終 章
黒びろうどマントに幾千のガラスの破片、散りばめて。
黄色く明る過ぎる満月は、闇の水面に映る夜の太陽。
それらも霞む地上の灯りは、色とりどりのちょうちんや電球。
街の至る場所を血管の如く走る水路をゆるゆると流れる無数の灯りは、ゆらゆらと街を惜しみ巡り、やがて海へと流れゆく。
「綺麗だね」
橋の欄干に手をつき、身を乗り出すようにして、橋の下から現れるたくさんの灯篭を飽きることなく目で追っている少年の何度目かの呟きに、少女は隣に立ち、苦笑する。
ちょうちんの灯りに照らされるその横顔はきらきらと目を輝かせて、まるで子どものようだ。
「そうだね」
あの公開裁判から早一ヶ月。
ずっと中止されたままだった玉祭。迎えただけで止まっていたそれが今、海へと還っていく。
遠く近くに祭りの喧噪を聞きながら、ファムとキオは二人っきりで、橋からそれを見送っていた。
「ねえ、ファムのお母さんとお父さんは、もう海に着いたかな?」
「ううん。どうだろう。こんなに混み合ってるし、ゆっくりだから、まだ着いてないんじゃないかな?」
少し前に、橋のたもとにある階段を降り、二人で灯篭を流した。いつもより少しだけたくさんの花を積んだ舟は、少女の両親の魂を灯篭の暖かな光に宿らせ、懐かしい景色を見せながら、ゆっくりと海へと流れていることだろう。
「ねえ、海まで見送りに行ってみる?」
「駄目よ。名残惜しくて死者が振り返ってしまうわ」
死者は、海の底にある永遠の女神の庭へ。生者は、明日を向いてしっかりと歩いていく。過去を追い求めても、それは決して現在と交わらないのだから。
――あ! あれ、ファムじゃない?
突然背後から聞こえてきた囁き声に振り返れば、夏を迎え、少しだけ刺激的に装った女性三人組が嬌声をあげるよう。
笑顔を作り、橋を渡っていく三人組に手を振ってやり過ごし。
――ああ、もう。
その姿が建物の影に消えるのを確認してから、欄干にぶら下がるようにして脱力する。
「ファムもすっかり有名人だね」
堪え切れないように吹き出す少年を、少女は欄干に頬をつけてジトリとねめつけた。
「誰のせいだと思っているのよ」
今から約一ヶ月前のあの日。神殿前広場で街を呪い、災いをもたらした魔物として公開裁判を経て処刑されそうになっていた少女。彼女を救ったのは今隣で微笑む少年と、神殿の警備兵だった男と、もう一人。
「だって訊かなかったじゃないか」
「テレビカメラがあるなんて誰も思わないわよ!」
そうなのだ。街を突然襲った奇病の原因がホタル茸だと気付き、それを人々に伝えようとしていたキオ。彼がどうやってそれを人々に信じさせ、伝えるつもりなのか気にはなっていたのだが。
彼は父親である大神官の“人にあるまじき行為”を告発し、神殿の警護長だった男と一緒に、神殿に半ば幽閉されていた女性たちを救いだした。
三桁に近い少女たちを従え、彼はもう一人の協力者であった植物学者と共に、病の原因である“突然変異のホタル茸”の駆除を人々に呼びかけた。その方法が、つめていたマスメディアを利用することだった。
助けにやってきた少年が、地下に囚われていた割には、パリッとした神官の法衣を着ていたことに違和感はあったのだが。一週間近い監禁生活での緊張に疲れ切っていた脳味噌は、深く考えていなかった。
まさかまさか、テレビカメラに撮られていたなんて。あんな格好で。そして――――。
「良いじゃない。化け物呼ばわりされるんじゃないんだし。皆、好意的じゃないか」
「そうだけど……プライバシーってものがね」
そうこう会話する間にも何人かの通行人に声を掛けられ、そのたびにファムは笑顔で手を振って応える。
「“女神の舞姫様”の舞は、一目見るだけで皆を虜にする不思議な魔力があるからね」
もちろん僕は、そのずっと前から緑の瞳の虜だけど。
何か心境の変があったのか。最近、少年はどもることも下を向くこともぐっと減った。代わりに増えたのが、何やら気恥かしくなるような台詞の数々。天然なのか、意図してか。
どちらにせよ、中性的な美貌に、柔らかな糖蜜色の髪と青い瞳という王子様的美少年に、目が合う度に微笑まれては――ちょっと心臓に良くない。
今も、やたら激しく打つ鼓動が伝わるんじゃないかと心配で。
「あ。そ、そういえば。おばあちゃんたち、今頃どうしているかしら」
灯篭の明かりが揺らぐ水面に視線を落として、話を変える。
「うん。ちょっとそれは心配だね」
カモメ亭にこもり、常連客と毎年恒例の、徹夜の酒盛りをしているはずの祖母。年中行事のようなそこに今回は二人の人物が加わっている。キオの脱出に力を貸してくれた神殿の元警備兵の壮年の男と、それからもう一人。
「レンさんが、アルシェさんの元旦那さんだっていうのには驚いたよ」
「――毎年、玉祭に合わせてこの街に来てただなんて」
「子どもが出来たことに動揺して逃げた過去が引っかかって、どうしても勇気がでなかったんだって」
何となくわかる気がするかな。という少年に少女は欄干から手を離し、腰にあてる。
「嫌だわ。そんなのただの弱虫じゃない」
「ま、まあ。そうだけど――ごめん」
「なんであなたが謝るのよ」
「うん、そうだね。ごめん」
「だからなんで謝るのよ」
まるで堂々巡りだ。けれど以前と変わらない彼を見るのは何だか安心する。
キオにホタル茸の異常を知らせ、最終的には、彼の植物と会話出来る能力を利用して確信に至り。結果的に街を救うことに一役買った、植物学者レン。ひょろひょろと長くて痩せていて。けれどとても六十歳を過ぎているとは思えなかった。
彼は、純粋な森の民――彼らの国ではエルフというらしい――なのだと。純血種は気が遠くなるほどの長生きで、体内の時間がとても緩やかに流れるらしい。
昔、祖母に聞いたことがあった。おじいちゃんってどんな人――と。その応えは「古新聞くくるヒモみたいなヤツだったよ」だった。
――このろくでなしが!
