第八話
ありえないほど広くて長い廊下を進み理事長室の前に立つと、そのタイミングを見計らったかのように中から声をかけられる。
「どうぞ、鍵は開いてるわ」
いやに艶のある声がそう告げた。
ピカピカに磨かれた金色のドアノブをひねって、フランス宮廷のように豪華な扉を開ける。
「そろそろ来る頃だと思ったわ」
部屋に足を踏み入れた瞬間、真正面のデスクに寄りかかるように立っている理事長に声をかけられる。わたしが言葉を発する間もなく、身振りでソファを進められた。それに従い、スプリングのよくきいた黒い革張りのソファに身を沈める。流石に八人は座れないので座ったのはわたしと冬弥だけ。冬弥が理事長の目を見据えて話を切り出した。
「僕らの言いたいことはもう分かっていますよね?」
「ええ・・・テストのことでしょう?」
にこりと妖艶に微笑みながら答える理事長に冬弥が頷く。
「ちょっと待っててね」
そう言ってデスクの方に歩いていく理事長。
理事長の名前は瑠緋戸 菖蒲。少し段のついた、肩ほどまでの茶髪はとても艶やかで、染めているとは到底思えない。きりっとした少しつり目気味の瞳は黒に近いグレイで、一度見たら忘れられないだろう。高い鼻梁に形のよい唇は見る者全てを魅了する。理事長はそんな美貌の持ち主だ。
少し・・・暇になったわね。
特にやることもなく、なんとなく手持ち無沙汰になってしまったので、デスクの引き出しを探っている理事長に声をかけてみる。
「今日は女性なんですね、理事長」
ふふっ、と理事長は笑い、何かを探す手は止めないまま答える。
「今日は女性になりたい気分だったのよ。どうかしら?」
答えなどとっくに分かっているだろう質問を、理事長はいつものようにしてきた。
「今日もとてもおきれいですよ」
本心から来る言葉だ。みんなもわたしの言葉に同意を示すように頷いている。
わたしの言葉を聞いて、嬉しそうに理事長がまた笑う。
「ありがとう。明日はどっちにしようかしら・・・あっ、あったわ」
お目当てのものが見つかったのか、声をあげて引き出しから書類を出した。それを持ってこちらに歩いてきながら、またわたし達に問いかけてくる。
「ねえ、あなた達はどっちがいいと思う?」
少し考えてから答える。
「わたしは個人的に男性の方がいいですね」
「僕も男性がいいです」
わたしと冬弥がそう答えると、みんなも何か言いたそうにしていたが、また混乱するだろうと分かっていたのか黙っている。
「あら、そうなの?・・・もしかして才花、好みなのかしら?」
わたしの顔、と、いきなり渋い男性の声で囁かれた。今は絶世の美女である理事長に、その渋くて魅力的な声はあまりにも似合わない。
「いえ、特にそういう訳では。ただ単に気分です」
全く動じないわたしにつまらなそうな顔をする理事長。次に冬弥にはなしを振った。
「面白くないわね・・・。じゃあ冬弥はなぜ?」
「僕は理事長の変装の腕をもっと見たいんです。何か勉強になるかと思いまして」
そう、わたしがさっき理事長の紹介をするとき、体格や性別に一切触れなかったのにはわけがある。
理事長は変装の達人なのだ。女性のときは、ほっそりとした手足にふくよかな胸を持つスタイル抜群の美女。しかし男性のときは、細身ながらもバランスの取れた筋肉をもち男の色気を存分に醸し出すハンサムである。いくら変装とはいっても顔を変えることはできないはずなのだが、いつみても同じ人物とは思えない。体系も声も全く違うのだ。昔理由を聞いてみたことがあったが、「人の顔は化粧ですべてが変わるのよ」などと訳のわからないこと言ってはぐらかされてしまった。いくらなんでも化粧であそこまで変わるとは思えない。
理事長は昔、国際的に有名な暗殺者だった。言っておくが、あくまで「暗殺の世界で」有名だったのである。にもかかわらず、一度として同じ顔で人前に現れたことは無いと言われ、本当の性別がどちらなのかも知られていない。その理事長が若くして現役を退き、暗殺者育成学校を建てると決まったときは、ものすごい混乱が起こったという。それから理事長は、学校の理事長になるにあたって“生徒が混乱してはいけない”と思い、ある特定の男性と女性にしか変装しなくなったらしい。
確かに嬉しい配慮よね・・・。理事長の外見がそうコロコロ変わってちゃ困るわよ。
「そんなことより理事長、そろそろ本題にはいりませんか」
冬弥が律儀に答えたあと、横道にそれた話の筋を戻した。
「ごめんなさいね、つい。・・・テストの件については、完全にこちらの手違いよ」
そういって理事長はさっき取り出してきたふたつの書類を机に並べた。
わたしと冬弥はほぼ同時にその書類を手に取った。手に取りながらわたしは思った。
手違いなわけがない。理事長はそんなミス、絶対にしない。
しかし今はそんなことを考えるときではないだろう。テストの方が先決だ。頭を切り替えて片方の書類を確認し、冬弥と交換する。はじめにみた書類には被っていたターゲットの名前と写真が。次に見た書類には別のターゲットの名前と写真が記されていた。他の項目は自分達で調べなければならないため、まっさらである。
わたしが問いかけるように理事長を見ると、理事長は右の人差し指をピンと立てる。
「あなた達には、ある勝負をしてもらうわ。その勝負に勝った方が好きなターゲットを選べるの。どうかしら?」
理事長はまた、いつものように答えの決まった質問をしてきた。理事長がやると言えばやるのだ。わたしたちに拒否権などない。
まあ、断る理由もないし、断る気もないけど。
「もちろんやらせていただきます」
「僕も喜んで」
微笑むわたしと冬弥。背後でみんなが頷いているのを感じる。
理事長は満足気に微笑んだ。
理事長登場です
性別不明にしたのはわたしの好みですね
男か女か迷った挙句、一緒にしちゃえ、ってことで・・・(笑
それにしても今回冬弥と才花しかしゃべってない・・・・