16 氷結結界の中で
「えっ、何……?」
そのとき、突如として視界が完全に白に染まった。
ローゼル、と私を呼ぶソウビの声が遠くに聞こえる。応えようとして、はたと気づいた。
「なにこれ寒っ! 寒い寒い寒い嘘でしょ有り得ないんですけどっ」
びゅおおおお、と風が空気を切り裂く音が響いている。
この白いの、もしかしなくてもものすごい吹雪だ。前方が不明瞭で何もかもが見えない。だが相手も状況はおなじらしく、ルイーザを呼ぶエリアスの声が意外と近くで聞こえていた。
気づかれないようにそろそろと、一瞬で足を埋めた雪を掻き分けながらソウビの声の方に向かって歩き始める。
おそらく氷属性の結界を、闘技場内部に展開したのだろう。結界の中にさらに結界を展開するのは術者の魔力が干渉しあってかなり難しいのだと授業でも習ったばかりだった。これをルイーザがやってのけたということなのか――ますます得体が知れない。
一面の白い闇の中にぱっと影が見えた。
「ソウビ! 大丈夫……だっ、た」
呼びかけて気づいた。
ソウビじゃない。思わず後ずさりしようとしたけど、すっかり足が埋まって引っこ抜くのに手間取る。その隙に、降り積もった雪の数センチ上をかつん、かつんと学院指定のマロンブラウンのブーツの踵を鳴らして歩いて来る。
彼女が、来る。
春風にほころび色づいた花を思わせる萌黄の髪がなびき、まるで女神のヴェールのよう。その、氷漬けの世界に咲く一輪の花のような異質なほどの光景を私は見たのだ。
激しい風雪の中で佇む姿さえも麗しい、女子生徒――ルイーザ・プリムローズの姿を。
「……やはり、あなたが『主人公』なのですね」
「ルイーザ……?」
悲しそうな表情で、ルイーザが私を見ている。
顔色が悪いのは凍えるほどに寒いせいだろうか。それとも、魔力の消費が激しいせいかもしれない。
これほどの結界を長期間展開し続けるのは常人には無理だ。幾ら優秀だ数年に一度の逸材だと称賛されているルイーザでも残り数分が限界だろう。
「――申し訳ありません、ローゼル様。私達プリムローズ家は予言書に逆らうことが出来ないのです」
予言書、という怪しげな単語に引っかかったが指摘する前にルイーザは自分語りを続けてしまった。
「すべては定められたこと、創造主が記した筋書き通りに動かなければなりません。私も、あなたも」
「どういう意味……」
厨二病……? の言ってはならない一言が喉元までせりあがってきたが苦労して呑み込んだ。そういう世界設定にしたのは私だろうがよ! じゃあこの子がいささか聞いてるこっちが照れてしまいそうな単語を連発しているのも私のせいじゃん。くそう、私の馬鹿。
「失礼いたします」
そのとき、ルイーザが手にした小瓶に入っていた真っ赤な液体を口に含んだ。
と思った次の瞬間には、私の眼前に美少女の顔があった。まさかあなたってば縮地でも使えるんですか、美少女の天才ともなると⁉
「んぅ⁉」
そんなふざけたことを考えている場合では、なかった。
重なった唇の合間から、液体が流し込まれる。え、待って。なにこれ、嘘。どういうこと、どうして。いやだからなんでだよ。凍える寒さの中、触れた唇の温もりに激しく動揺する。
ごくん――と、自らの喉が動いたのがわかった。
「げほ、ごほっ、うえっ……の、飲んじゃった……!」
ていうか、私ルイーザにチュウされたよね⁉ チュウ? ローゼル初のキススチルの相手が女子⁉ 嘘ぉ……。ていうかなにすんだ、マジで!
私が突き飛ばす前にルイーザは後ろに跳んで距離を取っていた。
「……う、ぐ」
身体が熱い。
全身の血液が沸騰しそうなほどに、煮え立っているのが感じられる。これは怒りだろうか――いや、違う。
「うぁあああああああああああああ――――ッ!」
じゅ、と私が発した熱気で闘技場を覆っていた雪が解け始めている。沸き立つような力が心臓のあたりからみなぎって来るのがわかった。
勝てる、これなら……ルイーザにも、エリアスにも負けない! 世界中の誰と戦り合ったとしても勝てる気しかしないっ。
だけどこんなの主人公補正どころじゃないって、もはや魔王覚醒のレベルなのでは――? 当たり前だけどそんなイベントを私はストーリーに組み込んでない。
でも、いいや、だってなんかすごく気持ちがいいんだもん。
「まさかこれほどまでとは……やはり、芽は早いうちに摘まなくては」
ぼそりとつぶやいたルイーザの声も私の絶叫が掻き消していく。ようやく視界が晴れた結界内のようすを、観戦者たちは視認した。
「……っ、まさかアレは、おいお前ら演習は中断だっ! 俺が中に入るまで各自防御展開してベネットから離れろ」
ソウビが私を見ている。大丈夫だよ、早くこの女をぶっつぶしてあげるからね。掌の中に熱が集中する。私の本日の得物であるハンマーがみるみるうちに巨大化していった。
これで薙ぎ払えばどんなやつだって一網打尽、間違いなしなんだから。
羽根みたいに軽いそれを素振りしていた私の背中に、ソウビが体当たりするようにして抱き着いてきた。
「どしたの、ソウビくんってば。そんなにくっつきたかったなんてさみしがり屋さんだねっ!」
「くそっ、いつもにも増してこいつ言うことが阿呆! ローゼル、正気に戻れ!」
羽交い絞めにされているから手足が動かせない――わけではないけど、相棒を傷つけてまで攻撃展開するのは嫌だ。うん、ソウビが痛い思いをするのはやだな。
でも抱き着かれたままでも、ハンマー以外の攻撃方法ならいけそうだ。しゅん、と得物が消滅したのを見てソウビが安堵する
「――襲撃、開始!」
指先に装填した魔弾を放つ。楽団の指揮者みたいに、すっと手を動かしただけ。ボールに手は添えるだけ。
ぎょっとした様子でこちらを見ているエリアスの眉間目掛けて魔弾が飛んでいく。
「じゃあねバイバイ、来世でお会いしましょう?」
今度こそまともな攻略対象になってね。
エリアスの盾を私の弾丸が突き破る――粉々に砕ける音が耳に快い。
観衆からの悲鳴が聞こえる。わあ、気分が最高にいい。あっははは勝ち確ってこういうことだよね。
「そこまでっ!」
グリーヴの低くて渋い声がバトルフィールドに轟くように響いた。ぐわんぐわんと頭を揺らされるような衝撃と共に、目の前が真っ暗になる。
「はうぁっ……」
全能感が一瞬で掻き消え、身体から力が抜けた。
――ローゼル! この馬鹿っ、しっかりしろっ!
私を抱きしめ、ソウビの声がずいぶん遠くの方から聞こえる。あれれ、なんかおかしい、な。やっぱり何か変だ。これって、いったい、私、どうしちゃった……んだろ。
ぐらっと傾いだまま、私の意識は沈み続けた。