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蒸甲機〈春時雨〉  作者: 押本詩
第一章
5/6

 再び降り始めた驟雨が、格納庫の屋根を激しく叩いている。銃撃のような雨音は絶え間なく、そしてここには、間もなく本物の砲弾が飛んでくるだろう。

 日が昇り、敵の総攻撃が始まった。

 花守衆を主体とした美園の軍勢は、これより死屍累々の有様となって戦い抜くことになる。

「私は」

 戦の音はまだ遠い、しかしこの場で何よりも強力な機体の中で、時雨は俯き、力なく呟いた。

 時雨が今すべきは、たった一つ。

 この〈春時雨〉を駆り、脇目も振らず逃げることだ。

 それが春深の望みなのだから。

 時雨は顔を上げ、鍵を差し込んだ。

「姉様の願いは叶える。私は、西へ行く……」

 だが、その前に――

 手首を捻ると、鋼鉄の機体が震えた。

 汽罐始動――自動給炭装置作動、蒸気圧上昇、その他計器の数値に異常なし、制動弁を運転位置へ。

「このままじゃ、済まさない」

 その声に応えるように、〈春時雨〉は脚を踏み出した。

 造花衆の才媛が死を以て産み落とした新たな蒸甲機が、黒雲に覆われた空の下、降りしきる雨にその身をさらす。


 美園領西部攻略軍にて十二機の〈天武〉を与り、自身は新型蒸甲機〈神武〉に搭乗する幾多峰義いくたみねよしは、この戦で大いに武功をたてられると信じて疑わなかった。

 この〈神武しんぶ〉は、蒸甲機の性能で後塵を拝する徳川方が、己が面目を立てんと持てる権力と人材、資金を惜しみなく投入して開発した〈天武〉の発展型である。遺憾ながら性能面では未だに美園はおろか豊臣方の〈咲夜〉にさえ及ばないが、〈天武〉と比べれば大きく進歩した機種と言える。初の実戦投入となったこの決戦においても、数の力に頼りつつも多くの〈春風〉を屠っていた。

 このまま桜木城内になだれこみ、さらなる武勲を。浅い川を渡る際に遭遇した敵の隊と交戦し、新たに三機の〈春風〉を撃破した峰義は、それも容易かろうと高を括っていた。

 未知の機体が、突如として立ちはだかるまでは。

 ――なんだ、こいつは。

 一目で、峰義はその機体の異様さを感じ取った。

 おそらく、蒸甲機ではあるのだろう。背部の筒から噴き上がる煙が、それが蒸気の力で稼働していることを示している。ただ、判断はつきかねた。

 判断を迷わせたのは、第一にその小さく細い体躯である。いかなる設計であれば、かような大きさで汽罐を納めることができるのか、峰義にはまるで見当がつかない。

 だが何よりも、この機体は。

 ――速すぎる。

 砲火を交え、驚愕した。

 十分に速い〈春風〉を遥かに上回る速度と機動性。狙いを定めるどころか、姿を視界に納めることさえままならない。そうしている内に、こちらの蒸甲機が一機、また一機と撃ち倒されていく。瞬く間に、八機の〈天武〉を失ってしまった。

〈春時雨〉と、そいつの左肩には記されていた。そのたった一機を相手に、指揮下の半数を超える損害を与えられたのだ。峰義にとって、悪夢そのものと言って良かった。

 操士の技量もあろう。此度の戦では、死角に入るのが妙に上手い〈春風〉が一機いるようだった。峰義も、一度目撃している。直接やり合うことはなかったものの、見ているだけで操士の技量がいかに高いかを直感できた。ともすれば、この〈春時雨〉なる機体には、そいつが乗っているのかもしれない。

 それを考慮してなお、〈春時雨〉は異常であった。

〈春風〉ならば、操士の技量がいくら高くとも数ですり潰せる。事実、例の〈春風〉には損傷を負わせた上で撃退したとの報告も上がっていた。

 だが〈春時雨〉を前にしては、かすり傷一つつけられない。視界の隅にちらりと見えた気がして砲口を向けてみれば、その時にはすでに姿が消えているのだ。そこに残っているのは、〈春時雨〉が確かにそこにいたことを示す白煙のみ。複数機で周囲を警戒していても、そうなってしまう。まるで幻を見ている気分になり、いっそそうであってくれと願ったが、気づけば死角から撃たれ、あるいは両断されるのだから、やはりこれは現実なのだろう。

