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蒸甲機〈春時雨〉  作者: 押本詩
第一章
2/6


「数だけは多い、徳川の犬め」

 流れ落ちる汗に顔をしかめながら、少女は小さく、たっぷりの侮蔑を込めて毒づいた。

 額当ての内側がひどく蒸れる。汽罐がすぐそばにあるせいで、風防に覆われた鞍は熱気に満ちていた。施された防熱処理は、気休め程度の役にしか立っていない。上下つなぎの搭乗着も、多少通気性に工夫を凝らしたところで、これでは焼け石に水であった。

 劣悪な環境下、少女は軽く頭を振った。短く切った髪が乱れ、滴がぽたたっと周囲に散る。そしてまた、風防の向こうをしかと見据えた。

 少女の名は、時雨しぐれという。数えで十八歳の、毒づくことなど似合わぬ可憐な容姿の持ち主である。しかし、戦場に立ったが最後、そこらの男共など真っ青になるほどの闘志が発露する性質の持ち主でもあった。

「お前たちは残らず、私がここから叩き出してやる」

 茹だるような熱気さえ自らの闘志に変えて、時雨は己の機体に地を蹴らせた。葉桜の色に染められた巨大な鋼鉄の鎧兜が、踏みしめた土を盛大に撒き散らしながら加速する。

 全高が二丈を超える巨体は、鞍と汽罐、解析機を諸共に納めているため胴体がやや太り気味。背面からは四本の煙突が斜め上方を向いて突き出している。右肩に描かれた桜の紋様は、それが美園家所有の機体であることの証だ。左肩には、〈春風〉という名が記されている。

 蒸甲機〈春風はるかぜ〉――桜木城を守護する、美園家の主力であった。

 蒸甲機の姿形は、百年前、この兵器が突如として登場した頃から、ほとんど変わっていない。現行の蒸甲機は全て、大坂の陣に投入された機種の発展型である。〈春風〉もまた、その例外ではない。

 しかし、内に秘める力は先へと進む。そして、その水準は、各勢力ごとに異なっている。この〈春風〉は、中でも最先端の機種と言って良かった。

 排煙装置の唸りが轟く。

 汽罐にかけられた制限が解除され、蒸気圧がみるみる内に上がっていった。罐胴の水が、燃え上がる火室の熱によって高圧蒸気へと変貌し、蒸気溜に集められ乾燥管と過熱管に送り込まれた後、気筒へと到達して活塞の猛烈な往復運動を生み出している。その莫大な力が運動機構に伝達され、動くことさえ信じがたいこの巨躯を途方もない速度で驀進させていた。速度計が、先ほどまでとは比較にならない数値を示す。

 忌々しい敵を、叩き潰すために。

 そう、敵だ。徳川に恭順せぬからといって、問答無用で攻めてきた敵を、時雨はきっと睨みつけた。眼前に下ろした拡大鏡のおかげで、奴らの姿がよく見える。薄茶色の、〈春風〉とは別の蒸甲機の姿が。

 徳川の蒸甲機〈天武てんぶ〉が十機、占領した駅を守っている。〈春風〉はおろか豊臣の〈咲夜(さくや〉にさえ及ばない性能ではあるが、量産性には秀でた機種である。加えて装甲輸送列車が二両、駅の中に入っているようだった。

 時雨の、いや時雨たち花守衆の目的はこの駅の奪還である。美園領南方に位置するこの地は兵力と物資の輸送のため、両軍にとっておさえておきたい要所であった。

 戦闘は始まっている。駅の東側から囮の部隊が、西側からは本命の部隊が攻めていた。

 だが、状況は芳しくない。敵の釣り出しには成功したが、それでも数で劣っている。さらにこちらは、みな休息もなく連戦の最中である。鍛え抜かれた操士たちも、人間である限り疲れ知らずというわけにはいかない。練度が下がり、能力を十全に発揮できないという事態が、軍全体を疫病のように犯し始めていた。

 すでに二機の〈春風〉が、戦闘不能に追い込まれている。残った三機が必死の思いで突破を試みていたが、開けた土地で遮蔽が少ないということもあってか、やはり攻めあぐねているようだ。

 故に今、時雨はここにいる。かような状況を想定しつつも、戦力に余裕がないためにたった一機しか送れなかった増援として。

 時雨としては、望むところであった。

 疾風のごとく、時雨の〈春風〉が駆ける。

 左右の操縦桿を慎重に、しかし臆することなく操りながら、時雨は最優先で狙うべき敵機を見定めた。

 こちらの〈春風〉が一機、正面の〈天武〉二機に釘付けにされている。その真横から、別の〈天武〉が死角を突こうとしていた。

 そいつにむけて、時雨の〈春風〉が蒸気砲を構える。

 操縦桿に数多設えられたぼたん――その一つを時雨が押したことで、射撃体勢へと移行したのだ。同時に、拡大鏡が上がって時雨の視界から消え、代わりに十字線が描かれた照準鏡が下ろされる。照準鏡は、右操縦桿上部の制御球を時雨が操作するのに合わせて、精密に位置を変えていった。化け物じみた大筒が、それと連動する。

 敵を捉えた瞬間には、迷いなく引き金を引いていた。

 汽罐に繋がれた蒸気砲から、ぱしゅ、という間が抜けているとも言える音と共に白煙が排出される。それは、鋼鉄をも貫く砲弾が高速で撃ち出されたことを意味した。

 鉛の塊が空気を裂いて直進する。遮るものはなく、吸い込まれるなような美しい軌道を描いて、それは〈天武〉の胴体に風穴をあけた。操士は、己の死を悟ることもなく血肉を弾けさせたことだろう。制御を失った〈天武〉が、後ろむきに勢いよく頽れる。

