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神に告ぐ、幕は下りた  作者: 岸上ゲソ
11/19

契約

 死とは生物の生命活動が終了する事であり、生物が辿りつく最終的状況を指す。

 つまり、生物の死とは世界が時を刻み生を育む過程でもたらされる一有機生物への幕引きとなり、定められた生存と言う期間を生物が全うした状況証拠と言える。この自然界において死から逃れられる生物は生物であるが故に存在し得ず、しかし確実に到来する決定的未来だと知っているのは人間をおいて他に居ない。社会的動物である人間はその知力故に大いなる力を手にしたが、だからこそ自らが到達する最終状況を理解せねばならない宿命を負う。死を理解する事は人としての権利であり矜持だが、それは必ずしも幸せな事ではないだろう。死を間近に捉えた人間の愚昧さ且つ不完全さは、幾度と無く繰り返される人間という歴史の中で実に悲惨な事件を幾つも起こしているのだから。

 こちらの世界で、人間を人間たらしめる所以は、人が理性的でなく感情的、打算的であるより意志的であることに表百できると律は教えられた。挙げられる根拠として、合理さと確実性を求めながら非合理で不確実性に満ちた生き方しか出来ない人の現実、また声高に平和を唱え争いを憎みながら、その手には磨がれたナイフを硬く握り締める本質が存在する。”己に平和を平等を、自由を!”その言葉を口にしながら刃を躊躇いも無く振り下ろす姿は、戦いの場で見た人間の極限的姿である。その剥き出しの真実を目にしてさえも、けれど人間はそれを否定する。――否定しなければならない。

 何故ならば、それこそが人間であるからだ。





 ―――眠い。

 日の昇る方角に薄紫が刷き、闇に溶けていた空は夜明けに座を明け渡していた。

昼間青く茂っていた濃緑葉は今や黒く群れをなし、静まり返った空気の中でただ慎ましい呼吸を繰り返している。律はその静寂でうつらうつらと舟をこいで現と夢を彷徨っていた。連日の寝不足によりそろそろ真面目に睡眠を摂取すべき頃合だとは分かっているが、やらねばならない事柄があると安心して休めない性分のせいで結局こうして外にいる。

「…あの、リツさん大丈夫ですか」

「――おぅっ…お、おぉはいはい」

 自分でもかなりやばいと思う目つきで頭をゆらゆらさせていたら、隣に腰を下ろしていたバートランドに声をかけられた。はっと意識を戻して傾いていた身体を正すと、何やら物言いたげなアイスブルーの瞳が律を見ている。しばし考えて口許に手をやると涎が溢れており、無言で拭うと隣でほっとした気配があった。背後で肩を震わせそっぽを向いているヴェルナーに気付いていたが、後で仕返しを決意し視線を前に向ける。

「…えー、そろそろ行こうかと思いますが、いいですか皆さん」

「いいですかってリツ、その前に何するのか説明してくれないか。何をどうしたらいいかさっぱりわからん」

 声に振り向くと呆れ顔で近くの岩に腰かけるエヴィがそう言い、さらにその両隣でエルンストとブレーズがこくこくと同意を示していた。律はしばし目を細めて眉を寄せ、あれ、と声を漏らす。

「…言ってなかったですっけ?」

「夜明け前にニールスの森入り口に行くという話以外俺は聞いてないぞ」

 律は無言で眠気から未だブレる目を虚空に向けて、そう言えば何かを説明した覚えがないなと気付く。そもそもが全員でここへ来るつもりじゃなかったのだ。エヴィとの夕食後に夜明けに行くかなと何気なく呟いた言葉を使用人が聞いていたそうで、深夜に刀を腰に下げ外に出ようとした所で待ち構えていた六人に捕まった。そこでまた一人で行くつもりだったなと怒られ半ば引きずられる形で森にきたので、説明もなにもあったもんじゃなかった。律はぼんやりしたまま空を眺め、雲が薄く光を帯びているのを見て立ち上がった。

「…えー、では簡単に言うと今から森の本体を起こすので、その反動で森全体が暴れだします。あーた方が戦闘樹と呼ぶコレは、あー、本体が寝ている状態にある時は姿も生態も植物なんですけど、えー、本体を起こすとその姿を戦闘に特化した二足歩行の姿へ変えます。名を裸戦熊、緑の毛皮に覆われた熊の姿を持つ戦闘狂です」

