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枷の鈴  作者: 紫空
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第八章 枷の鈴

 広場を囲むように建ち並ぶ家々。赤レンガの屋根と屋根の間から湧き出した暗雲が上空を覆い、石畳は薄くかげる。

 

 空気に混ざり始めた湿り気に、居合わせた人々は固唾かたずを飲み、広場の中心から円を描くように設置された防護柵から身を乗り出すようにして、遠巻きになりゆきを見守っていた。


 

 かつて、天より舞い降りた乙女が魔物の返り血を洗い流したとされる“女神の洗い場”。それを守る大神官は、代々女神の血を引く神の子。そして女神の洗い場を抱え、街の中心に建つ神殿は水の都の象徴。

 

 水路と赤レンガの家に囲まれ、白くそびえ建つ神殿前広場の中央には、昨夜の内に即席の壇が作られており、その上に座す三人の人物。

 壇の影に控える仮面の男の手には抜き身の剣。


 街中の人々が集っているのではないかと思うような大観衆が注目する中。

 兵士に両脇を抱えられた少女が引き出され、壇下の灰色に沈む石畳に座らされると、見守る人々の間からは嫌悪や憐れみ入り混じるどよめきが生まれた。



 汚れた舞装束。薄手の衣装から覗く白い太もも。細い足首と手首は不釣り合いに重く鈍く光る足枷と鎖で繋がれている。

 白い布で目隠しされた状態では、瞳の色はうかがえない。

 しかし、後ろ姿に見る乱れた髪色だけでも十分過ぎるほど、その異質さは誰の目にも明らかであった。


 

 壇上の中央で、紫と白を重ねた豪奢な法衣を着た人物が立ち上がり、高々と両手を挙げて周囲を見渡し、口を開く。

 

――皆に問いたい。この者、穢れの色をまとう。まがやみに相違なかろうか?

 

 静まり返った広場に良く通る男の声。

 やや間をおき、さきほどよりも高まるざわめきが灰色の空に、石畳に広がる。

 

 濃さを増す重苦しい雲が太陽を隠し、影が影に重なる。

 人々の上に。

 檀上に立ち、見下す大神官の上に。同じ壇上にある二人の神官の上に。

 今まさに、裁かれようとしている少女の上に。

 ねっとりとした影を落とす。


 

 うねるような悪意と言葉の渦中に目隠しをされ、頭を垂れて。ただ静かに時を待つ、その少女の髪は、埃や垢にまみれてもなお美しく。


 

 穢れの色。

 

 それは深い深い、森の緑。



 

* * *




 祖母は言った。

 

――馬鹿を言うんじゃないよ。母親は、一年近く子どもを腹に庇いつづけるんだ。

 寝るのも食うのもそりゃ大変で、食べられないし眠れないし。産む時はそれこそ命さえかけるんだ。

 それでも母親がそれに耐えたからこそ、今お前は人間としてここにいる。その愛情を疑うんじゃない。

 


 見えないものを信じることは、とても難しい。

 後付けの知識が増え、色々分かってくるにつれて。その力の容積は減り。

 疑う心に負けて、つい漏らした彼女の頭を、祖母は軽く小突いて笑った。


 

 不満が無かったわけではない。

 

 けれど。



 

――ファムのそれは、森の民だったご先祖様の姿が強く現れたものなんだ。だから。

 


 幼い頃から、少しも偽ることなく真実を話してくれていた祖母のおかげで、彼女は物心つく以前からきちんと理解していた。

 それでも。不満や不安が全て消えるわけではなかったけれど。



 

 老医師は言った。

 

――ファムちゃんは、緑が嫌いかね?



 なるべく考えないようにしていたこと。

 そう言われて迷う彼女に、老人はアルコールの入ったコップを片手に、酒臭い息を吐き出した。


 

――その緑は、お前さんをリィアと。アルシェや、アルシェの父親や母親、その親。まあ、そういったもんと根っこで繋がっている証なんじゃ。じゃから。

 

 少女は毎日窓ガラスに、鏡に。自分の姿を映し、緑の瞳に繋がりを確認する。

 遠い先祖から受け継いだ、色変わりの緑の髪を思う。



 

――ファム。

 お前は私の大切な娘が命がけで残した、大切な娘なんだ。いつまでも下を向いているんじゃない。


 

――おばあちゃん。

 分かってるから。約束破ってごめんね。



 自分に誇りを持て。最後まで自分らしく。




――皆に問いたい。この者、穢れの色をまとう。まがやみに相違なかろうか?

