奴らは連休ごとに帰ってくる!【帰省ハラスメント】
義和と真姫は今年でちょうど70になる。
北海道上川郡美瑛町本町にある戸建て住宅で暮らしていた。敷地は広く、中庭にエゾマツやナナカマドなどの木が植えられ、にぎわいを見せている。ふだんの生活は質素だった。
真姫はリビングの壁掛けカレンダーに眼をやった。
今日は12月の最後の週。
あな恐ろしや――年末が迫っていた。
そろそろ年始の買い出しに、近所のスーパーへ足を運ばないといけない。
サッシ窓の外は、先日から雪が降り続け、中庭の景色をすっかり雪化粧へと変えてしまっている。
夫婦とも免許証を返納していた。徒歩で行くしかあるまい。考えただけで億劫になった。
「それにしても1年が経つのは早いわねえ。もう年の瀬じゃない」と、真姫は頬に手を添え、憂鬱そうに言った。「お盆の時期はご先祖さまの墓参りに帰ってくるのはわかるとして、たったひと月しか経っていないのに9月のシルバーウイークまで帰ってきたのよ、あの子たち。すぐ3カ月後には、年末年始。いくらなんでもサイクル早すぎなのよ」
義和はソファに浅く腰かけ、猫背の姿勢でネットフリックスの連ドラを観ていたが、妻に眼をやると、
「奴らは連休ごとに帰ってくる。年に一度きりで勘弁して欲しいんだが」
と、言った。
義和はげっそりとやつれて見えた。9月の連休でのダメージが回復しきっていないのだ。
「向こう3年くらい、孫の顔なんか見なくてもへっちゃら」と、真姫はきっぱりと言った。「こっちは連休の間、三食の献立作るだけで戦場なんだから。いっそのこと、外食してくれたら助かるんだけど」
「気をつかう必要なんかないさ。適当なもの出しときゃいい。嫌ならさっさと帰ってくれたらよかろう」
「食費だけじゃないでしょ。旅費も含めて全部こちら持ち。図々しいったらありゃしない」
「ましてや正月は、廉と芽生のお年玉を用意してやらなきゃな……」
「それがネックなのよね」
「希子さんも、年々金額を釣り上げてくるからな。圧を感じるよ。やれやれ、こっちは旗振りのアルバイトをする侘しい国民年金受給者なんだが。いったいいつまで働かなきゃいけないんだ」
「むしろ、身体が元気なうちは働いた方がいいのよ。じゃないと、あんたみたいなのはすぐ認知症になっちゃうわ」
「面の皮が厚い奴らだ。近ごろは医療費もかさみ、貯蓄を切り崩しているんだぞ。これから先、どうなることやら」
「今までたっぷり援助してあげたんだから、財産なんて残す必要ないわよ。葬式代と墓石代さえあれば。小さな家族葬でいい。かえって残してやったら、あの子たち、がめつくなるだけ」
「おれたちゃ、ケツの毛まで毟り取られるんじゃないか」
「あの嫁も嫁よ。強まで、業突く張りに磨きがかかったんだから」
◆◆◆◆◆
北の大地を寒波が襲っていた。
築43年を超えた平屋のリビングでは、外の寒さなどものともせず、過剰なまでにセントラルヒーティングの温度が上げられ、半ばサウナ状態になっていた。
「やっぱ、実家は落ち着くなー!」
ソファにふんぞり返った息子の強は瓶ビールの栓を抜いた。
キンキンに冷えた液体をグラスに注ぐ。真鱈の白子ポン酢をあてに、箸をつけている。
今年で42歳になる。本厄などどこ吹く風といった様子。尿酸値はとっくに上限ラインを突破し、二桁になっているにもかかわらず、鼻にもかけていないようだ。
強の恰好は、子どもじゃあるまいし短パン姿で、あぐらをかいていた。太ももが逞しすぎる。Tシャツはサイズが合わず、ミシュランマンのようにパッツンパッツンだった。
窓ガラスは結露のため、大量の水滴が垂れ落ちている。
暖房のせいだけではない。東京から帰省した家族から発する熱気も加わっていた。
足元では、12歳の廉と8歳の芽生が、スーパーで買ってきたスナック菓子の袋を乱暴に破り、絨毯の上にまき散らしたところだった。一家が嬌声を上げる。
テーブルにはニンテンドースイッチ本体と、祖父母にねだって買ってもらった新作ソフトが山積みされている。
「お義母さーん、今晩のすき焼きなんだけどさ。さっき冷蔵庫見たら、フツーの赤身肉だったよ? せっかく帰ってきたんだし、びえい和牛でやりましょうよ。A5ランクの霜降りで。お金出してくれたら、私がひとっ走りしてくるけど」
と、希子がネイルをいじりながら、気だるい声をかけた。
