66 それは願望の表れか
至近距離で見るアイザックの熱っぽい瞳には、困惑した私の顔が写っている。
「僕の可愛いオフィーリア、愛しているよ」
甘過ぎる声で囁いたアイザック。
まるで壊れ物にでも触れるかの様に、指先で優しく頬をなぞられ、ピクリと肩が震えた。
胸の奥がむず痒くて、ソワソワと落ち着かない気持ちが湧く。
こんな扱いには慣れていないのだ。
クレイグと婚約していた頃だって……、いや、あんな奴の事を思い出すのはやめよう。
そんなどうでも良い事を考えている隙に腰を抱かれて、あっという間にアイザックと私の物理的な距離は、ほぼゼロになった。
至近距離で見る美しい顔は、破壊力が凄い。
「ま、待って。アイザック」
慌てて胸板を押し返そうとするが、びくともしない。
「もう待たない」
視線を泳がせる私を目にして、アイザックの瞳は益々熱を帯びた。
「嫌、か?」
「……嫌…じゃない、けど……」
「良かった」
腰を引き寄せる左腕の力が強くなった。
優しく頬を撫でていたはずの右手はいつの間にか顎に移動しており、流れる様に自然な動きで、私の顔を上向かせる。
更に顔が近付き、鼻先が触れそうになって、思わずギュッと目を閉じた。
ドクドクと心臓が煩く拍動する。
(ホントに待って! 心の準備が───)
ゴトッ!!
派手な音が鳴り響くと共に、全身に強い衝撃を受けた。
驚いて目を開ければ、自分の部屋の天井が見えた。
「………は? もしかして、夢っ!?」
私は床に転がっていた。
先程の音と衝撃はベッドから転がり落ちた時の物だったのだ。
「痛ぁ……」
落ちた拍子に何処かで打ちつけたらしい臀部をさすりながら、ノロノロと起き上がる。
その時、忙しないノックの音が部屋に響いた。
扉を開けると、心配顔のジョエルとリーザが息を切らして駆け込んできた。
「二人とも、どうしたの?」
「どうしたの? は、こっちの台詞ですよ!
姉上の部屋から大きな音がしたので、飛んできたのです」
ジョエルの言葉に、リーザもウンウンと頷く。
よく見れば、彼女の手には、この状況にそぐわない鉄製のフライパンがしっかりと握られていた。
暴漢でも侵入したと思ったのかもしれない。
あまりの気まずさに、私は二人からソッと視線を逸らした。
「……ごめんなさい。ちょっと……」
「ちょっと?」
「いや、その……、ベッドから…落っこちたの」
消え入りそうな声でそう伝えると、二人は驚いた様に瞠目した後、大きく安堵の息を吐き出した。
「どうやったら、あの大きなベッドから落ちられるのです?」
呆れ顔のジョエルに問われる。
それは私も知りたいわ。
今使っているベッドは、前世の物の二倍はありそうな広さなのに。
「まあまあ、お嬢様がご無事で良かったではないですか」
「そうだけどさ。
姉上はしっかりしてる様に見えて結構アレだからなぁ……。
気を付けてくださいね。お怪我はなかったのでしょうね?」
ジョエルは溜息混じりにそう言うと、私の肩や腕をペタペタ触って無事を確かめる。
(アレだからって何だ?)
そんな疑問が湧きつつも、追及すれば自分が傷付く予感がしたのでやめておいた。
「大丈夫よ。ちょっとお尻を打っただけで……」
ヘラッと笑いながら心配要らないと伝えたのだが、シスコンの弟は何故か深刻そうな表情になる。
「リーザ、僕が剣術の鍛錬の時によく使ってた打ち身用の軟膏って、まだあったよね?
今すぐ持って来ますね。ちゃんと治療してもらってください」
「待って!!
もう、全然痛くないからっっ!!」
「後から痛くなったら大変ですよ。
椅子に座れなくなったら、どうするのですか?」
「いや、本当に大丈夫だからっ!」
今にも走って薬を取りに行きそうなジョエルを、必死でとめた。
良い歳してベッドから落ちた挙句に、軽くぶつけただけのお尻に大袈裟な治療を施されるなんて、恥ずかし過ぎるわ。
ってゆーか、治療してもらうって何よ?
リーザに塗らせるの?
百歩譲って薬を塗るとしても、自分でやるわっ!!
騒がせてしまった事を平謝りに謝って、なんとかジョエル達に帰ってもらい、漸く一人になった私はベッドの縁に腰を下ろした。
「はあぁぁぁぁ…………」
盛大な溜息を吐き出しつつ、頭を抱える。
昨夜は眠ろうとすればするほど、アイザックからの告白の事ばかりを思い出してしまい、ベッドの中で一人悶絶していた。
だからって、あんな夢を見てしまうなんて……。
あんな……、あんな……………。
夢の中のアレやコレやをつい思い出してしまい、頬に再び熱が上がる。
(いや、欲求不満かよ!!!)
もしかしたら、あれは私の願望なのだろうか?
いや、違う!
断じて違う!!
…………………と、思いたい。
アイザックの事が好きかと聞かれたならば、迷わず『好きだ』と即答出来る。
政略結婚であるとか、必要に駆られたならば結婚をするのも嫌ではない。
でも、アイザックが求めている答えは、そういう事ではないだろう。
きっと彼が求めているのは、同じ想いを返せるかどうかだ。
じゃあ、この気持ちが恋愛感情なのかというと……。
正直、よく分からないのよね。
今思うと、前世の記憶が蘇ってから、無意識の内に恋愛を避けてきたのかもしれない。
断罪回避が最優先事項だったのもあるが、私は多分、ゲームの中のオフィーリアみたいに誰かに執着したり嫉妬したりするのが怖かったのだ。
恋をした事で愚かになってしまう人間というのは、残念ながら一定数存在する。
それはクリスティアンとプリシラを見ても明らかだ。
勿論、彼等は元々そういう素養を持ち合わせていたのだろう。
ならば、私は、自分がそうならないと言い切れるだろうか?
答えは否だ。
だって、ゲームの中のオフィーリアは、実際に暴走しているのだから。
でも、告白されてしまったからには、その答えを真剣に考えなければならない。
少し淋しいけど、もう今迄通りでは、いられないのだ。




