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やさしい朝がくるまで




「澪! 澪、どこにいるの――!」


薄暗い廊下を走る。

校舎中、何度も名前を呼びながら、がらんどうの教室、階段、体育館、どこを探しても、澪の姿はない。


息を切らしてふたたび戸を開けた先の教室――

そこには澪ではなく、見知らぬ子どもたちが七人、ぽつんと集まっていた。


真琴と同じ年頃。だけど、その雰囲気は異質だった。

どの顔にも、生気が薄い。だれもが沈んだ瞳でじっと自分の膝を見つめて、どこか苦しそうな表情をしている。

教室の片隅で絵を描く大人しい男の子、隣で苦しげに机を握りしめている男の子、ピンク色の髪留めをつけた女の子、腕組みをして遠くを睨む女の子、そっと寄り添い微笑もうとする優しい女の子、癖のある髪をした男の子。


(そうだ……この子たちは……!)


真琴は気がつく。

澪の日記に何度も名前の出てきた“人格”たちだ。


意を決して真琴が近づき、

「あなたたちは、澪の……」


声をかけると、

一人がゆっくりと顔を上げた。それを合図に、他の子たちも次第に話し始める。


「――私たちは、澪の中にいた存在。」

「澪は、ぼくたちを……消そうとした。」

「澪はね、自分の弱さだと思って、ぼくたちを消したんだよ。」

「でも、最後には澪自身も消えちゃったの。」


その言葉に、真琴の胸が締め付けられる。


「なんで、消えてしまったはずのあなたたちが、ここにいるの? 澪の日記には“教室も消えた”って……」


七人は顔を見合わせ、しばらくの沈黙の後、誰からともなく答えた。


「消えたと思ったのは、“澪”の心がそう願ったから。でも、完全には消えきれなかったんだ。」


「……澪はすべてを終わらせようとした。

自分の痛みも、わたしたちも、ぜんぶ“なかったこと”にしようって。」


「けれど……すべてを消しきることなんて、できなかった。」


「澪の痛みや、悲しみ、怒りや祈り――それが、わたしたち“人格”として生まれた理由。

だから、澪がいなくなっても、わたしたちは“痛み”として、ここに残ってしまった。」


「もしかしたら、澪自身の存在よりも――

『心の痛みそのもの』のほうが、根っこが深かったのかもしれない。」


「ほんとうは、全部なくならないと、ここ(教室)は消えないはずだった。でも、痛みや願いがまだ残っているかぎり、わたしたちも“ゼロ”には……なれなかったんだ。」


人格たちは、主人格という核を失い、より不安定でぼんやりとした存在になっていた。静かに語る七人の子供たちの声は、どこまでも静かで、痛ましかった。


真琴は強い後悔と自責の念に駆られる。

(もっと早く、気づいていれば――

 もっとちゃんと、そばにいれば――

 こんなふうに“ひとりきりで消えたい”なんて、澪に思わせなかったのに)


「……じゃあ、澪は今どこにいるの? 本当の澪は?」


教室の窓ガラス越しに、嵐の雨音が強くなる。九人はまた一瞬視線を交わし、そして静かに答える。


「澪」は、もう“誰でもないもの”として、この教室にはいない。すべての痛みや重荷、感情、存在――

それを消そうとしたあまり、人としての形を失い、心のもっと深く、闇の奥――

まだ誰も見つけられない場所に、薄い「影」となって、ぽつんと息をひそめている。


「きっと、誰かが“自分はここにいていい”って、ほんとうに伝えてくれるまで、

澪は二度と現れないよ。」


そう、静かに誰かが告げた。

外の嵐の音は止まず、教室には泣き声にも似た風の音が響いていた――。


真琴は呆然と立ち尽くし、

夜明け前の静かな虚しさの中でただ、涙をこぼした。


「……私、澪を探しに行く。」


気がつけば、真琴は教室の中央でそう呟いていた。

迷いはなかった。ひたすら胸の奥にこみ上げる「会いたい」という思いだけが、真琴を突き動かしていた。


七人の子どもたちは、一瞬、静まり返ったようにその言葉を受け止めた。

驚き、戸惑い、そして晴れやかな顔で、

みんなが真琴に微笑みかける。


「ありがとう、真琴。」

「誰も、もう探してくれないと思ってた。」

「ずっと、助けてって言えなかったから……」

他の子たちも口々に感謝の言葉を重ねてくる。

久しぶりに、誰かに必要とされたことが、彼らに光を灯した。


「きっと、君なら届く。」


静かにうなずき合い、真琴の背中をそっと押してくれるように、みんなは微笑む。真琴は再び校舎中を駆けた。

澪の名前を呼びながら、どの教室にも、廊下にも、体育館にも、その姿はなかった。

どれほど探しても、澪はどこにもいない。


焦燥と不安が胸をしめつけていく。そのとき、校舎の影に、ひっそりとたたずむ少女がいた。

澪かと思ったが、だいぶ雰囲気が異なっていた。それに、彼女は先程見た子供たちと同じような、まるで人間ではないような不思議な感じがした。


真琴は、さっきの教室にいた子供たちが七人だったことを思い出した。日記に登場していた子供たちは八人だった。

(日記にかいてあった、澪にそっくりな女の子……)