嫁の希子は33歳で、キャバ嬢上がりだった。ごってりしたネイルはまるで爪研ぎされていない猫爪のよう。いささか長すぎる。これでは料理はおろか、洗い物もできまい。顔とスタイルだけが取り柄の、お人形さんにすぎなかった。
その希子の眼だが、猫のように瞳孔が細く、縦長になっていることに老夫婦は気づいたかどうか……。
対面キッチンで、真姫は痛む膝をかばいながら、「はいはい……」と気のない返事をした。
割下を作ったり、食材を切り分けたり、食器棚から鍋や食器を取り出すのに忙しい。老いた者を酷使するワンオペだった。
いくら都内から帰省した家族を迎える立場とはいえ、6人分のすき焼きを一人で作らされるのは酷であろう。誰も手伝おうともしない。
義和といえば隣の暗い寝室で佇んでいた。
郵便局のATMで下ろしてきた万札――孫たちに渡すお年玉を封筒に入れているところだった。
おれは人間ATMか、と自嘲的に唇を歪める。
通帳を開いて残金を見た。
猛烈な勢いで目減りしている。
シロアリもかくやというほどの食いっぷりであった。
◆◆◆◆◆
日本は連休が多すぎる。
いや、世界的に見て日本人は働きすぎな方なのだから、休めるときは休むべきなのだ。
けれども連休のたびに、わざわざ都内から北海道くんだりまで帰省するのはいかがなものか。八王子の自宅から美瑛町まで直線距離にして870km。恐るべき移動距離である。
飛行機代を含め、レンタカー代、宅配便代諸々の旅費をはじめ、実家の暖房、水道、寝具のクリーニングなどの代金、そして桁違いの食費と孫たちのお小遣いまで、すべて老夫婦が捻出しなければならなかった。
せっかくの連休なんだから、勤め人たちは心身を休めるなり、子どもたちのためを思えばこそ実家とは別の旅行へ出かければいいではないか。
強だって八王子にマンションを購入したことだし、いくらでも休日には選択肢が広がったはずだ。
テーマパークや、買い物・食事・エンタメすら完結した大型ショッピングモール、動物園、博物館、科学館、美術館などの施設や公共文化施設など、よりどりみどり。
にもかかわらず、息子夫婦は『親孝行と、孫の顔を見せてあげる』という免罪符を掲げ、大手を振って帰ってくる。帰ってこなくてもいいのに。
電話で帰省しなくてもいいから、と断れば、親戚中に『冷酷な毒親』として噂をバラ撒かれ、後ろ指をさされかねない。SNSで暴露すると脅されたこともあるのだ。
これは家族の絆の証などではない。
合法的な搾取、すなわち『帰省ハラスメント』という名の、れっきとした嫌がらせであった。
「じいじ、ばあば、だーい好き。だーかーらぁ!」と、芽生が老夫婦の脚に抱きつきながら甲高い声ではしゃいだ。「お年玉、もっとちょうだいったら! さっきの、少なすぎ!」
「5万でも、まだ少ないってか! 一昨日ゲームソフト、8本も買ってやったじゃないか!」
思わず義和の声は裏返った。叫んだ拍子に鼻水が出る。
芽生は嬉々として、祖父の片脚にしがみついた。
「この子ったら誰に似たのかしらねえ。すっかり強欲になって……」
真姫も困り果てた。
嫌味を言ったつもりなのに、当の親たちはどこ吹く風。面の皮が厚すぎる。
芽生は無邪気に笑いながら、そんな祖父母を追いかけ回す。
それをニヤニヤしながら見守る強と希子。
12歳の廉となると、年ごろもあり分別があった。そんなはしたない真似はしない。
ポータブルゲームに夢中になっているふりをしながら、上目遣いで年老いた二人をじっと見つめ、しきりに舌なめずりしていた。その舌はやけに長かった。
◆◆◆◆◆
深夜。
時計の針は零時を回っていた。
北風が寝室の窓をガタガタと揺らしている。雪が降り続けているのだろう。かなり積もってきているらしく、重みで屋根が軋んでいる。
明日になれば、老体に鞭打って雪下ろしをしなければ……。
こんなときでさえ、強はお客さまのつもりでいて、協力するそぶりすら見せない。
義和は呆れながら眠りについたのだった。
しばらくしてから布団の中で、義和は魘された。
豆球だけがボンヤリ灯る8帖間。
義和と隣の真姫の布団の上に、それぞれ人影がうずくまっているのが見えた。
廉と芽生だった。どうりで重いはずだ。
ところが様子がおかしい。
孫たちの眼は、備長炭が熾火になったかのように爛々と輝いている。
異様だったのは、鋭く尖った牙が歯列から突き出ていることだ。
義和は眼を瞠った。ハロウィンの仮装にしては、時期外れすぎやしないか?
