第2話 教授の災難。
ピリッと髪が震える。
恋焦がれている美女姫の窓の下で…ありったけの想いを届けたい。
昼下がりの部屋が、真っ暗な夜空に。
赤毛のチャラそうな男が、いきなり恋する少年になる。
引き込まれる…こいつ…上手いな、とは思っていたが…本物だな。
うっとりと頬を赤らめてその男のセレナーデに聞き入っているレディを見る。
この人は…俺もびっくりするほど良い耳を持っている。まあ、本人は音痴なんだが。
一曲歌い終わって、レディは立ち上がって拍手をしている。
「素晴らしいわ!こんなに近くであなたの歌が聞けるなんて!感動です!」
男はドカッと椅子に座るとため息をついた。
「ありがとう…あんたにパトロンになってもらおうと思ってたんだけど…本当に歌が好きなだけ、なんだな?」
言われていることがわからないようで、レディは首をかしげている。
そう、歌手でも演奏家でも、貴族連中がパトロンに付くとしばらくは安泰だ。捨てられない限り。金と暇を持て余した貴族の奥様方がそう言った音楽家を囲うのはもう一つ、公然の愛人、という側面もある。
この男は…そっちを狙ってきたわけだが…
「ねえ、あなた、もっと勉強してみたらどうかしら?」
「え?」
「あなた…譜面を読めないでしょう?耳で覚えた?」
「…ああ。俺は平民だし…」
「非難しているのじゃないのよ。耳で聞いてここまで歌えるのは素晴らしい才能だわ!でも、この上に行きたいのなら、譜面を読む、正しい発声を学ぶ、って大事よ。まだ若いんだし。ね?」
「……」
レディが最後に言った、ね?は、俺を見ていた。またかよ?
「音楽アカデミアに行っている間の資金援助は私がするわ。どうかしら?」
まあ、そう来るとは思ったけどな。掘り出し物には違いない。
「…声楽の教授に話しておこう。お前、字は読めるか?」
俺は仕方なく…男に聞いてみた。
「…読めない。」
「じゃ、家庭教師付けて、ピアノぐらい習わせて…結構金かかるぞ?」
「いいわよ。」
レディを見て、確認する。まあ…最初からこの人はそのつもりだろうけどな。
「じゃあ、お前、決心着いたら国立音楽アカデミアに来い。俺は作曲科の教授をやっているアドリアンという。俺を呼べ。」
「……」
その男(と言っても、まだ16歳らしい)を残して、レディの肩を抱いて部屋を出る。
庶民にしてはちょっといいホテルの一室だ。
こういうところにほいほいと付いて行ってしまうこの女も問題だよな。
何度言ったら分かるんだろう、この人は…。
仕事上では恐ろしく有能な秘書がいると言っていたから、その人に守られてるんだろうけど…それにしても…。
「レディ?何度も言っているけど、いい声だな、とか、いい演奏するな、とか思っても言われるままついてっちゃダメだって前にも言いましたよネ?」
「え?だって、歌ってくれるっていうから。本当に歌ってくれたでしょ?」
しれっと…なんの悪気も疑いもみじんもなく…レディが答えるので、俺は頭を抱えてしまう。
…いやいや、俺が乗りこまなかったら、今頃、お前が歌ってたからね?ベッドの中で。
まじまじとレディを見る。今日も仕立ては良いが地味なワンピースに黒髪をお団子にして眼鏡。そんな格好してると年齢不詳だな?
隣国ブリア国の貴族令嬢で、2年前からライムント貿易商会のフール国支店長。仕事はできて、金はあるらしい。その金をどうしたことか音楽財団を作って、若い音楽家の発掘に使っている。あとはピアノのない教会にピアノを寄贈したり…。
学長に頼まれて、この人がフールに来たばかりのころからこの人のコンサルタントをしている。
「私、フールで人を探しているんですの。赤毛で、小さい頃からヴァイオリンをやっていました。私に曲も作ってくれたんですよ?」
そう言って、鼻歌でその子が作ったという曲を歌ったが…原曲がわからないほどの音痴??本人は楽しそうだが。
「その子がフールでもし苦労していたら、援助したいんです。もちろん、才能ある若者はみんな、ですがね。」
…どうも話によると、彼女は、小さい頃に父親にその話をしたら、じゃあお前は事業を成功させてその子を援助したらどうか、とアドバイスされたらしい。以来、勉強詰めの日々だったらしい。
確かに、国が芸術家を保護してくれるブリア国と違って、フールにはそれはない。そのかわりに、自由がある。芸術家は好きなものを作り出せるし、好きなところで野垂れ死にする自由があるのだ。(まあ、その位…自分の才能だけで食っていくのが大変なんだ。)
俺とレディは…休日は国内の音楽祭やコンクールに出向き、夜はオペラやらコンサートに出かけ…
去年もピアニストを発見して来た。
地方でやっていた音楽祭に出かけた先で、控室でそいつに押し倒されていたが、レディは…そいつの指だけ心配していた。引きはがした俺もあきれたが、そいつもすっかり萎えたようだ。結局、そいつもレディの援助を受けて今はアカデミアのピアノ科に通っている。
…まったくおかしな女だ…
おかげでレディの経費持ちであちこちでかけられるのは楽しいっちゃ楽しい。いろいろな演奏も聞けるし、勉強になるし…
「…ところで教授?」
ホテルを出たところで、レディに話しかけられる。
中途半端な時間だが、一緒に夕飯でも食っていくか。
「なんですか。」
「今日は私用があるとおっしゃってましたが、どうして私がロイクさんとあそこにいるのがわかったんですか?」
「え?」
…あ…俺、連れの女をホテルの部屋に放置してきてしまった…廊下で男に肩を抱かれたレディをみかけて、あわてて…まあ、いいか。
「ふう…。たまたま、ですよ。」
「まあ。そうなんですか?」
「まあ、いいじゃないですか。飯でも食いに行きましょう。」
「ラルス座で、今日から新しいオペラが始まるんですけど、行って見ませんか?」
「今から席が取れますか?」
「いやだ、教授。私、ボックス席を持ってますから。」
「…ああ。そうでしたね…じゃ、腹ごしらえしていきますか。」
まあ、いいか。
二人で歩きなれたので、話しながらでも歩幅が揃う。慣れってすごいな、と思いながら、俺たちはとりあえず開いているレストランを探して歩き出した。




