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神に告ぐ、幕は下りた  作者: 岸上ゲソ
16/19

予感

『なぁ嬢ちゃん、お前さんグレルロワナを名乗る気は無いか』

 最後の芽吹きの民、リーフォン・グレルロワナがそれを言ったのは、律が魔族と戦り合い、負傷した左腕を黙々と治療していた時の事だった。

『グレルロワナ?』

 [佳代子]がリーフォンを匿ってから七日目、それなりにお互い打ち解け出した頃合いだ。律が包帯を巻く手を止めて顔を上げると、赤い組紐を差し出したリーフォンが穏やかな顔で律を見ていた。

『グレルロワナって…それは爺さんの名前なんじゃないの?』

『ああそうだ。―――これを、その刀に巻いてくれないかね。お守りのようなものだ』

『へ?あぁうん、ありがとう。爺さんが作ったのこれ』

『あぁ』

『へぇ、器用だね』

『まぁな。嬢ちゃんはグレルロワナの名は嫌かね?』

 組紐をさかさかと巻き付けて結びながら、こちらを伺うように少しだけ首を傾げた老人に律は苦笑して首を振った。

『別に。名前は嫌じゃないよ、いい名前なんじゃない?でも私は村上ってのがあるからさ、悪いけどグレルロワナになる事はできないよ』

『そうか』

『うん悪いね』

『いや、いい。だったら―――』

 少し残念そうに微笑んで、リーフォンが律の傍らに腰を下ろす。伸びた口髭をふわふわと揺らしながら律の雑な包帯を取り上げた。

『もし嬢ちゃんが、…そうだなぁ、全てのものを失ったとして、絶望しそうになったら。そうしたら、』

 律が見詰める先でただ雑に巻かれていただけの包帯が、本来の包帯としての仕事をこなす巻き方へと変えられた。


『"グレルロワナ"、その名がまだ残っていることを覚えておくといい。その組紐を解く場所は、刀自身が知っているから』


 そう言ったリーフォンに縁起でもないこと言うなよ、と笑った律は、まだそう言えるだけの希望をその時確かに持っていた。

 


 * *



 騒ぐ予感に目を覚ました律は、滑る様な光を纏い白く輝く刀身を手にベットから身を起こした。

 夜明けが迫る窓を横目に、遠くから微かに感じる独特の気配に顔をしかめて床へ足を下ろす。寝る前に寝間着でなく、私服である戦闘着を着ていたのはやはり正解だった。律は刀を手にしばし己の稼働率がどの程度であるか考え、それが芳しくないと解ると刃を下に向けて両手で柄を握った。するとじわじわと身に染みるように鈍色の蔦が全身へ広がり、腹の底から気泡が上がってくるような何か得体の知れない熱が込み上げ、律はふっと息を詰めた。

「―――っ!」

 けれど突然、くら、と律の視界が一瞬暗くなり、慌てて柄から手を離すと蔦が肌から静かに引いていった。とんでもなく重くのし掛かる疲労と脱力感に歯を食いしばり、堪えきれず項垂れる。膝から抜けそうになる力を辛うじて支え、瞑目して崩れ落ちたい衝動をやり過ごした。

 そうか、と律は理解した。『戦神』の形態は力の底上げではないのか。

 律はいつも、己が使える手段はできるだけ最高かつ最善であるものを選んでいる。『戦神』の形態時、通常よりも遥かに戦いに特化されたと感じたから、今の不調をそれでカバーしようと思ったがどうやらそれは思い違いだったらしい。あれはまず己の状態が最高でなければ駄目なのだ、あれは強くなっているという訳ではなくて、律の体力と能力という蛇口を限界一杯にひねった状態に過ぎない。 普段は出さない、十割全ての運動能力を引き出してるだけのことだ。

 確かに「神」と対峙した後急速に全身から力がぬけ、あまりに呆気なくブラックアウトしたのがどうも腑に落ちなかった。しかもそのまま二日も眠り続けていたというのだから、気力が「神」で削られたことを差し引いてもただの疲労というには長すぎる。

