二話 過ぎ去った日々
カーテンの隙間から爽やかな朝の日差しが漏れる。太陽が昇ったばかりの冷たい空気が周りを包み温かさの魔力をさらに加速させる。小鳥のさえずりを聞きながら起床することが出来るのは、やっとこの世界にも慣れてきた証拠なのだろうか。
召喚されて数日の間は夜も寝れないほどに枕を濡らした。おそらく人生でこんなに泣くことはもうないだろう。これでもかと目が真っ赤になって心配された、柔らかな羽毛の布団に包まりながら親や友達の名を何度も呼んだ、これが夢だと願いながら。
「ミサキ様、朝です。起きてますか?」
美咲は声から逃げるように深く布団を被る。ここまで熟睡できるのは異世界に順応にしたのか、それとも精神が図太いだけなのか。
声の主は美咲から返事が聞こえないのでまだ寝ていると判断したのか数回ノックしてから静かに扉を開ける。ぎいいいい、と断末魔のような音を上げて扉が開かれ、部屋に清い空気と新しい光をもたらした。
「朝です。起きてください」
唐突に掛け布団を剥ぎ取られた美咲は、うーんと唸ってふるふると震え辺りをまさぐる。そしてその手は寝相の悪さから蹴飛ばして転がっていた枕を掴む。美咲はそれをなんの疑問を抱かずにためらいなく抱きしめて、にこっと笑う。
だが、流石に冷えてきたのか、ぶるりっと震えて起き上がる。
じとーっと薄く、目が開く。
きょろきょろと周囲を窺うと、両手を腰に当ててこちらを見下ろしている人物に気づいた。
機動性を重視した軽装の鎧を身に纏い腰に長剣を挿した彼女がぺこりと挨拶をする。雪のように白い肌は珠のように肌理やかで、両手には滑り止めのためか革の薄いう手袋を嵌めており、背中の中ほどまで伸ばされた絹糸のような茶髪が朝日を浴びて煌めく。前髪は几帳面に切りそろえられていて、耳に付けられた美しい青いイアリングが印象に残る。
「おはようございます。ミサキ様」
寝ぼけ眼の美咲はこくりと頷くとパジャマを脱ぎ横に綺麗に畳んであった制服を着る。
服が一着しかないというのは不便極まりないが、用意された服を着るよりは制服を着た方が心が落ち着いた。
「毎朝すいません」
「ミサキ様は朝が弱いのですね」
ころころと笑われ恥ずかしくなった美咲は眼を潤ませて彼女を見て、なぜか嬉しそうに口元を押さえる彼女に疑問を覚える。
「いえ、ミサキ様も私と同じで朝が弱いのだなって」
「サラさんも?」
はい、とサラは頷いて。
「温かいベッドって凄い引力があると思いませんか?」
美咲はそれはもうと、こくこくと首を振る。サラは美咲が聖剣を持って立ち上がるのを確認すると、
「みんな食堂で待ってます」
どうぞ、と手で先導してから美咲の後ろを静かに付いて行った。
◇◆◇◆◇
王宮の中にある食堂は沢山の騎士、魔術師の胃袋を宥めるためにそれ相応の大きさを誇っている。まだ朝が明けて間もないというのに既に八割が埋まっていて、賑やかな喧騒を奏でている。
「おはようございます」
美咲が食堂の入口で挨拶するとそれまでの騒がしさが嘘のように静まり返ってしまう。これはもう珍しいことではない。召喚されて数週間が経ち美咲が勇者として落ちこぼれであることが判明してから、周囲の反応はガラッと変わった。
挨拶が返って来ないのは当たり前、廊下ですれ違う際に肩をぶつけられたり、陰口をも叩かれるようになった。
絶対的な強者である勇者。それが蓋を開ければ、まだ年端もいかぬ少女で剣術も魔術もまともに使えないとなれば態度も変わるだろう、と美咲は冷静に思っていた。
いくら蔭口で嫌なことを言われようと、どれだけ無能と囁かれても、美咲は気丈に振舞おうと決めていた。少しでもみんなの役に立ちたいと考えていた。それがシャルルに甘いと言われる所以かもしれない。
でも心が痛くないわけじゃない。そんな美咲の雰囲気を感じ取ったのか、サラが周りを威嚇するように鋭い目線で見渡した。食堂のどこかで舌打ちの音がしたのを最後に、また騒々しい空気へと戻っていく。