 蒸甲機という概念が覆される。そう予感せざるをえなかった。これが真に、蒸甲機であるならば。

 己の予感は正しかったと、やがて峰義は知ることになる。

 焦りを抑え、〈春時雨〉を視界に捉えたまでは良かった。標準より小さかろうと、どれほどの運動性能であろうと、蒸甲機であることに変わりはない。あの巨体を見つけられぬはずはないと、己に言い聞かせたのだ。

 ついで、峰義は僚機の〈天武〉と連携し、前後から挟み込む形で接近戦を仕掛けた。〈天武〉が正面から注意を引き付け、己が背後から、本命の一撃を食らわせるつもりであった。残った二機には左右を固めさせ、万が一前後からの攻撃を逃れようものなら、即座に狙い撃つよう指示を出す。

 ――もはや逃げられまい。

 確信し、刀を抜いて一閃する。

 だが手応えはなく、刃は空を斬っていた。

 そして峰義は、見上げた先の光景に、信じがたい思いで目を見開いた。

〈春時雨〉が、宙を舞っていた。

 跳躍して斬撃を躱したのだと、峰義が理解するには時間がかかった。無理もない。蒸甲機は本来、かような動きが可能な兵器ではない。〈天武〉や〈神武〉はもちろん、美園の〈春風〉でさえも。

 故に、敵の姿が上方にあるという現実に、頭がまるで追いつかなかった。

 対応が遅れたのは、そのせいか。あるいは雨で視界が悪いせいか。空を斬った刀を構え直す間もなく〈春時雨〉が降ってきたかと思えば、次の瞬間、強い衝撃と共に視界が大きく揺れた。

〈神武〉が背中から滑り落ち、泥を撒き散らしながら停止してようやく、蹴りを入れられたのだと悟る。その時には、僚機の〈天武〉が胴体を両断されていた。

〈春時雨〉は止まらない。斬撃からの流れるような射撃に、右翼に展開していた〈天武〉が撃ち抜かれる。

 最後は、左翼に展開していた〈天武〉であった。その操士は、想定外の事態に恐慌状態に陥ったのだろう。ろくに狙いもつけず、出鱈目な発砲を繰り返した。そんなことでは、敵がこの〈春時雨〉でなくとも当たるはずもない。やがて弾切れとなり、弾倉を交換する時間さえ与えられず撃ち倒された。

 これで、峰義の隊は潰えた。弁明のしようもない失態であった。

 ――許さん。

 峰義は〈神武〉を立ち上がらせ、己の憤怒を全てぶつけるために、〈春時雨〉へ砲口を向けた。直前までは、さらなる武功をたてんとしていた峰義である。それを一瞬にして無に帰した、この訳の分からぬ蒸甲機に一矢報いぬわけにはいかなかった。

 好都合なことに、ちょうど〈春時雨〉は背中をこちらに向けている。

 ――油断したな。

 しかし、引き金を引いてすぐに、頬がひきつる。

 完全に読まれていたのだろう。砲弾が放たれてから動いたのでは、いくら素早かろうと間に合うまい。しかし峰義にはそうとしか思えない動きで、〈春時雨〉は身を捻って砲弾を躱したのだ。

 もはや、驚愕を通り越した何かが心中に去来した。ははっと風防内に声が響く。それが己の笑い声だと、遅れて自覚する。もはや笑うしかなかった。

 ――なんだ、こいつは。

 ――なんなのだ。

 ――ありえない。認めない。

 気づけば、雄叫びをあげていた。

 冷静さなど、もはや一片も残っていない。蒸気砲を投げ捨て、刀を抜いて突っ込んだ。どうせ今ので弾切れなのだ。弾倉の交換など、許してはくれまい。

 ならばいっそ、という思いであった。

 合わせてくれたわけでは、むろんないのだろう。だが〈春時雨〉は、自らも蒸気砲を捨て抜刀した。

 正面から斬り合うべく、二機の蒸甲機が駆ける。

 そして、峰義は恐怖した。

 雄叫びは霧散し、ひぃっ、と情けない声が漏れる。正面で向き合ってはじめて、峰義は、〈春時雨〉が己に向けて放つものを感じ取ったのだ。

 それは、果てのない憎悪であった。

 一度捕らえられたなら、二度と逃れることは叶わない。そうした類の、恐ろしい執念の塊となって、〈春時雨〉が向かってくる。勢いよく噴き上がる白煙が、その感情を見せつけているようでもあった。

