34 入学して早、3か月……実家のお父さん、お母さん。娘は異世界で元気にやっています。
「はぁい、治癒の理論は優しさで出来ているんです。治したい、助けたい、守りたい……そんな気持ちを呪文に変換するんですう♪ ですから、治癒魔法使いは誰よりも温かで穏やかな気性だ、などと言われることが多いんですね♡」
エレナ・リリーラッシュ先生のふわふわとろとろ甘い砂糖菓子のような可愛い声が、心地好い。
午後の授業ってなんでこうも眠気を誘うのだろう。
ごはんを食べた後って、正直何もしたくないよね。身体の機能すべてを強制的にスイッチオフする催眠にでもかけられているのかもしれない。
階段教室の定位置である最後列で、私は眠気を堪えながら授業に耳を傾けていた。
ああ、今日の寮母さんのお弁当、美味しかったなあ。
ひとりぐらしだと凝った料理なんて作る気にもならないし、たまの休みに自炊すると一日が軽く吹っ飛んでしまう。それはただ、玲奈が壊滅的に不器用で、家事に不慣れなせいだったのかもしれないけど。
学院の入学式は3月で、いまは6月のはじめ。私の乙女ゲーム生活もかれこれ3か月が経過してしまったわけだが、一向にこの夢から覚める気配はなかった。
いまも相変わらず【狂気の魔女】呼ばわり。学院の生徒からは遠巻きにされ、後ろ指を指されているが皆も飽きてきたのかそこまで構われなくなった。
時々、存在自体が害みたいなくせ強のモブがバケツの水をひっかけようとしたり、靴を隠そうとしたりするのだが、私もそれなりに成長した(そもそも学院って基本が土足だから下駄箱ってないんだけど、運動するときのシューズのことね)ので聞いてほしい。
用務員さんと親しくなった私は学院中のありとあらゆる用具、備品に呪文を掛けて回り、目的外使用を目論んだ者には雷撃で一分間昏倒する仕掛けを施した。
効果は絶大だったようで、箒を振り回したり魔石ペンで校舎の壁に落書きしたりして悪戯する生徒が激減したらしい。用務員さんにも大いに感謝された。
大人の邪魔ばっかりするガキを甘やかしちゃ駄目だよね、と意見が一致した私と用務員のジョルっちは茶飲み友達になった。
そうそう、悪戯防止魔法は運動用シューズを始め、そのほか私の私物にもかけている。
所有者以外の者が悪意を持って触れた瞬間に、所有者、つまり私のもとへ転送されて届くという呪文だ。
日に何度も、いまは用がない科目の教科書やらシューズやらが転移してくるのは鬱陶しいにもほどがある。ていうかどんだけ嫌がらせしたいんだよ。暇なの?
「では、この治癒魔法式を完成させてください」
うつらうつらと舟を漕いでは起きる、を繰り返したときだった。
「ローゼル・ベネットさん」
「ふぇ……?」
「答えてくださぁい♪ 授業を聞いていたなら、簡単ですよね?」
にっこりと笑みを浮かべたエレナに指名される。
ごごご、と効果音がつきそうなほど、笑顔の裏に隠した苛立ちの発する気がすごい。ただ日ごろから不真面目な生徒、特に男子生徒に向ける圧はこれの比じゃない。たぶん昔、阿呆なクソガキにからかわれて心底嫌いなんだろうな、男。
個人的にはサシ飲みでもして色々話を聞きたいところなのだが、私は現在16歳の未成年だった。
この世界にもいちおうルールがある。飲酒タバコともに喫することができる年齢は成人からという取り扱いだ。
ふわとろ先生エレナ、親しくなりたい、絶対可愛い酔い方するし……いや、意外に酒豪で日本酒とかウィスキーとか焼酎とかいくタイプかも。
なんて、思考をよそに向けっぱなしでは先生に嫌われてしまう。
スマートに立ち上がって、まっすぐにエレナを見つめ、口を開いた。
「不足している呪文は、cARitas、あと効果を上げるにはdEfendoを追加します。私なら、ですけど」
「うふふ、ローゼル・ベネットさん。正解ですっ、花丸あげちゃいます!」
拍手するエレナとは対照的に、教室内の生徒たちから波のように膨らんだどよめきが広がった。
ふ、驚いていやがる。私のこと、攻撃力全振りの狂犬だと思っていただろうが……もう違うのよ。
なにしろ私には、学院で一番の天才いや鬼才、変態……もとい専属家庭教師のお兄さんがついたからね!




