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蒸甲機〈春時雨〉  作者: 押本詩
第二章
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 観音寺城。

 織田信長による侵攻を受けた後に廃城となり、しかし復権した豊臣家によって再建されたこの堅牢な山城が、豊臣方の対徳川最前線拠点であった。

 六角氏の政治拠点であった性格からか軍事施設としてはやや脆弱で、防御は高い標高や山の稜線などの地形に頼りがちであった旧観音寺城に対して、新生した観音寺城はまさに不落の城だ。地形による対応では不十分な東山道側からの攻撃に対しては、強固な防御陣地を構築。多数の障害の前面に固定機関砲が、背後には迫撃砲が設置されている。かつては城下町が整備された山麓部も、今では大半が駐留部隊のための軍事施設と化しており、配備されている蒸甲機は五十を超える。

 まさに鉄壁。天然の要害を徹底的に補完することによって、蟻の一匹も通さぬ守りが完成したのだ。

 豊正五年、九月。その観音寺城に対して、彦根城より出陣した徳川の大軍勢が総攻撃を開始した。

 東国から西国へ至るには、観音寺城を突破せねばならない。しかしこの百年、蒸甲機の性能で劣る徳川方は、その手前にある愛知川えちがわを渡河することさえままならなかった。幸運にも部隊の一部が渡河に成功した事例もいくつかはあるが、それにしても即座に対応され、せっかく渡した浮橋を大部隊が移動しきる前に落とされるのが関の山であった。

 しかし此度は、二つの意味で様子が違っていた。

 一つは、投入された戦力が過去最大の規模であったこと。

 もう一つは、徳川方の蒸甲機が、豊臣方の〈咲夜〉に迫る性能を有していたことであった。

 豊正三年の美園領侵攻により、徳川方は造花衆の優秀な技術者を手中に収めていた。彼らの多くは桜木城が落ちる前に自害し、〈春風〉をはじめとした大半の開発資料は破棄されていたものの、僅かに生き残った、死に損なった者たちが江戸へ連行され、徳川家に奉仕することを強いられたのだ。

 徳川方は二年をかけて新型の蒸甲機を開発・量産し、部隊を再編制して彦根城へと配備。〈冷歌〉と名付けられたその機体を主力として、満を持して作戦を発動した。

 むろん作戦は困難を極め、幾度も愛知川の渡河を試みては跳ね返されたが、観音寺城の戦力を上回る蒸甲機百機分の力押しにより二か所で渡河に成功。急ぎ陣地を固めた後、挟み込むようにして観音寺城への攻撃を開始した。

 しかし、前述の通り観音寺は堅牢な要塞である。地の利を活かした豊臣方の抵抗により、戦線は一時膠着状態に陥った。

 そうした泥沼の戦場いくさばにあって、一騎当千の働きで徳川の〈冷歌〉を屠り続ける蒸甲機があった。

 その機体は、この戦場にいるどの蒸甲機とも異なる姿形をしていた――


 守る側の有利といっても、戦が長引けば必ず、綻びは生まれてしまう。

 二手にわかれた徳川の軍勢のうち、琵琶湖側からの侵攻は旧式の〈神武〉と〈天武〉を中心とした助攻にすぎず、東山道側からの侵攻こそが、新型たる〈冷歌〉の大半を回した主攻であった。

 これに対する豊臣方の初期対応は、些かまずかったと言えよう。ただでさえ数では劣っている戦況下、保有する蒸甲機を均等に振り分けてしまったのだ。愛知川を渡河された混乱が尾を引いたか、観音寺城本丸に上げられる情報は玉石混合で、城主・豊臣秀和とよとみひでかずを大いに惑わせた。また指揮系統も錯綜していたため、敵の動向に合わせた適切かつ柔軟な部隊配置が困難だったのだ。

 最大で毎分六千発を発射する、豊臣方自慢の固定機関砲のおかげで均衡状態に持ち込むことはできたものの、部隊配置さえ適切であれば、あるいは敵の主攻を打ち砕くことも可能であったから、これは相当に悔やまれる過ちであった。

 さらに、固定機関砲の守りとて絶対ではないのだ。

 多砲身という複雑な構造上、機関砲は信頼性に難がある。端的に言えば、壊れやすい武器だ。その欠点を敵に知らしめるように、観音寺城第一防衛線の右翼に設置された固定機関砲四門のうち、三門がほぼ同時に動作不良を起こした。

 突然のことであった。壊れやすいとはいえ、三門がほぼ同時などそうあることではない。不運だった、という他ないだろう。

 しかし、敵はそのような事情を慮ってはくれない。弾幕が薄くなった右翼の防衛線は、瞬く間に崩壊した。〈冷歌〉を主力とした徳川方の蒸甲機部隊が、刺し貫くように浸透していく。豊臣方は急ぎ体勢を立て直し、敵の突出部を封鎖して包囲することを試みたが、中央と左翼に対する敵の攻勢も激しく、十分な戦力を回せなかったためうまくいかなかった。そうしている間にも、突出部はみるみるうちに拡大し、自陣深くまで食い込んでしまう。豊臣方の蒸甲機〈咲夜〉の操士たちは困難な遅滞戦術を繰り返し、いつ来るとも分からぬ増援を待ち続けるしかなかった。

