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闇バイトくんの面会

作者: 凛1129
掲載日:2026/10/29

「3ピンもらえれば、令和九年。4ピンはもらいたいな。初犯はヨンピンらしい」

「ジャンプリミックスの予定表を送ってほしい。読みたい本があったら買いたいから」

「東拘の飯はかなり不味い」

「看守の態度がヤバい。高圧的で言い方もキツい」

「弁護士が言うには、贖罪寄付は被害額くらい出さないと意味がないらしい」

「マジメに勤めて6ピン目指します」

「出たら、色々やってみたいことがある」


 こんな会話を東京拘置所の面会室でウカンムリとしていた。


 飯、暇つぶし、そして出所後のこと。これが留置場と拘置所の暮らしだ。


 事件は確か12〜13件。被害金額は約3000万円にも上り、本人は200万円程度を得たという。


 三十代中頃のその男は、流行りのキャッシュカード詐欺盗で捕まった。拠点は川崎で、地方に出向いては、老人からキャッシュカードを盗んで現金化していた。


 因みに、ここまで話をしたが、友達ではない。


 僕が無実の罪で留置場に20日間入れられた時に、一緒の房にいただけの人だ。


 じゃあなんで、そんな人の手助けをするかと言えば、半分は『寄付の心』、もう半分は『興味本位』だ。


 彼には妻と子どもがいる。そして、身元引受人になってくれる社長もいる。


「ガラ受けしてくれる社長の所で働かないの?」

「いやぁ、働くと思うんですけどねぇ。多分2年くらい働いて地元に帰ると思います」


 なるほど。社長は仕事を覚えさせて、ようやく回収できる頃に帰ってしまう人へ領置金を寄付したり、裁判に立って情状証人になったりするのか。


 いい社長さんだー。


 そして親も妻も、面会には一度も来ていない。一応、数カ月に一度、一万円ずつ領置金は送られてくるそうだ。親戚のおじさんは雀荘を経営しているそうで、捨てる雑誌を送ってくれている。


 まぁ、本土ではないから面会に来るのが非常に困難ではある。妻も子どもも来なくてよいと、自分が言っているとしていた。


 そんな彼が、小1の子どもに絵を送るため、スパイダーマンやパウパトロールの絵を、白黒でも良いから欲しいと僕に言った。


 悪手極まりないとしか思わなかったが、否定することもないし、自分で気づかなければ変わらないと思い、パウパトなどの絵をダウンロードし、手紙に添えた。


 パウパトのイラストは奥さんや弁護士にも頼んだそうだ。こないらしい。


 僕なら小1の子どもに、写し絵で「どうだ! パパは絵も書けるんだぞ?」なんてものを送るくらいなら、答えが全部「ウンコ」になるナゾナゾを10問送ったり、なぞっていくと「ウンコ」になる迷路を作って送るかもしれん。


 それでも、子どもに何かを送ってやりたいという気持ちはあるのだろう。


 ただ、そんな彼が自分の犯した犯罪や被害者について、どれほど考えているのかは、正直なところ分からない。


 そもそも、犯罪者が反省するとは、どういうことなのだろうか。


 ◇


 よく聞く犯罪者の話がある。


 死刑囚も執行前は既に心が洗われ、被害者を思う気持ちでいっぱいになる人もいる。


 無期懲役囚も、1回の懲罰で仮釈の可能性が遠のくから、必死に刑務官に従事し、反省の気持ちと、ワンチャンあるかもしれない社会復帰を目指して日々全力で生きていると聞いたことがある。


