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枷の鈴  作者: 紫空
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第三章 キオという少年

 


 

 父は、言った。

 

――醜い息子よ。お前にこの先を選ばせてやろう。今、この父の目の前でその水を飲み、果てるか。長らえ、その生涯において己を殺しつづけるか。



 

 母は、言った。

 

――ああ、どうしてお前はそんなことをいうの? お母様を苦しませて嬉しい?

 これ以上私を困らせないで。

 

 

 最も深い部分で繋がり、自分という存在を形作るものでありながら、その深い部分から常に自分をさいなむ者たちの言葉は、寄せては返す波。

 幼い頃からキオはよく息のしかたを忘れ、飲み込んだ言葉は腹の底で汚泥となり、よどんだ毒によく熱を出した。


* * *


 あの日。

 三日前から高熱を出し、彼は生死の境をさまよっていた。十八年と少しの彼の人生においては、別に珍しいことでもなく。このまま海の底にあるという、女神の庭へかえるのも悪くはないと。迷惑ばかりの自分など、いっそこのまま消えてなくなった方が世の中のためなのだと。

 皆そう思っているに違いない。


 いつもながら熱に朦朧もうろうとする意識の中で漠然ばくぜんとそう感じていた。

 

 けれども。

 

 キオは死ななかった。死に損なって目が覚めた現実で、ベッドに横になったまま。彼は聞いてしまった。



 

――おぉ、女神よ! 何故あの子を連れていっては下さらないのですか? 私が何をしたというのですか? あぁ、あの子さえ生まれなければ。

 

 何故、あの子は死んではくれないの!


 

 扉越しに聞いたそれは、ヒステリックに泣き叫ぶ母の声だった。

 

 愛されているなどと思いあがった感情を抱いているつもりはなかった。――はずだった。

 やはり愚かにもどこかで期待していたのかもしれない。

 

 目の前が真っ暗になった。

 

 何もかもがどうでもよくなり。二階の窓から飛び降りたつもりが、気が付けば窓に差しのべられた庭木の太い枝から幹へ伝い降りていた。

 

 土砂降りの雨だった。

 

 激しく打たれる芝生の悦び混じりの小さな悲鳴と、心配して風に枝をしならせる大木。水を含んだ土の香りにクラクラとめまいがした。

 

 そこからはどうやって行動したのか思い出せない。

 

 とにかく父や母から離れたくて。やたらと重い裸足をもつれさせながら前へ前へ進んだ。

 途中何度か緑の友人たちの声を聞いた気がするが、これも後になっては全く記憶に残っていない。

 

 

 そして気が付けば、見知らぬ天井と硬いベッドと。得体の知れない道具を使う医者と、熊のごとき女性と。その全然似ていない孫が居て。

 

 彼はカモメ亭に保護されていた。

 



 また、死に損なった。

 

* * *


 彼はずっと自分を殺しながら生きてきた。

 しゃべるなと言われれば口を閉ざし。

 聞こえるはずがないと言われれば耳を閉ざした。

 だからそれも、決して悪意からではなかった。

 

 あまりに長いこと声を出さずにいたせいか、彼は思いを言葉に変換することがひどく苦手だった。何か言おうとしてもすぐにどもってしまう。

 

 どうやって言葉にすればよいのか分からず黙っていたら「声が出ない」と解釈されたらしく、普段声を出して何か伝えたりすることがなかった彼にとってはしゃべらないことの方が普通で。

 つまり自分にとって都合が良い、この誤解を否定しなかっただけ。

 

「だ、だま、す。つもりは」

 

 別にだまそうとか、そういう意図があったわけではない。色々偶然や誤解が重なっただけなのだ。

 

* * *


 幼い頃。記憶にあるのはそれよりさらに短い幻のような期間。確かに彼は愛されていた。

 

 同時に、気がつけばそばにあったそれらを、彼はごく自然に受け入れていた。

 それは友達であり家族であり、日常だった。

 深い考えなど、なかった。



 

――お母様、もうすぐ雨が降るんだって。お花さんが言っているよ。

 

――今年はたくさん雪が降るんだって。木さんが葉っぱを足にかけて温めてくれって。

 



 初めは夢見がちな子供の戯言だと、半信半疑だった母親。

 けれども三歳の初夏。父親の前で言った一言が、それを決定的なものにしてしまった。



 

――ねえ、お父様。どうしてお父様は、ミリアという女の人をお庭に埋めたの?



