四話 回り道
名も知らぬ白い花が朝の涼しげな風に吹かれて揺れる。美咲がいなければ人知れず魔の森のなかで咲いていただろうその花は、今は手折られてその申し訳ない程度の花弁が墓を彩る。
今後誰も訪れることはないであろうその簡素な墓は、持ち主も合っているかわからない剣が無造作に突き刺さっているだけで、森の中にぽつんと寂しく立っている。
ここに美咲が訪れることが出来はのは一重にシャルルがここまで案内してくれたからに他ならない。軽い朝食を取ってからまず美咲がしたのはシャルロッテ、否、シャルルに作ってくれた墓地に連れて行って欲しいとお願いしたことだった。
始めは事情がわかっているのかと渋るシャルルだったが、これ見よがしに大きくため息を吐くと仕方がないと言った表情で出発の準備を始める。
途中に使っていたテントや鍋などの小道具が一瞬のうちに虚空に消えて美咲が驚くというアクシデントがあったが、シャルルの行くんですか、行かないんですかと身体の前で腕を組みながら見つめてくる無言の圧力の前に屈した。
そういえばどこを見渡してもシャルルの持っていた透明な剣は見当たらない。
シャルルは美咲が付いて来てることも確認しないままになんの目印もない森の中へと分け入っていく。置いていかれては敵わないと美咲も急いで後を追う。鬱蒼とした森の中に黒と金の少女の姿が吸い込まれていった。
森を抜けて連れて来られたのは少しだけ開けた草原だった。そこは不思議な光景でまるで森から切り取られたようにぽつんと存在していた。日常的にはありえない異様な景色。しばし呆然とした表情でいた美咲ははっとして少し後ろで控えているシャルルを振り返った。こうなる要因は一人しか考えられない。
木々が生い茂る中にただ埋めただけの寂しい墓がそこにあるだけと予想していたが、その予想を大きく上回る綺麗な場所にあることに驚いた。夜のシャルルの言動から推測するに感性が違うのかと心配したが、そうではないようだ。
「ありがとうございます」
シャルルは何を言ってるんだこいつはと言いたげな目をしていたが、美咲の心は軽かった。お墓を前にして不謹慎にも甚だしいことだが、美咲の心は少しだけ軽くなった。ほんの少しだけ。
美咲はお墓に道の途中で摘んだ白い花をそっと備える。目を閉じて静かに黙祷を捧げる。後ろにいたシャルルの気配はいつの間にかいなくなっており美咲に気を使ったのか、それとも興味がないだけでどこかで時間を潰しているのかもしれない。
一人で静かに手を合わせていると、白い花の横にそっと赤い小さな木の実が添えられる。まるで小さいさくらんぼのようなその実は花に寄り添うようにお墓に彩りを加えてくれる。
美咲は驚いた様子で横を見るとシャルルが美咲と同じように手を合わせていた。
「勇者様の世界ではこうするんでしょ?」
こくりと頷いて二人で静かに手を合わせる。
しばらくしてから、シャルルが行きましょう言うのでしずしずと後に続く。
「泣いてないで涙拭きなさいよ」
ありがとうとお礼を言って渡されたハンカチで涙を拭く。渡されたハンカチは仄かに香水の香りがして使うのは申し訳ない気がしたが溢れ出る涙のせいで止めることが出来ない。余ったからと貰った赤い小さな木の実は、さくらんぼのような見た目に反して、いちごみたいな甘酸っぱい味がした。
いつまでもしくしくと涙を流している美咲に嫌気がさしたのか、シャルルがいきなり頭をガシガシとかき回す。驚いて「ひぃっ」と怯えた小心者の声を出すことがさらにシャルルの機嫌を損ねていることに美咲は気付かない。
綺麗に纏まっていた金色の髪はぐっちゃぐっちゃで端正な顔から覗く目が美咲を睨む。なまじ整った顔立ちのせいか吊りあがった眼光がより一層恐怖感を煽る。その怖い目が美咲が怯えている大きな要因であることにシャルルは気付かない。
「いつまでもめそめそするのやめてくれませんか?」