「どうした、二人とも。こんな時間に」
言いつつも、声は恐怖でひきつり、喉はカラカラに干上がっていた。
孫たちは四つん這いのまま、祖父母の首元に忍び寄ってきた。
義和には廉が、隣に眠る真姫の首筋には芽生が口を近づける。
真姫は魘されているものの、一向に眼を醒まさない。夕食を作らされたので、疲れ果てたにちがいない。
孫たちが大口を開け、祖父母の頸動脈めがけ牙を突き立てたのは、ほぼ同時であった。
チュウ……、ジュルッ、ジュプッ、ジプゥ。チュウチュウ、ブチュウウウ…………。
「ぐっ……ううう……。よ、よせ……」
血を吸っているのだ。
連休のたびに義和たちが衰弱し、痩せ細っていく理由を、このときはじめて知った。
祖父母から金銭的援助だけでは飽き足らず、こうして夜ごと血液まで搾り取っていたとは――。
二人の雀の涙ほどの年金をはじめ、若いころ身を粉にして働いて蓄えた預金、眼の前の生活費を切り詰めて投資に回し膨らませた虎の子まで毟り取られるばかりか、生き血まで吸われていたなんて。
子を生み、育て、立派に巣立ちさせたあとの老い先短い親など、生物としては用済みかもしれない。
しかしながら子や次の世代のために、血肉になってもいいとは思いこそすれ、生命まで奪われる謂れはない。
「田舎のおじいちゃんの血の方は、濃くてサイコーだよ」と、廉は祖父の首から口を放すと無邪気に笑った。唇から粘つく鮮血が滴る。隣の妹を見た。「――な、芽生?」
真姫にのしかかっていた芽生は、同じく吸血を途中で止め、顔の下半分を血に染めながら頷いてみせた。
芽生は義和に眼を移し、
「ばあばの血、おいしいよ。でもじいじ、あたし、まだ飲み足りないの。だってパパやママの稼ぎじゃ物足りないから。――だからまた今度の連休のときも、また来るからね」
「わざわざ北海道くんだりまで来た甲斐があるよな」
「そーだね」
芽生の貪欲ぶりよ。ふたたび祖母の首に咬み付き、さっきよりも激しく啜り上げた。
んぐんぐと喉を鳴らす。
義和はさっきから起きない妻の身を案じ、首を右に向けようとした。声をかけたくても、たらふく血を搾り取られ、そんな気力も失われていた。
やっとのことで隣を見た。
真姫は力なく左側へ頭を傾けており、義和の眼と合った。
両眼は開いたままで、微動だにしない。
真姫の顔はすっかり枯れ果て、無惨に萎びていた。うっすらと涙をため、ろくに口も利けないほど衰弱しているのだった。
義和はまたしても廉に吸血され、なす術もなく天井を見つめるしかなかった。
寝室にちゅうちゅうと、皮膚に唇を押し付けられ、バキュームする音が響く。
しばらくして、左の襖が開いた。
助けを呼ばなくては。
義和はおぼろげな意識の中、そちらに眼をやった。
廊下の灯りを受け、逆光になった息子の姿を認め、希望が打ち砕かれた。
「親父、お袋……、毎度おれたちのために……。スマンなぁ」
強は風呂上りらしく、頭にタオルを巻き、パジャマに着替えていた。
無責任な笑みを浮かべ、見て見ぬふりをする。
強の顔さえ、禍々しく人間離れしていた。
眼は赤々と燃え、残忍そのものの牙がのぞいていた。
あれこそが吸血鬼の親玉であろう。
◆◆◆◆◆
「あー、腹いっぱい食った食った! な、みんな、やっぱ実家のメシは最高だろっ!」と、強がバイタリティあふれるバリトンボイスで言った。「親孝行できて、孫の成長ぶりも見られて親父たちも満足したろ? さーて、ばっちりエネルギーもチャージしたことだし、そろそろ東京に帰るとするか!」
