56 暴走する令嬢
「嫉妬? 何故私が?
私の認識が正しければ、嫉妬心というのは、相手を羨ましいと思う気持ちから生まれる物よね?
彼女には羨む要素がひとつも見当たらないのだけど。
欲しい物は何でも手に入る立場にあるのに、不用品を掠め取られたくらいで、一々腹を立てたりする人なんていないでしょう?」
「……」
涼しい顔のままでベアトリスは言い放った。
伯爵令嬢は苦々しい表情で黙り込む。
「……ああ、でも、もしかしたら貴女は、たとえ捨てる予定のゴミでも他人に奪われそうになった途端に惜しくなってしまうタイプなのかしら?
私にはそんな卑しい考えは到底理解出来ないけれど」
(第二王子をゴミ扱いしてるけど、大丈夫?)
……なんて、そんな呑気な事を考えていられたのは、そこまでだった。
煽られ過ぎてカッとなった伯爵令嬢は、鬼の様な形相でベアトリスを睨み付けると、サッと右手を振り上げたのだ。
(マズいっ!!)
咄嗟に前へ出た私は、ベアトリスを背に庇う。
───ペチン。
乾いた音が響いたと同時に、私の頬にピリッと小さな痛みが走る。
俄に辺りが静まり返り、野次馬の誰かがヒュッと息を呑んだ音が、妙に鮮明に聞こえた。
「ちょっと反論されたくらいで手を上げるなんて、救いようのない馬鹿ね」
蔑んだ目で伯爵令嬢を睨んで吐き捨てると、彼女は怒りで顔を真っ赤に染め、今度は私に向かって腕を振り被った。
私はその手首をガシッと掴んで素早く背中に捻り上げ、彼女の体を床に組み伏せる。
───ズダンッ!
大きな音と共に、「ギャッ!」と令嬢っぽくない悲鳴が聞こえた。
「痛っ……! 何するのよっっ!!」
床に無様に這いつくばり、私の下敷きになった伯爵令嬢が、耳障りな声で喚く。
おそらく、こんな手荒な扱いを受けたのは、生まれて初めてだったのだろう。
そっちが先に手を出したのだから、手加減してあげる義理など無い。
「悪いけど、二発も食らってあげるほど、お人好しじゃないの」
(……さて、拘束したは良いけど、この後彼女をどうしようかしら?)
生憎近くに警備の騎士の姿は見えない。
こんなに騒がしいのに気が付かないなんて、職務怠慢だわ。
私達を取り囲む観衆も息を呑んで固まっていて、誰も自主的に動こうとはしなかった。
「ハァ……。
黙って見てないで、誰か警備を呼んできてくれないかしら?」
溜息混じりに私が指示を出せば、漸く数人が人垣から離れ、転がる様に廊下へと飛び出す。
「……オフィーリア!?」
鋭く名を呼ばれてそちらへ顔を向けると、真っ青になったベアトリスが両手で口元を覆いながら、涙目で私を凝視していた。
「どうしたのです? ベアトリス様」
「ち……、血が……」
首を傾げる私を指差しながら、震える声でベアトリスは呟いた。
「血?」
体重をかけて右手で令嬢を取り押さえたまま、左手で軽く自分の頬に触れる。
すると、指先にほんの少しだけ赤い物が付着した。
「ああ。多分、指輪の爪にでも引っ掻かれたのですね」
さっきのピリッとした痛みの正体はコレだったのか。
「何を呑気な……。
あ、貴女、女の子なのよっ!?
どうして私を庇ったりなんかしたの!!」
「いやぁ、それこそベアトリス様の顔を打たせるわけには行かないでしょう?」
ベアトリスに反論したところで、ザワリと空気が揺れるのを感じた。
「何の騒ぎだ?」
突然割り込んできた冷ややかな声に、全身が大きく震える。
恐る恐る振り返れば、盛大に怒気を放つアイザックがそこにいた。
騒ぎを聞いて、慌てて駆け付けてくれたのか、少し息が乱れている。
私の頬を見た瞬間、彼の眉間に深い皺が刻まれた。
「…………ねぇ、オフィーリア。その傷は何かな?
もしかして、ソイツにやられたの?
ちょっとその汚物を、僕に渡してくれない?」
(今、令嬢を『汚物』って呼んだ!?)
薄い唇を笑みの形に吊り上げて、不穏な空気を発するアイザックに、私は全力で首を左右に振り拒絶を表明する。
コレ、絶対に渡しちゃダメなヤツ。
猟奇殺人鬼みたいな目をしてるもの。
いや、実際に殺人鬼に遭遇した経験はないのだけれど。




