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神に告ぐ、幕は下りた  作者: 岸上ゲソ
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聖女

 全員が二日かけて騎士団本拠地である王都、クィネザに辿り着いたのは、人通りの少ない早朝の頃だった。

 辺鄙な田舎はともかく王都ともなれば、人の出入りを厳しく監視される。その為、律は騎士団に保護された怪我人、という形で頭や腕に包帯を巻いて誤魔化し、だめ押しにエヴィの「騎士団中隊長」という立場の力で関所を抜けた。大丈夫なのかと訊くと、エヴィは「職権とは濫用するためにあるのだ」という名言を吐いた。色々鬱憤が溜まっているらしいことは実によく理解できた。


「え、これに乗るんですか?一人で?」

 関所騎士の詰所前で、艶やかな栗毛の馬二頭に引かれる重厚な馬車を見上げ、律は騎士団の面々に尋ねた。傷がふさがったのだろう、潰れた左目の包帯を取りながら、エヴィが頷く。

「済まんが俺たちは騎士団に一度報告へ行かなけりゃならん。さっき通信魔具で簡単に現状報告はしたが、中隊が壊滅した以上色々やらなきゃいけないことがある。あ、リツの事は適当に誤魔化して報告するから、その辺は心配ない。お前らもいいな?」

「解ってます」

「勿論」

 エヴィの言葉に全員が頷き、律が申し訳ない、と眉を下げた。それを隣にいたヴェルナーが気付き、「リツさんの為だけではないんですよ」と軽く片目を瞑った。

「ウチの団長ね、そもそも事実を話したところで高位魔族十体を斬ったというくだりを受け入れやせんのです。団長はあり得ない話や迷信の類が死ぬほど嫌いなもんで」

「ほぉ、自分の目で見たもの以外は信じないんだから!というお方ですか」

「そ、そんな可愛くはないですがね。ま、そーいう訳で神殿関係者を敵に回してます。ほら、神様って見えんでしょ」

 若干ツンデレを意識した言い回しで団長を表現したら引かれた。潔癖すぎるんですよねーと笑うヴェルナーは、人好きのする優しい性格を裏切る厳めしい風貌をしている。ヴェルナー・リンゼンベルク・パスクル。律と同じ黒目黒髪の33歳。顔立ちは結構な男前だが、上背がある上に顔の右側のこめかみから頬にかけて大きな傷跡があり印象はそう、かなり怖い。律はヴェルナーを顔で損をしている代表格のような男だと思っている。

「月に一度の聖女礼拝も突っぱねて行かないし、今回の聖女召喚も団長何のかの理由つけて行ってないんですよ。おかげで我々、神殿からの印象最悪。まぁそろそろ罷免かなって話です」

 ねー中隊長、と苦笑混じりに言うヴェルナーに、話をふられたエヴィは無言を貫いた。仏頂面で包帯をといた左目に眼帯をつける姿を見るに、肯定したいが立場上できないので沈黙を守ったらしい。賢明だが、日ごろの苦労が偲ばれる。

 彼らの団長が無能なのか、はたまた有能なのかは知らないが、何にせよ「過ぎる上司」は下が苦労する。特に大きな組織であれば、必要なのは「程々」さ。過ぎたるは猶及ばざるが如しとはよく言ったものだ。

 律はヴェルナーになるほどと頷き、馬車に足を向けた。

「じゃ、どうか報告頑張ってください。私は一足お先に」

「あぁ。報告したら一度俺も戻るから、夕刻には会えるだろう。処理の類は日を改めるつもりでいるしな」

「わかりました」

 降りてきた御者が開けてくれた扉に足をかけ、ひょいと飛び乗る。乗ってから御者が小柄な律を見て手を貸そうとしていたのに気付き、手を振って気遣いへの礼を述べた。

「リツさん!」

「はい?」

 扉を閉めようとして名を呼ばれ、振り向けばエルンストが栗色の瞳を輝かせていた。何か良く解らないが、とっても期待されている。

「何ですか。私一発芸はできないんですけども」

「いやいやいや。違います。あの、後ほどお話を伺いたいのです。過去の、聖女について」

「過去の?」

 えぇ、と頷くエルンストの瞳が輝く。知的好奇心の―――学者の目で。

 なるほど。

(騎士であり学問の徒か)

