浴びた薔薇も真っ青な色気っぷりだ。
「どうしたんだそれはって・・・むしろそりゃエヴィじゃないですか。肉食系女子と新世界のアニキに頭からぱくりといかれそうですよ。大丈夫ですか」
「き、気持ち悪いことを言うな。嫌な事思い出す・・・じゃなくてだな」
どうも何かしら過去あったらしい。新世界のアニキのあたりで一瞬嫌そうな顔をした。そんなエヴィを律が哀れんでいたら、そっとその腕を取られた。
「これはどうした」
眉間の皺を隠しもせずにエヴィが問う。用意して貰った服が上下共に真っ黒なので解り難いが、そこには軽く焦げた跡があった。そう言えば、わき腹も斬られたなと思い出す。途端、じくりとした痛みを思い出した。
「何があった?服はあちこち汚れているし、血の匂いも・・・どこを怪我した?腕は魔術でやられたな」
「あー、通りすがりの魔術師と少々アクロバティックなかくし芸を開発し―――いえすいません、ちょっくら上等魔族とやり合いました」
「上とっ・・・!?」
「うん、丁重にお帰り頂いたので問題ないですよ。先日の高位魔族のアレで連中に興味持たれたようなんですが、ほっといて欲しいとお手紙出したのでまぁ大丈夫でしょう。多分」
誤魔化そうとしたらエヴィが壮絶な色気全開で物凄い微笑を浮かべたので、律は耐え切れずすぐに吐いた。色気で脅迫されるのがこんなにも恐ろしいと律は知らなかった。慄いた律に、軽く顔色が悪いエヴィが呻く様に言う。
「多分、って・・・。いや、その前に上等魔族って。ほとんど伝説級の存在じゃないか・・・。なんて無茶苦茶なのと戦って、というか本当に大丈夫なのか」
「ん?うん、多分もう来ないと思います。強めにお願いしたし、エヴィに迷惑は多分、あ、でも実はそれでちょっと裏庭荒れちゃって謝らないと」
「あ?待て、そうじゃなくてな」
「その、だから私が領地に居ても大丈夫とは思うんですが、でも心配なようならやはり住居の件は」
「だから!待てリツ、そうじゃない!」
強めに遮られ、弁解を並べていた律は思わず口を閉じた。若葉色の右目が薄く苛立ちを浮かべ、律を見ていた。
「俺の事じゃない、お前だ。リツは大丈夫なのかと聞いている。お前が怪我をするくらいだ、余裕で勝てるわけではないんだろ?無茶をするなよ、どうして一人で行った。俺とてリツには勝てないが多少は戦え―――リツ?」
唖然として、律はエヴィを見上げていた。エヴィの言うそれはそう、律には思いもよらない事だった。あちらの世界ならともかく、ただの「盾」であり「剣」であったこちらの世界の律が、こんなたかが掠り傷一つで心配され、大丈夫かと尋ねられる。そんな事は今までに無い。側に居て守っていた聖女ですらしなかった事だ、ただの一度も。
「リツ?どうした、傷が痛むのか?どこだ?エルンストの訪問は明日にした方がいいんじゃないか。無理することは無い、俺から連絡しておこう」
唐突に反応をなくし、ただエヴィを凝視する律にそう言い、エヴィが近くの使用人を呼ぼうとする。それを我に返った律が「いえ」と小さく遮り、束の間下を向いた。再び上げられた顔は苦笑を浮かべ、未だ心配を浮かべるエヴィに律は大丈夫だと言った。
「エルンストさんと話すのは問題ありません、わき腹を少し切っただけなんで。・・・ほんとに掠り傷なんですけど、治療して貰えますか?」
「当たり前だ、馬鹿!早く診せろ!―――ジェネンガはいるか!至急救急箱を持ってきてくれ!」
怒ったようにそう言うと、エヴィは大声で執事を呼び律を部屋へ追い立てた。律は昨日と反対の立場だと思い、笑いながら部屋へ戻った。げらげら笑う律を、エヴィが「おかしくない!」と怒っていた。
* * *
エルンストがやってきたのは、正午を回った頃だった。律たちが昼食を終え、エヴィの部屋で茶を飲みながら雑談していると、扉をジェネンガがノックした。
「ご歓談のところ失礼致します。エヴァンジェリスタ様、リツ様。エルンスト・リヒテンダラー・グラトニ様がお見えになりました」
「あ、来た。エヴィ、この部屋で話してもいいですか?」
「ああ。俺も聖女の事は聞いてみたいし丁度いい。――ジェネンガ、部屋まで案内してやってくれるか」
了承の言葉の後、しばらくしてエルンストを連れやってきたジェネンガは、三人にこれまた美しいお辞儀を披露し立ち去った。その美しい立ち居振る舞いを感嘆の表情で見送る律に、エヴィとエルンストが不思議そうに見ていた。根っからの庶民である律と違い、騎士である前に貴族である二人には当たり前の光景なのだ。確かな話、彼らから滲み出る品というか、律と比べて育ちの違いはまぁ、いかんともしがたい。