「―――緑の毛皮?」

 ぼんやりした顔でずらずら説明を並べながら刀を抜く律に、エルンストが若干顔色を悪くしてあの、と手をあげる。

「ん、何ですかエルンストさん」

「緑の毛皮の熊とは、もしかして、…芽吹きの民と共に戦ったというベアー・セルクルのことでは…」

「おお」

 あくび混じりに目をしょぼしょぼさせた律が感心したような声を上げて、抜いた刀をぐっと振りかぶる。そして、はいと笑って肯定した。

「やはりエルンストさんはご存知ですね。その通りです、芽吹きの民の武力の要、裸戦熊。確かに王はこれをベアー・セルクルと言ってましたね。ではお分かりでしょうが結構手強いですよ、王が欲しがった強さもさることながら、加えて数がいますから」

「なっちょっ、ちょっと待って下さい!ベアー・セルクル?本当に?それがあの、この樹の数だけ出てくるってことですか?」

「…おいリツ?エルンストが言っているのはどういうことだ?」

 蒼白に近い部下の姿にエヴィが眉を顰めて問うと、律がひょいと肩をすくめ首をかしげた。

「まぁちょっとした昔話ですよ。エルンストさんの心配はともかく、ほら百聞は一見にしかずと言うでしょう。色々聞くより見たほうが早いと思いませんか?」

「あ?あぁ、まぁそれは…」

「でしょう。という訳で―――おい起きろ[デラシネ]、貴様の名付け主[村上律]だぞ、とうっ」

「ちょまっ、―――あぁあ!!み、皆さん構えてください!これから来るのは少年王が語った緑の防壁、ベアー・セルクル!【戦神の戦闘兵】です!」

「―――んなっ」

「はぁ!?」

 ―――戦神の戦闘兵。

 神聖王国オンコールォ・フィンディルカの長い歴史の中、英雄伝に名を連ねる少年王スフィトニクスがその生涯を捧げ捜し求めたという伝説の存在、それが戦神の戦闘兵という。既に『神』がいるのに何故『戦神』、などと大層な名前がつけらているのかは謎に包まれているが、とてつもなく強大な力を持つそれは、滅びた一族に伝わる大いなる力であったという。詳しくは知らずとも、これくらいの知識は一般常識として市井の人間も知っている。

 どす、と重い音を立てて律の投げた刀が一番手前の大樹に突き刺さった。青くなったエルンストの言葉に律を除く全員が顔色を変え、けれど間を置かず腰の剣を抜いた。瞬間、それまで静寂の中にあった森がざわめきだし、枝葉をゆるやかに蠢かせ、震えるように全体を揺らし出す。それはまるで静かな湖畔に何か巨大な岩でも投じたような、大きな波紋であるようだった。

 まず始まりは一本目の樹に走った大きな光の本流だった。それを見るや律が走り出し、先程投げた刀を抜き跳んだ。瞬間、光につつまれていた樹は巨大な緑色の熊の姿を取り、目を獰猛に尖らせて律を追った。それを見たエヴィ達は息をのみ、周囲に目を走らせ動揺しながらも次々と熊の姿へ変わって行く大樹に各々剣を構える。裸戦熊の剣呑な目が騎士達を捉えるや、姿の大きさからは想像もつかない俊敏さで襲いかかった。

「―――ふん!」

 律は彼らの戦いぶりを見たことがない。手助けの有無を迷い目をやった先で、ぎん、と降り下ろされた熊の爪をエヴィが確りと剣で受けている姿があった。エヴィは一瞬力で押し同時に軽く腰をおとし、姿勢をくずした熊の脚に蹴りを入れる。そしてどうと転倒したそれを逃さず剣を叩き込み、また別の熊へ斬りかかるエヴィの側で、バートランドが流れるように優美な剣技を披露していた。そして何より、剣を手に踊る彼らは皆、ぼんやりとしたあるものに包まれているのが律の[眼]に[視えた]。

 ―――なるほど。あの時高位魔族を前に彼らが生き残ったのは、全くの幸運だけではない訳だ。

 口の端を上げて、律は騎士らを気にするのを止めた。途端、どこかぬるかった律の動きが鋭くなり、雰囲気から一切の容赦が消える。顔付きがいつもの優しげなものから寒気を覚えるほど獰猛なものへ変化し、刀を構え駆ける一瞬、それを見たヴォルフガングが顔をひきつらせていた。