 しかし、犯罪を起こして拘留された瞬間から、犯罪者は出ることしか考えていない。


 昨今聞く、このウカンムリより遥かに凶悪な事件を起こす人も、例外なく出ることしか考えていないのだよ。


 少なくとも、僕が実際に見てきた留置場ではそうだった。


 例えば、こんな会話を想像してほしい。


「アンタ! なんでこんなことしたの? 私と子どもは、これからどう生きていけばいいの!?」

「スマン……ミランダ! お前たちの生活を楽にしてやりたくて……」


 この場合も、ミランダとアンタは自分のことを考えている。


 アンタが強盗殺人を起こしたのか、窃盗したのかは決めていませんが、本来なら「被害者のためにどうやって償おうか」とミランダは言わなきゃいけない。


 しかし、そんな話をしているやつを聞いたことがありません。


 そう。被害者になっても、加害者から悪かったなんて、本当は思ってもらえないのだ。


 そして、多くの国民は犯罪者の実態を知らない。


 留置場の中で坐禅でも組んでいるとでも思っているのだろうか。


 畳にひっくり返って、同じ部屋にいる犯罪者と雑談して過ごしたりしているよ。仲良く、楽しそうにね。


「あー! 今日はコロッケ入ってる。やったー」

「今日はサバの味噌煮か……味薄いな」


 こんな会話ばかりだ。


 僕と同じ部屋にいたウカンムリは、こち亀を買って読んだり、次に読みたい本を新聞で探したり楽しそうだったぞ。


 見たことがないから幻想を抱いているようだが、人はそれほど美しくもなければ、利口でもない。


 本当に悪かったなんて、大して仲のよくない人を殺して思えるなら、世界で理不尽に殺されていく人にも目を向けられるだろう。


 もちろん、僕が見たことだけで全ての犯罪者を語れるわけではない。ただ、外から想像する反省の姿と、実際に拘束されている人間の日常には、随分と差があるのだ。


【反省は余裕がないとできない】


 彼は端的に言えば貧乏だ。


 お金がないから、たった一万円の領置金をもらったら、どうやってお菓子と漫画を買おうかを考える。


「いやいや、貧乏ならなおさらいいやん。その中からお菓子と漫画を買わないで弁済に充てましたってストーリーがアホな公務員に刺さるやん」


 僕ならそう考えるのだが、絶対に言うことを聞きません。


 当たり前と言えば当たり前なのだ。


 余裕がないから守りに入るしかないのだから。


 無期懲役囚はワンチャン出所という光しかないから、全力で動けるのだが、ダラダラしてても最悪四年で出られるウカンムリは、反省などしない。


 彼は既に450日くらい留置場と拘置所を行き来しているが、なにも変わっていない。


 被害者どころか、それだけ暇があってもジャンプリミックスで少ない領置金からなにを買おうかしか考えていない。


 移動式クレーン? なる資格が取りたいらしいが、そのための勉強すらしていない。勉強できないのを環境が悪いせいだと言うのだ。


 自分のことすら考えられない人間に、他人を労る協調性を高めることなど不可能に近いのだよ。


 そして、反省とは自分の行動について反省するのであって、被害者を思いやる心は別物であることを、みんな知らない。


「あ〜なんであの時、こんな行動しちゃったんだろー。次はやらないようにしよう」


 これが娑婆にいる人の反省であり、犯罪者も同じである。反省とは、自分が不利益にならないためにするものである。


 だからといって、被害者への共感性が突然高まるわけではない。


 僕自身、心理学を学ぶようになって、過去の自分の行動を振り返ることができるようになった。あのとき、なぜあんなことをしたのか。自己顕示欲だったのか。そんなふうに自分を鑑みて、思うところもある。


 しかし、裁判官から悪いと言われたからといって、自分の中の善悪が変わるわけではない。


 苦しいときは、まず自分のことしか考えられない。色々なことを学び、ある程度幸せになって、初めて過去の自分を振り返る余裕が生まれたのだ。


 だから、犯罪者を拘束して苦しめれば、自然と被害者を思いやる人間になるという考え方には疑問がある。


 もっとも、余裕ができれば必ず反省するという話でもない。


 自分にとって都合の悪いことを、いつまでも認めない人間だっている。


 例えば、明らかに自分が悪いことでも、頭の中で事実をねじ曲げて、本当だと思って疑わなくなることがある。


 だって女って嘘つきでしょ?


