終戦の日に思う
価値観は人によって違うけれども、戦争は価値観の違いを認めず強制する。
日本では8月15日が「終戦の日」である。戦争が終わった日とはうまいネーミングで、日本中にこの言葉を定着させた政治力には感心する。
戦争関係の記念日は海外でもいくつかあるが、このような表現の日を設けている国が他にもあるだろうか。国際関係の何等かの区切りの日であるから、他国の記念日も無視できるものではないだろうに意外に知らない。日本絡みでは対日戦勝記念日みたなものは聞くことがあるが、かの国に日本が敗戦したという意識が日本では希薄で、どうもこの手の記念日は内向きに感じる。
戦争では人の命を奪うための訓練をし、人間を敵という人間でないものであるように価値観を書き換え、同時に自分も人間ではなく敵として認識されることを受け入れる。武器を持つ当事者は政治家ではない。自らの意思で殺人をするのではなく、国民のためという大義名分に従い為政者の命令で引き金を引く。それでも敵をいくら殺しても相手国の価値観を変えることはできない。敵の銃弾に倒れても国が負けるわけではない。失われる命の数で勝敗が決まるわけでもない。
そして、双方が望む結果は永遠に出ない。それでもまだ軍事力は必要なのは、100年前の世界のような結末が可能だと思っている妄想を捨てきれない国家が未だあるためだ。
始まってしまった戦争を終わらせるのは難しい。
現実の戦争を直視し、どうすれば戦争をしないで済むのかを考えてほしい。
世界はまだ終戦の日を迎えていない。