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神に告ぐ、幕は下りた  作者: 岸上ゲソ
3/19

ふた

 『リツ・ムラカミ。黒目、黒髪。腰に黒い鞘の細身の剣。かの男聖女召還の儀にて光臨なされた聖女を殺害し逃走の罪にて指名手配とす。見つけ次第中央へ連行せよ。状態は問わない。頭部のみでも可とする』



 そんな物騒な手配書が出されたのは、律がこの世界、メイヴィフォールに文字通り引きずり出された翌日で、現在から遡ること二ヶ月前の事だった。

 手配書を指示したのはここメイヴィフォールの中で最も神に近いとされる神聖王国、オンコールォ・フィンディルカの国王オギュスト。フローラン・オギュスト・ライ・ショワズール・グリフィエール国王陛下。

―――まぁ何というか、国王からすれば国母たる王妃であり己の妻になるはずだった聖女を呼び出したのに、いざ呼んでみれば聖女とおぼしき娘は首の折れ曲がった死体。国王も期待していた分、腹も立ったろう。しかも加えて、件の聖女はどうみてもさっき殺されたばかりで、しかもしかも、それを血まみれの謎の第三者が折れ曲がった聖女の首ねっこ握ってぶらさげていた。どう考えても現行で聖女殺害犯。国王の手配内容の過激さも頷ける。

 律としてもそこは現実、やったのは己だったので恨む気はない。面倒だとは思うけれども。



「取調べなどではなく、単なる個人の疑問として聞くが――ムラカミ殿はその、本当に聖女を?」

 命の恩人を捕まえたりしないから一緒に来てほしい、とエヴァンジェリスタに言われ、魔族のたまり場だった神殿廃墟から近くの町の宿屋に移動し、開口一番で聞かれたのがそれだった。

 律はこちらをじっと見てその問いを投げた男――エヴァンジリスタの右目を見返し、そこに複雑そうな、けれど相手を気遣うような感情を見つけ、小さな諦めを纏うと「はい」と頷いた。

「・・何故なのか、聞いても?」

そうすると、簡単にハイと言った律は、こみ上げるまま本音を吐露した。

「単純な、ええ、この世界からしてみれば本当に単純にも程があるほど、単純な事なんですが。娘を殺されたから。それだけです。ただ一人の、まだ幼い私のあの子を、あの女は遊びの延長のように、利己的な理由で、私の目の前で殺した。あの女もわざとでは無かった。それは解っているけれど、それがどうした。娘は死んだ。報復したところであの子は還ってはこないのは承知している。それでも、許すことも諦めることも、・・できなかったんだよ。後悔も反省もしていない。そして殺してもなお、許せてもいない」

「―――そうか」

 激しすぎる憎悪をぶつけられたというのに、それを聞いた本人は淡々と頷いた。

男の左目は、今はガーゼと包帯で隠されている。完全に潰れてしまったそれは、もう光を映す事はないだろうと町医者に言われていたのを律は知っている。

 ふむ、とエヴァンジェリスタが上体を背後へ傾けた。折れた右腕のギプスを煩わしそうにしながら、きしむ背もたれに身をゆだねている。

 ―――傾国と言っていいほどの美丈夫だ、と律は思った。

 後ろで一つに束ねてあるが、窓からの光を弾き、するりと艶やかに服を滑る淡い金髪。思案気に寄せられた眉はきりりと凛々しく、無事な右目の瞳は初夏に芽吹く若葉のような美しい色をしている。加えて180はあろうかという長身に、よく鍛えられ隆起した筋肉、およそ無駄というものがないその肢体は美しいの一言に尽きた。歳は己とそう変わらないだろうが、恐らく35、6あたり。婦女子のみならず新世界の男性諸君にも人気があるだろう。―――と、本人が聞いたら盛大に鳥肌を立てそうな事を律は思った。

 ふ、と逸らされていた視線がこちらに戻った。

「ムラカミ殿は、これからどうするつもりだろうか」

「どうするって…後先考えなく動いたばっかなんで、とりあえず逃げ回るくらいしか考えてませんけど」

「・・・あー、俺は回りくどい言い方ができないので単刀直入に言う」

 酷く言いにくそうな顔をした後、エヴァンジェリスタは決心したように言った。

「あなたはこのあと、国王殺害、或いはクーデター、何かしらの国に対するトラブルを起こす気はあるか」

 ああ、なるほど。

 律は彼の意図を知り、微苦笑して首を振った。

「微塵も。帰れそうもありませんし、ただ死ぬまで、この世界で隠れて地味に生きていこうと思っています。王族は嫌いですが、聖女が絡まなければ、どうでもいいですから」

 エヴァンジェリスタは、律を本当に見逃そうとしてくれている。

 命の恩人を捕まえないとは言われたが、そんなものを信じるほど律はおめでたくはない。相手が深手を負っていて、何かあっても間違いなく逃げ出せるのが分かっていたからついて来たのだ。