 全然悪くない元夫もDVされたとか嘘をついたりして、あたかも本当だって思い込んでいる女性は結構な数いるのだ。でも女性がそれを率先して批難しているのって見たことがないんだよね。


 僕の知っている限りだけど。


 つまり、本人の中では反省する必要すらなくなってしまう。


 だから急に犯罪を起こすと、その犯人の協調性が飛躍的に高まり、突然被害者のことに涙することなんてない。


 僕は、反省と被害者への共感は別の問題だと思っている。


 この違いを考えるうえで、2026年6月22日に起きた「旭川女子高校生殺害事件」の判決公判への乱入事件の話をしたい。


 ◇


 2024年に女子高校生を殺害した内田梨瑚被告に対し、旭川地裁が懲役27年を言い渡した直後、男が法廷に乱入した事件だ。


「死刑やろうが!」

「なにが27年じゃ!」

「こんな判決おかしいだろうが!」


 男はそう叫び、裁判官席に詰め寄って暴れ、逮捕された。


 その後、建造物侵入と威力業務妨害の罪で起訴され、2026年9月29日に拘禁刑2年、保護観察付き執行猶予5年の判決を受けた。


 村山哲志さんという人だ。


 まあ、覚悟の上だろう。


 ただ、裁判官も村山さんが無知なことをいいことに、変な質問をしている。


 2026年9月11日の公判で、大川恭平裁判官は村山被告にこう質問している。


「あなた、遺族の気持ちは聞いていないですよね」


 村山被告は「はい」と回答した。


 いやいやいや。


 内田に対して、被害者遺族は「極刑を望む」と裁判所で明言しているぞ?


 本心なんて誰も分からないけど、裁判所で話をしたことは証拠となるって決まっているなら、被害者遺族の気持ちは極刑。


 僕が村山さんなら普通に言っている。


「極刑を望むって仰ってましたが?」と。


 裁判官は、ほかにもこんな質問をしている。


「遺族の無念が晴れるというのはどういうことですか」


 村山被告が、内田受刑者を殴れば遺族の無念が少しでも晴れると主張したことへの質問だ。


 さらに、内田受刑者を攻撃することで遺族がどんな気持ちになると考えたのかを尋ねている。


 村山被告は、何もしないより殴った方がよいと思ったという趣旨で回答した。


 裁判官は、事件への憤りから起こした行動を「世間の役に立った」と正当化しているのではないかと問いただし、遺族のためと主張していても、周囲からは自己満足だと思われる可能性についても質問している。


 被害者からすれば一撃でも多くダメージがあったほうが良いに決まっていると思うが、裁判官はどんな世界線で被害者を語っているのだろうか。


 もちろん、極刑を望むことと、誰かが法廷で暴れることを望むかどうかは別の話だ。


 しかし、遺族が極刑を望むと裁判で言っているのは事実だ。それなのに、遺族の気持ちを聞いていないという質問だけをぶつけられても、僕には違和感が残る。


 自己満足は裁判官も同じ。


 被害者から聞いたかで言われれば「まぁ確かに極刑を望んでいるしね」と言わなければ、嘘である。


 何千件も裁判しているような人。犯人を見てきて、どう思っているのだろうか。


 みんな飯のことと、出たあとのこと、暇をどうやって潰そうかしか考えていない。


 なによりも反省させる明確な方法もないから再犯が起きるわけで、なぜそんなに偉そうなのか不明なのだ。


 そして、裁判官は多分パラレルワールドから来ているので、人の反省とは被害者に対して、心から詫びることだと信じている。


 勉強しまくってもこの程度。だったら出世など関係なく、その事件、事件に向き合えばいいと思うが、そんなことはしない。裁判官も人間なのだ。


 さらに不思議なのが、民主主義なら国民主体だということだ。


 村山さんに賛同する声も確かに上がっているが、いつから民意を無視してよいこととなったのだろう。


 被害者遺族の気持ちについても、世間ではよく聞く言葉がある。


「なにをしても帰ってくるわけじゃない」

「復讐して、内田一家を皆殺しにしても、死んだ娘はそんなことを望んでいない」


 本当にそうだろうか?