 


 この色は穢れてなんかいない。

 この緑は私の大好きな人たちとの絆の証。

 

 ねえ、目隠しをしたのは何故? そこに自分の罪を見るようで怖いの?

 恐れることはないわ。


 だから、背筋を引きつるほど伸ばし。

 顔を上げ。

 そこにあるだろう、愚か者の顔を睨みつけ。


 

「――馬鹿じゃないの?」

 

 ファムは笑った。





 誰もが知る、神話の魔物。伝説と同じ容姿を持つそれは、神殿側が用意した“形ある悪”だった。

 病という目に見えない恐怖に晒された人々の前に、目に見える形で現れたそれは、全ての災いの根源のように映った。


 

 自分たちが置かれたこの不幸の極みのような状況は全て、魔物の呪いのためであったと。

 

 街の象徴である神殿に詰め寄り。混乱し、目を血走らせる彼らに、神殿側から与えられた“甘いお菓子”。


 

 あの玉祭たままつりの朝に、それを発見した人々から発生し、尾ひれ背びれを付けて膨らんだ噂も、それに血生臭い彩りを添えた。


 

 まるで子どもの遊戯のような、非現実的で何の根拠もないそれに人々が食いついたのは、ただ弱い心に目に見える形での安心が欲しかったからなのかもしれない。集団は時として麻薬のように、個人の正しい思考を麻痺させ、狂気を呼ぶ。



 

 生贄いけにえの少女は、かせに縛られ、薄汚いボロをまとい。目の自由さえ奪われ。


 湿り気をおびた空気と、今は雲に隠れた太陽の名残りの熱を持つ石畳。

 

 今やすっかり“魔物”となったそれは、幾百のひどい罵声と視線に打たれながら、静かに顔を上げると抑揚の無い声で、

 

 ――馬鹿じゃないの?

 

 一言鳴き。

 その妙と通る声に、何故か言葉を失う観衆と、沈黙の中で。

 囚われた魔物は、高らかな笑い声を上げた。


 

 乾いて美しい響きは、居合わせた全ての人間の動きを奪い去る。

 

「――何がおかしい」

 

 皆が凍りつき、壇上では高位の神官が情けなく腰を抜かす中で、大神官だけが何とか踏み止まり、低く言葉をつむぐ。

 

「気でもふれたか、化け物め」

 その口も閉ざしておくべきだったな。

 

 そう言う男に、笑うことをやめた少女は静かな怒り漏らす。

 

「ファム、よ。私はファム」

「名前などどうでも」

 

 どうでも良い。そう嘲笑に男が口の端を歪めた、その時だった。



 ――うちの孫に寄ってたかって何いじめてくれてるんだい!

 

 ――ファム!


 

 少女にとっては、数日のことでも懐かしく思えるだろう二つの声が人垣の中から同時に、別方向から広場に響き渡った。

 



 とても近い場所で聞こえた自分の名を呼ぶ声に、少女は目隠しの布の内側で瞬きをし、耳を澄ませる。

 

 駆け寄る足音。

 その正体を確かめたくて。視界をふさぐ布が邪魔で。手足を動かすが、重たい金属が皮膚に食い込みぬるりとしたものが手首から手の平に伝うだけで、後ろ手に戒められた腕は、それ以上上がってはくれない。


 歯がゆくて闇雲に手首を動かしていると、ふわりと包まれた。


 

「血、出てる、から。う、動かさないで」

 

 閉ざされた視界。耳朶に感じる少し荒い吐息の間に、消え入りそうな声。

 背中に回されたそれが遠慮がちに、わずかに震えて。確かめるように絞めてくる。

 汗の匂いと、頬と首筋に感じるさらさらとした感触。


 

――キオ……?