 そして、その先頭集団が、観音寺城を頂く繖山に迫ろうかという時、突如としてそれが舞い降りた。

 舞い降りた、とは決して大袈裟な表現ではない。少なくともそれが目の前に着地し、次の瞬間には鞍ごと撃ち抜かれた〈冷歌〉の操士は、死の直前にそう感じたことだろう。過剰なまでの威力で吹き飛ばされた〈冷歌〉の機体が、捻じ切られるようにして地に墜ちる。

 装甲が砕け散った無残なありさまに、徳川方の他の操士たちのみならず、先ほどまで死を覚悟していた豊臣方の操士までもが唖然とした。

 この場の全員が、視線を釘付けにされる。

 丸々太った標準的な蒸甲機とは明らかに違う、異様なほどに細く小さい体躯。それだけに形状は鋭角的で、近づくもの全てを貫かんとする意思を感じさせる。その両腕には短身の、操士さえ見慣れぬ種類の筒が抱えられていた。これが、〈冷歌〉を屠った武器であろう。だがそんなことよりも、誰もが抱いた疑問は別にある。

 ――いったい、こいつはどこから現れた?

 当然ながら、蒸甲機には飛行能力などない。だがこの機体は、確かに上から降ってきたのだ。眼前の相手を倒すことに夢中になっていた彼らからしてみれば、まさに飛んできたように見えたことだろう。

 遠くに敵が見え、一秒でも早くそいつらを叩きのめしたいという衝動に駆られた操士が、ただ走っていたのでは時間がかかるからと跳んだのだとは、まさか誰も思うまい。飛行ほど無理難題ではないが、跳躍もまた、蒸甲機が不得手とすることなのだ。

 故に、彼らが混乱するのも無理からぬことだった。

 しかし、その漆黒の機体を駆る少女――時雨は、何事もなかったかのように涼しい顔をしていた。無感情、と言って良い虚無の表情が、かえってその場の全てに対して、彼女が冷ややかな感情を向けていることを伺わせる。その冷気が、熱気に満ちた鞍を凍てつかせているようだった。

「雑魚ども」

 時雨は、ぽつりと悪態をつく。同時に、機体を前へと走らせた。爆発的な加速で、一機の〈冷歌〉との距離をつめる。

 標的とされた〈冷歌〉は未だ混乱から抜け出せない様子で、この動きにうまく対応できなかった。咄嗟の射撃は、進路を細かく折る敵を捉えられない。援護する他の〈冷歌〉も同様であった。

 操士の腕が悪いのではなかった。

 この漆黒の機体が速すぎるのだ。

 あらゆる砲弾が、最初から何もない空間を狙ったかのように、空気を裂く音だけを残して彼方へ消えていく。

 それをあざ笑うかのように、時雨が操作する照準鏡は、しかと目標を捉えた。

「くたばれ」

 引き金を引く。

 抱えた大筒から、数十発もの鉛の砲弾が、一塊となって発射された。しかしそれらは一定の距離を飛翔すると、ぱっと花が開くように拡散する。

 散弾式蒸気砲。

 その最新装備が真価を発揮し、〈冷歌〉の装甲をずたずたに引き裂いた。近距離から圧倒的な制圧力をぶつける、過剰とさえ言える凶暴さ。

 だが、この程度では、時雨は満足しなかった。

 手持ちの装弾全てを、目の前の敵にぶつけるまでは。

 漆黒の機体が、銃身下部の先台を手前に引き、戻す。がしゃ、と音が鳴って、装填が完了した。

 時雨は心中で敵に問いかけ、愚弄する。

 今のがお前たちの指揮官だろう? と。

 戦闘の様子は、遠くからよく見えていた。

 指揮官を失った敵の部隊はやはり、未知の機体に恐れをなして、全機が一歩後ずさった。


 他の蒸甲機と比べ、〈春時雨〉が破格の稼働時間を誇るといっても、永遠に戦い続けられるわけではない。突破された右翼で一暴れし、敵をある程度押し返したところで、時雨は交代を言い渡された。

 無視しようかとも考えたが、渋々ながら従うことにした。ある女の顔がちらついたからだ。あの忌々しい女は、時雨が言う通りに動かなければ、「あらそう? じゃあ、あなたにはもう補給はしてあげない。燃料も弾もなしに、せいぜい徳川と刺し違えることね」などと言い出しかねない。