――ごめんなさい!
三十余年ぶりの再会での祖母と植物学者、お互いの第一声がこれだ。
玉渡しで舟を水路に流すべくキオと二人でこうして外に出てきたが。
酒が入った祖母や常連客たち。そして元警備兵のお客と、ついでに祖父。彼らが今、店でどうしているのか。想像することがとても怖い。
まあ。今は明日、お店がちゃんと残っていることを信じよう。
「ねえ、ファム。レンさんに誘われたんだ。一緒に大陸に渡ろうって」
そこにはレンさんが教授として席を置いている大きな学校があって、そこで植物について学ばないかって。この休暇が終わればまた帰らなきゃいけないから、一緒に行かないかって。
ずいぶんと急な話で、少女は戸惑う。そして戸惑う自分に更に戸惑う。
――何だっていうのよ。自分のやりたいことが出来たのなら、それはキオにとって良いことじゃないの。友達としてちゃんと背中を押してあげなきゃ。
「ふ、ふうん。良かったじゃない」
不規則に跳ねる鼓動を隠し、星空を振り仰ぎ、平静を装う。
――私はちゃんと笑顔で送り出せる。行ってらっしゃいって言える。
何度も胸の内で繰り返す彼女に、少年は身体ごと向き直り、晴れ渡った空の色をした瞳を真っ直ぐこちらに向けてくる。
「――ファムも。君も一緒に行かないかい?」
僕と一緒に。大陸へ。
思ってもみないことだった。
突然過ぎて。
私が、キオと一緒におじいちゃんの故郷へ――――?
「大陸にはもっとたくさんの種族がいて、みんなが平等に学校に通っているんだって。そこだったら君も普通の女の子としてちゃんと学校に通えるんだ」
私が、普通の女の子みたいに学校へ? 休日は友達と一緒に青空の下、オシャレなオープンカフェでお茶とかしちゃったり?
でも、おばあちゃんはどう思うだろう。
カモメ亭は?
「ファム。今すぐでなくても良いから。君の答えを聞かせて」
「私は――――……」
* * *
――ファム。
あの日、あの神殿前の広場で。
枷の鎖を切られ、自由を得た君は。
「キオ。私ね。いつかお日様の下に出ることができたら、ずっとやってみたかったことがあるの」
水の都の人々が見守る中で。
白い舞装束を着た君は。
「見てくれる?」
裸足の足で石畳を蹴り、
突然裂けた雲間から射す、輝く天の羽衣の、きらきらとした祝福を浴びて。
君は、舞った。
その小さくて細い足を動かすたびに、
その小さくて柔らかな手を打ち鳴らすたびに、
枷についたままの鎖が鳴り、それはまるで鈴のように軽やかに、愉快な音を奏でた。
――ファム。大好きなファム。
出会った時よりももっと今。そしてきっとこの先も。
僕はずっと、初夏の若葉のように強くきらめく緑に恋焦がれる。
***おわり***
童話風ほのぼのファンタジー『枷の鈴』を最後までお読みくださり、ありがとうございます。
作者の紫空と言います。
この作品はモバゲーさんの小説祭というイベント用に書き下ろした長編で、『シンデレラ』のテーマ指定を受けて執筆しました。
だから、ヒロインはある場面で靴を落とします。不遇な少女が幸せを掴むというのが主催側から提示された課題でしたが、はたしてうちのヒロインは幸せを掴むことが出来たのでしょうか。とりあえず、そのための第一歩は踏み出せたものと思っております。
当物語は、少女が幸せを掴むまでの過程という本筋の他に、内気な少年の心の成長を描く物語でもあります。
最初の頃は、ウジウジとしていてまったく男らしく無かった少年ですが、最後の方では少しは成長出来たかな?なんて思っているのですが、どうでしょうか。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
読後の感想でも聞かせていただけたなら、作者は泣いて喜びます←
また次の作品でお会い出来たら幸いです。
2010年1月20日(水)0:01
そろそろシンデレラの魔法も解けるようです。