141 水路の活用
あの日、自邸に帰った私は直ぐに通信魔道具を使い、マーク兄様と連絡を取った。
本来ならば彼の父であるカヴァナー子爵に話を通すべきであるが、伯父とはいえ血の繋がりの無い子爵よりも従兄の方が頼み事をし易い。
勿論、伯父様が冷たい人だとか、気難しい人だという話ではなく、互いに少し遠慮があるだけの事なのだけれど。
マーク兄様に聞けば、やはり私の記憶通り、昨年は死斑病の流行が小さかったとの事で、ワクチンも治療薬も在庫が沢山余っていた。
「だが、大量の薬剤を他国に融通するとなると、流石に王家の許可が必要だぞ」
「その点については、王太子殿下が話を通してくださるそうです」
「なら問題なさそうだな。
直ぐに手配を始めて、許可が降り次第出発させよう」
我が国とミラリア王国の関係はずっと良好に保たれているが、だからこそ礼儀を軽んじてはいけない。
その点だけを懸念していたらしいマーク兄様は、私の依頼を快諾してくれた。
肩の力がフッと抜けた感じがして、その時初めて、自分が大きなプレッシャーを抱えていたのだと気が付いた。
人命がかかっているのだから、それも当然かもしれない。
「どの位の数を用意出来そうですか?」
「後で在庫数を確認するが、多分、治療薬は一万人分位、ワクチンも七千人分位はあると思う。
勿論、全てをそちらへ渡す訳にはいかないが」
「それだけあれば、早めに対処出来れば充分に足りそうですね」
「そうだな。
早馬を使えば二、三日間くらいで届けられるが、一頭の馬に乗せられる数は然程多くない。
急ぎで必要な量を数頭の馬を使って届け、残りは馬車で届けるのが良いだろう」
死斑病の薬は液状でガラスの小瓶に入っている。
量が多いとかなり重くなるし、馬に乗せて走るとなれば、瓶が割れない様に緩衝材も入れねばならないので嵩張るのだ。
たった一日で五十人以上が感染した事を考慮すると、早馬で届く薬だけでは流行の拡大を抑える事が難しいかもしれない。
そこで、ふと思いついた事を口にしてみた。
「レーヌ川を水路として活用出来ないでしょうか?」
レーヌ川とはアディンセル侯爵領にも流入している大河。
学園入学の少し前に、橋の拡張工事が完了したお祝いのガーデンパーティーにベアトリスが招待してくれた、あの川である。
非常に川幅が広く水深が深いレーヌ川は、ミラリア王国側からカヴァナー子爵領も通って、こちらの国に向かい流れている。
アディンセル侯爵領では橋を拡張する事によって物流をスムーズにしたが、カヴァナー子爵領はそこまで大規模な工事をする予算が取れない。
ミラリア王国にも橋が架かっている場所はあるが、少々遠回りになるし、大きな橋を通るには通行料がかかる場合もある。
では、どうやって沢山の荷物を素早く対岸へ運んでいるのか?
渡し船を使っているのだ。
渡し船と聞くと人力で動かす小さな物を想像しがちだが、前世の日本とは川の規模が違うので、当然そこを航行する船もそれなりにしっかりした物だ。
カヴァナー子爵領で使われているのは、人や物資だけでなく馬も一緒に運べる様な中型の船で、化石燃料を動力源としている。
ミラリア王国に大雨が降るとレーヌ川の流れが速くなって危険なので、普段水路として使われる事はないけれど、今の時期なら雨が少ないので問題はない気がした。
「船か……。
確かにそれなら、馬車よりもかなり早く届けられそうだ。
俺の従妹殿はやっぱり賢いな。
もしも婚約を解消されたら、直ぐに連絡して欲しい。
いつでもウチの商会の幹部として迎え入れてやるから」
「そんな事にはならないので、ご心配には及びません」
「そうか? 残念だな」
マーク兄様は言葉とは裏腹に嬉しそうに笑った。
マーク兄様との通信を終えて直ぐにサディアス殿下とも相談した結果、船、馬、馬車の三つの方法で薬を運ぶ事に決まった。
船を使ってアディンセル侯爵領に届けられた薬は、馬と馬車を使って隣のフォーガス伯爵領へと運ばれる手筈だ。
既にミラリア王家の承諾は得ていたらしく、翌朝には第一便が出発した。
同時に、王都からも薬などの救援物資を乗せた早馬が出発したが、やはり薬の在庫はあまり多くなかった。
教皇がプリシラの派遣を発表したのは、カヴァナー子爵領からの早馬が現地に到着する少し前の事だった。
王都の貴族達にフォーガス伯爵領の窮状が伝わり始めたのとほぼ同時である。
「余りにも反応が早過ぎますよね?