 聖女は一旦喚び出されれば神殿に囲われる。世界史を学ぶ上で建国から関わっている「聖女」は必要不可欠な情報だろうが、神殿がその神秘性を秘匿し過ぎた為基本謎に包まれていた。学問を志す者には、垂涎ものの情報だろう。

 律に神殿へ義理立てする理由はない。軽く笑い、いいですよと頷いた。

「ただし、多分あなた方と私では、世界への認識に随分と大きな隔たりがある。不愉快な思いをさせると思うけど、それでも?」

「そんなもの!えぇ構いません!」

「それならどーぞ、いつでも」

 どんとこい、と親指を立てれば、喜色満面のエルンストがありがとう!と同じ親指ジェスチャーで応えた。通じた、異文化交流、と頷き扉を閉め座席に腰を下ろすと、窓から見えたエヴィとブレーズが物凄い表情で律を見ていた。ヴォルフガングは硬直し、ヴェルナーは爆笑していた。エルンストはバートランドに殴りつけられていた。律は己の親指をじっと見詰め、どうやらよろしくない意味合いだったらしいと理解した。

「出発致します」

「宜しく頼む」

 御者の声にエヴィが答えたのと同時に、重厚な装いの馬車が出発した。ふかふかの革張りのソファに身を沈め、車輪と軽快な馬の蹄の音をBGMに流れ出した景色を眺める。夜が明けてあまり間もない時刻ではあるが、昇り始めた日の光に照らされ民家の壁が白く輝いていた。青く澄んだ空の下、確かに昔、ここに来た事があったと一人ごちる。けれどいくら見渡せどその町並みも人も田畑の形も、律の記憶と合致しない。人の一生を超えた月日が確実に流れた事をその景観が語っていた。

 訪れたのは二十年前。律の中では二十年でも、ここは確実に二百年の時を刻んでいる。

 律は景色から視線を逸らし、こみ上げた眠気に目を細めた。

 そしてふと、重要な事に気がついた。

はっとして律は立ち上がり、前方に座る御者に言った。


「すいません、そういえばこの馬車どこに向かってるんですか」




 * * *


 律が初めてメイヴィフォールに喚ばれた時、律の体は六つ程の幼い少女の姿だった。当時間違いなく十六だったはずの体ではなく、傲慢に喚びつけた神が与えたのはそれ。理由は簡単、その代の聖女が六つの少女だったからだ。

 ―――同じ歳の姿である方が、聖女に警戒されずに守る事ができよう。うぬは聖女を守れ。先代聖女のような事は決してあってはならない。聖女の寿命は十年。十年守ればうぬをこの日この時のあるべき姿に還そう。

 ただただ一方的にそう告げられ、律はメイヴィフォールに放られた。何故己なのか、その問いにすら答えは与えられなかった。律はしかし、聖女とされた幼い六つの少女を見てその答えを知る。律はその少女を知っていた。少女は律が登校中、たまたま前方を歩いていた少女だった。律は理解する。何故己なのかではない。選んだわけではなく、たまたまそこに居たのが律だったからだと。神が目をつけた「聖女」の近くに、たまたま律が歩いていた。つまるところ、簡単に言えば目をつけられた少女も哀れだが、そこにいただけという律はただ、どうしようもなく運が悪かったらしいという事だった。

 記憶のある今なら解る。その時律が守らざるを得なかった幼い聖女、名を佳代子。彼女が聖女の寿命である十年を全うするまで、律は少女を守りつづけた。見た目は同じ年の、けれど事実は十も年下の憐れな聖女を、恨み、哀れみ、慈しみ、愛し、守り抜いた。そして握った少女の細く白い手から力が抜け落ちたその日、律はあの日あの時のあの場所へ、登校途中の己に還った。少女と過ごした十年の記憶をそこへ置いて。

