表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神に告ぐ、幕は下りた  作者: 岸上ゲソ
12/19

信仰

「じゃあリツ、生活空間を整える際は手伝うからな。必ず連絡しろ。いいか、絶対一人でやるなよ。絶対にだ」

 領民が目覚めて騒ぎになる前にとデラシネが再び眠りにつき、元の様相を取り戻した森の入り口で、腰に手を当て説教じみた声音で言うエヴィに律は口をへの字に曲げた。

「…それくらい解ってますよ。さすがに全部用意は一人でできませんしきちんと連絡しますって…何ですその目は。何でそう信用ないんですか私」

「そりゃあリツさんの日ごろの行いでしょ。言っときますけど俺も信用してませんぜ」

 憮然とした顔で呻く律にエヴィの隣でヴェルナーが言い、律は心外だと言わんばかりに目を見開いた。

「ちょいと、そりゃあ確かに若干のスタンドプレイはしましたが、きちんと報告はしてたじゃありませんか。ヴェルナーさん酷いですよ」

「報告っつっても事後でしょうが。事前にしろって言ってんですって」

「あはは、リツさん俺も信用してません」

「ブレーズさんまで!?」

「リツ、多分全員信用してない」

「馬鹿な!」

 律は本気でショックを受けてしばし呆然としたが、ふと顔を上げてその両目が一瞬空虚な色を帯びる。が、それはすぐに消えて誰の目にも留まらなかった。

「…えーもう良く解りました。今後は、出来る限りきちんと連絡するとお約束します。これ以上信用失うと監視されかねませんし、ちゃんと事前に報告しますから」

「よし言質を取ったぞ。皆いいか、聞いたな」

「聞きました」

「この耳でしっかり」

 部下達の返答にエヴィが満足げに頷き、憮然とした律にそういう事だと笑った。

「一人で解決する癖を直せリツ、お前は既に俺達の友だし身内同然なんだ。恩返しより何より、頼って貰えないのは友として寂しい」

「…―――、」

 光を浴びて煌く金髪がさらりと肩から零れ、律はそこから目をそらすようにそっと下を向いた。見なくても解る、律の前に立つ彼らの親愛の情に満ちた眼差しは暖かく、慣れない感覚に律は悩んだ挙げ句ただ、はい、と口にした。律の肯定に嬉しそうに笑う騎士達には気付いていたが、真っ直ぐすぎる好意を直に受けとめてしまった律はなんとも気恥ずかしく、そして後ろめたさに彼らを直視する事ができなかった。


 立ち去る背中を見送り、律は小さく溜め息を落とすと近くの巨木に寄りかかって座った。主である律が身を置いた森林空間は、撒き散らされていた殺気を消し代わりに静謐な空気に満ちている。

 得難いものを得た、と律は笑った。

 己を身内と呼んでくれる人間がいる、その心地よさはどうしてこうも甘美で浮かれるものなのだろう。人に心配され、手を貸される。それが律は嬉しくてたまらないと思う。思うからこそ、知らないふりをしたいという欲求があるのだ。…けれど。

「―――どうぞ出ていらして下さい。全員屋敷へ戻りましたよ」

 陽が昇り葉と葉の間からちらちらと落ちる光を見つめながら、律は静かな面差しで言った。結局のところ、律にはこの気配を無視できない。律の言葉に束の間、驚きと躊躇う気配が落ちたが、すぐにそれは右横の木陰から姿を見せた。

 太陽の光を反射して煌めく柔らかい金髪、若干垂れ気味ではあるが初夏の新緑を思わせる若葉色の瞳。レイヴァンディエスタ・プレディーオール・サイフォン。エヴィの父でありこの地エディンバの領主であるプレディーオール侯爵当人。その人物が秀麗な白皙に厳しい色を浮かべ、律から少し離れた大樹の側に佇みこちらを見つめていた。

「そこで聞かれていたからお分かりでしょうが、エヴィ達には後ほど屋敷へは挨拶に行くからと野暮用を理由に帰って貰っています。彼らに話を聞かれる事はないでしょう。ですからどうぞ、ご用件を。―――大丈夫、決して彼らには言いません」