 だが、蒸甲機は人の形をしているだけで、所詮は機械仕掛けである。感情など、あろうはずもない。であれば、これは操士の――

 殺してやると、耳元で囁かれた気がした。

 踵を返し、一目散に逃げ出したかったが、もはや遅い。構えた刀を振ることもできず、〈神武〉は憐れにも、一刀のもとに斬り伏せられた。


 途中から、ただ撃つだけでは我慢ならなくなっていた。まだ残弾のあった蒸気砲は、そのせいでいつの間に捨ててしまった。

 雨の中、一体どれだけの敵を斬り捨てただろう。最初の一機目から、時雨は数えていない。

 ただ憎しみをぶつけるために、ひたすら斬り続けた。

〈春時雨〉は、春深が言った通りの名機だ。数多の敵に囲まれても傷一つ負わない。どれほど無茶な操縦でも、難なく機体がついてくる。

 まるで春深その人のような機体だと、一目見た時からそう感じていた。故にか、〈春時雨〉に乗っていると、春深に守られているようでもあった。

 だというのに、春深はもうどこにもいない。

 機体だけを遺して、時雨を残して、逝ってしまった。

 戦っている間、涙は出なかった。憎しみだけを研ぎ澄ましていた間は。雨に打たれて、滴が〈春時雨〉の頬の伝っていたことに、機体の中にいる時雨は気づかない。

 むろん、ずっとそうしていられるはずもなかった。

 妙な金属音が聴こえて、ようやく時雨は我に返る。

 刀が折れたのだと、ふいに集中力が切れた頭で、ぼんやりと認識する。

 操士ごと〈天武〉を貫いて、できるだけ早く次の敵を斬るために強引に刀を引き抜こうとしたせいだろうか。いや、その直前にはすでに限界だったのかもしれない。数は覚えていないが、とにかく相当な数の蒸甲機を、刀に一切の気遣いもなく斬ったのだから。

 まずいな、とやはり集中力が戻らない中、危機感もなく思う。蒸気砲は自分で捨ててしまったし、もう武器がない。すぐに移動しないと、攻撃が来る。

 分かっていながら、桿を握る両手は上手く動かなかった。

 このままではやられるが、それもいいか、と時雨は捨て鉢な気分になった。春深がいないなら、生きている意味もない。

「申し訳ありません、姉様」

 うなだれて、時雨は謝ることしかできなかった。

 目を閉じて、砲弾が自分を血肉に変えるのを、あるいは刃に貫かれるのを、じっと待つ。

 だがいつまで待っても、その瞬間は訪れなかった。

 訝しんで目を開けると――

 ここにはもはや、自分以外に誰もいなかった。

 鋼鉄の屍が、そこら中に倒れているだけの静寂。自分が斬り捨てた、数多の〈天武〉である。

「ここは……」

 周囲の敵を全て斬り終えたのだと知って、時雨は安堵するでもなく、この場を見渡した。よく知っている場だ。懐かしさと共に、悲しみが訪れる。

 春深が時雨を見つけてくれた、あの菩提寺であった。

 手当たり次第に戦い続け、知らず知らずの内にここまで来ていたらしい。

 雨は、いつの間にかやんでいた。雲間から光が差して、〈春時雨〉を明るく照らし出す。

 春の陽気は暖かく、しかし時雨の目には、その光景はひどく寒々しく映った。

 ――だから、時雨と。あの雨のように、わたくしたちの縁が良きものになりますようにと願って、そのように名付けたのです。

 雨が降ってなお桜は散らなかったと、嬉しそうに話す姉様の朗らかな笑み。時雨が好きだった笑顔。今はもう、思い出すだけでも辛かった。

「…………散っているではありませんか」

 見渡す限り、桃色の花びらは一枚もない。濡れそぼって貧相にさえ見える枝が、虚しく陽光を照り返しているだけだ。

 今年は雨の多い春だった。散ってしまうのも、仕方がない。

 分かってはいても、やりきれなかった。

 時雨は意識して、唇を強く噛んだ。鉄の味がして、ぼやけた意識が鮮明になっていく。おかげで、自分がすべきことを思い出せた。

 西へ。

 それが、春深の望みだった。

〈春時雨〉の脚を、その方角へと向ける。桜木城の門は、すでに破られてしまっただろうか。気がかりに思いながらも、時雨はもう振り返らない。

 最愛の人が唯一遺してくれた機体と共に、空虚な桜の木々の下を歩んでゆく。


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