「ご、ごめんなさい」
「そこです、そこ!」
美咲の頭の上に疑問符が浮かぶも構わずに、シャルルは乱れた髪を手櫛で梳きながら続きを話す。美咲はというとみるみる中に綺麗になっていく艶やかな髪に羨望を抱いていたり。
「美咲様はこの世で最後の勇者様なのです。もっとシャキッとしてください」
そんなことじゃ魔王に勝てませんよ、と続けた。
元から私はいらないじゃんとは口が裂けても言えなかった。ここ近年で魔王は世界に向けて和平を持ちかけたがそれは一方的な押し付けでしかなかった。しかしそれでも領土の侵略の禁止や貿易の開始などの基本的なことは押さえられており、お互いに不満な点はない。よって世間では和平が成立しているという認識になっている。
戦争がなくなったのは事実でいいことなのだが各国にとっては出鼻を挫かれた感じになった。今まで掛けていた税は魔王を倒し世界に平和をもたらす軍を維持するためという名目であり、それが崩れた今国民は税の制度に疑問を持ち始めている。
それに加え魔王という人類共通の敵がいなくなったことで国民の目が自国の政策へと向き始めているのも問題だ。もっと言うならは魔王の支配している領土は天然資源が豊富でありとても豊かな土地である。それを奪えなくなった以上、魔王にお金を払って買うということになってくる。勿論生産されるのは魔王の納める国、魔国だけではないので早急の問題ではないのだが、その払うお金は国民の払う税の中から出される訳で、国としては頭が痛い。
そこで疑問に上がるのが平和な今なぜ勇者である美咲の存在が必要かという問題である。和平により世界的に軍の規模は縮小の傾向が取られてはいるが魔物の被害が消えたわけではない。強力な魔術師はどこの国でも喉から手が出るほど欲しい現実は変わらない。しかしいつの時代も象徴というのは必要とされる人材である。帝国の聖騎士に然り、ソマリアの託宣の巫女に然り。
プルガトリア王国にとってはそれが世界最強との呼び声が高い宮廷魔術師のフーであった。魔王に和平の先頭に立ったのがそのフーだったといのも大きい。その功績も合いなってプルガトリア王国は魔国との仲介役という地位を確立している。
プルガトリア王国は宮廷魔術師フーの存在によって魔国からも一目置かれる国であった。そのフーが辞めた時、上層部は荒れに荒れた。上層部にとっても宮廷魔術師が辞めるというのはそれぐらい想定外のことだったのだ。国を上げて探したが結果的に見つからなかった。引き継ぎも今後の予定も完璧でフーの抜けた穴は象徴としての役割のみ。
白羽の矢が立ったのは異世界からの勇者の召喚である。過去の忘れ去られた秘術、召喚の儀はプレガトリア王国の地下深くに大切に保管されていた。ここにプレガトリア王国が勇者の国と呼ばれる所以でもある。
召喚の儀は歴史書を紐解いても過去何年に渡って行われていない。これは単に儀式の魔法陣が発動しないためで、国中の優秀な魔術師が集められて修理が行われたが、うんともすんともいわなかった。それを引き継ぎの書類の最後に、修理しておいたことが何でもないように書かれていたことにも上層部は度肝を抜かれたが、最後の望みでもあった。
色々な過程があり事情があり今の美咲がいるのである。唯一の誤算は美咲の勇者としての適性の無さであろうか。
なぜ私がこんな事に、と考えたのとは数知れない。
嫌なことを考えると気分が落ち込んでくるのは当然のことだ。
「危ない!」
思考の闇に身を落としていた美咲はいきなりシャルルに頭を押さえつけられた。その時ぐふっと女性が出してはいけないような声が漏れたが気にする人はいない。
身を屈めた二人の上を黒い影が飛び越えていく。耳もとで大きな物体が風を切る音と草むらに何かが飛び込む音が聞こえた。