 座ったままではあるものの、視線を侯爵へ向け微笑んで言えば、その顔がほんの一瞬だけ苦しげなものを浮かべた。けれどその変化は本当に僅かなもので、侯爵はすぐに厳しい顔を取り戻した。

「…リツさん。息子を助けていただいた事は心より感謝しています。けれど、どうか……ここから出て行って頂きたい」

 低く伝えられた言葉に、律は一度目を閉じ、けれど何も言わず視線で先を促した。

「昨夜、大聖堂から連絡がありました。エディンバに指名手配しているリツ・ムラカミが来ていると。彼らがどうやってあなたの居場所を知ったのかは解りませんが、この土地にこのままあなたが居れば私は指名手配犯を匿った咎として処刑される可能性がある。……命の恩人に言う言葉ではないと解ってはおります――――ですが、迷惑なのです。どうか、出て行ってください」

 そう言い放った顔は厳しく、冷酷でさえあった。出て行ってください、そうはっきりと口にした侯爵は、昼間見たのほほんとした人柄でなく為政者としての風格と厳しさを持つ立派な貴族だった。

 けれど、と律は内心で苦笑を零す。

 けれど、優しすぎる。

 全身から決意を醸し出す侯爵に、律はそっと首を振った。―――違うだろう、そうではないのだろう、と。

「侯爵、大聖堂からの連絡は私がエディンバに来ている、ではなく侯爵の屋敷に居るから引き渡せ、でしょう。そして咎が及ぶのはあなたでなく、エディンバの領民。―――私を引き渡さねば民の居住権を剥奪し国より追放するとでも言われたのではありませんか」

 確信を持って真っ直ぐに見つめた若葉色の瞳は、律の視線を受け止めじっとしていた。けれどそう時を待たずその双眸は揺れ、やがて伏せられ苦しげな皺を眉間に刻んだ。

「…あなたは…」

 呻くように呟いた侯爵は、血でも吐きそうな位顔を歪めていた。それを見詰める律は、ただ馬鹿だなと悲しく思う。

 いくら息子を助けたとは言え律は所詮咎人。危険が及ぶ前に早々に引き渡せばいいものを、共も連れず単身律のいる森へ来て逃がそうとしている。息子ともども何とも優しく、愚かであることだ。そしてそれを、侯爵自身も解っている。

 何も言わず沈黙して俯いている侯爵に、律は静かな声音で言った。

「私から彼らの前へ出向く事はしませんが、ここに私が居ると伝えればあなたの立場は守られる。私を引き渡しなさい、侯爵 」

「―――しかし…っ!」

「レイヴァンディエスタ、あなたは何者です。この地エディンバの領主でしょう。ならばあなたにはここを治め守る義務がある」

 顔を悲痛に染めて言葉を失った侯爵を、律はしばしじっと見ていたが、ふいに笑って肩をすくめた。

「大丈夫ですよ、そもそも恐らく彼らの目的は私の処刑ではないだろうから。…まぁあの化け物がどうやってこの世界に接触持ったかはわからんが、私の居場所を神官にリークした事を思えば考えてる事は何となく予想はつく」

 後半の言葉は聖女と神の話を知らない侯爵には何の事か解らなかっただろうが、それでも処刑はされないという言葉に悲痛な顔から多少は落ち着いた顔つきになった。侯爵のマシになった顔色を見て、律は頷く。

「行って下さい。私はここで彼らが来るのを待ちましょう。…解っているでしょうが、エヴィ達には何も言わぬように願います」

「それは…ええ、はい。解りました、………リツさん」

 名を呼ばれ何だと無言で促す律に、侯爵が悲しみと感謝と苦しさが混じったような、そんな複雑な顔で言った。

「申し訳ありません。……ありがとう」


 ―――なぁ[佳代子]。あなたを守る為簡単に他者を切り捨て犠牲にしていた、そんな私を慕い憧れ、尊敬してくれていたあなたは、今の私を見て何というだろうか。

 今度こそ完全に一人になった森の中で、木々の静かな枝葉の煌きを見上げて律は独りごちた。

 聖女を殺した。そのせいで図らずも無限のような神の呪縛から抜け出し、この手に戻った[今の律]の有限の人生がある。けれどその代償は己の全てで唯一だった、命より大切な愛娘。例え自由にならない生でも、娘さえいれば律はこの三度目の使役も神の奴隷として聖女の下僕として使われただろう。

