39 人の心は複雑で
入学式の朝。
少しだけ早起きをして、新品の制服に袖を通す。
「今日は前髪を上げてちょうだい」
ドレッサーの前に座った私は、リーザにそう注文をつけた。
「……ですが……、よろしいのですか?」
少し困惑気味に問うリーザに頷きを返す。
「ええ。私の傷痕に関する噂が色々と出回っているから、もう見せちゃえば良いかなって」
『見るも無惨な傷痕が残っている』とか、『ふた目と見られない程に醜いらしい』なんて噂もあれば、反対に『全く傷が残っていないのに、未だに公爵家に責任を追及しているらしい』なんて話もまことしやかに囁かれている。
お茶会などで、チラチラと額に注がれるご令嬢達の好奇に満ちた視線は、この上なく鬱陶しい。
私に傷痕が残っていようがいまいが、彼女達に何の関係があると言うのだろうか?
貴族社会には暇人が多いのかもね。
人は隠されてる事があれば暴きたくなる生き物だ。
ならばいっその事、見せてしまえば良いのでは?
……ってな訳で、暫くはおでこ全開で登校してやろうと思っている。
「そうですね。
マーク様から頂いたお化粧品で隠してしまえば、近くで見ないと分かりませんものね」
そう。マーク兄様が開発してくれているコンシーラーは、何度も改良を重ねて、発売まで秒読み段階となっている。
あわよくば、その宣伝もしてしまおうと考えていた。
だってほら、マージン入って来るから。
「あ、それから、これも使って」
腕捲りをして櫛を手に取ったリーザに、アイザックが買ってくれたベアトリスとお揃いのヘアピンを渡す。
「お任せください。最高に可愛くして差し上げます」
リーザは頼もしく頷くと、器用に髪を結い上げてくれた。
学園に到着して馬車を降りた途端、周囲の学生達からの視線が私に集中する。
「ほら、あの子が噂の……」
「あれっ? 確か傷痕って、額にあるはずでは?」
「前髪を上げているけど、もう治ったの?」
「ここからでは良く見えないわね」
「あ、ほら、左側の生え際あたりに薄らと……」
「なんだ。全然目立たないじゃない」
野次馬根性全開でヒソヒソと囁く声が次々と耳に届くが、今の私に彼等を気にしている心の余裕など無い。
(ついに、ゲームが始まるのね……)
目の前には、いつも画面の向こう側から見ていた学舎が聳え立っている。
コクリと喉を鳴らした私は、両手で自らの頬を軽く叩いて気合を入れた。
突然の意味不明な行動に、野次馬達が訝し気な眼差しを向けてくるけど、そんな事はどうでも良い。
(先ずは、クラス編成の発表を確認しなくっちゃ)
震えそうになる足を叱咤して、掲示板へ向かい歩き出す。
すると、後方から涼やかな声が私を呼んだ。
「おはよう、オフィーリア」
振り返ると、陽の光を浴びてキラキラと輝く赤い髪を靡かせながら、ベアトリスが立っていた。
皆んなと同じ制服姿だからこそ、彼女の美しさが際立っている。
「ベアトリス様、おはようございます。
良かった。一人だと少し心細くて」
「実は私もよ」
そう言ってフフッと笑いつつ、ベアトリスは私の額へ視線を向けた。
「今日はいつもと髪型が違うのね。
そういうのも似合ってるわ。
それに、その髪飾り、とっても素敵よ」
お揃いのヘアピンに目を留めたベアトリスは、嬉しそうに微笑んだ。
額の傷には特に触れず、髪型を褒めてくれたのは、ベアトリスなりの気遣いだろうか。
「ベアトリス様の髪飾りも、とてもお似合いで素敵です」
ベアトリスの真紅の髪に控えめに輝いているのも勿論、私と色違いのヘアピンだ。
お揃いのヘアピンを褒め合って、クスクスと笑っていると、先程までの緊張が少し解れて肩の力が抜けた。
掲示板の前は既に黒山の人集りだったが、高位貴族であるベアトリスが一緒だと、自然に道が開ける。
モーセの十戒みたいね。
身分や階級を過剰に重んじる文化が必ずしも素晴らしいとは思わないが、こういう時には実に便利だ。
「ほら見てっ! 私達二人とも、Aクラスに入れたわっ!」
「本当ですかっ!?」
クラス編成は入学試験の結果によって決められるらしい。
まず普通科と騎士科に分けられ、その中で成績順に普通科はAからFまでの6クラスに、騎士科は4クラスにそれぞれ分けられる。
本来の私の頭脳はそこまで優秀ではなく、ゲームの中では普通科のCクラスだった。
だが、ベアトリスとアイザックが『絶対一緒のクラスになろう!』と、妙に張り切って私に勉強をみっちりと教えてくれたお陰で、どうにかAクラスに入れたみたいだ。
因みにヒロインのプリシラと第二王子のクリスティアンは普通科Bクラス。
側近候補兼護衛のニコラスは騎士科のBクラスだ。
私以外はゲームと同じ結果である。
プリシラは男爵令嬢にしては好成績だが、入学前から最高峰の教育を受けているはずの王子がBクラスなのはちょっとどうなのだろうかと思わなくもない。
とにかく、友人達と同じクラスで、尚且つヒロイン達とは別のクラスになれたのは、なかなか幸先が良いと言えるだろう。
ベアトリスと二人で両手を握り合い、キャッキャと喜んでいると、少し不機嫌そうな声が私の背後から割り込んだ。
「僕も一応同じクラスなんだけど?