「はは―――さあ、起きろデラシネ。でないとお前の分身を一つ残らず消してしまうぞ」

 にぃと笑みを乗せた律の目許はつり上がり、瞳の中にはこの森と繋がる印である緑色の蔦模様が浮かび上がっていた。それが律と繋がるデラシネが、その重い瞼をゆるやかに開き始めた兆しだった。



 ごう、と大きな突風が一つ吹き、その強烈な風圧に全員が動きを止めた。小柄な律は軽く吹き飛ばされたが、空中でくるりと一回転して体勢を整え両足と片手を地面につけ着地する。あちこちに倒れる緑の塊と、息こそ上がっているが概ね元気な騎士達を横目に律がすっと顔を上げる。その左の額から頬にかけてびっしりと緻密な蔦模様が描かれていて、ぎょっとして目を見開いた騎士達に律は肩をすくめて見せた。

「この顔の落書きは一種の契約印みたいなもんですから気になさらず。で、どうも皆さんご苦労様でした、本体が起きましたよ」

「そう、か。…しかし…本当にリツは、強いな」

 はー、と大きく息を吐いて、疲れて座り込んでいる部下を見ながら言うエヴィに、律は苦笑して首をふる。

「それだけの腕を持っていて何を言いますか。正直驚きましたよ、しばらく見ない間にこの国の騎士も質が上がりましたね」

「そう言われるのは、ありがたいが…。リツが凄すぎて、あまり、喜べん…」

「いやいや、私は皆さんと立場が異なりますから。私は体こそ人ではありますけど、存在が反則しているイレギュラーなので……と、」

 刀を服の裾で拭い、律がエヴィの背後へ視線を向けた。それを追いかけて振り向き、びくりと戦慄した騎士達を視界に捉えて苦笑を零す。うん、そりゃあ彼らの気持ちは分かる。現れたのは律のよく知るこの森の本体[デラシネ]だが、普通の感性を持っている人間がその姿を見ればまず引く。律は苦笑した顔のまま騎士の横を通り過ぎ、様子を伺って立ち止まっているデラシネへさくさくと足を進め手を挙げた。

「ようデラシネ、ご無沙汰」

『…ああ、久しいなリツ。またここへ喚ばれたのだな。百年前にも喚ばれていた様だが会わぬかったしなぁ…しかしちと吾の分身を殺しすぎではないか、これは酷い』

 品良く笑うその顔は、蜥蜴を髣髴とさせる形をし、肌は生物としてあり得ないほどの鮮やかな青と紫で斑模様を構成している。その癖に首から下は人と良く似たしなやかな体つきをしており、幾重にも重なった艶やかな衣を身に着けていた。人を萎縮させおびえを誘うには十分すぎる姿かたちだろう。

 律が肩をすくめ、皮肉な顔でへっと笑う。

「仕方あるめぇよ、こちとら寝不足だってのにてめーがいつまでも寝こけてやがってムカッ腹―――いえ」

 背後でぎょっとした気配を感じ、律はゴホンと咳払いした。

「…眠かったので多少八つ当たりしたのは認めますけど、起こして差し上げたんですからお礼を言って貰いたいくらいですよ」

『?何故言い直す?そなたの口の悪さなど今更であろ』

「るっせぇ黙れカス。人間社会ってのは色々あんだよ、空気読めつってん…のが解らないんですかお馬鹿さん」

『ほほ、人の社会も大変よの。あの若造を言い負かしては追い返していた時分を思い出すの…今はどうだリツ、現王に喧嘩でもふっかけてはおらぬか』

「え?あー、まぁ……あ、エヴィ、皆さん」

 律が誤魔化すように視線を泳がせ、そこで異形とのやり取りを唖然と見ていた騎士達に気付き手招いた。

「…リ、リツさん、あの、この方は…」

「ええはい。すいませんね、紹介します。こちらデラシネ、"戦闘樹"の親分です」

 恐る恐る尋ねるエルンストに頷き、全員が寄ってきたのを見て紹介する。律の親分呼ばわりに不満の顔をしたのはデラシネだが、一見してその蜥蜴顔から表情は読めないためその不満は誰にも伝わらなかった。だがふと、その爬虫類独特の緑の瞳がエヴィで止まる。