 だから、信じていなかったから――エヴァンジェリスタの気持ちが、正直嬉しかった。

 律の言葉と笑顔に、エヴァンジェリスタが苦笑した。

「それを聞いて安心した。これで心置きなく知らん顔ができる」

「はは、知らん顔って。本当によろしい?自分で言うのもアレですけど、私を捕まえればかなりお手柄なんじゃ?」

「本当にアレだな。・・・・・・まぁ、何だ。ムラカミ殿が賊になるなら立場上黙ってはいられないが、そうではないだろ。現実として、確かにムラカミ殿を捕まえれば俺は名誉も地位も上がる。が、俺も俺の部下も命の恩人を売って何かを得たくなぞない。騎士である前に俺らは人だ。人でなしには、なりたくない」

「――――」

 一寸、言葉を失う。何となく、律は「優しさに触れる」という事がどういうことか、その身をもって体験した気がした。

 そして、後ろめたい気持ちで困ったように笑う。

「・・・やっぱ変な人ですな、あなた」

「だからお互い様だと・・・。ムラカミ殿も俺達が騎士団の人間と解っていて助けたんだろうが」

「普通死に掛けてる人いたらとりあえず助けようとしません?」

「普通ならな。でも指名手配犯は普通人助けしないと思うぞ。捕まったらアウトだろ、逃げるだろ普通。しかも騎士団とかもっと助けたら駄目だろ」

「そう言われましても・・・見かけた以上知らん顔はあんまりですし、まぁ結果的に相手が騎士団の人だったってだけで、わたしはあくまでも人を助けただけですし」

「いやそれが変人だ変人。その思考に至ることがまず罪人じゃない。捕まえるに値しない、ただのお人よしだ」

「―――えぇー・・」

 返す言葉を見つけられず、律が口を閉じると、に、とエヴァンジェリスタが笑った。何故だろう、微妙な悔しさがある。

「・・・あなたねぇ・・・」

「エヴィ、だ」

「は?」

 呆れて悪態をつこうとしたら、柔らかく微笑む若葉色の瞳に遮られた。意味を図りかねて目を瞬かせると、「エヴァンジェリスタは長いだろ?」と。

「俺の事は、エヴィと。――親しい者は、皆そう呼ぶ」

「――――」

 今度こそ、律は絶句した。

 柔らかく穏やかな顔を浮かべる男は、どうみてもからかっていたり偽りを口にしているようには見えない。いい加減な事を言っているようでも、思い付きを口にしたようにも、見えない。笑ってはいるが、本心だ。

「・・・私、身元不明の指名手配犯ですよ」

「リツ・ムラカミという名の旅人な」

「・・・いやだから、指名手配犯なんですが」

「ただのお人よしだろう」

「・・・・・・・・・王妃殺害しました」

「陛下はまだ独身だぞ。ムラカミ殿が殺したのは娘の仇。王妃などいないな」

「・・・・・・・・・・・・」

 ―――あぁ、もう。

 反論を思いつけなくなって、律は溜め息混じりに右手で顔を覆った。

 この男は、きっと復讐などしないだろうな。

 何とはなしに、そう思う。時間をかけても許してしまえる、自分できっとけりをつけてしまえる人だ。

 あまりの真っ直ぐな好意に、律は胸に広がる戸惑いと、それを上回る羨望がこみ上げて、その愚かさにそっと喘いだ。聖女を殺した。自分のやった事は欠片も後悔していない。していないが、だからこそ、人から好意を向けられる事などもう無いと思っていた。 友と呼んでくれる人間など、いないと。


 でも。


「ムラカミ殿?」

「律と申します」


 伺うような声で呼ばれ、律は観念したように顔を覆っていた手をはずした。

 柔らかな若葉に目を合わせ、迷い、――結局、はにかむような泣き笑いのような、よく解らない顔で言った。


「私の名前は村上律。リツと、呼んでください。殿もいりません。・・・エヴィ」

「―――了解、リツ。よろしく」


 笑顔で差し出された左手に、律は今度は躊躇わず己の右手を重ねた。

 剣だこと分厚い皮の感触は、ゴツゴツしているが暖かい人の手だった。

 律は気付く。人の手を握ったのは、あの日以来だ、と。


 ――――あぁ、柚子。


 柔らかな、ちいさな手。死んだ娘が嬉しそうに握ってきた手の感触を思い出し、律はぐっと下腹に力を込めた。溢れ出そうな感情に、蓋をした。


 まだとても、律に蓋の中を直視できる強さはなかった。




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