 

 聞き覚えのある“どもり”に、しかし信じられない思いでファムは囁いた。



 

* * *


 突然現れた闖入者ちんにゅうしゃによって広場は再び混沌と化していた。

 

 静寂を破る二つの声により喚起された人や、急に後ろめたさを感じて逃げ出そうとする人。それを押しのけようとする人。人。人。

 皆が皆、てんでバラバラに行動するため、やれ足を踏んだだの、殴られただの、あちこちで小競り合いが同時に発生し。民衆側と警備側。内と外、両方からの圧で防護柵が悲鳴を上げる。その様子を壇上の高みからうかがうらしい神官たちは、顔面蒼白。

 もはや公開裁判どころではない。


 

「放しな! 何レディのケツ触ってんだ。この変態野郎!」

 

 崩れた人垣の片隅で、取り押さえようとする警察や神殿の警備兵を相手に激しくもみあう、赤毛の大女の姿があった。



 

 はあ、もうなんだかね。

 

 持っていた儀式剣を腰のさやに収め、どさくさに紛れて壇上から徐々に離れつつ。男は仮面の隙間から、顔見知りの屈強な警備兵が赤毛の女に殴り飛ばされる瞬間を目撃し。誰にも分らないようにそっと嘆息した。


 

 足枷と手枷を付けられ、目隠しをされ、自分の目と鼻の先に引きずり出された少女を見たときには、もう心臓が止まるかと思った。

 

 緑の髪。事前に聞いてはいたが、聞くのと実際に見るとでは、衝撃も印象もずいぶんと違う。

 

 色変わりの髪。

 森の民の証。

 まるで翡翠を糸に紡いだような。髪の毛一本一本が宝石で出来ているかのごとく、妖しく艶めく緑。

 これほど美しいものだとは思わなかった。と、同時に薄汚れた少女の姿と手首や足首に滲む血に、目の前が真っ赤になるほどの怒りを覚えた。



 その少女は今、収穫時期の麦畑のように輝く金髪に、澄みきった空のような青い瞳をした少年の腕の中にいる。



 

* * *




 けっこうな時間が、過ぎたと思う。

 目隠しをされたまま、ずっと無言で抱きしめられていると、誰に抱かれているのかふと不安になる。


 そういえば、もう一週間近くお風呂に入っていない。

 下着すら、着替えていない。


 汗ばんだ肌はやたらと吸いつき、密着した場所から伝わる確かな温もり。

 よく考えたら、今の自分はずいぶんと刺激的な格好をしていたような気がする。


 そう思ったら急に息苦しくなった。


 

「ちょっと、キオ。苦しいんだけど」

 

 もぞもぞと肩を動かすと、

 

「あ、わ。ご、ごめん」

 

 言い終わるか否かで慌てた様子で離れていくのが、すごく彼らしくて。その体温がちょっとだけ名残惜しいと感じた自分は、自分で思う以上に孤独を感じていたのかもしれない。


 

「目隠し、とってくれる?」

「あ。ご、ごめ」

 

 ついでに、こういうことに鈍いところも実に彼らしい。

 「ああ、か、固い」とか「ど、どうしよう。は、はさ、み」など、頼りない独り言を背後で聞きながら、ようやく目隠しを外してもらい、最初に目に入ってきた光景は。

 

 想像以上の数の人間が争う姿をバックに、こちらを心配そうに見つめてくる青い瞳だった。

 


 ずっと、その下で力いっぱい走ってみたかった、青い空。それと同じ瞳をした、お姫様みたいな男の子。

 年上なのにずっと幼くて、世間知らずで。

 不器用で要領ようりょうが悪くて、どん臭い。



 私のこと、怖いとは思わないの?