何が起こったのかと視線を上げればちょうどシャルルが水晶のような剣を振り被って投げたところだった。美咲の肩程もある剛剣が唸りを上げて草陰に突き刺さる。ぐしゃりと肉が引き千切れる生々しい響きが耳に届いて美咲は顔を顰めた。シャルルはというと、うん、とひとつ頷いてから茂みの奥に歩いていく。
森の中は昼間だというのに木々が生い茂って薄気味悪い雰囲気が漂っている。視界は狭いし気配も掴み難い、先程の奇襲も確実に頭を狙っていた。シャルルが押さえてくれなかったら今頃はもの言わぬ餌になっていたかもしれない。ぶるりと震える身体を押さえてからシャルルの姿を追う。行く手を阻むように生える雑草を掻き分けて進むと、草の陰に隠れて狼のような魔物が真っ二つになっていた。身体を斜めに切断されその衝撃でか四肢が一つ吹き飛んでいる。
剣は魔物を貫通して後方の木に中ほどまで突き刺さっていた。腕の力だけで抜くことができないのか、片足を木に当てるようにして後ろに体重を掛けている。先程の逼迫した空気との格差が激しすぎて呆然としてしまう。
あ、抜けた。
ずどん、と尻もちをついたシャルルは痛そうにお尻をさする。ふんわりと空気を孕んでドレスの裾が捲り上がり、程良く肉の付いた健康的な白い脚が下の土と合いなって黒と白のコントラストを画く。
シャルルは服に付いた落ち葉や土を簡単に払いつつ立ち上がると、手に持っていた剣が光に包まれるように先から分解していく。
おぉ、と感嘆の声を漏らしてしまうことは仕方ないことだ。今まで美咲が見たことがあった魔術といえば、火球が飛んだりするようなものばかりだった。虚空に溶けるように消えていく光は幻想的で綺麗だった。魔術の魔の字も知らない美咲が知るよしもなかったが、これは魔術ではなくただ単に剣の持つ特殊能力であることを知るよしもない。昨夜使った小物の類が消えたのとはまた別である。
「これで勇者様は二回死んでた訳ですが」
パンパンと手に付いた土を払いながら、さもどうでもよさそうに言ってからさっさと森の中へ歩き出してしまう。
「ちょっと待ってください。どこに行くんですか?」
「どこって、あなたを連れてくるように言われてますので、そこに」
シャルルの解答は要領を得ないが、美咲には付いて行かない選択肢はない。現にシャルルの言う通り助けがなければ二回死んでいた。
「わたし、お城に帰らないと」
既にシャルルは朝食の時に全ての顛末を説明していた。
プルガトリアの召喚の儀の魔法陣はこの世に勇者をもたらすが、魔法陣と勇者は一対一で共鳴しており、当代の勇者が死ぬまでその輝きが消えることは絶対にあり得ない。これはパスとも呼ばれる魔術的効果であり召喚の魔法陣は勇者が居る間どのような魔法も受け付けることはない、これは共鳴している勇者の命を守るためでもある。
しかし、召喚された勇者は違う。怪我をすれば病気にもなるし致命傷を負えば普通に死ぬ。そうすれば召喚の魔法陣の輝きも失われ、再び儀式が可能となる。
つまり美咲は見限られたのである。
勿論他にも複雑な私利私欲が絡み合っての今回の惨事がある。
「それでも、わたしはお城に帰りたい」
「あなた、正気? 自分から敵の巣に戻るって言うの?」
「聞きたいことがあるの」
シャルルの目がスッと鋭くなる。
「私はあなたを連れて来るように言われています。同時に城には返すなとも言われています」
シャルルの手の中に光が集まる、先程の逆再生を見ているかのように。気が付くと手の中には剣が握られており、切っ先が向けられていた。
周りの木々がざわめく。
背筋に悪寒が走る。
身体が寒い。
「行きたいのなら私を殺して一人で行ってください」
美咲は本気の殺気というものを感じたことがなかった。
息が苦しくなって視界が歪む。足がガクガクと震えているのが自分でもわかる。それでも聖剣を鞘ごと抜いて正面に構えた。
静寂の時間が二人の間に流れる。
美咲の構えは隙だらけだろうにシャルルは動かない。構えた聖剣がカタカタと揺れる。