「私たちはいつもミサキ様の味方ですよ」
美咲はサラの言葉に励まされながら、サラの友達がいるという席に一緒に向かう。人の波を掻き分けながら食堂の一角を陣取っているテーブルの一つに着く。そこには数人の女性が食事を食べ始めていた。
「はよー」
サラと同じく軽装に身を包んだ女性が気さくに声を掛けてくる。手には鳥だろうか、何かの肉が握られており目の前には大量の残骸が残されている。もう手も唇も油でべったべったで、てらてらと光る唇を舐める舌がとても艶めかしい。
「朝からよくそんなの食べれるわね」
呆れたと、サラダを口に運びながらサラが言う。その横で野菜のたっぷり入ったスープを飲みながら美咲も同じことを思った。
「エルナさんはお腹強いんですか?」
ん~? とエルナはぺろりと手の脂を舐めて。、
「食べとかないと後で動けないからね」
エルナの言葉に同意するように同じテーブルに座っていた人もうんうんと頷いた。確かに食事の後は訓練があるがだからといってエルナは食べ過ぎだろうと思わざるおえない。美咲も苦しくないように軽いスープで済ましているというのに。前に座るサラもサラダと果物のジュースと美咲以上に軽い。
うだうだと話をしている間に食事を終る人も増えて世間話が多くなる。女性というものは暇があればしゃべっていて恋の話題が大好きなものと美咲は知っていた。美咲は友達が多い方ではなかったがクラスで話すのは大抵そんな話だった。
それは異世界でも変わらない。
どこの所属の騎士がかっこいいだとか、新人の魔術師がかわいいなど噂話が大好きだ。
「やっぱりあたしはフー様かなー」
「あんたフー様好きだもんね」
えへへとだらしない笑顔でエルナが笑う。
「フー様?」
「あれ? ミサキ様知らない?」
うん、と美咲は一つ肯定する。
ではフー様マスターの私が説明しましょう、 とエルナは調子が乗って来たのか優雅に一礼する。ぱちぱちと拍手がなるあたり、みんなもエルナの扱いを心得ている。
エルナ曰く、フー様とは他界した王の親友である。
エルナ曰く、フー様とは歴代最強の元宮廷魔術師である。
エルナ曰く、謎が多く年齢から容姿もわかっていない。
エルナ曰く、わかっているのは不思議な少女を連れていることだけ。
そもそもこの世界の常識から言って、元宮廷魔術師というのはありえない。王宮に使える魔術師の長である宮廷魔術師はその役割の大きさから国家機密に触れることも多く、漏洩を防止するためにもおいそれと辞めることはできない。
数々の眉唾物であるが伝説の残るその元宮廷魔術師であるが、唯一本当であると歴史書にも載っている出来事がある。
詳しいことは書いていない、だが陸皇獣<ベヒモス>を一撃で両断したというエピソードがある。
陸皇獣とは身体一つが王宮と遜色ないほど大きな魔獣であり、その心臓から出る無尽蔵の魔力を原動力に天災の如く被害をもたらす。中には撃退できずにそのまま崩落してしまった国も少なくない。
結果的にはフー様が倒してしまったが、現在の魔法騎士隊はその時に組織されたものであり、隊員も隊長はフー様が以外考えられないと言って憚らない。とエルナは言う。
美咲は隊員に聞けばいいと提案したが、一人一人がもしかすると軍にも匹敵するかもしれない力を持つ魔法騎士隊の隊員は軍の要であり、私たちのような一介の騎士が話しかけるなんて恐れ多いと言う。
「ミサキ様ならいけるかもね」
そんな人に一人で話しかけるなんて無理無理と、首が取れそうな勢いで横に振る。
最終的に手元に残る情報は、魔法騎士団か少女ということになる。裏技として女王に直接聞くというのがあるが、現実的で起こることはまずない。
「私、その少女ちょっとだけ知ってるよ」
えっ、とみんなの視線がサラに集まった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
ここでひとつ質問ですが、読者様は一回の更新にどのくらいのボリュームを望まれるのでしょうか?