 僕なら真っ先に殺しに行きますよ。自分の娘が殺されたなら。だって守れなかった自責の念に駆られるからだ。


 多くは臆病であり、愛などは口だけなのだ。


 連れ去り別居もそう。本当に取り戻したかったら取り戻して海外に逃亡して、国籍変える勢いでやればよいし、実際に僕は虐待していない子どもを児童相談所から取り返したこともある。


 怖かったし、その後二十人くらい警察と児相に脅されたけど、子どもを無理矢理取り戻して守ったよ。


 でも多くの親は人任せだ。


 法を守るなんてカッコつけている。


 復讐はなにも生まないのは、自分が被害者の場合であって、死んだ者の無念を晴らすこととは別だと思っている。


 自らの権力があり、加害者家族を生活保護にまで追い込む力があるなら良いが、ないなら殺すしかない。


 もちろん、これは僕自身が抱く感情の話であって、被害者遺族全員が同じことを考えるとは限らない。


 だが、遺族の怒りや復讐心を、他人が勝手に美しい言葉で片づけることにも違和感があるのだ。


 ◇


 内田が殺害した女の子の親は、知らないのだ。


 刑務所という中で、どんな会話をしているのかを。


 内田の事件も同じで、仮釈なんて望めないからダラダラして27年暮らして出てくるだけだろう。


 内田さんの被害者には申し訳ないが、27年後、内田さんはもう一度殺人を犯さないだけであり、被害者の娘を本当は押したのに、頭の中で押している事実をねじ曲げて、本当だと思って疑わないかもしれない。


 反省をしたとしても、それは自分が二度と不利益を被らないための反省にすぎない可能性がある。


 そして刑期を終えれば、社会に戻ってくる。


 ウカンムリは出所後、ずっと食べられなかった物を口にして、被害者より美味しいご飯を少なくとも一度は体験する。


 そしてお金は絶対に返さない。


 内田も同じだ。


 27年間ずっと食べられなかった物を27年後、この世のものとは思えないほど美味しいご飯を食べて、世界一気持ちのいいSEXをして、自由って素晴らしいと感じる日が来るのだ。


 一方で、被害者の失ったものは戻ってこない。


 被害者ファーストになる世の中になると、みんなもバカだから感じなくなっているが、行政は反省させることもできなければ、被害者を思う気持ちを育てることもしていない。


 省庁はとんでもないお利口さんが作ってはいるが、実施しているのは、高卒の地方公務員だぞ?


 そして各自治体に省庁は、なにも言えないキマリがあるのだよ。つまり、守っている風であれば良しとされる。


 刑務官もキマリを守ることを遵守されるが、そもそも刑務官同士でイジメがあったりする世界で、果たして物言えない犯罪者を更生させようといった余裕があるのだろうか。


 懲役刑から拘禁刑へと変わり、共感性を育む教育プログラムを用意されたが、やるのは偏差値50の公人だ。


 天才の省庁の人がやってくれるわけではない。


 天才の省庁は偏差値50の公人ができるようにしていないのだ。だって勉強しないと無理だからだ。


 結局、規則を守らせることと、人間の考え方を変えることは別なのに、その違いが曖昧なままなのだ。


 何年も閉じ込めておけば、自然と反省して共感性が育まれるとでも思っているのだろうか。


【世界にない不思議】


 被害者、特に死んでしまったなどの被害者は一生辛い思いをするのですよ。裁判官はよく言います。


 なら、法改正して月1で被害者家族から懲罰希望くらい出せればよいと思っている。


 月末、25日まででいいか。


 被害者から懲罰希望が出されると、懲罰房一ヶ月。


 次の月も、その次の月も懲罰希望が出される限り、ずっと懲罰。許されることは、被害者に対する反省文と、協調性を育むためのプログラムだけ。


 反省しないだろうか?