「なるほどね、なるほど―――容赦ないな戦神。知らなかったとはいえ、お陰で余計具合がひどくなったぞちくしょう」

 げんなりして首を振り、律は諦めて刀を杖のように絨毯に突き刺し寄り掛かった。品のいい配色で彩られた絨毯を傷つけるのは気が引けるが、まぁ毛足が割と長いしエヴィも気付きはすまいと遠慮なくそのまま体重を預ける。仕方ない、もうこのまま頑張るしかない。律は首の包帯に手を伸ばすとそれを無造作にほどいた。撫でてみるとまだ痛みは残るが傷は大方塞がっているし、問題はないと判断する。軽く屈伸して一つ伸びをすると、律は窓を開け放ちベットサイドから通信魔具を手に取った。

『―――はい、こちらヴェルナー』

「あ、おおヴェルナーさんだ、すいませんリツですけど」

『え、リツさん?どうしたんです、何かあったのか?』

 若干驚いた声に、律はえーとと首をかしげ、あのですねと頭をかく。

「えーその、あったのかというか、これからあるというか。その、誰かに助太刀を頼もうと思ったんですが通信魔具使うの私慣れてませんで、適当に今ボタン押したらヴェルナーさんに繋がったんですよね。あのこれ、ヴェルナーさん個人に繋がってるんですかね?」

『うんそうですよ、俺の携帯用魔具に繋がってる』

 言って、その声をふいに低く落とした。

『で、助太刀って何だ。何があった』

「はぁ、実は今五名ほどお客さんの気配が近くまできてるんですが、正直なところ今の状態で一人はキツくて。ヴェルナーさん、申し訳無いんですが運が悪かったと思って戦闘手伝ってもらえないですか。 他の人に頼もうにもちょっとコレ操作どうしたらいいかわかんないし」

『―――すぐに行きます!』

 ぷつりと通話を切られ、律はその剣幕におお、と目を見開き取り合えず魔具を戻した。くりっと腕を回して痛みが無いことを確認すると、刀を絨毯から抜いて窓に足を乗せる。瞬間、ド、と音がし、柵を蹴り跳んだそこへ、赤く光を帯びた尋常でない長さの剣が風を切る音と共に斜めに振り下ろされた。

「―――あーもう、疲れてるって時に限ってこれだ。ちっとくらい休ませてくれよ王様」

 ぼやき、ちらりと見た五名の客は王宮の紋章を刻んだ褐色の衣装に身を包んで、赤い刃を手に律を目指して走ってきた。ヴェルナーが来るまで持ちこたえられるか五分五分だな、と律は呻いた。


 長さと重量を考えればとても出せないはずの早さを纏ったそれは、裏庭に着地し走り出した律の足首を掠め、ぱっと紅い華を咲かせた。衝撃に転倒しかけた体を律は転がることで立て直し、焼け付くように痛む左足に舌打ちして再び跳んだ。岩を蹴り木を走り、空で体を振り低く構えた刀を背後から追いかけてきた気配に突き出す。貫いた感触ごと上に向かってぐいと刃を持ち上げると、若干の抵抗の後腹部から頭にかけてそれが二つに割れた。ぶしゅっと大量の血が吹き出した。

 ―――しまった。

 避け損ねたそれが律を濡らし、慌てて顔をかばったが頭に浴びてしまった。落下する割れた躯を蹴って体勢を変え、追い縋る四つの気配に構えるが、やはりというか髪から流れ落ちた血が目に入り視界が狭まった。

 舌打つ先で刃と魔術が振り下ろされる気配を捉える。

目を閉じ振った律の刀はひとつを弾き、一つを斬った。受け止められなかった一つが律の脇腹へ深々と食い込みぱっと血を散らせた。それに顔を歪めながら律は走り、久々に不味い状況に笑みが溢れる。参ったな、と小さく呟き、背後から突き出された剣を軽くひねって避け、刀を持たない左手を拳に固め背後の顔面へと埋め込んだ。

「――――ぶぐッ」

 ご、っと吹っ飛んだ相手に続けざま刀を振り首を飛ばして、上空から降ってきた気配と赤い光を上体を捻る事でかろうじて避ける。ぜい、と呼吸が乱れ、律はがくりと膝から一瞬力が抜けた。悪い視界に酷い疲労、脇腹と左足の痛みに段々と活動限界を感じ始める。頬をすれすれに掠めた魔術光がじゅ、と肌を焼き、対応しきれず転がった。急いで立とうとした所に刀を持つ右腕に衝撃があり激痛が走る。折られた、と思うより早く薄目の視界に馬乗りになった相手が見えた。