 けれど娘の命は聖女に奪われ、遺体は神に贄にされた。髪の毛一本、律には遺されなかった。律が持っているのは娘の死んだあの情景という悪夢と、いつ薄れるか分からない、まぶたの裏の思い出だけだ。

 ―――ねぇ[ナターシャ]。人形のように無感動であった私を、羨み憎しみ、けれど同時に心を壊すほど頼り愛してくれていたあなたは、今の私を見て何と言いますか。

 幼くも強く、最期まで俯かなかった[佳代子]。美しく聡明で、優しすぎて壊れた[ナターシャ]。

 そんな二人だったけれど、二人とも律をそれぞれ愛してくれていた。同郷の世界の、聖女と違い先の有る律を妬みながら愛し、神に取り上げられた人生を哀れんで、そして最期に残した言葉は同じだった。

「”あれは神じゃない。だから心までも囚われはしない”」

 律はともかく、歴代の聖女でさえも、ただの一人も神に対して一切の好意、すなわち信仰心を抱かなかった。それは過去の文献でちらほらと垣間見える事実だ。

 結局のところ、聖女も律も神という名の化け物に人生を奪われ糧にされただけだ。己一人では結局何もできぬくせに、人の生を搾取した挙げ句虚しさと絶望ばかりを与えた神に律はただただ嫌悪の情しか覚えない。そしてそれにのうのうとのっかって何も知らず権威を振るうこの国の神官も王族も律は嫌悪している。大嫌いなのだ、心から。


「―――だから今更、この世界のために何かしてやろうなんて気なんざひとっつもねぇんだよ、こっちは」


 ざわりと森に吹いた警戒の殺気の中、森の入り口に立つ襟に青いラインと紋章の入った、白い聖衣に身を包んだ厳かな一団に律は言った。

「無礼な発言は控えなさい、リツ・ムラカミ」

 その一団の先頭に立つ、まだ幼いと称していいだろう顔立ちの少女が威厳たっぷりに言い、律を見据えて言う。

「逃げられると思っていたのなら勘違いです。エディンバの領主は我等が神に敬服し、貴方の情報をわたくしに喜んで教えてくれましたわ。エヴァンジェリスタ様をたぶらかし、人の嫌うニールスの森に居座ろうなんて卑しい守り人のいかにも考えそうなことですわね」

 何も言わない律を蔑む様に見つめ、少女は祈るように両手を胸の前で組んで握ると恍惚とした顔で頭上を見上げる。

「神はわたくしの夢に束の間現れ仰ったのです。苦渋の判断ではあるが聖女の代役をリツ・ムラカミに与えると。一度の反抗は神の寛大な心で許すと仰られています。我等と共に行き、その卑しい身を恥じ心より神に仕えなさい」

 ずらりと並ぶ大聖堂神官。彼らの周囲は青白い「神の力」と呼ばれる「神」が与えた神官魔力に覆われ、覇気に満ちている。

 律はその一団の威厳を鼻で笑い立つことすらせず、片膝すら立てて横柄に目を細めた。

「へーえ、笑えるくらい予想通りだなオイ。聖女が使えないなら私を糧にしようって考えになるんじゃないかと思ってたけど、マジでそのまんまかよ。―――んで?いざ使おうとしたらもう自分のもんだと思ってた私の手綱が切れてたから?慌てて力振り絞って異界の血が濃い王族の夢に紛れ込んだってか。はは、そりゃな、聖女あっての手綱だからな。それがない今手も足も出ないんだろ、あの素晴らしいカミサマは」

「―――貴様!」

 くつくつと神を嘲り一気にそう言った律に、少女の恍惚としていた顔が歪んだ。それを察したその脇に控えていた男の神官がざ、と一歩前に出た。

「無礼な発言は控えろと言っている!神は貴様のような卑しい者をお救いになられると言っておるのだぞ!神の声を届ける為姫様までこうして来てやっておるというに―――」

「黙れよ、御託はいいんだよどうだって。重要なのは、ご立派なあんたがたが私が来ないなら私のダチが大切にしてる住民の生活壊すって脅してる低俗な連中だってことだろ。行くにきまってんだろ、あんたらと違ってこちとら人の心ちゃんと持ってんだよグズ野郎」