疑ってくれと言っている様な物ではないですか?」
登校中の馬車の中で、私の膝を枕にしているアイザックの髪を撫でながら、率直な感想を述べた。
今回もサディアス殿下は現地へ向かう気満々だったらしいが、断念せざるを得なかった。
まだ発表はされていないが、王太子妃殿下のご懐妊が確認されたのだ。
現地に赴き、万が一にも病を持ち帰って妃殿下が罹患されたら一大事だ。と、周囲に止められたらしい。
お陰でアイザックも、王都から指揮を出すサディアス殿下のサポートとしてこちらに残っているが、学園の授業を受ける時間的な余裕はない。
今日も私を学園に送り届けたら直ぐに、王宮へと向かう予定だ。
『送り迎えなんてしなくて良い』と最初は断ったのだが、『毎日の短い逢瀬が活力の源となるのだ』と言われてしまえば、それ以上反論するのも憚られた。
私としても、移動中に情報を共有出来るのはありがたい。
ゲームの中ではサディアス殿下の第二子の誕生は無かったけど、きっとこの時期にはもう姫殿下が毒におかされていて、妃殿下と閨を共にする余裕などなかったのだろうと推察出来る。
こんな大変な時だからこそ、明るいニュースが一服の清涼剤の様に私の心を軽くしてくれた。
妃殿下の懐妊を知ったサディアス殿下は、『慶事と凶事がいっぺんにやって来て、感情が忙しい』と、困った様に笑っていたという。
「今回の件を教会が引き起こしたのは間違いないと思うけど、きっと証拠を掴まれないという確固たる自信があるのだろうな」
アイザックは苦々しい表情でそう言った。
教皇の発表によれば、教会にも《《たまたま》》死斑病の治療薬が沢山残っていた為、それをプリシラに持たせた上で現地へ派遣するという事だ。
プリシラの治癒魔法の能力は低下気味だが、それでもおそらく何人かは治療出来るだろう。
重症化している患者だけに魔法を使って、それ以外は治療薬で対処するつもりなのだ。
薬だろうが魔法だろうが治れば同じ事だし、病が蔓延している渦中に飛び込もうとしているプリシラに対して、国民の心象は既に大幅にアップしている。
その状態で証拠もなく教会を責めたり、プリシラの派遣にストップをかけたりすれば、逆に世間の不信感は王家に向けられてしまう。
感染症の拡大を止める為にも、教皇の企みを阻止する為にも、元凶を突き止めて証拠を掴む事が不可欠なのだ。
『どこまで感染が拡大してしまうか分からない今の時点では、教会が提供する薬も光の乙女の治癒魔法も、使える物は何でも使うべきだろう。
たとえそれが、彼等の思う壺であったとしても、取り敢えず人命を守る事が第一なのだから。
悪事に関しては後から暴いて裁けば良い』
というのが、サディアス殿下のお考えだそうだ。
因みにプリシラ一行にはサディアス殿下子飼いの王宮騎士が、護衛として同行するらしい。
護衛といえば聞こえは良いが、要するに監視役である。