「お義父さん、お義母さん、お邪魔しました。子どもたちの面倒まで見てくれて、ありがとうございました」希子は柄にもないことを言い、ペコリと頭を下げた。「カニにウニやイクラ、ホタテ、ホッケ、キンキに、スイートコーン、じゃがバター、アスパラ。極め付けは和豚に、びえい和牛のA5ランク霜降り肉。北海道の恵みに感謝しかないです!」
希子は「イエーッ!」と付け加え、両手でギャルピースを決めた。
正月三が日をすぎた翌朝だった。
外は前日までの吹雪も止み、雲間から陽の光が降り注いでいる。除雪車が、せっせと走り回っていた。
これならば旭川空港まで走る分には問題なさそうだ。どうせ車で20分ほどの距離である。
すでにカーポート付きガレージではレンタカーが暖機運転していた。荷物も積み込まれている。ちゃっかり美瑛の土産を満載したのは言うまでもない。
庭先だった。4人家族はおめかしし、義和たちに頭を下げた。
老夫婦は玄関の外に立ち、互いにもたれかかっていた。
辛うじて倒れそうになるのを支え合っている。
二人とも半分昇天しかかったかのように虚ろな顔。
吹けば飛ぶよなその姿――老夫婦は血液まで搾り取られ、骨と皮ばかりになってしまった。人間版ドライフラワーだ。
義和のスラックスは尻の半分までずれ落ち、グンゼのパンツが露わになっている。
真姫など、ババシャツがだらしなく片方にずれ、水がたまるような鎖骨の窪みが見えていた。
騒々しい4人はレンタカーに乗り込んだ。
強がドアを閉める音の大きいこと。おかげで安普請の自宅の壁が揺れた。
一家は車窓から手を突き出し、お別れのあいさつを述べると、颯爽と走り去っていった。
真姫は夫にふり向きもせず、
「……や、やっと嵐はすぎたわね。……こ、今度はゴールデンウイークまでの猶予よ。またしっかり稼いで蓄えとかなくちゃ……」
と、かすれた声で言った。息も絶え絶えだった。
「……来週の成人の日は月曜で3連休だ。まさかトンボ返りしてこないよな?」
ミイラ化一歩手前の義和は、うめき声を洩らした。
「さすがにそれは……」
「いつだったか、一昨年の3連休も抜き打ちでやってきたぞ。あのときは金策に手こずった。それでなくても3月下旬にも、春分の日との組み合わせで3連休がある。これも怪しい……」
「よ、用心した方がよさそうね……」
真姫は義和の身体に寄りかかったまま言った。
「日中は旗振りのアルバイト。おまえも海産物加工所のパートに出なきゃならん。せっかく退職金を投資に回してたのにガッツリ取られてばかり。断捨離と称して、家財道具、なけなしの古美術品を売って金を作ったり……。おれたちゃ、いつまで稼がにゃならんのだ……」
「きっと、死ぬまでよ……」
そのとき、義和のスマホが鳴った。
画面を見れば家族LINE。無理やり強に入会させられたのだ。
その強からのメッセージ。
『さっそくゴールデンウィークの航空券取れた! 割安だからお得。前後の平日を有休申請するつもりだから、なんと16連休↑。そこんとこよろしく(*^-^*)!』
二人は同時に、潰れるように倒れた。
了
タイトルの元ネタは、スティーヴン・キングの短編であり、映画化もされた(でも駄作)『やつらはときどき帰ってくる』、もしくはロバート・R. マキャモンの『奴らは渇いている』(未読)。後者の方こそ、まさに吸血鬼ネタだった(*^-^*)