「さてリツさん、まずは上等魔族が来たとの事ですが、傷は・・・?」
編まれた背中まである栗色の茶髪を揺らし、エルンストの発した第一声はそれだった。髪と同色の栗色の瞳が心配を浮かべているのを見、律はまた可笑しくなる。
「はは、大丈夫ですよ。掠り傷。ご心配すいません」
「笑い事ではありません。今回はそれで済んだから良かったようなものの、あんな伝説相手にお一人でなど。いいですか、次は絶対にリツさん一人で行ってはいけません。私も騎士です、あなたには及びませんが戦えます」
「・・・えぇ、はい。ありがとう」
上司が上司なら部下も部下だ、と律は苦笑交じりに思った。隣を見れば、エヴィが微妙な顔でエルンストを見ていた。同じ事を言った自覚はあるらしい。
「ま、それはともかく。―――聖女の話、でしたね」
それぞれが椅子に座り、お茶を新たに淹れた所で律が切り出した。正面に座ったエルンストがはい、と顔を輝かせる。
「私が直接知るのは100年前の聖女と200年前の聖女だけですけど、エルンストさんはどういった話を聞きたいんですか?」
「そうですね、聞きたい事は沢山あるんですが・・・まずは聖女とは一体何者なのですか?我々が知るのは、聖女とは異界人である事、国王の妃になる事、《神》と呼ばれる者の声を聞く事ができる事、寿命が異様に短い事―――これくらいでしょうか」
エルンストが指折りながら挙げた聖女の特徴に頷きながら、律はふむと顎を撫でた。別に誤っている情報はない。全て間違いは無いものだ。が、敢えて言うならば。
「何者かと言われれば、聖女とはただの人です。単なる人間であり、メイヴィフォールの犠牲者。いや、《神》の犠牲者というのが正しいかな」
律の言葉に、エルンストとエヴィの目が困惑を浮かべた。それを見ながら苦笑し、律は問うた。
「何故聖女召喚が100年に一度なのか分かります?」
「それは・・・聖女が生れ落ちるのに必要な時である、と」
戸惑い混じりに答えたエルンストに、律は首を振る。
「先程言ったように聖女はただの人間。生れ落ちるもクソも、そこらへん歩いてる単なる一般市民Aです。100年必要なのは《神》の方。《神》が他所の世界から人間浚って引っ張ってくるのに使う力が溜まるのが、その周期なんです。聖女がどうこうじゃなくてね」
愕然、という言葉を表情にしたらこうなるのだろうという顔を、エルンストは浮かべていた。そこまで学問に傾倒していないエヴィは目を丸くする程度だったが、多少の信仰を持っていたらしいエルンストはショックを受けていた。そんな、と口が戦慄く。
「それじゃ、歴代聖女というのは」
「《神》に誘拐された、不運な一般市民です。聖女の後ろに居る《神》ってのは、神聖なる至高の存在でなく、単なる化け物だ」
ただ淡々とそう言い、律は軽く目を伏せた。
「聖女の寿命は僅か十年。何でそんな短いのかっていうのは、エルンストさんの言った《神》の声を聞くから。《神》は異界の門を開くのでほとんど力使い切るんです。じゃあ《神》は聖女と繋がる為にどっから力引き出してるかって話ですよね。聖女です。聖女の命削って声届けてんですよ、あの化け物」
軽く吐き捨てるように笑って言えば、復活したエルンストが慌てたように手を挙げた。どうぞ、と律が目で促すと、急いで傍らのお茶を一口のみ、口を開く。
「あの、では、その《神》は一体何の為にそんな事を?聖女は、我々の国の建国から関わっているとされています。だとすれば建国がおよそ二千年近く前で、―――その《神》は一体どれほど生きているんです。何者なんですか」
「わかりません」
勢い込んで尋ねたのに律からあっさりそう答えられ、拍子抜けしたように目を瞬かせるエルンスト。律がそれに困ったように頬を掻くと、エヴィが溜め息混じりに口を挟んだ。
「エルンスト、リツは最初に100年前と200年前の聖女しか知らないと言ってる。二千年前の世界の状況なんか知るわけないだろう、そもそも異界の者なのに」
「あ、あー、そうですよね・・・」
「すいません、知識が足りず」
眉を下げて謝る律に、エルンストが慌てて手を振った。とんでもありません、と大きく口にする。
律は己のお茶を手にし、静かに飲んだ。爽やかな香りが鼻に抜け、心地良い渋みが舌を刺激した。うん、と頷く。
「―――ですから、これは私の推測でしかありません。確証も根拠もないんで、そういうもんと思って聞いてください」
ついでのように、世間話と同じ感覚でそう言った律に、二人の視線が向いた。それを軽く受け止めながら、律はお菓子を片手に口を開いた。
「恐らく、《神》とはこの世界に落ちた最初のイレギュラー、初代聖女ではないかと私は思います」