「き、きさ…―――っ!」

 最期まで言葉を発することなく、神官は唐突に地面に昏倒した。ざり、と刷れる音がする。

「…なぁオイ、聞こえなかったのか。黙れっつったんだよ私は。ええ?」

 誰の目にもその瞬間は見えなかった。でも神官の頭は地面にめり込み、その上に律の足が乗ってざりざりと靴裏をなすりつけている。

 その光景を間近で見ていた少女は青ざめ、震えながら律を見た。律はそれを無感動に見下ろし、足元の神官を邪魔だと言わんばかりに蹴飛ばすと冷徹に言った。

「ほら連れて行けよヒメサマ。そんなに言うならあの化け物と会ってやる。…ただ一つ忠告してやる。私のダチに何かおかしなことしてみろ、神官王族全員生きたまま頭蓋骨砕いてその腐った脳味噌えぐりだしてやる」

「ひっ……!」

 腰を抜かしへたり込んだ少女から視線を離し、律は大樹の一つ、デラシネたる大木を見上げた。

 律が守護者に願い命じるのはただ一つ。この厄介な身の上の己を受け入れてくれ、友と呼んでくれた彼らの幸せなる未来、それのみだ。

 唯一だった娘をなくした今、律には友である彼らが全てなのだから。



***



(遅い!)

 いらいらと酒を片手に日の暮れた窓を見て、エヴァンジェリスタは自室で毒づいた。

 夕方には屋敷に伺いますからと森から帰されて、既に夕方どころか日が暮れて外は真っ暗闇だ。何となく掴めてきたリツの性格を思えば時間通りやってくるとは勿論思っていなかったが、幾らなんでもこれは遅い。リツは時間はルーズでも無断で約束を反故にするような人間でもない…と思うから、エヴァンジェリスタも森へ行かずこうしてどうにか待っている。が、こうなると正直、今一つそれも自信がなくなる。別れる際に言質はとったが、思えばリツは報告を絶対でなく出来る限りと言った。ならば出来ない状況と判断すれば躊躇なくまた単独で動くのではないか。そもそもが、リツにとって単独こそ未だ慣れた日常なのだから。

(…我々では友にはなり得ないか、リツ)

 酒の揺れるグラスに映った己の顔を見て、エヴァンジェリスタはぼんやりと別邸で見た異界の友人の顔を思い起こす。


 ―――正直言うと、私にも自分が本当は何歳なのかよく解らない。どこからどこまでが【私】のものでどこから違っているのか。


 夕闇前の朱を仄かに乗せ、そう漏らしたリツの横顔は淡々としていた。想像もしない言葉に記憶をいじられたのかと尋ねると、笑って否定したリツの答えは人生そのものだと言う何とも理不尽な神の仕打ちだった。その時見たリツの笑みは、エヴァンジェリスタには何故だか迷子の幼児のような錯覚を見せた。

「中隊長、ちょっといいですか」

「―――ああ、うん?どうした」

 開け放したままだった自室の扉の前で、大柄な黒髪の男がこちらを覗いていた。エヴァンジェリスタがヴェルナー、と名を呼ぶより早く、やってきた部下はその身を部屋に滑り込ませ、つかつかとテーブルに寄ってきた。そして部屋の主に何も断ることなくどっかと向かえに空いていた椅子に腰掛け、驚くほど無表情でため息をついた。

「…何か嫌な報告でもあるのか?」

 この部下が無表情になるのは、昔から不機嫌なときだった。顔に傷を持つヴェルナーは表情を消すだけで威圧感が増し、気の弱い御令嬢が今の顔を見れば失神でもしそうだなとそんなことを考える。

「騎士団本部からの通信報告です、中隊長」

 眉間に皺が刻まれ、ヴェルナーが言った。それに耳を傾けながら真っ暗になった野外を思い、エヴァンジェリスタは後から森へ行こうと決める。時間にルーズな、異界人の友へ説教しに行こうと。

「【手配解除通達。聖女殺しの第一級指名手配犯、リツ・ムラカミが捕縛された。身柄は大聖堂預かりとの事だが詳細はまだ不明】―――以上です」


 だから、そんなことを考えていたエヴァンジェリスタには、ヴェルナーの言った言葉の意味を暫く理解することができなかった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