 今だから解る。

 登校していた律は、先ほどまで前方を歩いていた少女の姿がない事に気付いた。不思議に思いながら首をかしげ、律は学校に向かった。合流した友人と笑いながら教室に入ると、先に着いていた他の友人が律おはようと声をかけてきた。律は笑い、言った。友の名を呼ぶべく、口を開いた。おはよう、―――。

 友人が目を見開き、どうしたのと言った。どっか痛いの。律、どうして泣いてんの。

 律は滂沱の涙を流していた。流しながら、訳のわからない喪失感ときしむほどの胸の痛みに茫然とした。慌てる友人をただぼんやりと見て、ささやくように謝った。ごめん。なんでもないよ、―――。

 友人の名は、佳代子といった。


 * * *


 がたん、と大きく揺れた衝撃で頭を打ち、律はぱっと目を開けた。口元の涎を拭いながら窓の外に目をやると、大きな屋敷が聳える門の前だった。御者が門番と思しき青年に手を挙げたのを見ながら、律は打ち付けた額に手を触れた。痛かった。これはコブになるな、と律は思った。

「イレス、執事のジェネンガ様にお取次ぎを。エヴァンジェリスタ様から封書を預かっている。―――リツ様、プレディーオール侯爵家でございます」

 しばしお待ちを、と言い青年が屋敷へ走り去ってから少し、己で扉を開けてひょいと律が馬車を降りると、凛とした佇まいの初老の男が姿を現した。黒い執事服を着ているので、執事だろう。後ろに撫で付けてあるプラチナブロンドの髪には銀糸がちらほらと混じっているが、不思議と老いは感じない。滲み出る品のよさと口元に浮かぶ柔らかい笑みだけが、ただ男の生きた年月を感じさせた。

 す、と流れるように男が一礼した。

「リツ・ムラカミ様、ようこそおいでくださいました。私がプレディーオール侯爵家が筆頭執事、ジェネンガ・ハインウォルモネス・ミュラーでございます。通信魔具にて我が主、エヴァンジェリスタ様より事の次第は既に伺っております。どうぞ、中へ」

「ご、ご丁寧にどうも。えー、リツですよろしく」

 あまりに完璧で優美な挨拶に律は負けた。途中で対抗しようという気もなくなった。というよりむしろ、律には肩書きの類がなさ過ぎてどうしようもない。

 ジェネンガに促されて門を抜け、そのまま玄関口だと思われる大きな扉をくぐると巨大なホールが現れた。頭上には歴史がありそうなシャンデリア、緋色の絨毯で覆われた床、中央から伸びる階段の両側の手摺が手の込んだ彫刻で作られているのが見える。前方には出迎えのため使用人の皆さんが勢ぞろいして待機しているが、若いメイドが律の格好を見て少し戸惑うような色を浮かべた。まぁ何だ、律は今汚れた旅装な上ざっと三日近く風呂に入っていないので、その反応が正解だ。臭いもしよう。他の皆さんの笑顔でスルーが間違いなのだ。律は頷き、まず風呂を貸して貰おうと思った。

 ぱん、とジェネンガが手を叩く。

「ご苦労、皆さん。この方が我らが主の恩人、リツ・ムラカミ様です。ヘザー、リツ様を客室へ。カノンは湯殿の準備を。―――さ、リツ様」

「あ、はいどうも」

 流石と言おうか、律の内心を汲み取ったらしくこの上なく簡潔な紹介と指示で挨拶は終了した。各々が一礼してぱっと散る中、律は進み出てきた二十台半ばのメイドに着いて行くよう促された。

「リツ様、湯殿がお済みになりましたらお召し物はどう致しましょうか?もしリツ様が不都合でなければこちらでご用意させて頂きたく存じますが、何か服装にご希望等はございますか」