 ああくそ、最後の一人だったのに。

 律は小さく呻き、振り上げられた手に歯を食いしばった。

 ―――が。

「っらああああああっ!」

 ―――ごっ。

 怒声となにかが砕けるような鈍い音が響き、律の上から体重が失せた。霞む目をその方向へ向けると、プレディーオール家のゲストルームに常備してある紺の上下、それを着たヴェルナーが肩を弾ませて立っていた。

「――――ま、間に合ったか、リツさん!」

「ヴェ、ヴェルナーさん…。ええ、はい…ギリギリセーフ…」

 気が抜けて転がったまま力を抜くと、律はふー、と大きくため息をついた。普段優美な景観を広げているプレディーオール家の裏庭は、今や律が一切加減する余裕がなかった戦闘の残骸で血やら切断された躯やらで滅茶苦茶になっている。庭師に悪いことをした、と律がぼんやり考えていると、傍らにどす、とヴェルナーが腰を下ろした。上がった息と汗で張り付いた服に、ヴェルナーが相当急いで走ってきた事が解る。

「―――で、大丈夫かよリツさん。何か血塗れだけど、怪我は?」

「はは、いえ。返り血を避け損ねただけだから大したことないです。ありがとうございます、助かった」

「いや、あまり役に立てず悪い。連絡くれたのに―――こんな時に限って裏庭から遠い部屋に居た」

 がしがしと頭をかき、無念そうに言うヴェルナーに律は笑った。役に立たないなどとんでもない、ヴェルナーがいなければ今ごろ律はこうして笑っていない。

「何言ってんだか、こっちは助かったって言ってんのに。人に助太刀頼んだのなんてこれが初めてだけど、ありがたいもんなんだなぁと実感中ですよ」

「そんならいいが」

 くしゃ、とヴェルナーが顔を笑顔に変えた。元々が意思の強そうな強面のヴェルナーは目尻から頬に走る派手な傷跡がそれに余計凄みを与えてしまっているが、こうして笑うと存外に優しさを帯びる。律は目を細め、いつもそうして笑っていればもう少し女も寄り付くだろうにと余計なことを考えた。

「それで、…こいつら一体何なんだ?」

「え?ああ、」

 一番近く、律に馬乗りになっていたもの―――ヴェルナーにより首がおかしな方向へ曲げられた死体を見て、ヴェルナーが言った。朝焼けの始まった空がさらさらと光を溢す中、律は無事な左手で身を支えて起こし、使えない右手の側に落ちた刀を引き寄せた。

「昔から王となる者が飼ってる、公にされていない特殊な力を持つ部隊の連中です。公式に処理できないものを専門に動くから余程のことがないと動かない」

「…何でそんなものがリツさんを?」

 眉間に皺を寄せたヴェルナーに、律は胡座をかいて左で頬ずえをついた。足の間に右手と刀を乗せ、ヴェルナーの死角へ配置する。

「さぁねぇ、ただ殺す気はなかったことは解ります。彼らの攻撃は全て即死箇所を外していたし、生け捕りが目的だったんじゃないかと。―――いや…信仰の低下を思えば、馬鹿馬鹿しいが一つ可能性が思い当たらなくもないんですが」

「可能性?」

 ふ、とため息混じりに半眼で言えば、律を訝し気に見たヴェルナーがあっと目を尖らせた。

「っておい、リツさん右手折ってんだろそれ、隠すな」

「くっバレた」

「バレたじゃねーよ、隠す意味が解らん。ったく…ほら貸して、痛みを和らげるくらいの魔力なら俺もある」

 何と、と驚く律にため息をつき、浮かんだ渋面とは対極に優しい手つきでヴェルナーが右腕に触れた。そこからじわりとした熱のようなものが流れる感覚がして、和らいでいく痛みと共に少しぞくりと鳥肌がたつ。