シャルルはドレスをたくしあげて太ももに付いているベルトから赤い液体の入った小瓶を抜き取ると一気に仰いだ。どこに入れてるんですかと突っ込む暇もない。
シャルルの気配が変わる。
エンジンにガソリンを入れたように、水を得た魚のように、シャルルの身体が活性化して淡く光る。周りから溢れる光の粉は強すぎる魔力が押さえきれずに視覚化されて漏れ出しているせいだ。
地面と水平に向けていた剣の柄をぐっと自分に引き寄せたかと思うと、シャルルの身体がぶれた。
一瞬の中に美咲を圏内に捉えたシャルルは剣を構えて肉薄する。反応することも出来ない美咲は目を瞑って運命に身を任せるしかない。
何も見えない闇の中で美咲は後ろから「ぐふっ」っと籠った声を聞いた。後ろを振り返ると、騎士だろうか鎧に身を包んだ男がシャルルの剣にぶった叩かれて吹き飛んでいた。シャルルはそのまま腰を捻り横に立っていたもう一人の男の土手っ腹に回し蹴りをぶち込む。
どれほどの威力があるのか金属が拉げる音がして男の身体がきりもみ状態で消えていく。
シャルルは美咲を守れる位置まで移動すると凛とした声で言い放った。
「女性を後ろから襲うなんて感心しないわね。出てきなさいよ変態」
「変態とはなかなか言ってくれるなー」
木の陰がガサガサと揺れて現れたのは数人の男女。それに続くように周りの草陰からも続々と姿を見せる。
完全に囲まれていた。
シャルルが目を細めて一帯を見渡す。おそらく美咲を守りながら突破できるのか考えているのだろう。
「無駄なことは考えない方が身のためだぞ」
「あら、無駄とは御挨拶ね。ここにいる全員叩き切ってもお釣りがくるわよ」
口の端をにやりと引き上げて、不敵に笑う。実際にシャルルはこの現状に気づき、既に二人吹き飛ばしている。
その言葉には力が宿っていた。
周囲の騎士が一斉に剣を抜く。殺伐とした空気が森の中を満たしていく。
「止めないか、お前たち」
「しかし……」
「大丈夫だって」
しぶしぶといった感じでリーダーの直ぐ傍にいる女性が片手軽くをを上げると、騎士達が剣を納め殺気が引いていく。リーダーの態度はどこまでも飄々としていた。
ズバン、とシャルルの身体が加速した。踏み抜かれた地面はその力に負けて小さなクレーターを作っている。男の横に居た女性も、あっと口を開いて反応できないでいる。
その速度は人間の出せる速度を越えていた。
文字通りあっという間に男を射程圏に収めたシャルルは頭から寸断しようと剣を振るう。必殺の一撃は男を近い未来に断ち切っていただろう。
美咲は見逃さなかった、男の口元が吊りあがったのを。
右足を半歩引きつつ身体の軸をずらして回避されたシャルルの剛剣は地面を穿ち、鈍い音を立てる。避けた男は口笛を吹いてシャルルを煽った。キッと下から睨むシャルルの視線を面白そうに受け流してその無防備な腹に膝蹴りを喰らわせた。
かはっと空気を無理やりに吐き出さされお腹を押さえて膝を付くシャルルの後頭部に男は無慈悲に肘を叩きつける。頭を強打されたシャルルは強制的に意識を狩り取られ地面に倒れて動かなくなる。手からこぼれた剣が光になって霧散していく。その光景を男は残念そうに見ていた。
「あー、危なかった」
全く持って白々しい。危ない場面など全くなかった。男はよいしょっと気絶しているシャルルを俵を担ぐようにして持つと美咲に向き合った。
「俺はプルガトリア王国第一騎士隊のユーリ。王の命により勇者を迎えに来た」
シャルルの身体を弾ませて持ちやすい位置を探してから、隣の女性に指示を出す。その持ち方は女性を扱う持ち方ではない。
「丁重に護衛しろ」
シャルルの様子を心配しに思いながら美咲は黙ってその背中を追う。周りは騎士で固められていて護衛というより輸送だなと美咲は思った。
戦闘っぽい展開になりました。
楽しんで頂けたらこれ幸い。