『―――もしやそなた、吾の森の地主かな?』

「はっ。お初にお目にかかります、私はエヴァンジェリスタ・プレディーオール・トリチェリー。貴殿の仰るとおり、このエディンバを治めている側の人間です」

 さっと騎士の礼である胸に手を当て頭を下げるスタイルを取るエヴィに習い、部下達が次々とまた名を名乗り礼をした。

『これはまたご丁寧に。吾はデラシネ。このリツと契約を結んだ守護の者。…いやしかし随分と、騎士の質が上がったものだのリツ?吾は人と面を合わせ叫ばれる事無く礼をされたのは初めてぞ』

「人間も進化してるんですよ。それにエヴィは祝福持ちで、他の五名は加護持ちですよ」

『ほお、それはそれは』

「―――加護持ち?」

 声を上げたのはブレーズだった。困惑を滲ませた目で見る黄金色の瞳に、律とデラシネが顔を見合わせる。

「知りませんか、加護持ち?」

「しっ、知りません!何ですそれ何です!」

 エルンストが両手を挙げて声を上げた。両目が知的好奇心で爛々と輝き、学者としての顔で律を見ている。エヴィがそれを見て頭が痛そうに小さく溜め息を落としているが、ヴェルナーがその肩にそっと手を置いて諦めろというように首を振っていた。

『今の[神]ではない、古の時代に生きていた神の名残よの。加護も祝福も古の神の名残だえ。祝福持ちほどではないが、加護持ちも常人より遥かに基礎体力が良く体も丈夫だ。そなたら、今までに大病はせなんだろ』

「…言われてみれば」

 バートランドが躊躇いがちに頷き、ブレーズが不思議そうに自分の体を見下ろした。律はばりばりと頭を掻きながら肩をすくめ、溜め息を落とした。

「まぁ加護持ちには祝福持ちのような印となる痣がないので気付かない人が多いんですけど。…でもその存在すら知られていなかったとは思わなかったな」

『思った以上に忘却が進んでおるの』

「喚ばれるたびに遺跡も減ってたしねぇ――――あ、そうだそうだ」

 嘆かわしい、と悲しげに呟くデラシネを他所に律がぽんと手を打ち、青と紫の硬い皮膚に覆われた手をぐっと握った。

「デラシネ、私が喚ばれるのはこれが最後になります。もう戻るつもりはありませんし手立てもありません。私はこれから一生を、こちらで生き骨を埋めることになりました。ですからこの森に住みたいと思うのですが」

『―――何?そなた、聖女はどうした』

 目を見開くデラシネに、理由を知るエヴィ達が複雑そうな顔を律に向けた。

 律は何も言わず、感情の見えない透明な微笑をその顔に浮かべる。―――は、とデラシネが息を呑んだ。

『殺したのか』

「ええ」

『何故』

「―――私怨です」

『……仇か』

 デラシネの呟くような言葉に、律はただ沈黙だけを返した。何の釈明もするつもりはないし、してはならないと解っているのだ。愚かな、と漏らしたデラシネの声は唸り声のようでまるで言葉になっていなかったが、バートランドが顔を伏せたのを視界に捉え律は少し笑った。野営の時、律の悪夢の様子を直に見ているバートランドは、恐らくその唸りを正しく理解したのだろう。

 ふっとデラシネが吐息を落とし、かすかにその口を緩めた。

『―――良いとも。元より吾はそなたの守護者ぞ、古の契約に従いここに受け入れよう』

「そうですか。ではエヴィ、これからお世話になりますがよろしいですか?」

 振り向いた律はいつも通りに、何の気負いも無くのんきに笑って言った。その笑顔を迎えたエヴィは目を細め、何かを振り払うように微笑み頷いた。

「勿論だ。こちらこそ、ニールスの森ともども宜しく頼む」


 

 和やかに話し出したリツたちを見ながら、いつの間にか大樹に戻り森をなし始めた木々を見上げたエルンストがふと口を噤む。

 ―――まぁ加護持ちには祝福持ちのような印となる痣がないので気付かない人が多いんですけど。

 何も印はないというそれ。

 ならばそれを、どうしてリツは見抜けたのだろう。

 ざわめく木々の囁きを背景に、エルンストは真っ直ぐに伸ばされたリツの背を呆然と見詰めていた。

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