 その有様に、他の〈天武〉の操士たちは大いに動揺したに違いない。突然の増援に、というだけではない。たった一機の増援が、百の増援にも等しい技量を有していると、この一撃を以て理解したからであった。

 蒸甲機はひどく揺れる。走りながらの照準など、並みの操士にできることではない。強敵の出現を認めるには、十分すぎる事態であった。

 四機の〈天武〉が、時雨に対応した。こちらを囲むように散会する。それだけの数が必要な敵と、判断せざるを得なかったのだろう。期待以上の成果に、時雨は嗤った。敵の動きを見て、〈春風〉の進路を右へ折る。そして、あえて戦域の中心から距離をとった。例の四機が、〈春風〉を逃がさぬようついてくる。

 これで、敵の守りは五機となった。未だ数的不利に変わりはないが、二機程度の差であれば、花守衆の操士と〈春風〉であれば勝機はある。

 そしてこの自分なら、四機の〈天武〉など造作もないと確信していた。

「ここは私たちの土地だ。さっさと出て行け」

 散会した四機から、一斉に砲弾が放たれる。直前にそれら全ての弾道を見切っていた時雨は巧みに回避し、自機の最も近くに展開した〈天武〉に狙いを定めると同時に、そいつの視界からふっと消えた。

 先ほどまでそこにいた敵を見失い、〈天武〉が混乱もあらわにたじろぐ。

 これが時雨の戦い方であった。。蒸甲機の風防が確保する視界は、あまり広くない。うまく死角に入れば、こうして突然消えたかのように敵に錯覚させることができる。

 しかし、言うは容易い。二丈を超える巨躯を、いくら視界が狭いからといって相手から隠しきることは極めて難しい。加えて、戦闘中の蒸甲機は耐えず煙を排出している。故に、敵が己を見失うのはほんの数瞬のこと。その僅かな隙を逃さず、敵を討ち果たさねばならない。時雨は、その名手なのだ。

 敵とは対照的に、時雨は寸毫も目標を視界から逃がさない。脚を止めず、照準鏡を最適な一へ調整する。そして、引き金にかけた指に力を込めた。白煙を残して飛翔した砲弾が、狙い違わず〈天武〉を貫く。

 残り、三機。

 数の優位では射撃能力の差を覆させないと悟ったか、〈天武〉二機が前後から突っ込んでくる。どちらも、腰の鞘から刀を抜いていた。蒸気砲と同様、これも人の身で扱える代物ではない。刃の長さが一丈に迫る、蒸甲機専用の刀である。

〈春風〉に劣るとはいえ、〈天武〉もまた蒸甲機。その巨体に似合わわぬ速度で、〈春風〉にむかって突貫した。

 その攻撃を、時雨は焦りもせず受ける。

 まず、前方からの攻撃――風防を直接狙った突きを最小限の動きで回避し、左手で敵の前腕を上から抑え込むことでさらなる斬撃を封じる。ついで、右手で握った蒸気砲を捨てた。

 その時にはすでに、背後の〈天武〉が刀を振り上げている。だがその斬撃を振り下ろさんとした刹那、耳をつんざく異様な金属音がしたかと思えば、そいつはぴくりとも動かなくなった。自らも腰の刀を逆手に抜いた〈春風〉が、振り返ることなくそいつの風防を貫いたのだ。鋼鉄の巨体は屍となって刃が突き刺さったまま立ち尽くし、振り上げられた刀は虚しく地に落ちる。

 残り、二機。

 動きを封じた眼前の〈天武〉が、どうにか〈春風〉を引き剥がそうと抵抗を試み、互いの腕が軋む音が鳴る。それを見て手をこまねいているのが、残りの〈天武〉だ。蒸気砲を構えては下げ、構えては下げ、という動作を繰り返している。この距離で発砲しては、味方にも当たりかねない。

 業を煮やしたそいつは、味方に倣うように刀を抜いた。そして、一直線に突っ込んでくる。二機の拮抗が続いている内に、〈春風〉だけを斬って捨てようというのだろう。

「ちょっと、馬力が足りないか」

 時雨は舌打ちした。背後の敵を仕留めたら即座に前方の敵を、と目論んだものの、思いの外〈天武〉の抵抗が強い。量産だけが取り柄と侮っていたが、なるほどそれなりの改良も施してはいるのだろう。

 だからといって、この程度なら問題にもならないが。

〈春風〉の右脚が滑らかに動き、敵の脚を薙いだ。操士は力比べにばかり気を回していたか、さしたる抵抗もなく、〈天武〉は大きくバランスを崩す。横合いから突きを繰り出した味方が「あっ」と踏み止まる暇もない。背後の敵に突き刺したままの刀を抜いて、〈春風〉はそいつの腕を斬り上げた。柄を握りしめたままの腕が、くるくる回転しながら明後日の方へ飛んでいく。そして意趣返しとばかりに、今度は〈春風〉が、刀を失った〈天武〉の風防を刺し貫いた。

 その瞬間にはすでに、時雨は先ほど地に伏した最後の〈天武〉に、蔑みを込めた一瞥をくれている。刃を引き抜いた時雨は、

「死ね」

 起き上がろうとするそいつを踏みつけ、血肉で汚れた刃を、容赦なくその背に突き立てた。


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