 時雨は、大きく舌打ちする。

「なんで、あんな奴に従わなきゃいけないんだ」

 顔を上げ、変わり果てた〈春時雨〉を見て、無意識にまた舌打ちしていた。

 黒く塗り直され、美しかった若葉の色は見る影もない。豊臣家の蒸甲機に合わせた色は、姉様の機体が奴らに同化されていくようで、心底から嫌悪感をもよおさせる。

 見ていられなくて、時雨はその元凶となった、あの女を睨めつけた。

 山麓に設けられた、観音寺城の駐機場。そこに林立する格納庫の一つで、〈春時雨〉は整備を受けている。唯一無二の機体を丁重に扱うべく、機体の周りでは、通常より多くの整備員たちが慌ただしく動き回る。彼らはみな、豊臣家が抱える技術者の中でも、とりわけ優れた人材だ。豊国の民といって、最新兵器の開発・整備を一手に引き受けている。ちょうど、美園家における造花衆のような役割を果たす者たちだ。

 そして、その頭こそが、今はこちらに背を向けているあの女。つなぎに身を包み、整備員たちへ矢継ぎ早に指示を飛ばしている。

「朱々様」

 と整備員に呼ばれ、女は振り向いた。

 その顔に、時雨は苛立ちを募らせる。

 美しい女だ。可憐という表現が合う時雨に対して、朱々と呼ばれたこの女には、そのように讃えられるのが相応しい気品がある。

 そして、どういうわけか、朱々は春深に似ていた。髪型まで同じで、時雨はあの髪をむしり取ってやりたい衝動に駆られた。それでいて歳のほうは時雨と同じ、数えで二十ときている。そのことが、時雨をさらに苛立たせた。

 これではまるで、こいつこそが春深の本当の妹のようではないか。

 長いこと睨みつけていたからか、ふと、朱々がこちらに気づいた。何を思ったか、整備員との話が終わると、微笑みを浮かべて近づいてくる。

 その表情に春深の影を見てしまい、時雨は逃げ出したくなった。だがそれはあまりにも癪で、忌々しい女が目の前で立ち止まっても、決して視線を逸らさなかった。

「じろじろ見ないでくれない? この野蛮人」

 品のある微笑からは想像しがたい暴言が飛び出した。

 だが、時雨はもう驚かない。出会った頃は面食らったもの、今では慣れたものだ。

「べつに見てないけど?」

「嘘おっしゃい。じゃあ、わたしが感じた、とぉっても不快な視線は何?」

「気のせいでしょ」

「へえ。ではどうして、こんな所に突っ立っているの? 操士らしく、非戦闘時は休んできたらどう?」

「〈春時雨〉を見てただけ。あんたらが機体に変なことしないように」

「わたしたちを信用していないと?」

「できると思う?」

「できる、できないじゃないわ。信用しなさい。ここで戦いたければ」

「断る」

「だからあなたは野蛮人だと言っているの。集団とは、それぞれの長所を持ち寄って、個人の短所を補い合うものよ。戦はその究極。蒸甲機を扱えないわたしたち技術者の代わりに、あなたたち操士が戦う。整備ができないあなたたちの代わりに、わたしたちが機体を万全の状態にする。もちろん、戦に関わる人間は他にも大勢いるわ。わたしたち人は、信用という高度な知能を以てそれを行っているの。それができないあなたは、文明という概念をお母上のお腹の中に置いてきてしまったのかしら? せっかく人に生まれたのにかわいそう」

 立て板に水といった感じの罵倒に、時雨は閉口した。慣れはしたものの、口から生まれてきたようなこの女に、時雨はいつも言い負かされている。やたらと洒落くい喋り方が鼻につくのもあって、あの散弾式蒸気砲でこいつを吹き飛ばしたいと思ったことは一度や二度ではない。

 しかし、そうはできなかった。

〈春時雨〉は、高度で独創的な技術の結晶だ。常人には理解不可能な部分も多く、熟練の技術者揃いの豊国の民であっても、整備を正しく指揮できるのは、その若き頭である朱々だけであった。

 朱々が卓越した技術を持つことは、時雨とて認めざるを得ない。蒸甲機〈咲夜〉そのものだけでなく、豊臣方で用いられている兵装の大半の開発を主導したのも朱々だった。迫撃砲や固定式機関砲はもちろん、此度の戦が初の実戦投入となり、〈春時雨〉の主兵装となった散弾式蒸気砲も、朱々の発案によるものだ。

 要するに、朱々は使える。

 豊臣の者など、信用できない。だが時雨は徳川を、春深の仇を討たねばならなかった。そのためなら、こんな女の罵倒などいくらでも我慢できる。利用できるものは全て利用するのだと、時雨は決めていた。

 それに、と時雨は思う。

 あの時、朱々はこう言ったのだ。

 ――〈春時雨〉の機体には、必要な整備・改修以外で一切手を振れないことを約束するわ。これは豊国の民、全員に徹底させる決まりよ。解析し、豊臣の蒸甲機開発に流用することは、決してさせない。

 何故、と問う時雨に、朱々は時を置くことなく答えた。

 ――約束だから。

 朱々の声はわずがに震えていた。涙声のようにも聞こえたが、朱々の目から滴が零れることはなかった。

 豊臣の者など信用できない。

 だというのに、その答えだけは何故か信用している自分に、時雨は気づかないふりをした。


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