 なんなら瞑想とかいれてもよい。


 十五分だか二十分に一回、周るように計算されているならその都度、「開始!」「やめ!」と永遠に。


 もちろん、基本犯罪者はバカだから、最低限の教育は必要だろうが、その教育すらちゃんとしないと、ずっと瞑想の連続。


 反省文が変わってくると、被害者家族にも伝わるし、もういいやと思えば面倒なので送らなくなるだろう。


 それが少しだけ許されたこととなる。


 もちろん、これは僕が考える極端な制度の話だ。


 ただ、犯罪者を何年間拘束するかばかりが議論され、被害者の気持ちにどう向き合わせるのか、協調性をどう育てるのかという問題が置き去りにされているように感じるのだ。


 ◇


 さて、ウカンムリの話に戻ろう。


 彼との約束で、SNS向けに手紙を書いて、みんなの反応を見てみたい。だから少しだけ援助してあげると言ったのが、二番目の《興味本位》の部分だ。


 なるほど「拘置所はこうだぜー」とか「国選弁護士は当たりハズレあるぜー」「飯は◯◯がましだ」などの情報を発信している。


 そう。全く反省などしていないし、被害者に対する気持ちも全くないのだ。


 少なくとも、僕にはそう見えている。


 ウカンムリはわざわざ控訴までして東京拘置所に収監されている。


 僕なら被害者に名乗りださせたり、言いたいこと、恨みなどあったら全て受け止める! とか書いたりして、僕のような立場の人の心を動かして「口だけじゃなく、現代っぽい反省のスタイルやっていますアピール」とか思いつくのだが、今のところない。


 控訴しているってことは判決に不服があるってこと。


 ようはもっと刑期を短くしたいのだ。


 しかし、お金は払わない。反省した素振りも、ポーズですら見せない。


 これでどうやって反省していると判断すればよいのだろうか。


 僕には、反省は1ミリもしていないように見える。


 別に彼を否定しているわけではない。当初から実験に付き合ってもらえたらって許可を得ているからね。


 大事なことだから2度言った。


 そもそも友達じゃないし、本で5000円分、オヤツで5000円分(東京拘置所のオヤツ高くね?)、領置金の寄付3000円分。手紙をプリントアウトさせれば600円。東拘に2回行って高速代約1600円。ガソリンもかかる。


 普通に赤字だ。


 ちなみに、これから刑務所に行くことが確定している人に寄付するのは二回目だ。


 一人目は十代の頃に知った友達で、捕まったことを知って、本やら金を寄付していた。出所に迎えに行ってあげて、奥さんまで連れて行ってあげた。


 しかし、出てきてから「金を貸してほしい」ということが二回続いたので縁を切った。


 そんな経験があるので、見知っている限り、今回の彼からもなにも返ってこないだろうということが分かる。


 そもそも、返してもらうつもりでやっているわけではないのだが。


 それでも彼に手紙を送り、面会に行き、話を聞いている。


 犯罪者が本当に反省するのか。それとも、刑期を短くするために反省しているように振る舞うだけなのか。


 僕にはまだ分からないし、彼の心の中を覗くこともできない。


 ただ、現実に僕が見ているのは、3000万円もの被害を出した事件に関わりながら、ジャンプリミックスの予定表を欲しがり、飯が不味いと文句を言い、何ピンもらえるかを楽しそうに話している男だ。


 自分の子どもには、パウパトロールの絵を送ろうとしている。


 しかし、自分が金を奪った老人たちにも家族がいることを、どこまで考えているのだろうか。


 自分のことを考える余裕はあっても、他人のことを考える余裕はない。


 いや、そもそも考える気がないのかもしれない。


 ウカンムリに金を取られた被害者老人も、まさか皮肉にも一応主人公が警察官の『こち亀』を読んで、ゲラゲラ笑って過ごしているなんて想像もしていないだろうなあ。

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