 

 花を終らせた紫陽花あじさいのささやきが気になり。

 ただ、何となく。

 ただ、それだけのことだった。

 

 知るはずがない、と。

 何故知れた、と。

 魔物のような顔をして、全身を震わせる父親。

 凍りつく母親。

 

 その日、彼は愛される資格を失った。否、あってはならない力を持ち、女神に嫌われた存在である自分に愛される資格があると思っていたことが間違いだったのだと。窓の無い地下室に閉じ込められ、父親から渡された自害するための毒の水が入ったコップに涙を渇らす過程で、彼は静かに悟った。 

 

 それからは家に引きこもり、常に人の顔色をうかがう日々。自分で自分を終わらせる勇気もなく。誰にも迷惑をかけないように時を過ごすには、自分を殺して生きるしかないと。

 

 それなのに。




「馬鹿じゃないの」


 樹木の皮のような髪に若葉の瞳を持つ少女は鼻で笑ってそう言った。


「それってあれでしょ? 個性ってやつ」


 個性。今までそんなふうに考えたこともなかった。

 呪われていて。穢れていて。

 存在してはいけない力。

 だからそれを持つ自分もまた、存在してはいけないのだと。

 ずっとそう思ってきた。


「ねえ、もしかしてこの花束も何か言ってたりするわけ?」


 少女は一人で頷くと、ふとその手の中にある花束に視線を落として言った。 

 緑の瞳を輝かせて言う少女に、キオは頷く。

 

 切り花の声というのは、根を持ち生えているそれと比べてちょっと弱々しく聞き取りにくいのだが、それでも生きたいという悲鳴が伝わってきて、思わず手と、ついでに普段極力出さないようにしている言葉まで出てしまった。

 

 「どんなふうに聞こえるの?」とか、観葉植物を指さしては「あれは、これは、何て言っているの?」とか。

 面食う少年に少女はかまわず次々と質問を投げかけてくるので彼はつっかえつっかえなんとかそれに答える。こんなにしゃべったことは久しぶりだった。


 ずいぶんと興奮していたらしい。一息つくころには、喉がれていた。

 一通り尋ね終わったらしい少女が、何やら納得したように腕組みをする。

 

「うん、つまりお世話が足りないのね。おばあちゃんったらおおざっぱだからそういうこと苦手なのよね。おまけに植物って叫んだり泣いたりしないから気がつかないのよ」

「う、うん。普通はそう……なんだろうね」

「でもキオは聞こえるんだよね。それって凄くない? うん、凄いよ」

 

 その瞬間、少年は緑の瞳の中に光を見た気がした。


 

――凄いよ。


 

 誰もが忌み嫌い、拒絶されるばかりが全てだと思ってきた世界に射した一条の光。

 不思議とほっとした。

 汚れた電灯の笠ごしにこぼれる、くすんだ明かりにきらきらと輝く緑色は、雲の切れ間に露を含む街路樹の葉に似て。

 

 どこか、救われたような気がした。


* * *




――ファム。 

 あの時から君は、僕の太陽になった。


 

 真夏に咲くひまわりのように。

 僕は君を追う。

 

 暗がりに慣れたこの目には眩し過ぎて。

 どうしても真っ直ぐに萌ゆる緑の色をした君の瞳を見ることが出来なかった。

 

 けれど今。心の中で、迷い雲を晴らす君の笑顔を想う。


  

――ファム。

 僕に勇気をくれて、 

 ありがとう。

 

 

 

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