「あ、じゃあ簡単なシャツとズボンを」

「かしこまりました。ではリツ様が湯殿を使われている間にご用意致しますので、どうぞごゆるりとなさってください。――――こちらがリツ様にお使い頂くお部屋になります」

 ヘザー・ウィルキンソン・アンジュと名乗った彼女は、微笑を絶やさずそう言うと律を部屋に入れ、奥の湯殿へ案内し「では御用がございましたらいつでもお呼びください」と一礼して姿を消した。完璧だ。プロだ。

 律は凄いもんだと感嘆の吐息を落とし、早急に服を脱いだ。裸になるとあちこちにある傷跡が目に入ったが、とりあえず何も考えず律は風呂へ入った。大きな湯船にざぶりと浸かり、じわりと溶けるように体が緩む。律は、自分が思ったよりずっと疲れていたのだと知った。心の闇を抑え、堪え、気を張って、諦めて。疲れていた。

 ―――二ヶ月、か。

 立ち上る湯気を追いかけながら、律は深い溜め息を吐いた。

 続けていた逃亡生活の中で、多分今が一番ほっとしていた。




「リツ、おいリツ。リーツ。起きろ」

「あ、んぁ?」

 低い声と共に体がゆさゆさと動かされ、律はベットにうつぶせていた顔を上げた。寝ぼけた視界に艶やかな金髪と輝かしい隻眼の若葉の瞳の美丈夫が映り、一気に覚醒を果たす。

「お、おおエヴィ。一体全体どうしました、ん、今何時?」

「さっき戻ったんだよ。今は18の入りだ、もうすぐ日没。リツ、涎が出ている」

 軽く寝ぼける律を笑うエヴァンジェリスタよ、何という心臓に悪い顔か。風呂に入って小奇麗になった事でなぜか美貌もレベルアップしている。律はのそりと起き上がり、口を拭いつつベットに胡坐を掻いて座った。それを見たエヴィが、部屋の椅子を持ってきて対面するように座る。

「とりあえず勝手に入って悪かった。ノックしても返事がなかったから入ったんだが」

 かなり爆睡してたな、と微笑む顔が親しげで、律は羞恥を苦笑してごまかした。とりあえずベット脇の刀を引き寄せ、すぐ傍らに配置する。

「で。報告はどうでしたか?怒られました?」

「いや、労われた。むしろ高位魔族十体に遭遇してよく生き延びたなと同情された」

「はは、まぁそうでしょうねぇ。そんなら中隊壊滅もやむなし、処分はせず部隊再編成まで休暇ってとこですか」

 団長の性格を考えそう言えば、エヴィがあぁと頷いた。

「数日疲れを取ってまたしっかり働けとさ。しばらくいいご身分だよ」

 はは、と笑うエヴィに、律は笑い返さず視線を窓に向けた。いつの間にか柔らかな、朱色を帯びた光があたりを照らしていた。それを反射して輝くエヴィの金髪はどこまでも艶やかで、律は外の景色を見ながらそうですね、と言った。

「今しばらくは責務も義務も体裁もいらない、ただのエヴィといういいご身分です。――――弱音でも涙でも懺悔でも零しなよ、虚勢も笑顔も要らんから」

 は、と息を呑むような音がし、エヴィの強い視線を感じた。見ずとも解る、その溢れそうな感情が映る強い瞳を浴びながら、それでも律は視線を窓に向け続けた。

 壊滅した中隊、失ったのは己の部下達。

 エヴィがどんな仕事ぶりだったのか律は知らないが、生き残った部下五人に対する態度を見れば何となくは理解する。一人一人、部下全員を大切に思っていたのだろう。失う事など決して本意ではなかっただろう。

 部下を守れなかった悔恨と、己は生き延びてしまった罪悪感と。

 この責任感の強い男が、どうして傷つかずにいられようか。

「死者を悼んでやれるのは生者だけなんだ。生き残った特権フルに使えよ、ダチ一人受け止められないほど狭量じゃない」


 だから、笑うな。


 低くしゃがれたような、かすれた声が聞こえたのは、それからしばらく経ってからの事だった。




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