彼女は静かな瞳で真琴を見つめると、やさしく微笑んだ。


「……こっちだよ。澪に会いにいく道は、ここしかない。」


少女は真琴を導いて、校舎とはまったく違う方角、小さなドアの向こうへと進むよう促した。


ドアの向こう側には、見渡すかぎり何もない、果てしなく黒く、不気味な空間が広がっていた。


そこは壁も床もなく、天井も境界も存在しない――ただ、深い黒。

空気さえも静止しているような場所。


ぽつんと、その闇のただなかに、しゃがみ込む小さな影があった。

それが澪だった。

膝を抱え、顔を腕に埋めて、小さく小さくなっている。


真琴の胸に緊張と切なさが込みあげる。

彼女は澪に向かって一歩ずつ近づく。重たい闇のなかの、たったひとつの灯りを頼りにするように。


闇のなかで、真琴の声がふるえる。


「――澪……」


黒い空間に、澪の背中がぴくりと震えた。


闇の中、真琴はしゃがみ込む澪の背中に、そっと声をかける。


「澪……。ずっと、探してたんだよ。」


澪は動かない。

それでも、真琴は静かに語りはじめる。


「覚えてる? 初めて話しかけた日のこと。

澪が教室で一人、窓の外を見ていたとき、私はどうしても澪と友達になりたくて、

何度も何度も声をかけたよね。」


「初めて一緒に帰った日、

坂道の途中で、澪がほっと笑ったのが、すごくうれしかったの」


「放課後、秘密の場所で語り合ったよね。

チョークでこっそり黒板に落書きしたりとかさ。

くだらない話で泣くほど笑ったり、お弁当を分け合ったり」


真琴の声が少しふるえる。

胸の奥で大切な思い出がひとつずつ浮かびあがる。


「澪――私は、澪と友達になれて、本当にうれしかった。澪がいたから、私は寂しくないって思えた。

どんな日も、澪となら頑張れる気がしたんだ。」


「私、全然気付けなくてごめん。

澪がどれだけ一人で辛かったか、どんな気持ちだったか、気づいてあげられなかった。

本当は、もっとちゃんと見ていたかった。

もっと澪の近くにいたかった。」


ゆっくりと、真琴は澪のすぐそばへ歩み寄る。


「でも、もし澪がまだここにいるのなら――

私はまだ、ずっと一緒にいたい。

澪の隣で、朝を迎えたいし、また笑顔で話したい。

澪のこと、守りたい。支えたい。

消えたりしないで。

ずっと――

一緒にいてほしい。」


闇のなか、真琴の温もりとまっすぐな言葉が、

静かに澪を包む。


黙ったままの澪の体が、すこしだけ震えている。

真琴は優しく、その肩に手をそえる。

涙がにじんで、けれどその心には確かな灯りがともっていた。


迷いのないまま、真琴の手が澪へとそっと伸びる。その手には、これまで澪が感じることのなかった温度と、確かな気持ちがこもっていた――。澪はすぐには反応しない。

「……私は変われないよ」

「また消えたくなるかもしれない」と弱音を漏らす。


「それでも、そばにいる」


澪はほんの少し、うなずくだけだった。













やわらかな朝の光に包まれて、真琴ははっと目を覚ました。

昨日の夜の夢の記憶は、まるで現実のように心の奥にくっきりと残っていた。


朝の支度を終え、真琴はいつもより少しだけ胸をどきどきさせながら学校へ向かった。

教室に入ると、窓際の席に座る澪の姿がそこにあった。

相変わらず、彼女の表情は淡々としていて、どこか遠くを見つめている。


真琴は、ゆっくりと澪のもとへ歩み寄る。


「おはよう、澪」


そう声をかけて、澪の手をそっととる。


その手はひんやりとしていたけれど――

ほんの少しだけ、きゅっと、澪が握り返してくれた気がした。


わずかなその温もりが、真琴の胸をいっぱいに満たす。思わず、瞳に涙がにじんだ。


(――きっと、これからもいろんなことがある。

だけど、もう独りにはさせない。

たとえゆっくりでも、少しずつ一緒に前へ――)


真琴は澪の手を離さず、やわらかく微笑みかける。

窓の外の空には、昨夜の嵐がうそのように、やさしい光が差し込んでいた。











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