それは喜んでくれないの?」
その声の主は勿論アイザックである。
「勿論、嬉しいですよ」
そう言いながらくるりと振り返ると、アイザックは私の顔を見た途端、小さく息を呑んで瞠目した。
「どうしました?
もしかして、今日の髪型、変ですか?」
「……あ、いや、変じゃない。可愛いよ。
可愛い……けど……」
「ふふっ。
お褒めに預かり光栄ですが、あまり不用意な事を言うと誤解を招きますよ?」
『可愛い』などと言われて、不覚にも少し照れてしまった。
これだから無自覚イケメンは困るよ。
「その……、いつの間に、そんなに綺麗に治ったんだ?」
「え? ああ、傷の事ですか。もう殆ど分からないですよね?
変に隠すから皆んな気になるのかなって思って、堂々と見せる事にしました。
そうすれば煩い人達もきっと黙るでしょうから」
努めて明るく報告したのだが、アイザックは何故か複雑な表情になる。
「……そうか」
そう呟きながら、アイザックが私の傷に手を伸ばす。
それを見て、反射的に一歩後ろへ身を引いた。
「あっ! ご、ごめん。嫌だったか!?」
慌てた様子で謝るアイザックへ、首を横に振る。
「いえ。
触られるのが嫌とかではなくて……。
実はコレ、新しく開発されたお化粧品で傷の色を隠しているのですよ。
軽く触れるくらいなら大丈夫なのですが、強く触るとお化粧が落ちてしまいますから」
「ああ、なるほど……」
納得した様子のアイザックは、何故か少しだけホッとしているようにも見えた。
だが、次の瞬間、彼の眉間には深い皺が刻まれる。
コロコロと表情が変わるアイザックを不思議に思い、「どうかしましたか?」と問うと、彼は片手で顔を覆って俯き、大きく溜息を吐いた。
「…………いや、僕って凄く卑怯な奴なんだなって実感して……。
ちょっと、自己嫌悪に陥っていただけ」
「卑怯……、ですか?」
(どの辺りが?)
少し前からの会話の流れを思い起こしながら考えてみるが、私には彼の言葉の意図が読み取れない。
だが、どうやらベアトリスは理解出来たらしく、「しっかりしなさい!」と叱咤しながら、アイザックの背中をバシバシと豪快に叩いた。
それを見て私は、微かな疎外感を感じてしまった。
以前は、こんなシーンに遭遇しても『ベアトリスとアイザックは長い付き合いだし、二人にしか分からない事もあるのだろう』としか思わなかった。
しかし、今となっては私もそれなりに二人と長い時間を過ごしてきたのだ。
だから、自分が二人の空気に入り込めないと感じてしまうと、なんだかおいてけぼりを喰らったみたいな妙な気分になる。
こんな些細な事で拗ねてしまうなんて子供みたいだなと思いつつも、人間の気持ちというのは本人でさえも上手くコントロールが出来ない物であるらしい。
なんとなく心の奥底に正体不明のザラリとする感情が残った。
仮に、ベアトリスとクリスティアンの婚約が無事に解消されれば、彼女の次の婚約者として最も有力な候補はきっとアイザックだろう。
大好きな二人が婚約するならば、私にとっても喜ばしい事である。
だが、そうなれば、異性であるアイザックと私が今迄の様に親しくする訳には行かない。
(もしも二人が婚約したら、私は素直に祝えるかしら?)
ともすれば喜ぶ気持ちよりも寂しい気持ちの方が大きくなってしまいそうな予感がして、そんな自分が少しだけ嫌いになった。