 怖くて、ずっと言えなかった。

 彼の他人とは違う力を知っても、やっぱり言えなかった。


 祖母と、一部の人間しか知らないこと。

 幼い子どもでも知っている、昔話に出てくる魔物。それと同じ特徴を持ち。

 何よりも太陽の光をわずかでも浴びるだけで美しく緑に染まるこの髪は不思議で、神秘的で。謎に満ちて――――不気味なもの。



 

――魔物。

 

 あの玉祭の早朝。

 うっかり朝日を浴びてしまった自分の髪は、今と同じ、緑色に変化した。 

 先祖がえりというものらしい。祖母がそう言っていた。少しだけ先祖の血を濃く受け継いでしまった彼女が人間の街で生きるためには、太陽の光から逃げ、昼間は外に出ないように隠れて生きるしかなかった。

 この色変わりをする髪を見れば誰もが悲鳴をあげ、逃げるか攻撃してくるかのどちらかだろうと。かつて先祖が受けたという迫害を昔話から想像すれば。

 言えるはずもなかった。


 

 魔物として捕らえられ、一緒に連行されながら、彼はずっと一言も発しなかった。それは彼女の真の姿に恐怖し、嫌悪したからだろうと。そう思っていた。

 少し胸が痛んだが、それは二ヶ月間も一緒に一つ屋根の下で生活してきたからで。きっとすぐ忘れる。否、もう忘れようと。暗い部屋で独り月を眺めて、自分に言い聞かせてきた。


 

 それなのに。


 

 あの、あいさつをすることにすら勇気を振り絞るらしい臆病な彼が自分を助けにくるなどと、誰が想像出来ようか。




「気味悪いでしょ? こんな髪の毛」


 肩に一房掛かっていた髪を見、呟く声は自分でも驚くほど震えて弱々しかった。 


「そんなこと……そんな、こと。ない! すっごく、綺麗だ」

 

 ファムは綺麗だよ。とてもとても。

 

 僕にとって、君はすごく眩しくて。

 僕の方こそ、君からたくさんたくさん貰ったのに。

 助けるのが遅くなって、ごめん。

 

 顔を真っ赤にして、途中からはしどろもどろで何を言っているのか半分も理解できなかったが。それでも彼が必死に言葉を選んで、自分を励ましてくれているのはわかった。

 けれど、そのあまりの必死さが可笑しくて。つい笑いが零れた。


 少女が笑うと少年もつられて破顔し、次いで二、三回、大きく深く呼吸する。

 

「――ファム。聞いて。ぼ、僕。僕ね。病気の原因を見つけたかもしれない」

 君は魔物じゃないから。だからこれは呪いなんかじゃない。

 

「見て――――」

 

 そう言って少年が服のポケットから取り出したのは、手の平にのるような小瓶だった。中に白いモノが入っている。

 

「これ、ね。ホタル茸っていうんだ。ある人が僕に教えてくれて。あ、カビっぽいけど一応キノコなんだ。もともと梅雨時のじめじめっとした季節によく生えてたりしたんだけど……今年はどうも街中で異常発生しているみたいで。

 

 あ、えっとつまりたくさん生えてるってこと。それも季節感なんて関係なく。気候のせいなのかもしれないけど。

 あ、えとえと。つまりその人が言うには……。

 

 あ、何言いたいんだっけ。

 友達――あ、植物たちのことだよ。その彼らが言うには、このホタル茸がちょっとおかしいんだって。ずっと警告してくれていたのに、僕は今までずっと無視しちゃってて。

 んんっと。そう突然変異ってやつで。この子たちは僕の声に反応してくれないし、やっぱりおかしいんだって。雨がたくさん降ってじめじめしているところに晴れると、一斉に胞子をばらまくんだけど……それが毒っぽくて。


 つまりそれが今街を襲っている“呪い”の正体なんだ」


 

 たくさんしゃべり過ぎて疲れたらしく、胸を押さえて荒い息を吐く彼を介抱してやりたくとも、後ろ手に戒められた手枷が邪魔をする。

 こんなに多くの言葉をつなげるキオは、初めて見た。よく頑張りましたと頭をなでなでして褒めてあげたい衝動に駆られるが、やっぱり内容は半分も理解出来ていなかった。

 

 つまり言いたいことは、流行り病は呪いのせいじゃなくてホタル茸っていうカビっぽいキノコの仕業ってことかしら?