 やがてふうと吐息が落ち、ヴェルナーの手が離れた。律はしげしげと腫れ上がった、けれど痛みの少ない腕を見ながら、不思議な心持ちでううむと唸った。

「どうよ痛みは」

「うんありがとう。いや、しかし、凄いな。魔力って初体験だけどさ、あれだね、若干ムラっとくんねこれ」

「あ、そういや陣を組まずに魔力直接流し込むと官能を刺激するんだっけな。滅多に使わねぇから忘れてた」

 思い出したように言ったヴェルナーに、律はへぇと関心を示す。

「だからムラムラするわけか。性行為に活躍しそうだな、アブノーマル系の」

「おーそうそう、一部の貴族にそんな使い方して問題起こした連中がいて大量検挙したことが、って、おい」

 うん?と顔を上げれば、呆れた顔のヴェルナーと目が合った。柔らかい朝の光がその黒髪に弾かれ、精悍な顔を縁取る。

「リツさんあんた、自分の性別たまに忘れてねぇ?」

「あ、そうなんだよ。たまにどっちか忘れんだわ」

「………」

「何だよ」

 特に表情を変えずヴェルナーを見れば、いや、と苦笑して立ち上がり、すっと手を差し出した。

「取り敢えず帰ろうぜ、詳しく話も聞きてーし、怪我治療も必要だ。腕だけじゃねーんだろどうせ」

「あー…まぁ」

 助けを借りて立ち上がり、でも、と律は庭に目をやった。

「その前にこれ、あっちの林に埋めようや。寝覚め悪いし庭師に申し訳無い」

 目の前の血の海を指して言えば、酷い惨状が朝日に照らされ、思った以上のえぐさにヴェルナーが顔をひきつらせた。

「…そ、そうだな、俺ちょっと庭師の小屋から鍬拝借してくる。リツさん無理ねぇ程度に死体纏めといてくれ」

「あいよ」

 刀を腰に下げ無事な左手を挙げた律に、ふと背を向けたヴェルナーが振り返って言った。


「そういやリツさん、その話し方が素なんだな。もうそんままがいいや俺、それ聞いたあとに敬語とか気色悪ィ」


 指摘され初めて言葉が崩れていたことに気付いたが、ひでぇ、と呟いた律の文句は拾われることもなく無視され落ちた。




「……なぁヴェルナー、何でリツは三日経ったのに怪我が酷くなってるんだ、というか何で増えてるんだ。何をしていたのか教えてくれないか」

 見惚れるほどの美貌に身震いしそうな蠱惑的微笑を浮かべ、しかし全く笑っていない若葉色の瞳でそう言ったエヴィに、律とヴェルナーは顔を明後日の方へ背けた。自分の顔の使い方を良く解っているというか、いっそ笑っていない方がまだましだったかもと思うほど今のエヴィは正直怖い。

 律がヴェルナーと裏庭を片付けて屋敷へ戻り、医務室でヴェルナーに治療して貰っている間にどうやらこの屋敷の主は帰宅したらしかった。治療を終えのんびり借りている部屋に戻れば、既にそこへ帰ったばかりと解るきらきらしい正装に身を包んだエヴィが椅子に座って待っていた。あっと思ったのも束の間、エヴィは三日前より包帯の箇所が増えた律に目を見開き、立ち上がって見た窓からは派手に暴れた形跡がある裏庭を確認した。そして立ち尽くす二人が揃って血の臭いをさせているのを見て、先程の笑顔を浮かべた。別に悪いことをしたわけではないのに、この後ろめたさは何だろうか。

「お、お疲れ様です中隊長。随分朝早くに帰ったんですね、眠いんじゃないですか」

「そ、そうですよエヴィ、無理はいけません。そういえば王宮のご用事は何だったんですか、三日も拘束とは穏やかじゃないですが」

 視線をそらしぎみにどうにか二人して場を和まそうとするが、エヴィは美しい笑顔を崩すことなく問題ない、と笑った。

「王宮で仮眠をとったし別に眠くはないぞ、ヴェルナー。多少長引いたが貴族の務めであるただの雑務と定期報告だリツ。で、それはどうしてそうなったんだ、二人ともそこに座れ」

 とりつく島もなくそう言われ、がくりと項垂れると二人して諦めて示された椅子に腰を下ろした。

  そして始まった説教に肩を落とし、清々しい朝日の中、今日は厄日だと確信した。



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