 

 何とか呼吸を整えたらしい少年が、青い瞳を真っ直ぐにこちらに向けてくる。

 

「だから、僕は。この事実を皆に知ってもらいたいんだ」

 

 うん、良いんじゃない? でも、どうやって? ふと浮かんだ疑問は、彼女が口にする前に別の方向から響いた怒気を孕む低い声にかき消される。

 

「そうやってまた人を惑わすつもりか。化け物が」



 

 化け物という言葉についつい過剰に反応して勢いよく振り返れば、そこには紫と白を重ねた法衣をきた人物が二人を見下すようにして立っていた。

 

「父さん……」

 

 よく見れば少年と同じ色の髪と瞳を持つ壮年の男は、神殿で最も高位にある人物にふさわしく、長身でガッチリした体躯たいく。小柄で、中性的な印象を相手に与える少年とは持つ雰囲気が全く違う。

 そこに立つだけで威圧感を放つ男の手には、拳銃。銃口はこちらを向いている。

 

 突然身体を引き寄せられ。よろけた少女はもう一度、少年の腕の中に収まる。

 

「穢れた魔物どもが。お前たちの言葉など誰も聴きはしな――――」

 

 武器で脅し、言葉で抑えつけるかのような男は、唐突に台詞を切った。

 その背中に突きつけられるらしい何か。曇天を映し、鈍く光る刃の銀。

 

「――てめぇの手の方がよっぽど穢れているんじゃないのかい? 大神官様」

 

 この街で最も高貴な人物の背に、美しく装飾が施された儀式剣を突き付けるのは、仮面をつけた男。長身に、これまた儀式用らしいやたらと目立つ古風なデザインの黒い上下を身に着けている。

 

「ライ。お前まで裏切るつもりか。食うに困っていたお前を神殿の警備兵に就けてやった、恩ある私に逆らうのか?」

 

「恩。恩、ね。信者を利用して裏切っていたのはどっちだい? ――いったいどれだけの巫女を殺した?」

「何のことだ。お前も魔物に惑わされたか?」

 

「どこまで腐ってやがるんだ、あんたは。こっちは一晩かけてこっそりミリアの遺体を確認したんだ」

 白骨化していたがな。そう漏らす声は無機質な石畳に吸われて消える。

 

「ミリア? 誰だそれは」

 

 しばし考え込む男は、本当に記憶に無いようだった。


 

「あんたが殺して、庭の紫陽花あじさいの下に埋めた巫女の名前だ!」

 

 吐き捨てるように言って、突き付ける刃にまた少し力を込めるらしい男の言に、ようやく何かを悟るらしい大神官は、顔を激しい怒りに染めて少年を睨みつけた。

 

「――キオ。この愚か者が! 今まで生かしてきてやった恩を忘れたか!」

 

 背中に回された腕がびくりと震えるのを、薄い衣装ごしに感じた。

 

 なんて親なのだろう。これが本当に親なのだろうか。見下して、傷付けて。物みたいに扱う。彼女の祖母も短気ですぐに怒鳴るが、これはそういうのとも違う。

 一言言ってやろうと身をよじるが、更にキオの腕に痛いほど締め付けられた。

 

――ファム。良いんだ。僕が言う。

 

 耳元で囁かれ、そっと解放され。少女は石畳に腰を降ろす。

 手足を拘束する枷の鎖が細かな金属音を奏で。

 

 見上げる先。

 今にも泣き出しそうな、重い灰色の雲の連なり。

 赤レンガの家々。

 白く荘厳な神殿。

 広場の周りを流れる水路の音。

 離れた場所に集まった目的も忘れて暴徒と化す人々の足音と、怒号と、悲鳴。

 

 ちゃんと見直せば。綺麗な白い法衣に身を包んでいる少年は立ち上がり、背を伸ばし。

 毅然とした態度で父親と向き合うよう。

 

「僕は、ずっとあなたが怖かった」

 

 あなたに嫌われることが怖かった。

 だから、ずっと逃げてきた。

 

「でも、もう逃げない」

 

――勇気を、貰ったから。



 

「――父さん。

 

 あなたは、間違っている」

 

 

 

 その背は、なんだかとても大きく見えて。

 

 やっぱり男の子なんだな、と、ファムは思った。

 


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